第52話 若き女領主からの依頼
「お願いです……息子を探してください!」
朝の大通りに、悲痛な声が響いた。
ギルドへ向かっていた一団が足を止める。その中心にいたのは、淡い金色の髪を持つ若い女性だった。
彼女の前には、年配の女性が道端に座り込み、小さな革製の腕輪を握りしめている。
「昨日、冒険者の仕事に出たきり、帰ってこないんです。いつもなら遅くても夜には戻るのに……」
女性の目は赤く腫れていた。
付き添っていた騎士が、困ったように口を開く。
「領主様、ギルド長との約束の時間が迫っております。詳しい話は衛兵に伝えるよう申し上げては……」
「待ってください」
若い女性は騎士を制し、女性の前に膝をついた。
「お名前を教えていただけますか。息子さんが最後に目撃された場所や、何か変わった様子はありませんでしたか?」
「名前はトーマスです。昨日の昼、商店街の近くで仕事仲間と別れたと聞いています。それからは、誰も……」
「商店街ですね。わかりました」
彼女は懐から手帳を取り出し、聞いた内容を丁寧に書き留めた。
「この情報は、すぐに衛兵へ伝えます。私からも調査を急ぐよう指示します」
「領主様……ありがとうございます」
女性が何度も頭を下げると、彼女はその手をそっと取った。
「お礼には及びません。必ず見つけると、今ここで約束することはできません。でも、見つけるためにできることは、すべていたします」
女性を見送ったあと、騎士が小さく息をついた。
「領主様ご自身が、そこまでなさらずとも……」
「私が直接話を聞けば、わかることもあります。それに」
彼女は手帳を閉じた。
「帰りを待つ人がいるのに、私たちまで足を止めてしまったら、誰がその人を探すのですか?」
騎士は返す言葉を失った。
彼女は再び歩き出す。その足取りに迷いはなかった。
彼女こそ、この街を治める若き女領主、アリシア・フォン・ヴァレンシュタインだった。
父の死を受けて領主の座を引き継いでから、まだ日が浅い。経験不足を指摘する声も少なくない。それでも、住民の暮らしに関わる問題から目を背けたことはなかった。
そして今、彼女が向かっている冒険者ギルドには、解決の糸口すらつかめない事件が待ち受けていた。
*
「また一人、行方不明になったんだって?」
「昨日の夕方にも目撃情報があったらしいぞ」
「衛兵は何をしているんだよ……」
冒険者ギルドの中は、朝から落ち着かない空気に包まれていた。
街で冒険者が相次いで姿を消している。その噂は急速に広まり、普段なら依頼書を選んでいる冒険者たちも、仲間と不安げに話し込んでいた。
恒一は掲示板の前で腕を組んでいた。
「ここまで騒ぎが大きくなると、普通の依頼を受けている場合じゃないな」
「そうね。被害が続けば、街全体が混乱するわ」
エレナが手元の資料をめくった。
「行方不明者のランクも、受けていた依頼もばらばら。特定のパーティーを狙った犯行とは考えにくいわね」
「でも、みんな街の中で消えてるんだよね?」
コハクの獣耳が、不安そうに伏せられた。
「そうだ。森やダンジョンで遭難したわけじゃない。そこが一番おかしい」
恒一が答えると、隣に立つリゼリアが口を開いた。
「人間が自分の意思で姿を消したのでなければ、誰かが連れ去った可能性が高いでしょうね。問題は、どうやって人目を避けたのか……」
「目撃者の証言も一致していないのよ。何かを隠しているのか、それとも本当に何も見ていないのか」
エレナが眉を寄せた。
「犯人の目的もわからない。金品が奪われた形跡もないし、身代金を要求されたという話もないわ」
「冒険者を集めて、何かをさせようとしているとか?」
フィリアが考え込む。
「可能性はあるな。けど、今の段階では何とも言えない」
恒一がそう答えたとき、ギルドの入口がざわついた。
「おい、あれって……」
入口近くの冒険者が声を上げる。
騎士を二人従えた若い女性が、ギルドへ入ってきたのだ。
淡い金色の髪は肩のあたりで整えられ、青い瞳には強い意志が宿っている。上品な衣装には領主にふさわしい気品があったが、華美な装飾は少なかった。
彼女が進むと、周囲の冒険者たちは自然と道を開けた。
「領主様……?」
受付のミリアが驚いたようにつぶやく。
女性は受付へ向かい、落ち着いた声で告げた。
「急な訪問をお許しください。ギルド長にお取り次ぎをお願いできますか。行方不明事件について、直接お話ししたいのです」
「か、かしこまりました! すぐに確認いたします」
ミリアが奥へ向かう。
その間、アリシアはギルド内を見渡し、恒一たちの姿を見つけると少しだけ目を見開いた。
「あなたたちが、最近実績を伸ばしている冒険者の方々ですね?」
「ええ。俺は黒瀬恒一です」
恒一が代表して答える。
「リゼリアよ」
「エレナです」
「コハクだよ!」
「フィリアです」
それぞれが名乗ると、アリシアは一人ずつ丁寧に目を向けた。
「私は、この街を治める領主、アリシア・フォン・ヴァレンシュタインです。突然で申し訳ありませんが、あなたたちにお願いしたいことがあります」
「俺たちに、ですか?」
「はい。少しお時間をいただけますか?」
恒一は仲間たちと視線を交わした。
リゼリアが小さく頷く。
「お話を伺うくらいなら構わないわ」
「ありがとうございます」
アリシアは安堵したように息をついた。
やがてギルド長が現れ、一行は応接室へ案内された。
*
応接室の机には、失踪事件に関する資料が並べられた。
アリシアは席に着くと、まずギルド長へ向き直った。
「衛兵の調査状況を教えてください。昨日の報告から、何か進展はありましたか?」
「残念ながら、決定的な手掛かりは見つかっておりません。目撃証言は集まっていますが、犯人の姿をはっきり確認した者はいないのです」
「捜索に必要な人員は足りていますか?」
「現在のところ、ほかの警備任務との兼ね合いもあり、十分とは言い切れません」
ギルド長が申し訳なさそうに答えると、アリシアはすぐに騎士へ指示した。
「警備隊長に伝えてください。事件の捜索に人員を追加します。ただし、街の警備に穴を開けないよう、配置を見直したうえで調整するように」
「承知いたしました」
「それから、行方不明者の家族への連絡も忘れずに。何かわかれば、すぐに伝えるようにしてください」
「かしこまりました」
指示を終えたアリシアは、恒一たちへ向き直った。
「お待たせしました。まず、お伝えしておかなければならないことがあります」
彼女は膝の上で両手を重ねた。
「今回の事件で行方不明になった方々は、私の領地に暮らす人々です。冒険者であっても、街の住民であっても、私が守るべき民であることに変わりはありません」
その声には、領主としての威厳だけでなく、強い決意がこもっていた。
「私は、必ず彼らを見つけ出したいと思っています」
「だから、衛兵だけでなく冒険者にも協力を求めるということですね」
エレナが確認した。
「はい。衛兵たちの調査では、犯人の手掛かりがほとんど見つかっていません。冒険者の事情に詳しい方々にも力を貸していただきたいのです」
アリシアは一度、資料に目を落とした。
「あなたたちには、事件の調査をお願いしたいと考えています。行方不明者の足取りを追い、犯人につながる手掛かりを探していただきたいのです」
「危険な相手と遭遇する可能性もあるわね」
リゼリアが静かに指摘した。
「その可能性は否定できません。だからこそ、強制するつもりはありません。報酬も相応のものを用意します」
アリシアは少しだけ言葉を選んだ。
「ですが、どうか力を貸していただきたいのです」
彼女は恒一たちに頭を下げた。
若い領主が冒険者に頭を下げる。その姿に、恒一はわずかに驚いた。
「アリシア様、頭を上げてください」
恒一が声をかけると、彼女はゆっくりと顔を上げた。
「お父様が亡くなってから、私は領主の仕事を引き継ぎました。周囲の方々に助けていただくことばかりで、まだ学ばなければならないことも多くあります」
「……」
「それでも、この街で暮らす人々の安全だけは、決して後回しにしたくありません。領主として未熟だと言われることは受け入れます。でも、何もしないまま誰かが消えていくのを見過ごすつもりはありません」
その言葉に、部屋の空気が変わった。
アリシアは、ただ責任感を口にしているわけではない。先ほど道端で足を止めたように、自分で動き、必要なことを一つずつ進めようとしている。
恒一はそう感じた。
「わかりました。俺たちでよければ、調査を引き受けます」
「恒一……」
フィリアが彼を見る。
「放っておけないだろ。何が起きているのかもわからないまま、次の被害者が出るかもしれないんだ」
「私も賛成よ。手掛かりが少ないなら、なおさら調べる価値があるわ」
エレナも頷いた。
「コハクも頑張るよ! 匂いをたどれば、何か見つかるかもしれないし!」
「私も異論はないわ。恒一が引き受けるのなら、最後まで付き合うだけよ」
リゼリアは当然のように言い切った。
「ありがとうございます」
アリシアの表情が和らいだ。
「あなたたちに依頼できて、本当によかった」
「ただし、いくつか確認させてください」
恒一は机の資料を指した。
「行方不明者の一覧と、最後に目撃された場所。目撃者の証言。それから、衛兵が調べた内容も見せてほしいです。情報がないまま動いても、無駄足になる可能性があります」
「もちろんです。ギルド長と相談し、可能な限り資料を提供します」
「調査中に危険が見つかった場合は、無理をせず報告します。俺たちだけで解決しようとは思っていません」
その言葉に、アリシアは少し意外そうな顔をした。
「もっと無謀な方々かと思っていました」
「自分の力を過信しても、いいことはありませんから」
「ふふっ。そうですね」
彼女は初めて、年相応の柔らかな笑みを見せた。
「では、私からも約束します。調査に必要な情報や人員は、できる限りこちらで用意します。皆さんに危険を任せきりにするつもりはありません」
「それは助かります」
「それと、もし調査の過程で私の判断に問題があったとわかったなら、遠慮なく指摘してください。私も、この事件を解決するために必要なことを学びたいのです」
恒一は彼女を見つめた。
自分の判断が間違っている可能性を認め、それでも決断を避けない。簡単なことではないだろう。
「わかりました。気づいたことがあれば、率直にお伝えします」
「お願いします」
こうして、恒一たちは領主直々の依頼を引き受けることになった。
*
応接室を出る直前、アリシアが恒一を呼び止めた。
「黒瀬さん」
「はい?」
「あなたたちのことは、少し前から耳にしていました。困難な依頼にも臆せず取り組み、仲間と協力して成果を上げている、と」
「そんなに大したものじゃありませんよ」
「いいえ。私は実績だけを見ているわけではありません」
アリシアは、まっすぐな眼差しを向けた。
「先ほど、調査の危険性や必要な情報について、きちんと確認していましたね。仲間の意見にも耳を傾けていた。そういう方なら、安心して依頼できると思いました」
「ありがとうございます。できる限りのことをします」
「どうか、無事に戻ってきてください。あなたたちまで失うわけにはいきませんから」
その言葉に、恒一はしっかりと頷いた。
「必ず、何か手掛かりを持ち帰ります」
アリシアは安堵したように微笑んだ。
そのやり取りを、リゼリアは黙って見つめていた。
そして応接室を出て廊下を歩き始めたところで、恒一の腕にそっと自分の腕を絡めた。
「……ずいぶん気に入られたようね、恒一」
「そうか? 依頼を受けた冒険者として、普通の対応だと思うけど」
「そうかしら。領主自ら訪ねてきたうえに、あれほど熱心にあなたを見つめていたのよ?」
「事件を解決してほしいからだろ」
「ふふっ。あなたは本当に鈍いのね」
リゼリアは楽しそうに笑ったが、その腕は離れなかった。
「でも、忘れないでちょうだい。あなたの隣にいるのは私よ」
「わかってるって」
恒一が苦笑すると、コハクが反対側から顔を出した。
「じゃあ、コハクも隣にいていい?」
「もちろんだ」
「やった!」
「私も調査のために同行するわ。当然でしょう?」
エレナが淡々と続ける。
「わ、私だって一緒に行くんだからね!」
フィリアも負けじと声を上げた。
「皆さん、今は事件の調査が先ですよ」
セレスの落ち着いた声が背後から聞こえた。
彼女はギルド長から別の証言記録を受け取ったところらしい。
「目撃証言を集めるのなら、私も協力できます。神殿にも街の方々が相談に来ますから、何か聞いているかもしれません」
「助かります。わかったことがあれば、ぜひ教えてください」
「はい。こちらでも確認してみますね」
協力者が増え、調査の準備は整いつつあった。
だが、事件の解決までの道のりはまだ見えていない。
*
その頃、ギルドの片隅から一部始終を見ていた男がいた。
ダリオである。
「領主直々の依頼か……。ずいぶんと順調じゃないか、黒瀬」
彼は不満げに呟いた。
自分も事件の調査に参加したいと考えていた。だが、ギルドからはまだ正式な依頼が出ていない。勝手に動けば、調査の妨げになる可能性もある。
それでも、黙って待つつもりはなかった。
「行方不明者を探すだけなら、俺たちにもできる。あいつらだけに手柄を独占させるものか」
ダリオは踵を返し、ギルドを出ていった。
一方、恒一たちはミリアから資料を受け取り、失踪者が最後に確認された場所を地図に書き込んでいた。
街の中央広場、商店街の裏通り、宿屋へ続く道。
場所に規則性があるようには見えない。
「これだけばらばらだと、待ち伏せして連れ去ったとも考えにくいわね」
エレナが地図を指でなぞった。
「最後に目撃された場所から、少し離れたところで姿を消している人もいるみたい。誰かと一緒に歩いていたという証言もあるわ」
「昨日の黒い外套の男、だったか?」
恒一が尋ねると、ミリアは頷いた。
「はい。ただ、その男がほかの失踪者にも関係しているかどうかはわかりません。目撃者が見たのは一人だけですし、顔についても証言が曖昧です」
「それでも、調べる価値はあるわね」
リゼリアが地図を見つめた。
「人をさらう目的があるのなら、犯人は何かを準備しているはず。偶然に任せているとは思えないわ」
恒一は地図から顔を上げた。
「まずは最後の目撃場所を順番に回ろう。コハクは匂いを追えそうか?」
「やってみる! でも、時間がたってるから、絶対に見つかるとは限らないよ」
「それで十分だ。エレナは証言の食い違いを整理してくれ。セレスは神殿で聞き込みを。フィリアとリゼリアは俺と一緒に現場を回ろう」
「了解よ」
「任せて!」
それぞれが動き始めた。
街を覆う不安を晴らすために。そして、姿を消した人々を見つけ出すために。
その頃、領主館へ戻る馬車の中で、アリシアは先ほどの母親から聞いた名前を手帳で見つめていた。
トーマス。
彼の名前の横に、最後の目撃場所を書き足す。
「一人でも多く、無事に見つかりますように……」
小さく呟いた彼女の願いを、まだ誰も知らない。
そして、彼女が守ろうとする街の中で、事件の影は静かに広がっていた。
その影はすでに、領主アリシアのすぐ近くにまで忍び寄っていた。




