第54話 領主の館を訪れた謎の支援者
冒険者ギルドの掲示板から、いくつもの依頼書が姿を消していた。
薬草の採取、街道の護衛、近隣の村で発生した魔物の討伐。どれも、この街で暮らす人々にとって欠かせない仕事だ。しかし、依頼を受ける冒険者が減ったことで、対応が追いつかなくなり始めていた。
「また護衛依頼が延期ですか……」
受付カウンターで書類を確認していたミリアが、困ったように眉を下げた。
「はい。担当する予定だった冒険者が、別の依頼を引き受けてしまったそうです」
「人手不足が深刻になってきましたね」
ミリアは書類をまとめながら、ギルド内を見回した。
以前なら、依頼を探す冒険者たちの声でにぎわっていた時間帯だ。ところが今は、掲示板の前に集まる人数も少なく、いつも顔を見せていた者の姿も見当たらない。
彼らの中には、失踪した冒険者と親しかった者もいる。
次は自分が消えるのではないか。そんな不安が広がり、街を離れることを考える冒険者まで出始めていた。
失踪事件の影響は、ただ人数が減るというだけではない。
冒険者が減れば、魔物から街道や村を守る仕事にも支障が出る。商人が安全に移動できなければ、街に運ばれる品物も減っていく。
事件を解決しなければ、街全体が少しずつ弱っていくことになる。
「恒一さんたちも、まだ調査を続けているんですよね?」
ミリアが尋ねると、近くにいた職員がうなずいた。
「はい。昨日も失踪現場を回っていたそうです。黒い粉末が見つかった件についても、引き続き調べているとか」
「少しでも早く、手掛かりが見つかるといいのですが……」
ミリアはそう言って、未処理の依頼書へ目を落とした。
しかし、今のところ新たな失踪者こそ確認されていないものの、事件の原因は分からないままだった。
◇
同じ頃、領主の館でも、失踪事件への対応が続いていた。
「街の警備兵を増員した場合、周辺の村々を担当する人員が不足します」
執務室で報告を受けたアリシア・フォン・ヴァレンシュタインは、机に置かれた地図を見つめていた。
「では、街の外から応援を呼ぶことはできませんか?」
「近隣の領主に協力を要請することは可能です。ただし、派遣されるまでには時間がかかります。それに、向こうも自領の警備を優先するでしょう」
「そうですね……」
アリシアは小さく息をついた。
父が亡くなり、領主の座を引き継いでから、まだそれほど時間は経っていない。
領主として判断しなければならないことは、想像していた以上に多かった。税や物資の管理だけではない。街で暮らす人々の安全を守り、問題が起きたときには責任を持って対処しなければならない。
しかも今は、原因の分からない失踪事件が起きている。
「失踪した方々の捜索は、引き続き最優先で進めてください。ただし、警備を強化するために、ほかの地域を無防備にすることは避けたいです」
「承知いたしました」
「それから、冒険者ギルドとの連携も続けてください。彼らが集めた情報は、必ず私にも報告してもらいたいのです」
「かしこまりました」
報告に来ていた兵士が退室すると、アリシアは椅子に腰を下ろした。
窓の外には、いつもと変わらない街並みが広がっている。
通りを歩く人々も、店先で客を呼び込む商人たちも、普段どおりに見えた。
けれど、その日常の裏では、誰かが突然いなくなるかもしれないという恐怖が広がっている。
「何か、別の方法があれば……」
つぶやいたとき、扉がノックされた。
「お嬢様。面会を希望されている方がいらっしゃいます」
「どなたでしょうか?」
「グレイヴと名乗る男性です。冒険者への支援について、お話があるとのことです」
アリシアは顔を上げた。
「冒険者への支援?」
「はい。街の現状を憂慮されているようで、何か協力できることはないかと」
この状況で支援を申し出てくれる人物がいるのなら、話を聞く価値はある。
もっとも、善意だけで動いているとは限らない。資金を提供するという話であれば、なおさら条件を確認する必要があった。
「分かりました。応接室へお通ししてください」
「かしこまりました」
アリシアは机の上の書類を整理し、応接室へ向かった。
◇
応接室で待っていた男は、黒い外套を身にまとっていた。
年齢は三十歳前後だろうか。整った顔立ちに、落ち着いた物腰。アリシアが姿を見せると、男は立ち上がり、丁寧に一礼した。
「初めてお目にかかります、アリシア様。グレイヴと申します。突然の訪問をお許しください」
「ご丁寧にありがとうございます。冒険者への支援をお考えだと伺いました。詳しくお話しいただけますか?」
「もちろんです」
アリシアが席を勧めると、グレイヴは静かに腰を下ろした。
「この街では、冒険者の失踪が相次いでいるそうですね。その影響で、依頼を引き受ける者も減り、街道の護衛や魔物の討伐にも支障が出始めていると聞きました」
「そのとおりです。現在、原因の調査を進めていますが、残念ながら決定的な手掛かりは見つかっていません」
「心中お察しいたします。冒険者は街を支える大切な存在です。彼らが安心して活動できる環境を整えることは、街全体の利益にもつながるでしょう」
「ええ。私も、何か対策を講じたいと考えています」
アリシアはうなずいた。
グレイヴは、机の上に置かれた失踪者の報告書へ視線を向けた。
「ですが、今の状況では、新しい冒険者を募るだけでも難しいのではありませんか?」
「否定はできません。事件が解決しない限り、冒険者たちの不安を取り除くのは困難でしょう」
「そこで、一つ提案がございます」
グレイヴは懐から数枚の書類を取り出した。
「冒険者たちが自分の実力を試し、互いに競い合える場を設けてはいかがでしょうか」
「実力を試す場……?」
「ええ。たとえば、武闘会です」
アリシアは書類を受け取った。
そこには、街の冒険者を中心に参加者を募り、武術や魔法の実力を競わせる催しの案が記されていた。優秀な成績を収めた者には賞金を与え、参加者にも一定の報酬を用意する。
さらに、武闘会を通じて実力のある冒険者を見つけ、街の防衛や護衛任務に協力してもらうことも想定されていた。
「なるほど……。腕の立つ冒険者を見つける機会にはなりそうですね」
「そうでしょう。賞金があれば、街に残っている冒険者たちも参加を検討するでしょうし、近隣から実力者が訪れる可能性もあります。街の活気を取り戻すきっかけにもなるはずです」
アリシアは書類を読み進めた。
確かに、武闘会には利点がある。
実力のある冒険者を把握できれば、街道の護衛や魔物の討伐を任せる際にも役立つ。冒険者たちが互いの腕を知ることで、今後の協力関係が生まれるかもしれない。
しかし、気になる点もあった。
「今は失踪事件が続いています。この時期に大勢の冒険者を集めるのは、危険ではありませんか?」
「その懸念はもっともです。だからこそ、開催にあたっては領主様の管理のもと、安全対策を徹底していただきたいと考えております」
「具体的には?」
「会場の警備を強化し、参加者の身元を確認する。試合中の危険な攻撃についても、一定の制限を設けるべきでしょう。必要であれば、私の資金で警備や会場の整備にかかる費用を負担いたします」
「資金を、すべてあなたが?」
「可能な限り、こちらで負担いたします。賞金や参加報酬についても同様です」
アリシアは書類から目を離し、グレイヴを見た。
「そこまでしてくださる理由を、伺ってもよろしいでしょうか?」
「もちろんです」
「これほどの費用を負担すれば、相応の出費になります。あなたにとって、どのような利益があるのでしょうか」
グレイヴは、少しも動じることなく微笑んだ。
「私はこの街の発展に関心があるのです。冒険者が活躍し、街道の安全が保たれれば、商人たちも安心して商売ができます。人の往来が増えれば、街も豊かになる。私にとっても、将来への投資という意味がございます」
「将来への投資、ですか」
「はい。もちろん、私一人の考えで街の方針を決めていただきたいわけではありません。アリシア様が必要だと判断された場合にのみ、協力させていただければと思っております」
説明には筋が通っていた。
少なくとも、現時点で不審な点を指摘することは難しい。
だが、アリシアはすぐに返事をしなかった。
「ご提案には感謝いたします。ただし、開催するかどうかは、警備の体制や費用、安全面を十分に検討したうえで判断させてください」
「承知いたしました。急いで結論を出していただく必要はございません」
グレイヴは穏やかにうなずいた。
「それから、もう一つだけ。最近、黒瀬恒一という冒険者が活躍していると耳にしました」
その名前が出た瞬間、アリシアの視線がわずかに鋭くなった。
「恒一さんをご存じなのですか?」
「いえ、直接お会いしたことはございません。ただ、空間を操る珍しい能力をお持ちだとか。冒険者の間でも話題になっているようですね」
「恒一さんは、現在、失踪事件の調査に協力してくださっています」
「それは心強いことです。彼のような実力者が武闘会に参加すれば、ほかの冒険者たちにとってもよい刺激になるでしょう」
グレイヴは、あくまで自然な口調でそう言った。
しかし、アリシアの胸には小さな疑問が残った。
武闘会の話をしていたはずなのに、なぜ恒一の能力を詳しく知りたがるのだろう。
「参加については、本人の意思を尊重する必要があります。こちらから無理に勧めるつもりはありません」
「もちろんです。私も、実力のある方には自らの意思で参加していただきたいと考えております」
グレイヴは立ち上がり、丁寧に一礼した。
「本日はお時間をいただき、ありがとうございました。よいお返事をいただけることを願っております」
「こちらこそ、ご提案ありがとうございました。検討したうえで、必要があればこちらからご連絡いたします」
男が応接室を出ていくと、アリシアはしばらく扉を見つめていた。
武闘会そのものは、決して悪い案ではない。
しかし、失踪事件が続いている今、冒険者を集めることには危険も伴う。開催を検討するにしても、まずは事件の調査を優先すべきだろう。
「……グレイヴという人物について、確認しておく必要がありますね」
アリシアは執事を呼び、男の身元や資金の出所、これまでの街での活動について調べるよう指示した。
「それから、武闘会については、警備兵とギルドの意見も聞いてから判断します。まだ開催を決めたわけではありません。誤解のないように伝えてください」
「かしこまりました」
執事が退出したあと、アリシアは再び失踪者の報告書へ目を落とした。
目の前に差し出された支援を利用できれば、街の問題を解決する助けになるかもしれない。
けれど、焦って判断を誤れば、守るべき住民を危険にさらすことになる。
その責任の重さを、アリシアは十分に理解していた。
◇
一方、恒一たちは街の裏通りを調べ終え、冒険者ギルドへ戻っていた。
「結局、今日も決定的な手掛かりは見つからなかったか……」
恒一は集めた報告を机に置いた。
黒い粉末が発見された現場は、いずれも冒険者が最後に目撃された場所の近くにある。黒い外套の男についても、複数の証言が集まりつつあった。
それでも、粉末の正体も男の目的も分からない。
「焦っても仕方がないわ。情報を一つずつ整理していくしかないでしょうね」
エレナは記録を見比べながら答えた。
「ただ、粉末が複数の現場で見つかったのは気になるわ。偶然とは考えにくいもの」
「うん。においも同じだったよ。ほんの少しだけど、あの変な感じが残ってた」
コハクは自分の鼻先を指でつついた。
「でも、どこへ続いているのかは分からなかったんだ」
「無理に追いかける必要はないわ。相手が何を仕掛けてくるか分からないもの」
リゼリアは落ち着いた声で言った。
「それに、相手がこちらの調査に気づいている可能性もある。次に動くときは、十分に警戒するべきね」
「そうだな。みんなも一人で行動するのは避けてくれ」
恒一が仲間たちを見回すと、フィリアが力強くうなずいた。
「分かってる。何か見つけても、勝手に追いかけたりしないよ」
「頼むぞ。俺も気をつけるから」
「コウイチは特に気をつけてね」
リゼリアが当然のように恒一の腕に手を添えた。
「あなたは自分のことになると、少し無理をしがちだから」
「そんなつもりはないんだけどな……」
「自覚がないのが問題なのよ」
リゼリアが微笑むと、コハクが楽しそうに笑った。
「リゼリアって、コウイチのことになると本当に心配性だよね!」
「当然でしょう? 大切な人なのだから」
堂々と言い切られ、恒一は返す言葉に困った。
エレナは小さく咳払いをして、話を本筋へ戻す。
「それより、これからどうする? 手掛かりが増えない以上、別の方向から調べる必要があると思うわ」
「領主様に、これまでの調査結果を報告してみるのはどうかな?」
フィリアが提案した。
「私たちが知らない情報を持っているかもしれないし、街の警備に関する話も聞けると思う」
「そうだな。明日にでも館を訪ねてみよう」
恒一がそう答えたとき、受付カウンターからミリアが声をかけてきた。
「皆さん、ちょうどお伝えしたいことがあるんです」
「何か分かったのか?」
「新しい失踪者が出たわけではありません。ただ、領主様の館に、冒険者への支援を申し出た人物が訪れたそうです」
「支援?」
恒一たちは顔を見合わせた。
「はい。街の冒険者不足を解消するために、資金を提供したいと申し出たとか。それに関連して、武闘会を開催する案も出ているそうです」
「武闘会……?」
エレナが首をかしげた。
「実力のある冒険者を集めるため、ということかしら」
「そのようです。まだ正式に開催が決まったわけではないそうですが」
恒一は腕を組んだ。
武闘会そのものは、冒険者の間では珍しい催しではない。賞金が出るなら、参加したいと考える者もいるだろう。
だが、今は失踪事件が続いている。
そんな時期に、冒険者を大勢集める計画が持ち上がった。
「……少し気になるな」
恒一のつぶやきに、リゼリアが目を向けた。
「失踪事件との関係を疑っているの?」
「ああ。ただ、今の段階では何とも言えない。武闘会の提案が出たからといって、すぐに事件と結びつけるのは早いだろう」
「それはそうね。でも、調べておく価値はあると思うわ」
エレナも同意した。
「支援者の身元や、武闘会を開く目的を確認できれば、何か分かるかもしれない」
「よし。明日は領主の館へ行こう。調査の報告をしながら、武闘会についても聞いてみる」
恒一が決めると、仲間たちはそれぞれうなずいた。
まだ、黒い粉末と謎の男の正体は分からない。
武闘会の提案が事件と関係しているという証拠もない。
それでも、これまでの手掛かりを一つずつつなぎ合わせていけば、何かが見えてくるはずだった。
◇
その夜。
街の中心から離れた建物の一室で、黒い外套の男が窓辺に立っていた。
机の上には、街の地図と、いくつかの報告書が広げられている。
「領主は慎重なようだな」
男は、先ほどまでの礼儀正しい笑顔とは違う、冷ややかな表情を浮かべた。
「まあ、最初から簡単に話が進むとは思っていなかったが」
彼は指先で地図の一角をなぞった。
冒険者ギルド。街の広場。領主の館。
そして、失踪者が最後に目撃された場所。
それらを結ぶように、男の指がゆっくりと動いていく。
「冒険者が減れば、街は不安になる。残った者たちも、いずれ自分の身を守ることを優先するようになる」
男は小さく笑った。
「そこへ新しい目標を与えればいい。賞金、名誉、実力を証明する機会……。人間というものは、欲しいものを目の前に差し出されると、自分から手を伸ばすものだ」
机の引き出しを開け、男は小さな袋を取り出した。
中に入っているのは、黒い粉末だった。
彼は袋を閉じ、再び引き出しへしまった。
「さて、黒瀬恒一。君はどんな選択をするのかな」
その声には、期待にも似た響きがあった。
男が望んでいるのは、単に武闘会を開くことではない。
実力のある冒険者を集めること。
その中から、利用価値のある者を見つけ出すこと。
そして、計画の邪魔になる者を排除すること。
そのために、失踪事件も、支援の申し出も、すべてが一つの計画につながっていた。
ただし、男の思惑を知る者は、まだ誰もいない。
アリシアは街を守るために判断を重ね、恒一たちはわずかな手掛かりを追い続けている。
それぞれが正しいと信じる行動を取るなかで、見えない罠は静かに形を整え始めていた。




