第21話 約束の時間と、月明かりの依頼
翌朝。
エルセリアの冒険者ギルドは、いつもより少しだけ騒がしかった。
昨日、俺たちが古い神殿から持ち帰った金属片と調査報告は、すでにギルドマスターのガルドに伝わっている。しかし、神殿の奥にはまだ調べていない場所が残されていた。
危険性が分からない以上、すぐに再調査へ向かうのは避けるべきだ。ガルドはそう判断し、俺たちには周辺の異常を調べながら、通常の依頼もこなすよう指示した。
「しばらくは周辺の異常を調べつつ、通常の依頼もこなしてくれ。お前たちの実力は認めているが、無理をする段階じゃない」
「分かりました」
俺が答えると、隣のリゼリアが満足そうにうなずいた。
「賛成よ。恒一が無茶をしないなら、私も異論はないわ」
「その言い方だと、俺がいつも無茶しているみたいなんだけど」
「違うの?」
「……善処します」
「ふふっ。最初からそう言えばいいのよ」
リゼリアは楽しそうに笑った。
最近、こういうやり取りが増えている気がする。
最初に出会った頃は、彼女の堂々とした態度に圧倒されることも多かった。それが今では、からかわれていると分かっていても、どこか安心してしまう。
もっとも、彼女の笑顔を見るたびに、妙に胸が落ち着かなくなるのは困りものだった。
「それで、今日の依頼はどうする?」
エレナが掲示板を見上げた。
「森の薬草採取、街道の魔物の追い払い……あら。こちらはどうでしょう」
彼女が指さしたのは、町の西側にある丘陵地帯の調査依頼だった。
依頼書には、こう書かれている。
――夜になると丘の一角が淡く光る。周辺で小型魔物の目撃情報もあるため、原因を確認してほしい。
「また光る場所かあ」
コハクが耳をぴくりと動かした。
「この前の神殿みたいな場所だったら、ちょっと気になるね。匂いとか足跡も調べられるし!」
「危険度は低いようですが、光の原因が分からないのは気になりますね」
セレスも依頼書を読み込んでいた。
彼女は昨日の神殿調査以来、古代の仕掛けや魔力の異常に関心を示している。ただし、彼女は聖堂に所属する調査協力者だ。今日の依頼も、正式なパーティーメンバーとしてではなく、必要に応じて協力してもらう形になる。
「私も同行してよろしいでしょうか? 神殿の件もありますし、浄化や結界が役に立つかもしれません」
「もちろん。無理のない範囲で協力してくれれば助かるよ」
「ありがとうございます、恒一さん」
セレスはほっとしたように微笑んだ。
「では、決まりね」
リゼリアが依頼書を受け取る。
「ただし、日没前には調査を終えること。光の原因が危険なものだったら、深入りせずに戻る。それでいいわね?」
「異議なし!」
コハクが元気よく手を挙げた。
こうして俺たちは、西の丘陵地帯へ向かうことになった。
◇
町を出てしばらく歩くと、草原の向こうに緩やかな丘が見えてきた。
風は穏やかで、空には薄い雲が流れている。
「こういう日は、お昼寝したくなるねえ」
コハクが大きく伸びをした。
「依頼の最中ですよ、コハク」
「分かってるって! ちゃんと周りも見てるよ」
そう言いながら、コハクの尻尾は楽しそうに揺れていた。
その少し後ろでは、エレナが風の流れを確かめている。
「魔力の乱れは今のところ感じません。ただ、丘の向こう側だけ、鳥の姿が少ないようです」
「動物が避けているのかしら」
リゼリアの瞳が、わずかに紅く輝いた。
《紅玉の魔眼》による感知は、まだ初期段階だ。それでも、周囲の生命反応や魔力の流れを探るには十分役立つ。
「生命反応はあるわ。けれど、魔力の流れが少し不自然ね。地下に何かあるのかもしれない」
「地下か……」
俺は腰の袋に入れていた魔石を確かめた。
神殿で守護機構が起動したとき、この魔石は明らかに反応していた。今回も同じとは限らないが、用心するに越したことはない。
「コハク、何か分かる?」
「ちょっと待ってね」
コハクはしゃがみ込み、地面に鼻を近づけた。
しばらくして、彼女の耳がぴんと立つ。
「小型の魔物が何匹かいる。でも、足跡が変なんだよね」
「変?」
「同じ場所を何度もぐるぐる歩いてる。何かを探してるっていうより、何かに引っ張られてるみたい」
その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。
「神殿の周囲で見つかった魔物の行動と似ていますね」
セレスが静かに言った。
「まだ同じ原因とは限りません。ただ、記録しておいた方がよさそうです」
「そうね。確認だけして、危険なら引き返しましょう」
リゼリアが俺を見る。
「恒一。何か見つけても、一人で先に行かないこと」
「分かってるよ」
「本当に?」
「本当に」
「ならいいわ」
彼女は俺の腕にそっと自分の腕を絡めた。
「私が隣にいるんだから、ちゃんと頼りなさい」
「……頼りにしてるよ」
思ったままを口にすると、リゼリアは一瞬だけ目を丸くした。
そして、少し頬を赤くする。
「そ、そう。なら、いいのよ」
普段は俺をからかってばかりなのに、こういうときは彼女も照れるらしい。
その様子を見たコハクが、にやにやしながら近づいてきた。
「ねえねえ、二人ってほんと仲いいよね!」
「当然でしょう?」
リゼリアはすぐにいつもの余裕を取り戻した。
「恒一とは、特別な契約を結んでいるんだから」
「契約だけじゃないだろ?」
つい口にすると、リゼリアの頬が再び赤くなった。
「……恒一。そういうことを、さらっと言わないでちょうだい」
「え? 何か変なこと言った?」
「もう!」
リゼリアは俺の腕を軽くつねった。
痛くはない。
むしろ、その反応が可愛くて、俺は笑ってしまった。
◇
丘の頂上付近に着いた頃、コハクが突然手を上げた。
「止まって!」
全員が足を止める。
前方の岩陰から、小さな灰色の魔物が二匹現れた。
狼に似た姿だが、通常の狼よりも身体が小さい。ところが、その目はどこか虚ろで、俺たちに気づいているはずなのに、同じ方向を見つめたまま動かない。
「魔物……ですよね?」
セレスが杖を構える。
「ええ。でも、様子がおかしいわ」
リゼリアの紅玉の魔眼が輝いた。
「魔力の流れが乱れている。何かの影響を受けているようね」
「まずは、刺激しないように近づこう」
俺が一歩踏み出した、その瞬間だった。
二匹の魔物が同時にこちらを向いた。
次の瞬間、低い唸り声を上げて飛びかかってくる。
「来るよ!」
コハクが横へ飛び、片方の魔物を誘導する。
エレナの矢が、もう一匹の進路を遮った。
「恒一さん、右です!」
「任せて!」
俺は《空間固定》を発動した。
魔物の前脚周辺の空間に意識を集中させる。動きを完全に止めることはできないが、ほんの一瞬だけ勢いを鈍らせることができた。
その隙にリゼリアが踏み込み、紅い魔力をまとった一撃を叩き込む。
魔物は地面を転がり、動かなくなった。
もう一匹はコハクが背後へ回り、短剣の柄で足を払う。体勢を崩したところへエレナの矢が放たれ、戦闘はすぐに終わった。
「ふう……。小さいけど、動きは妙に鋭かったね」
コハクが息を吐く。
「怪我はありませんか?」
セレスが全員を見回す。
「大丈夫。セレスも平気か?」
「はい。ありがとうございます」
彼女はほっと胸をなで下ろした。
俺は倒れた魔物の身体を調べた。
外傷はあるが、それ以外に目立った異常はない。
ただ、魔物の胸元にある魔石は、通常よりも紫がかっていた。
「また紫色か……」
神殿で確認した異常な魔力反応を思い出す。
だが、ここで結論を急ぐべきではない。
「魔石は持ち帰ろう。ガルドに見てもらった方がいい」
「賛成です」
エレナがうなずいた。
そのとき、リゼリアが丘の向こうを見つめた。
「恒一。あそこを見て」
彼女が指さした先。
岩場の隙間から、淡い青白い光が漏れていた。
まだ昼間だというのに、はっきりと分かる光だった。
「依頼に書かれていた光……かな」
セレスが目を輝かせる。
「魔法陣の光にも見えますが、断定はできません」
「近づくのはやめておきましょう」
リゼリアが即座に言った。
「もうすぐ日が傾くわ。入口らしきものが見つかっただけでも十分よ」
コハクは少し残念そうに耳を下げたものの、すぐにうなずいた。
「そだね。暗くなってから知らない穴に入るのは、あたしも嫌だし」
俺たちは光の位置を記録し、岩場から距離を取った。
調査はここまで。
今は無理をせず、準備を整えてから改めて来るべきだ。
そう判断して、俺たちは町へ戻ることにした。
◇
エルセリアに戻る頃には、空が夕焼けに染まっていた。
ギルドで報告を済ませると、ガルドは紫がかった魔石を見て眉をひそめた。
「また妙なものを見つけたな」
「丘の岩場に光る場所がありました。今日は入口を確認しただけです」
「それでいい。明日は俺の方でも資料を調べておく。調査を続けるなら、準備を整えてからだ」
報酬を受け取った俺たちは、ギルドを後にした。
宿へ向かう途中、コハクが食堂の看板を見つけて足を止める。
「ねえ! 今日はあそこの焼き菓子、食べてみない?」
「依頼を終えたばかりなのに、もう食べ物の話?」
エレナが苦笑する。
「だって、お腹すいたんだもん!」
「ふふ。いいじゃない。今日は少しだけ贅沢をしましょう」
リゼリアが賛成した。
こうして、俺たちは小さな食堂に入った。
焼きたての菓子と温かい飲み物を注文し、今日の調査について話し合う。
コハクは焼き菓子を頬張り、エレナは翌日の調査に備えて必要な道具を整理していた。セレスは紫色の魔石について、神殿で見たものとの共通点を考えている。
そしてリゼリアはというと、俺の隣から離れようとしなかった。
「恒一。今日は約束を覚えているわよね?」
「約束?」
リゼリアの目が細くなる。
「……まさか、忘れたの?」
「ああ、いや。二人きりの時間だろ?」
「そうよ」
彼女は満足そうに微笑んだ。
「神殿の調査もあったし、今日は色々と我慢していたんだから。食事が終わったら、少し付き合ってもらうわ」
「もちろん」
俺が答えると、リゼリアは小さくうなずいた。
「よろしい」
そのやり取りを聞いていたコハクが、焼き菓子を持ったまま首を傾げる。
「二人きりって、何するの?」
「こ、コハク!」
リゼリアが慌てて声を上げた。
「何って……。少し話をするだけよ!」
「ふーん?」
コハクの尻尾が、楽しそうに揺れる。
「リゼリア、耳まで赤いよ?」
「あなたは黙って食べていなさい!」
エレナが口元を押さえて笑い、セレスも困ったように微笑んだ。
俺はそんな彼女たちを見て、自然と頬が緩むのを感じた。
危険な遺跡も、謎の魔石も、まだ解決していない問題は多い。
それでも、こうして仲間たちと笑い合える時間がある。
それはきっと、俺がこの世界で手に入れた大切なものなのだろう。
◇
夕食のあと。
俺はリゼリアと二人で、宿の裏手にある小さな庭へ出た。
夜風は少し冷たかったが、空には月が浮かび、庭を淡く照らしていた。
「ここなら、邪魔は入らないわね」
リゼリアが満足そうに言う。
「コハクがついてきそうで、ちょっと心配だったけど」
「さすがに、そこまでしないだろ」
「どうかしら。あの子、好奇心が強いから」
リゼリアは笑い、それから俺の手を取った。
細い指が、俺の指にそっと絡む。
「……今日は、ありがとう」
「何が?」
「私との約束を覚えていてくれたこと。それから、ちゃんと頼りにしていると言ってくれたこと」
彼女は月を見上げた。
「私は、あなたの最初の契約者よ。だからといって、他の子より偉いなんて思っていないわ。でも……恒一にとって、特別な存在でいたいの」
いつもの自信に満ちた口調とは少し違う。
その声には、隠しきれない不安があった。
「リゼリア」
俺は彼女の手を握り返した。
「君は、俺にとって特別だよ。最初に出会って、一緒に旅をして、何度も助けてもらった。君がいなかったら、今の俺はいない」
「……本当に?」
「本当だ」
リゼリアはしばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと俺の肩に頭を預ける。
「もう。そういうことを言うなら、もっと早く言いなさいよ」
「今、言っただろ?」
「そういう問題じゃないの」
彼女は小さく笑った。
それから、少しだけ顔を上げる。
「ねえ、恒一。今夜は……もう少し、このままでいてもいい?」
「もちろん」
俺たちは手をつないだまま、月明かりの下に立っていた。
リゼリアの肩が、そっと俺に触れている。
彼女の温もりが伝わるたび、胸の奥がじんわりと温かくなった。
「恒一」
「ん?」
「あなたと出会えて、本当によかったわ」
その言葉に、俺はすぐには返事ができなかった。
ただ、彼女の手を少しだけ強く握る。
リゼリアもまた、握り返してくれた。
そのときだった。
懐に入れていた魔石が、ごく弱く光った。
俺たちは同時に視線を落とす。
光は一瞬で消えたが、魔石の表面には見慣れない文字が浮かび上がっていた。
《空間操作:微弱な反応を記録》
《空間固定:制御情報を更新》
《固有異空間:未解放》
《解放条件:未達成》
そして、その下に新たな一文が現れた。
《外部空間反応との共鳴を検知》
「外部空間反応……?」
俺がつぶやくと、リゼリアの表情が引き締まった。
「今日の丘で見つけた光と関係があるのかもしれないわね」
「明日、ガルドに相談してみるよ」
「ええ。ただし、今夜はもうおしまい」
リゼリアは魔石から視線を外し、俺の手を握り直した。
「今は、私との時間を優先してちょうだい。せっかく二人きりなんだから」
「分かったよ」
「ふふっ。いい返事ね」
彼女は再び俺の肩に寄り添った。
丘の岩場にあった青白い光。
紫がかった魔石。
そして、固有異空間に関する新たな表示。
それらが何を意味するのか、今はまだ分からない。
けれど、焦る必要はない。
明日になれば、また新しい一歩を踏み出せる。
俺は月を見上げながら、隣にいるリゼリアの温もりを感じていた。
この世界で守りたいものは、少しずつ増えている。
だからこそ、強くならなければならない。
仲間たちと一緒に、この世界の謎を解き明かすために。
そして――。
「恒一?」
「どうした?」
「明日も、ちゃんと私の隣にいてね」
俺は微笑んだ。
「ああ。約束するよ」
月明かりの下で、リゼリアは嬉しそうに笑った。




