第47話 湖畔の休日と、五人の水着姿
古代施設での戦いを終え、エルセリアの冒険者ギルドへの報告も済ませた翌朝。
俺たちは、久しぶりに予定のない朝を迎えていた。
正確には、予定を入れなかったのだ。
銀色の鎧の守護者との戦闘では、俺の空間制御籠手が反応を示したものの、その機能は依然として不明なままだ。無理に力を引き出そうとしたせいで、精神的な負担も残っている。仲間たちも、それぞれの武具や能力について確かめたばかりだった。
今は休息が必要だった。
「というわけで、今日は全員休みだ」
宿屋の食堂で宣言すると、コハクの耳がぴんと立った。
「お休み! お昼寝? お菓子? それともお買い物?」
「全部、というわけにはいかないな」
「えーっ!」
「でも、今日は少し遠出をしようと思っている」
俺がそう続けると、フィリアが興味深そうに身を乗り出した。
「遠出? 遺跡の調査ではないわよね?」
「違う。森の向こうに、きれいな湖があるらしい。町の人に聞いたんだ。流れも穏やかで、魔物もほとんど寄りつかない場所だって」
「湖……」
エレナが小さくつぶやいた。
「水遊び、ですか?」
「そう。たまには戦いのことを忘れて、のんびりしよう」
すると、リゼリアが意味ありげに微笑んだ。
「なるほど。恒一が私たちを連れて、湖で遊びたいと」
「……そういう言い方をされると、なんだか恥ずかしいんだが」
「違うの?」
「違わないけど」
「ふふっ。なら、楽しみにしているわ」
彼女は俺の隣に腰を下ろすと、そっと腕を絡めてきた。
「今日は、私のことをたくさん見ていてね。恒一」
「朝からハードルを上げないでくれ」
「約束よ?」
リゼリアの赤い瞳が、楽しそうに細められた。
そのやり取りを見ていたコハクが、すかさず俺の反対側に回り込む。
「じゃあ、コハクもいっぱい見てもらう!」
「お前まで……」
「だめ?」
尻尾を揺らしながら見上げられると、断れるはずもなかった。
「……わかった。みんな、ちゃんと見るよ」
「今の言葉、覚えておくわね」
リゼリアの声に、なぜか少しだけ圧が混じった。
俺はこの時点で、今日がただの休息では終わらないことを悟り始めていた。
◇
湖へ向かう前に、俺たちは町の店で水遊びに必要なものをそろえることにした。
この世界にも、水辺で着るための衣服はある。町の衣料品店で見つけた品々から、それぞれ好みのものを選んだ。俺も自分の水着代わりになる衣服を用意したが、女性陣の買い物には予想以上に時間がかかった。
「恒一さん、もう少し待っていてくださいね」
店の試着室の向こうから、セレスの声がする。
「大丈夫だ。急がなくていいぞ」
「……本当に、似合うでしょうか」
「え?」
「い、いえ! 何でもありません!」
それきり声が聞こえなくなった。
何かを言いかけたようだが、深く追及するのはやめておこう。
やがて、試着室の扉が開いた。
「お待たせ、恒一」
最初に姿を見せたのはリゼリアだった。
黒を基調に、深紅の飾りをあしらった水着。銀色の髪をまとめ、普段よりも少し軽やかな装いになった彼女は、いつもの気品を残しながらも、どこか無邪気な雰囲気をまとっていた。
「……どう?」
彼女がくるりと一回転する。
「似合ってる。すごく」
「それだけ?」
「いや、きれいだと思う」
「ふふっ。よろしい」
リゼリアは満足そうに笑い、俺の目の前まで歩いてきた。
「では、もう一度。今度はちゃんと私を見て」
「今、見ているだろ」
「目が泳いでいるわよ?」
「それは……」
「照れているのね。かわいい」
完全に遊ばれている。
それでも、彼女が嬉しそうにしているのを見ると、悪い気はしなかった。
「次は私!」
勢いよく出てきたのはコハクだった。
白とオレンジを組み合わせた動きやすそうな水着。頭の獣耳はぴんと立ち、尻尾は喜びを隠しきれないほど大きく揺れている。
「どうどう? コハク、似合ってる?」
「ああ。元気な感じで、すごく似合ってる」
「やった!」
コハクはその場で一回転すると、すぐに俺の腕を取った。
「じゃあ、湖に着いたら一緒に泳ごうね!」
「泳げるのか?」
「もちろん! たぶん!」
「たぶん?」
「細かいことは気にしない!」
自信満々なのか不安なのか、よくわからない。
その後ろから、エレナがそっと姿を現した。
落ち着いた青緑色の水着に、薄手の上着を羽織っている。長い髪はいつもより高い位置でまとめられ、尖った耳が少しだけ赤くなっていた。
「こ、恒一さん……どうでしょうか」
「とても似合ってる。エレナらしくて、きれいだよ」
「き、きれい……」
エレナは小さく繰り返し、頬を染めた。
「ありがとうございます。あの……あまり、じっと見られると恥ずかしいですけど……」
「ごめん」
「いえ、嫌ではありません。……少しだけなら」
最後の言葉は、ほとんど聞こえないほど小さかった。
俺が返事に困っていると、フィリアが横から顔を出した。
「エレナ、そんなに赤くなっていたら、湖に着く前にのぼせてしまうわよ」
「フィ、フィリアさん!」
「冗談よ。さあ、私も見てもらおうかしら」
フィリアは紫を基調とした、すっきりしたデザインの水着を選んでいた。普段の研究着とは違う姿に、思わず目を留めてしまう。
「どう?」
「……意外だな。もっと実用性重視で選ぶと思っていた」
「失礼ね。私だって、こういうものを選ぶくらいの美的感覚はあるわ」
「いや、そういう意味じゃなくて。よく似合ってる」
「ふふっ。なら成功ね」
フィリアは満足そうに頷いた。
「ちなみに、これは水の抵抗が少ない構造で――」
「水着の構造を説明するつもりか?」
「ええ。興味がある?」
「今日は研究を忘れよう、フィリア」
「……そうね。せっかくの休みだもの」
彼女は少し考えた後、珍しく素直に頷いた。
最後に、セレスが恥ずかしそうに出てきた。
白と淡い水色を組み合わせた、清楚な水着。薄い上着を肩に掛け、両手を胸の前で重ねている。
「お待たせしました、恒一さん」
「セレスも、すごく似合ってる」
「ほ、本当ですか?」
「ああ。清楚な感じがセレスらしくて、きれいだと思う」
彼女はほっとしたように微笑んだ。
「よかった……。皆さん、とても素敵なので、私だけ浮いてしまわないかと……」
「そんなことない。みんな、それぞれ似合ってるよ」
俺がそう言うと、セレスは嬉しそうに目を細めた。
「ありがとうございます。今日は、たくさん楽しみましょうね」
こうして五人の準備が整った。
そして俺は、全員の水着姿を見たという事実に、ようやく実感が追いついてきた。
――これは、かなり贅沢な休日なのではないだろうか。
◇
森を抜けると、青い湖が目の前に広がった。
周囲は緑に囲まれ、遠くの山々が水面に映っている。湖岸には白い小石が敷き詰められ、浅瀬では水が透き通って底まで見えた。
「わあ……!」
コハクが駆け出しかけ、エレナに肩をつかまれた。
「待って、コハク。まずは安全を確認しましょう」
「はーい」
フィリアが魔力の流れを調べ、セレスが湖岸に簡単な結界を張る。エレナは周囲の森を見回し、リゼリアも気配を探った。
いつもの冒険者らしい慎重な確認だった。
「異常なし。水にも有害な魔力反応はないわ」
フィリアが告げる。
「周囲にも危険な気配はありません」
エレナも頷いた。
「浅瀬なら安心して遊べそうですね」
セレスの言葉に、コハクは待ちきれない様子で両手を上げた。
「よーし! 湖、解禁!」
靴を脱ぎ、浅瀬へ飛び込む。
「つめたーい! でも気持ちいい!」
「走ると滑るぞ!」
「大丈夫、恒一!」
言った直後、コハクは小石に足を取られた。
「わわっ!」
俺はとっさに駆け寄り、彼女の腕を支えた。
「ほら、言ったそばから」
「えへへ……助かった!」
コハクは転びかけたことなど忘れたように、俺の腕に抱きついた。
「ありがとう、恒一。お礼に――えいっ!」
ぱしゃっ。
「冷たっ!」
コハクが両手で水をすくい、俺にかけたのだ。
「お前な!」
「仕返し、どうぞ!」
逃げるコハクを追いかけて、俺も水をかけ返す。
すぐに水の掛け合いが始まり、笑い声が湖畔に響いた。
「私も参加するわ」
リゼリアが優雅に裾を整えながら、浅瀬に入ってきた。
「恒一、覚悟してね」
「まさか、リゼリアまで?」
「当然よ」
彼女は微笑み、指先で水面を弾いた。
飛んできた水滴が、俺の頬に当たる。
「……おとなしい攻撃だな」
「あら。では、少し本気を出そうかしら」
「待て、話し合おう」
「もう遅いわ」
次の瞬間、リゼリアが水をすくって放った。
俺は逃げ、コハクは笑いながら追いかけてくる。
エレナも最初は岸辺から眺めていたが、やがて小さく笑って水に足を浸した。
「皆さん、本当に楽しそうですね」
「エレナもおいでよ!」
コハクが手を振る。
「ええ。今、行きます」
エレナが近づいたところで、コハクがいたずらっぽく水を跳ね上げた。
「きゃっ!」
「コハク!」
「ごめーん!」
エレナは頬を膨らませたが、すぐに小さく笑うと、反撃に水をすくった。
「では、お返しです!」
「わっ、エレナが反撃した!」
湖畔は、いつの間にか小さな水合戦の会場になっていた。
◇
ひとしきり遊んだ後、俺たちは湖岸の木陰で休憩することにした。
持ってきた敷物を広げ、冷たい飲み物と軽食を並べる。コハクは果物を頬張り、フィリアは湖面を眺めながら、珍しく研究道具を取り出さずにいた。
「フィリア、今日は本当に調べ物をしないんだな」
「……そうね。少しは我慢するわ」
「偉いな」
「子供扱いしないで」
そう言いながらも、彼女の口元は緩んでいた。
セレスは俺の隣に座り、冷たい飲み物を差し出してくれた。
「恒一さん、どうぞ。少し休んだ方がいいですよ」
「ありがとう。セレスも疲れてないか?」
「大丈夫です。今日は、皆さんが笑っているところを見られて嬉しいですから」
彼女は穏やかに微笑んだ。
「ダンジョンでは、いつも気を張っていますから。こうして何も心配せずに過ごせる時間は、とても大切ですね」
「そうだな。俺もそう思う」
俺が頷くと、セレスは少しだけ肩を寄せてきた。
「……もう少し、このまま隣にいてもいいですか?」
「もちろん」
彼女は安心したように、そっと俺の肩に寄りかかった。
その反対側では、エレナが膝を抱えて座っていた。風が吹くたび、まとめた髪が頬をくすぐる。
「エレナ、寒くないか?」
「大丈夫です。風が気持ちいいですよ」
彼女は湖を見つめたまま、少し迷ってから口を開いた。
「恒一さん。今日は……私のことも、ちゃんと見てくれましたか?」
「もちろん。すごく似合ってたよ」
「……よかった」
エレナは頬を染めて微笑んだ。
「恒一さんにそう言ってもらえると、安心します」
その言葉に、胸の奥が少し温かくなった。
俺は彼女の頭を軽く撫でる。
エレナは一瞬驚いたが、すぐに目を細めた。
「……もう少しだけ、お願いします」
「ああ」
静かな時間が流れた。
だが、平和な時間を長く保てない人物が一人いる。
「はいはい! 次はコハクの番!」
果物を食べ終えたコハクが、俺の正面に回り込んだ。
「恒一、コハクにも何かして!」
「何かって?」
「えっと……頭を撫でるとか!」
「さっきから撫でてばかりだな」
「いいの! コハクは撫でられるのが好きだから!」
言い切ったコハクは、俺の前にちょこんと座った。
耳の付け根をそっと撫でると、彼女は目を細め、尻尾をゆらゆら揺らした。
「んー……そこ、気持ちいい……」
「本当に猫みたいだな」
「猫じゃないよ、獣人だよ!」
「わかってるって」
「じゃあ、もっと!」
俺は笑いながら、しばらく彼女の頭を撫でてやった。
コハクは満足そうに俺の膝へ寄りかかり、尻尾を揺らし続けた。
「……いいなあ」
フィリアがぽつりと呟く。
「フィリアも撫でてほしいのか?」
「なっ……! ち、違うわよ。そういう意味ではなくて、単に……」
「単に?」
「……少しくらいなら、構わないけれど」
最後は小さな声だった。
俺が手を伸ばすと、フィリアは一瞬だけ目を閉じた。
頭を軽く撫でる。
「これでいいか?」
「……ええ」
フィリアは髪を整えながら、そっぽを向いた。
「今日は特別よ。明日からは研究に集中するんだから」
「はいはい」
「その返事、絶対にわかっていないでしょう」
それでも、彼女の耳はほんのり赤くなっていた。
◇
午後になると、リゼリアが俺の手を取った。
「恒一。少し、二人で歩きましょう」
「いいけど、みんなは?」
「コハクは水遊び、エレナとセレスはあちらで話しているわ。フィリアも、今は湖を眺めている。少しくらい、私に時間をくれてもいいでしょう?」
「もちろんだ」
俺たちは湖岸をゆっくり歩いた。
水面に太陽の光が反射し、風が二人の髪を揺らす。
「こういう休日は、久しぶりね」
リゼリアが言った。
「ああ。最近は遺跡のことばかりだったからな」
「あなたは、いつも何かを背負おうとする」
「……そう見えるか?」
「ええ。自分が無理をしてでも、私たちを守ろうとする」
彼女は足を止め、俺の手を両手で包んだ。
「恒一。私たちは、あなたに守られるだけの存在ではないわ」
「わかってる」
「なら、頼って。疲れたら休む。迷ったら相談する。苦しい時には、苦しいと言う。私たちは、あなたと一緒にいるために、それぞれの意思でここにいるのだから」
いつもの自信に満ちた声だった。
けれど、その瞳には真剣な想いが宿っていた。
「……ありがとう、リゼリア」
「ふふっ。どういたしまして」
彼女は俺の手を引き寄せ、指先に軽く口づけた。
「それに、今日は難しいことを考えなくていいわ」
「そうだな」
「私の水着姿を褒めて、手をつないで、湖を眺める。それで十分よ」
「最後の二つはともかく、最初のは何度でも褒めるよ」
「本当?」
「ああ。とても似合ってる。きれいだ」
リゼリアは一瞬だけ目を見開いた。
それから、いつもの余裕ある笑みではなく、少し照れたような微笑みを浮かべた。
「……ありがとう、恒一」
彼女は俺の肩に頭を預けた。
「今日は、もう少しだけ甘えさせてね」
「いくらでも」
俺がそう答えると、リゼリアは嬉しそうに腕を絡めてきた。
そして、顔を上げる。
「ねえ、恒一」
「ん?」
「目を閉じて」
「……何をするつもりだ?」
「いいから」
言われるままに目を閉じると、頬に柔らかな感触が触れた。
短いキスだった。
「はい、おしまい」
「リゼリア……」
「何かしら?」
「不意打ちは反則だろ」
「女王の特権よ」
彼女は楽しそうに笑った。
「でも、嫌ではなかったでしょう?」
「……それは、まあ」
「なら問題ないわね」
彼女はもう一度、今度は俺の手を握り直した。
その温もりが、何よりも心地よかった。
◇
夕方が近づき、俺たちは帰る準備を始めた。
湖で遊び、食事をし、笑い合っただけの一日。
特別な戦果も、貴重な遺物もない。
それでも、今日という時間は、最近のどんな冒険よりも大切なものに感じられた。
「恒一、次は海にも行こうよ!」
コハクが元気よく提案する。
「海か。機会があればな」
「約束だよ!」
「わかった、約束」
「やったー!」
エレナも微笑む。
「私も、また皆さんと来たいです。今度は、お弁当をもう少し多く用意しましょうか」
「それなら、私が食事の準備を手伝います」
セレスが頷いた。
「次はもっと本格的な水遊びの道具を用意してもいいわね」
フィリアはすでに何かを考え始めている。
「研究道具はなしだぞ」
「……わかっているわ。たぶん」
「フィリアまで『たぶん』なのか」
俺が苦笑すると、リゼリアが腕を絡めてきた。
「次も、恒一は私の隣よ」
「はいはい」
「返事は一回でいいの」
「わかった。次もリゼリアの隣にいるよ」
「ふふっ。よろしい」
夕陽に染まった湖を背に、俺たちは森の道を歩き始めた。
帰ったら、温かい食事を作ろう。
湯を使って疲れを落とし、みんなで今日のことを話そう。
明日になれば、また武具の調査や訓練が待っている。古代の記録に残された謎も、いつかは解き明かさなければならない。
俺が元の世界へ帰る道があるのかどうかも、まだわからない。
けれど、今すぐ答えを求める必要はない。
こうして笑い合える仲間がいる。
隣で手を握ってくれる人がいる。
それだけで、今の俺には十分だった。
「恒一?」
リゼリアがこちらを見上げる。
「何を考えていたの?」
「今日、来てよかったなって」
「そう。私もよ」
彼女は俺の手を握り直した。
「また連れてきてね。今度は、もっと二人きりになれる場所でもいいわ」
「……みんなに聞こえるぞ」
「聞こえるように言ったのよ」
「リゼリア!」
コハクが振り返り、にやにやと笑う。
「次はコハクも恒一と二人で湖を歩く!」
「私も……機会があれば、ご一緒したいです」
エレナが控えめに手を挙げた。
「私も、皆さんと一緒なら」
セレスが微笑む。
「次回の計画は、全員の希望を整理してから決めましょう」
フィリアが真面目な顔でまとめた。
結局、次の休日の予定まで決まりそうな勢いだった。
俺は苦笑しながら、五人の顔を見渡した。
――こんな日が、これからも続いていけばいい。
そう思いながら、俺たちは夕暮れの道を帰っていった。




