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第22話 冒険の準備と、近すぎる距離

翌朝。


「恒一、起きて。朝よ」


耳元で聞こえた声に、俺はゆっくりと目を開けた。窓から差し込む朝日。見慣れた宿の天井。そして、すぐ目の前にある紅い瞳。


「……リゼリア?」

「おはよう。ずいぶん気持ちよさそうに寝ていたわね」


リゼリアはベッドの脇に腰掛け、楽しそうに微笑んでいた。


「いや、待ってくれ。なんでそんなに近いんだ?」

「起こしに来ただけよ?」

「顔が近いんだけど」

「そうかしら?」


彼女はわざとらしく首を傾げ、さらに少しだけ顔を近づけた。艶やかな銀髪が肩から流れ、甘い香りがふわりと漂う。


「……恒一。顔が赤いわよ?」

「そりゃ、こんな距離で見つめられたらな」

「ふふっ。あなたにも可愛いところがあるのね」

「朝からからかわないでくれ」

「嫌よ。せっかく二人きりなんだから」


そう言って、リゼリアは俺の額を指先で軽くつついた。

昨夜、二人で月を眺めた時間を思い出す。あのときは、いつもの女王らしい余裕よりも、素直な気持ちを見せてくれた。だからこそ、今のからかうような笑顔も、どこか愛おしく感じてしまう。


「……ありがとう、リゼリア。起こしに来てくれて」


俺がそう言うと、彼女は一瞬だけ目を丸くした。


「えっ……。そ、そう。分かればいいのよ」


今度は彼女の頬が赤くなった。どうやら、少しは反撃できたらしい。


◇


朝食を終えた俺たちは、冒険者ギルドへ向かった。昨日、西の丘陵地帯で見つけた青白い光と、紫がかった魔石。その報告を受けたガルドは、机の上に地図を広げた。


「光が確認されたのは、この辺りだな」


彼が指したのは、西の丘陵地帯の一角だった。


「古い採掘場があったという記録が残っている。ただし、ずいぶん昔に閉鎖された場所だ。坑道が残っているかどうかも分からん」

「地下に何かある可能性が高そうですね」


エレナが地図をのぞき込む。


「可能性はある。だが、すぐに地下へ入るのは危険だ。まずは装備と照明を整え、入口の状態を確認してこい。危険があれば、それ以上は進むな」

「分かりました」

「それと、これを持っていけ」


ガルドは小さな金属製の筒を差し出した。


「簡易信号筒だ。危険を感じたら使え。光が上がれば、ギルドの見回りにも異常を知らせられる」

「ありがとうございます」

「お前たちは連携が上手くなってきた。だが、能力に頼りすぎるな。特に恒一、お前の《空間固定》は便利だが、まだ制御が不安定だ。無理に使い続ければ、集中力を失って動けなくなるぞ」

「肝に銘じておきます」


俺は信号筒を受け取り、道具袋へしまった。


「今日は準備だけでいい。必要な道具を買い、明日の朝に出発しろ。坑道の状態が分からなければ、入口から確認するだけで戻ってこい」

「分かりました」


ガルドの指示を受け、俺たちはギルドを後にした。


◇


最初に向かったのは、町の道具屋だった。店内にはランタン、ロープ、採掘用の小さなつるはし、携帯食料、薬草などが並んでいる。


「坑道に入るなら、灯りは多めに用意したいですね」


エレナがランタンを手に取った。


「予備の油も必要です。地下で明かりが消えたら、身動きが取りにくくなりますから」

「それなら、あたしはロープを選ぶね!」


コハクは壁に掛かったロープを引っ張り、強度を確かめていた。


「足場が悪いところでも使えるし、罠を見つけたときにも役立つよ」

「コハク、罠を仕掛けるつもりじゃないでしょうね?」


リゼリアがからかう。


「違うってば! 必要なら仕掛けるけど!」

「ほら、やっぱり」

「リゼリア!」


コハクが頬を膨らませる。そんな二人のやり取りに、エレナが小さく笑った。

一方、セレスは店の隅にある魔法道具をじっと見つめていた。


「セレス?」

「あっ、すみません。こちらの魔力測定石が気になってしまって」


彼女が手にしていたのは、透明な石を金属の枠にはめ込んだ小さな道具だった。


「周囲の魔力の変化を大まかに調べられるそうです。神殿で使ったものとは違いますが、今回の調査に役立つかもしれません」

「なるほど。持っていこうか」

「よろしいのですか?」

「調査に必要ならね」


俺が答えると、セレスは嬉しそうに微笑んだ。


「ありがとうございます、恒一さん。大切に使います」


彼女の表情を見ていると、古代の仕掛けを調べることが本当に好きなのだと分かる。普段は控えめなのに、興味のあるものを前にすると、目が輝くのだ。


「恒一さんは、こういう道具に詳しいのですか?」

「いや、俺も手探りだよ。使いながら覚えているところかな」

「そうなのですね……。それでも、皆さんが安心して行動できるように考えていらっしゃるのが、素敵だと思います」

「えっ?」


思いがけない褒め言葉に、俺は少し戸惑った。セレスは自分の言葉に気づいたのか、頬を赤くする。


「あ、いえ! リーダーとして、という意味です」

「そ、そうか」


隣から、リゼリアの視線が飛んできた。


「……恒一。ずいぶん褒められているじゃない」

「いや、普通に感想を言ってくれただけだろ」

「分かっているわよ?」


リゼリアはにっこり笑った。その笑顔が、かえって少し怖かった。


◇


必要な道具を買い終えた頃には、昼を少し過ぎていた。


「お腹すいたー!」


コハクが元気よく宣言する。


「買い物をしていただけなのに、どうしてそんなにお腹がすくんですか……」


エレナが呆れたように言う。


「歩いたからだよ!」

「それなら、昼食にしましょう」


セレスの提案で、俺たちは広場近くの食堂へ向かった。

俺が席に座ると、コハクがすぐ隣に滑り込んできた。


「恒一、これ食べてみて!」


彼女は注文した串焼きを差し出す。


「自分で食べればいいだろ?」

「おいしいから、恒一にも食べてほしいの!」


あまりにも自然な笑顔に、断る理由もなかった。俺が一口食べると、コハクは満足そうに尻尾を振った。


「でしょ? おいしいよね!」

「うん、確かにうまいな」

「えへへ!」


その瞬間、反対側から別の皿が差し出された。


「恒一。こちらも食べてみて」


リゼリアだった。彼女が差し出しているのは、果実のソースがかかった肉料理だ。


「こっちも?」

「ええ。私が選んだのだから、感想を聞きたいわ」


コハクが首を傾げる。


「リゼリアも食べさせてあげたいの?」

「……何か問題でも?」

「ううん! じゃあ、あたしももっと食べさせてあげる!」

「どうしてそうなるのよ!」


二人の間で、妙な対抗心が生まれてしまった。俺は苦笑しながら、順番に料理を味わった。


「どっちもおいしいよ。ありがとう」

「ふふっ。なら、よかったわ」


リゼリアは満足そうに微笑んだが、すぐに俺の耳元へ顔を寄せた。


「……でも、今夜は私の時間だからね?」

「分かってるよ」

「ならいいわ」


囁かれた声が妙に甘くて、俺は思わず視線をそらしてしまった。それを見ていたエレナが、飲み物のカップを口元に運びながら、ほんの少しだけ目を細めた。


「……皆さん、本当に仲がいいですね」

「エレナも食べる?」


俺が料理を勧めると、彼女は一瞬驚いた。


「えっ。い、いえ、私は自分の分がありますから」

「そう?」

「……でも、一口だけなら」


エレナは小さく皿を寄せ、俺が取り分けた料理を受け取った。


「ありがとうございます、恒一さん」


口に運んだあと、彼女は視線を伏せる。


「……おいしいです」


その耳が、ほんのり赤くなっていた。


◇


午後は、宿へ戻って装備の点検をすることになった。俺が買ったロープやランタンを確認していると、コハクが背後からのぞき込んできた。


「ねえ、恒一。ロープって、どれくらい結べる?」

「普通の結び方なら一通りは」

「じゃあ、これで結んでみて!」


コハクが差し出したのは、短いロープだった。


「こう?」


俺は簡単な結び目を作って見せた。


「うーん、もっと強く固定できる結び方がいいかも。あたし、教えるよ!」


彼女は俺の手元に身を寄せ、ロープを持つ手に自分の指を添えた。


「ここを通して……それから、こう!」

「なるほど」

「そうそう!」


説明に夢中になったコハクは、いつの間にか俺の肩に頬が触れそうなほど近づいていた。柔らかな髪が腕にかかる。


「コハク、近い近い」

「え? あっ!」


彼女はようやく気づき、ぱっと飛び退いた。耳が真っ赤になり、尻尾が落ち着きなく揺れる。


「ご、ごめん! 教えるのに夢中になっちゃった!」

「いや、気にしなくていいよ」

「ほんと?」

「ああ」


俺が笑うと、コハクは少し安心したように息を吐いた。


「……恒一って、怒らないよね」

「何を?」

「こういうの。あたし、前は一人で仕事してたからさ。誰かと一緒にいると、距離の取り方が分からなくなるときがあるんだ」


彼女の声が、少しだけ小さくなった。


「でも、みんなといると楽しい。だから……つい、近くに行っちゃうのかも」

「なら、無理に変えなくてもいいんじゃないかな。ただ、嫌なことがあったら、お互いにちゃんと言えばいい」


コハクは俺を見つめ、それからふわりと笑った。


「うん! ありがと、恒一!」


彼女の尻尾が、また嬉しそうに揺れ始めた。

その様子を扉の向こうから見ていたリゼリアが、静かに咳払いをした。


「……恒一。ちょっといいかしら?」

「どうした?」

「装備の確認を手伝ってほしいの」

「分かった。今行くよ」


コハクが慌ててロープを片付ける。


「ご、ごめんね、リゼリア。場所を取っちゃって!」

「別に怒っていないわよ」


リゼリアは微笑んだ。


「コハクが恒一に懐いてくれるのは、いいことだもの」


それから俺の腕を取る。


「ただし、今は私の番ね」

「……リゼリア?」

「何でもないわ。さあ、行きましょう」


彼女の耳も、わずかに赤かった。


◇


夕方。装備の点検を終えた俺たちは、明日の出発時刻を確認して、それぞれ休むことになった。

セレスは魔力測定石の使い方を調べるため、宿の一室で資料を読み込んでいる。エレナは弓と矢の状態を確認し、コハクは買ったロープを使って結び方の練習をしていた。

そして俺は、リゼリアに誘われて宿の小さな談話室へ向かった。


「ここなら、今度こそ邪魔が入らないわね」


彼女はソファに腰を下ろし、隣をぽんぽんと叩いた。


「座って、恒一」


俺が隣に座ると、リゼリアは自然な動作で肩を寄せてきた。


「今日はいろいろあったわね」

「ああ。明日の調査も、慎重に進めないとな」

「それも大切だけど……今は冒険の話ばかりしないでちょうだい」


彼女は少しだけ唇を尖らせた。


「私は、恒一とゆっくり話したいの」

「そうだったな。ごめん」

「もう。そこは『ありがとう』でしょう?」


リゼリアは笑い、俺の手を取った。


「私はね、仲間が増えるのは嬉しいの。エレナも、コハクも、セレスも。それぞれ違う力を持っているし、恒一を支えてくれる」


彼女は一度言葉を切った。


「でも、時々不安になることもあるわ。これからもっと仲間が増えて、恒一が強くなって……私が一緒にいる意味が薄れてしまったら、どうしようって」

「そんなことはないよ」

「分かっているつもりよ。でも、気持ちって理屈だけでは片づかないでしょう?」


その言葉に、俺は黙ってうなずいた。

リゼリアはいつも強い。戦闘では頼もしく、仲間の前では余裕を見せ、俺が迷ったときには背中を押してくれる。けれど、彼女だって不安になることはある。


「リゼリア。俺が君に助けられたことは、これから先も消えないよ。仲間が増えても、それは変わらない」

「……恒一」

「君と一緒に旅を続けたい。これからも、隣にいてほしい」


リゼリアは俺の手を握ったまま、しばらく黙っていた。やがて、ゆっくりと顔を上げる。


「……本当に、ずるい人ね」

「え?」

「そんなことを言われたら、もっと好きになってしまうじゃない」


彼女は照れたように笑った。そして、俺の肩にそっと頭を預ける。


「少しだけ、このままでいさせて」

「ああ」


俺は彼女の肩に腕を回した。リゼリアは安心したように目を閉じる。

しばらく、二人とも何も話さなかった。窓の外から聞こえる町のざわめきが、ゆっくりと遠ざかっていくようだった。

やがて彼女が顔を上げる。


「……ねえ、恒一」

「何?」

「今度、二人で町を歩きたいわ。依頼も訓練も関係なく、ただ一緒に」

「いいな。それ、行こう」

「約束よ?」

「ああ、約束だ」


リゼリアは嬉しそうに微笑むと、俺の頬にそっと自分の頬を寄せた。一瞬、心臓が跳ねる。


「……おやすみの挨拶には、まだ早いかしら?」

「いや、そういう問題じゃ……」

「ふふっ。冗談よ」


そう言いながらも、彼女はすぐには離れなかった。俺たちはしばらく、肩を寄せ合ったまま過ごした。


◇


その夜。眠る前に魔力石を確認すると、昨日と同じように淡い光が浮かび上がった。

《空間操作:微弱な反応を記録》

《空間固定:制御情報を更新》

《固有異空間:未解放》

《解放条件:未達成》

さらに、昨日はなかった小さな文字が現れた。

《外部空間反応:位置情報の記録を開始》

丘の岩場で見つけた青白い光。そして、そこに集まっていた魔物たち。あの場所には、まだ俺たちの知らない何かがある。

魔力石が示しているのは、異常反応の記録にすぎない。固有異空間が解放されたわけでも、仕組みの正体が分かったわけでもない。

けれど、手掛かりが少しずつ増えているのは確かだった。

明日の調査では決して無理をしない。危険があれば引き返し、仲間たちと一緒に帰ってくる。それが、今の俺にできる一番大切なことだった。

俺は魔力石をしまい、静かに目を閉じた。明日、新しい一歩を踏み出すために。

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