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第55話 消えた足跡と、深まる疑惑

 翌朝、冒険者ギルドには普段よりも重苦しい空気が漂っていた。


 行方不明になった冒険者の数は、ここ数日でさらに増えている。依頼を受けたまま帰ってこない者。宿を出たきり姿を消した者。そして、仲間と一緒に行動していたはずなのに、いつの間にか一人だけいなくなっていた者。


 共通しているのは、誰一人として行方をつかめていないことだった。


「……今日も、新しい報告が入ったんですか?」


 受付カウンターに近づいた恒一が尋ねると、ミリアは手元の書類から顔を上げた。


「はい。昨日の夕方、採取依頼から戻る途中だった冒険者が一人、街の外れで姿を消したそうです。同行者の証言では、ほんの少し目を離した間にいなくなっていたとか」


「目を離した間に、ですか……」


 恒一は眉を寄せた。


 森の中なら、魔物に襲われたり、何かの罠に巻き込まれたりする可能性はある。しかし、街の近くで、しかも仲間と行動していた人間が跡形もなく消えるというのは不自然だった。


「争った形跡は?」


「見つかっていません。血痕も、落とし物もありませんでした。同行者は、何か物音がしたわけでも、魔法が使われた気配を感じたわけでもないと言っています」


「まるで、そこにいた人間だけを切り取ったみたいね」


 エレナが静かに口を挟んだ。


 彼女はミリアから報告書を受け取り、記載された内容を一つずつ確かめている。


「転移魔法の可能性は?」


 恒一が尋ねると、エレナはすぐには答えなかった。


「可能性だけなら否定できないわ。でも、人間一人を痕跡も残さず移動させるとなると、相応の魔力か、事前に用意された仕掛けが必要になるはず。少なくとも、一般的な転移魔法で簡単にできることではないわね」


「それに、転移だったとしても、なぜ冒険者ばかりが狙われるのかという問題が残ります」


 セレスが続けた。


「偶然にしては対象が偏りすぎています。犯人が冒険者を選んでいるのなら、その理由を突き止める必要があります」


「だったら、見つけたら捕まえて問い詰めるしかないね!」


 コハクが拳を握った。


 勢いよく振られた尻尾が、椅子の背もたれに当たって小さな音を立てる。


「コハク、犯人を見つけるのは大切だけど、相手の実力も目的もわかっていないのよ。無闇に飛び込むのは危険だわ」


「わかってるよ、エレナ。でも、誰かが困ってるのに、じっとしてるなんてできないもん」


 コハクの言葉に、エレナは一瞬だけ口を閉じた。


 理屈では危険を避けるべきだとわかっていても、助けを求める人間を放っておけない。その気持ちは、彼女にも理解できる。


「コハクの言うこともわかる。だけど、今回は慎重にいこう」


 恒一がそう言うと、コハクは少し不満そうに頬を膨らませたものの、最後には素直に頷いた。


「……うん。コウイチがそう言うなら」


 その様子を見ていたリゼリアが、恒一の隣に立った。


「あなたが慎重になるのは賛成よ。でも、危険を感じたらすぐに私たちを頼りなさい。自分だけで何とかしようとするのは、あなたの悪い癖だわ」


「まだ何もしてないんだけどな」


「これからするつもりでしょう?」


「……否定はできないな」


 恒一が苦笑すると、リゼリアは満足そうに目を細めた。


 そのやり取りを見ていたフィリアが、呆れたように肩をすくめる。


「まったく。事件の調査に来たのに、いつの間にか恒一の行動を監視する話になってるじゃない」


「フィリアも、恒一が無茶をしたら止めるつもりでしょう?」


 セレスに尋ねられ、フィリアは一瞬だけ言葉に詰まった。


「そ、それは当然でしょ! 仲間が勝手に倒れたら、こっちまで困るんだから!」


「ふふ。そういうことにしておきましょう」


「セレス、絶対にわかって言ってるでしょ……!」


 フィリアが顔を赤くすると、コハクが楽しそうに笑った。


 ほんの短いやり取りだったが、張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。


 それでも、恒一の胸に残る不安は消えなかった。


 この事件には、何かがある。


 そして、その何かは、まだ自分たちの知らないところで動き続けている。


     *


 恒一たちは、行方不明者が最後に目撃された街の外れへ向かった。


 現場は街道から少し外れた、低い木々と岩場が点在する場所だった。近くには採取依頼で使われる小道があり、冒険者が一人で通ることも珍しくない。


 周囲に魔物の気配はない。


 しかし、人の往来が少ないせいか、地面には草が伸び、ところどころに古い足跡が残っていた。


「最後に目撃されたのは、この辺りだったそうです」


 セレスが証言の記録を確認しながら説明した。


「同行者は、ここで採取した薬草を袋に詰めていたそうです。その間に、もう一人が少し先を歩いていた。顔を上げたときには、すでに姿がなかったと」


「呼びかけても返事はなかったのか?」


「はい。周囲を探しても見つからず、ギルドへ報告に戻ったそうです」


「それだけ近くにいたのに、何も聞こえなかった……」


 恒一は地面に目を向けた。


 誰かを無理やり連れ去ったのなら、足跡や争った跡が残っていてもおかしくない。しかし、現場にはそれらしい痕跡が見当たらなかった。


「コウイチ、こっち!」


 少し離れた場所からコハクの声がした。


 恒一たちが駆け寄ると、コハクは道脇の岩の前でしゃがみ込んでいた。


「何か見つけたのか?」


「うん。ここ、変な匂いがするんだ」


 コハクは鼻を動かしながら、岩と地面の隙間を指さした。


 そこには、黒い粉末がほんの少しだけ付着していた。


「また、これか……」


 恒一は思わず呟いた。


 以前、街の路地で見つけたものとよく似ている。


 エレナが慎重に近づき、粉末の周囲に魔力を巡らせた。


「間違いないわ。前に見つけたものと、かなり似た魔力の残滓がある」


「同じものなのか?」


「断定はできない。でも、少なくとも無関係とは考えにくいわね」


 エレナは指先を離し、考え込むように眉を寄せた。


「やっぱり、誰かが意図的に使っているのか……」


 恒一は周囲を見回した。


 黒い粉末は、偶然こぼれたというより、何かを通過させた際に付着したようにも見える。しかし、それが何を意味するのかまではわからない。


「これが転移の痕跡だとしたら、どうなる?」


 フィリアが尋ねた。


「犯人が移動のために使ったのか、それとも消えた冒険者を移動させるために使ったのか。そこを区別する必要があるわね」


 エレナが答える。


「それに、転移に使う道具の一部なのか、魔法を発動させた後に残るものなのかもわからない。今の段階では、用途を決めつけないほうがいいわ」


「つまり、まだ手がかりの一つってことか」


「そういうこと」


 恒一は頷いた。


 手がかりは見つかっている。


 だが、それらをつなぐ答えがない。


 黒い粉末。消えた冒険者。目撃された黒い外套の男。そして、突如として持ち上がった武闘会の計画。


 それぞれが別々の問題なのか、それとも一つの目的につながっているのか。


 判断するには、まだ材料が足りなかった。


「恒一、少し見てもいいかしら」


 リゼリアが粉末の近くに膝をついた。


 彼女は指先を触れさせることなく、わずかに目を細める。


「この場所には、微かだけれど魔力が残っているわ。ただ……普通の魔法を使ったときの残り方とは違う気がする」


「違う?」


「ええ。何かを無理に押し広げたような、不自然な感触があるの」


 その言葉に、恒一の表情が変わった。


 空間を操作する自分の能力と、何か関係があるのだろうか。


 そう考えた瞬間、先日のダリオの言葉が脳裏をよぎった。


 ――お前の空間操作が、今回の失踪事件と関係しているんじゃないのか。


「……恒一?」


 リゼリアが顔を上げた。


「何か気になることでもあるの?」


「いや。少し考えただけだ」


 恒一はすぐに答えを出さず、もう一度周囲を見渡した。


 自分の能力と似た現象が起きているのだとすれば、確かに無関係とは言い切れない。


 しかし、似ているからといって同じものだと決めつけるのは危険だった。


「この件は、ギルドに報告しよう。粉末の分析も続けてもらいたい」


「そうね。これ以上、現場でわかることは少なそうだわ」


 エレナも同意した。


 恒一たちは採取した粉末を慎重に保管し、街へ戻ることにした。


     *


 ギルドに戻ると、受付のミリアが慌ただしく書類を整理していた。


「お帰りなさい。何かわかりましたか?」


「以前、路地で見つけたものと似た黒い粉末がありました。魔力の残滓も確認できています。ただ、用途はまだ不明です」


「また見つかったんですね……」


 ミリアの表情が曇る。


 これで、黒い粉末と行方不明事件を結びつける材料は増えた。しかし、犯人の正体や居場所を特定できるほどの情報ではない。


「それと、もう一つ報告しておきたいことがあります」


 恒一は、昨夜聞いたグレイヴの話を切り出した。


「領主の館に、グレイヴという人物が訪れたそうですね。武闘会を開くための資金援助を申し出たと聞きました」


「はい。アリシア様からも、調査を進めるようにと連絡がありました。今のところ、開催は正式に決まっていません」


「その人物について、何かわかっていますか?」


「身元や資金の出どころを確認しているところです。ただ、現時点では不審な点があると断定できる情報はありません」


 恒一は小さく息を吐いた。


 グレイヴが事件に関わっているという証拠はない。


 だが、冒険者が次々と消えているこの時期に、大勢の冒険者を集める武闘会を提案してきたというのは気になる。


「武闘会そのものが悪いとは限らない。でも、もし犯人が冒険者を狙っているなら、人を集める催しが利用される可能性はある」


 恒一がそう言うと、セレスが頷いた。


「主催者の目的と、安全対策を確認する必要がありますね。領主様も、その点は慎重に判断されるはずです」


「アリシア様は、簡単に話を進める方ではないわ」


 リゼリアも静かに口を開いた。


「けれど、街の冒険者が減り続けている状況では、支援の申し出を完全に無視するわけにもいかないでしょうね」


「だからこそ、こっちもできる限りの情報を集めよう」


 恒一はミリアに向き直った。


「グレイヴの身元がわかったら、教えてください。武闘会の話も、決定する前に情報を共有してもらえると助かります」


「わかりました。こちらでも引き続き調べておきます」


 報告を終えた恒一たちは、ギルドの隅にあるテーブルへ移動した。


 すぐに次の行動を決めたいところだったが、手元にある情報だけでは、調査の方向を大きく変えることもできない。


「明日は領主の館へ行ってみない?」


 フィリアが提案した。


「グレイヴ本人に会えるとは限らないけど、武闘会の話について、アリシア様がどこまで把握しているのかは確認できると思う」


「賛成です。領主様が持っている情報と、ギルドが把握している情報を照らし合わせれば、何か見えてくるかもしれません」


 セレスも同意した。


「ただし、グレイヴを犯人だと決めつけるのはやめておきましょう。今の段階では、疑わしい点があるというだけですから」


 恒一の言葉に、全員が頷いた。


 調査を焦れば、無関係な人間を疑うことにもなりかねない。


 今は、確かな情報を一つずつ積み重ねるしかなかった。


     *


 その頃、街の中心部から離れた建物の一室では、一人の男が窓の外を眺めていた。


 黒い外套をまとった男――グレイヴである。


 彼の前には、街の地図と、何人もの冒険者の名前が記された紙が広げられていた。


 男はその一枚を手に取り、記された名前を指先でなぞった。


「また一人、予定どおりに消えたか」


 その声には、驚きも焦りもなかった。


 まるで、予定表に記された作業が一つ終わったことを確認するかのような口調だった。


 彼は別の紙を取り上げる。


 そこには、黒瀬恒一の名前が記されていた。


「時空士……。なるほど、空間に干渉する力を持つか」


 グレイヴは口元に薄い笑みを浮かべた。


「こちらの痕跡に気づき始めているようだが、まだ核心には届いていない」


 黒い粉末を見つけたことも、領主の館へ向かおうとしていることも、彼にとっては想定の範囲内だった。


 むしろ、恒一たちが調査を進めてくれることには意味がある。


 武闘会の開催が決まれば、街には腕に覚えのある冒険者が集まる。その中から、目的に適した者を選ぶことも容易になるだろう。


「もう少しだ……」


 グレイヴは地図の上に置かれた駒を、一つだけ動かした。


 その駒が示す場所は、武闘会の会場となる予定の土地だった。


「集まってもらわなければ困る。優れた力を持つ者たちには、相応の役目があるのだからな」


 男は窓から目を離し、部屋の奥へと歩き出した。


 薄暗い室内のさらに奥から、何かが擦れるような音が聞こえた。


 それが何の音なのか、彼以外に知る者はいない。


     *


 その日の夕方、恒一たちは宿へ戻った。


 事件の手がかりは増えたものの、犯人の姿はまだ遠い。


 黒い粉末は何なのか。なぜ冒険者ばかりが狙われるのか。そして、グレイヴが提案した武闘会は、本当に街を助けるためのものなのか。


 答えは一つも出ていなかった。


「明日は領主の館だね、コウイチ!」


 コハクが尻尾を揺らしながら言った。


「ああ。少しでも情報が増えるといいな」


「無理はしないでね」


 エレナが念を押す。


「わかってるよ」


「本当かしら?」


 リゼリアが意味ありげに微笑んだ。


「……できる限り、無理はしない」


「最初からそう言えばいいのよ」


 リゼリアは満足そうに頷く。


 恒一は苦笑しながら、仲間たちを見回した。


 まだ何も解決していない。


 それでも、一人で抱え込む必要はなかった。


 仲間たちと協力しながら、一歩ずつ真相に近づいていけばいい。


 そう考え、恒一は明日に備えて休むことにした。


 しかし、彼らが知らないところで、武闘会の準備は静かに進められていた。


 そして、その舞台こそが、行方不明事件の真相へとつながる大きな罠になることを、まだ誰も知らなかった。


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