第46話 帰還個体と、町への帰還
迷宮の奥で銀色の巨人を倒した恒一たちは、来た道を慎重に引き返していた。
戦闘による疲労は残っているものの、幸い大きな怪我を負った者はいない。セレスの回復魔法と、撤退前に取った短い休息によって、全員の状態は少しずつ落ち着いていた。
ただし、恒一の右腕だけは別だった。
「まだ痛むの?」
隣を歩くリゼリアが、彼の籠手に目を向ける。
「痛みというより、空間に干渉しようとすると違和感がある。さっきは途中で技を止めたから、ひどい損傷はないと思う」
「思う、では困るのよ。帰ったらセレスにもう一度診てもらいなさい」
「分かった」
「本当に?」
「……ちゃんと診てもらいます」
リゼリアは満足そうに頷いた。
反対側では、コハクが新しい短剣を何度も眺めていた。
「ねえ、恒一。これ、すごかったよね! でも、さっきの重力みたいな感覚は短剣の能力なのかな? それとも、私の技と何かが反応しただけ?」
「まだ断定できないな。装備の適合判定で反応があったのは確かだけど、能力の正体も、どこまで使えるかも分かっていない。次に試すとしても、安全な場所で少しずつ確認しよう」
「えー、壁や天井を走れたら格好いいのに!」
「格好よさより安全を優先してくれ」
「はーい」
返事は素直だったが、コハクの尻尾はまだ期待に満ちて揺れていた。
少し後ろでは、エレナが弓と補助具の状態を確認している。フィリアは戦闘中に観察した魔力の流れを、手帳へ細かく書き込んでいた。
セレスは仲間たちを見回してから、恒一へ声をかけた。
「恒一さん。今回の迷宮探索について、ギルドにはどこまで報告する予定ですか?」
「魔物の特徴と戦闘の結果、それから奥へ進むほど魔力の流れが不安定になること。危険な防衛機構が存在することも、必要な範囲で伝えるつもりだ」
「古代武具保管庫のことは?」
フィリアが顔を上げた。
「詳しい場所や、管理機構との反応については話さない」
恒一は慎重に言葉を選んだ。
「保管庫や管理機構のことを詳しく知られれば、調査隊が派遣される可能性がある。悪意のない研究者でも、あの場所に触れれば何が起きるか分からない。それに、俺たちが確認した反応についても、まだ意味を説明できる段階じゃない」
「同感です。あの施設の技術は、現在の王国では再現できない可能性があります」
フィリアは少し残念そうにしながらも、納得した。
「私たちだけで調査を続けるとしても、情報の扱いには注意が必要ですね」
「そういうことだ。ギルドへの報告は、嘘をつくためじゃない。町の人たちを危険にさらさない範囲で、必要な情報を伝えるためだ」
リゼリアが微笑む。
「恒一にしては、ずいぶん慎重な判断ね」
「俺にしては、は余計だろ」
「ふふっ。褒めているのよ」
そんな会話を交わしながら、一行は迷宮の入口へと戻った。
◇
外へ出ると、午後の陽光が差し込んできた。
長い迷宮探索を終えたことで、外の空気が妙に新鮮に感じられる。
「やっぱり、外の風は気持ちいいね!」
コハクが大きく伸びをした。
「迷宮の中では、ずっと魔力の流れを気にしていたからでしょうね」
エレナも肩の力を抜いた。
恒一は一度、迷宮の入口を振り返った。
あの奥には、銀色の巨人が守っていた部屋がある。そして、その部屋で見つけた記録には、確かに「帰還個体」という言葉が残されていた。
恒一は右手の籠手に目を落とした。
この世界へ来る前、自分は日本で暮らしていた。仕事を終え、家に帰り、いつもと変わらない日常を送っていたはずだった。
それが、気づけば異世界にいた。
なぜ自分が選ばれたのか。どうして時空士という職業を得たのか。そして、なぜ古代の管理機構が自分を「帰還個体」と呼ぶのか。
これまでは、元の世界へ戻ることなど、具体的に考える余裕もなかった。
生き延びること。
仲間を守ること。
この世界で自分たちの居場所を作ること。
まずは、それが最優先だったからだ。
だが、あの記録は何か別の可能性を示している。
もし、古代文明が異なる世界同士をつなぐ技術を持っていたとしたら。
もし、時空管理系統と呼ばれる仕組みが、その技術に関わっていたとしたら。
そして、もし自分が本当に「帰還個体」として登録されているのなら。
元の世界へつながる道が、どこかに残されているのかもしれない。
もっとも、どれも現時点では推測にすぎない。記録は欠損し、管理者権限が必要だという表示も、具体的な意味までは教えてくれなかった。
「恒一?」
リゼリアの声で、恒一は我に返った。
「どうしたの? 急に黙り込んで」
「いや……少し考え事をしていた」
「迷宮で見つけた記録のこと?」
恒一は彼女を見た。
リゼリアは、彼の表情から何かを察したようだった。
「あの『帰還個体』という言葉。あなたにとって、気になる言葉なのでしょう?」
「ああ。まだ何も分からないけどな」
「なら、焦らなくていいわ」
リゼリアは穏やかに言った。
「何か分かったら、一緒に考えましょう。元の世界に戻りたいのなら、その方法を探すことも。ここで生きていくのなら、その道を選ぶことも。どちらにしても、あなた一人で決める必要はないわ」
恒一はしばらく黙っていた。
彼女の言葉は、今すぐ答えを出す必要はないのだと教えてくれた。
「ありがとう、リゼリア」
「どういたしまして。……ただし、もし元の世界へ戻る方法が見つかったとしても、私たちに相談せず、一人で帰ろうとしたら怒るわよ?」
「そんなことはしない」
「本当かしら?」
「本当だよ」
リゼリアはようやく安心したように笑った。
「なら、いいわ。さあ、町へ戻りましょう。みんな、疲れているでしょう?」
◇
エルセリアの町へ到着したのは、日が傾き始めた頃だった。
冒険者ギルドの扉を開けると、いつもの喧騒が耳に飛び込んできた。
依頼を受ける冒険者。報酬を受け取る者。酒場で仲間と談笑する者。
迷宮の奥で命がけの戦闘をしてきたばかりの恒一たちには、その光景が妙に平和に感じられた。
「あら、恒一さん。お帰りなさい!」
受付のミリアが、六人の姿を見つけて声をかけた。
「無事に戻られたんですね。今回は少し長い探索でしたが、何かありましたか?」
「報告したいことがある。ギルドマスターのガルドさんに取り次いでもらえるかな」
「分かりました。少々お待ちください」
ミリアは真面目な表情に切り替え、奥へ向かった。
やがて呼び出された恒一たちは、ギルドマスターの執務室へ通された。
「戻ったか」
ガルドは机の向こうから六人を見渡した。
「顔を見る限り、大きな損害はなさそうだが……どうだった?」
「いくつか報告があります」
恒一は椅子に座り、探索の経緯を説明し始めた。
迷宮の深部で、銀色の装甲を持つ大型の防衛機構と遭遇したこと。
相手は魔法を吸収し、攻撃へ転用するような動きを見せたこと。
最後は装甲の継ぎ目を狙い、胸部の結晶を破壊したところ、相手の動きが停止したこと。
そして、深部ほど魔力の流れが不安定になり、通常の魔法攻撃が通用しにくい可能性があること。
必要な情報を整理し、確認できた事実を中心に伝えた。
ただし、古代武具保管庫の詳しい場所や、管理機構との反応については話さなかった。
「なるほど……」
ガルドは腕を組み、難しい顔をした。
「魔法を吸収して撃ち返す防衛機構か。厄介な相手だな」
「はい。ただ、魔法を吸収したように見えたのは盾の部分です。装置全体が同じ仕組みなのか、どこまで吸収できるのかは分かりません。通常の魔法攻撃を繰り返すのは危険だと思います」
「その情報は大きい。今後、同じ迷宮へ向かう冒険者には警告を出しておこう」
ガルドは書類を引き寄せ、報告内容を書き留めた。
「ところで、そいつを倒した後はどうした?」
「戦闘による消耗が大きかったので、そこで探索を切り上げました。さらに奥へ進むのは、装備の点検と準備を整えてからにするつもりです」
「賢明な判断だ。未知の防衛機構を倒した直後に、さらに深く潜る必要はない」
ガルドは満足そうに頷いた。
「それと、もう一つ。最近、迷宮周辺で魔物の動きが不自然になっている。今回の防衛機構と直接関係があるかは分からんが、しばらくは注意してくれ」
「魔物の動きが?」
エレナが尋ねた。
「ああ。普段は縄張りを離れない魔物が迷宮の外側へ移動したり、異なる種類の魔物が同じ場所に集まったりしているらしい。原因はまだ分かっていない」
恒一は、その情報を頭に留めた。
古代の管理機構。魔力の異常。魔物の行動変化。
関連があると決まったわけではない。
今は、別々の問題として記録しておくべきだろう。
「分かりました。次の探索では、その点も注意します」
「頼む。ただし、無理はするな。今回の報告だけでも、十分に価値がある」
ガルドは書類をまとめ、恒一たちへ視線を戻した。
「報酬については、通常の探索報酬に加え、防衛機構の情報提供分を上乗せしておこう。詳細な調査記録がまとまったら、改めて提出してくれ」
「ありがとうございます」
恒一は頭を下げた。
報告は、これで終わりだった。
古代武具保管庫のことも、古代文字にあった「帰還個体」のことも、ギルドに伝える必要はない。
少なくとも、現時点では。
◇
執務室を出ると、ミリアが待っていた。
「報告は終わりましたか?」
「ああ。助かったよ」
「それならよかったです。皆さん、お疲れでしょう? 今日はゆっくり休んでくださいね」
「ありがとう、ミリアさん」
恒一たちはギルドを後にした。
町の通りには夕食の支度をする店の匂いが漂い、家路を急ぐ人々の姿があった。
リゼリアが恒一の手を取る。
「帰ったら、まずは食事ね。その後は装備の確認。それから、あなたは休むこと」
「分かったよ」
「本当に?」
「……分かった」
コハクが笑い声を上げた。
「恒一、リゼリアには勝てないね!」
「そうだな。どうやら、俺の防御力はリゼリアには通用しないらしい」
「ふふっ。私の方が強いもの」
リゼリアは得意げに胸を張った。
エレナも小さく笑い、セレスは安心したように微笑んだ。
フィリアはまだ迷宮の記録を考えている様子だったが、仲間たちの会話を聞いて、ようやく表情を和らげた。
こうして、一行は町での休息へと向かった。
古代の管理機構が何を意味しているのか。
恒一が元いた世界へ戻る道は存在するのか。
その答えは、まだ見えない。
ただ一つ確かなのは、恒一が今、この世界で守りたいものを持っているということだった。
その存在を確かめるように、彼は隣を歩く五人を見た。
今はまだ、答えを急ぐ必要はない。
迷宮の謎も、元の世界への道も、これから少しずつ探していけばいいのだから。




