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第20話 古き神殿と、聖女候補の秘密

森の古い神殿へ向かう道は、昨日よりも静かだった。

鳥の声は聞こえる。風も吹いている。それなのに、神殿へ近づくにつれて、周囲の魔力が肌にまとわりつくような感覚が強くなっていった。


「……やっぱり、何か変だね」


先頭を歩いていたコハクが足を止めた。獣人特有の耳がぴくりと動き、ふさふさの尻尾が緊張したように揺れる。


「匂いも変わってる。森の匂いに混じって、焦げた石みたいな匂いがするよ」

「魔力の影響かもしれません」


セレスが胸元の聖印を握った。


「昨日よりも、神殿から感じる反応が強くなっています。何かが活性化しているのでしょうか……」

「中の何かが動き始めた可能性はあるな」


俺はそう答えながら、手の中の魔力石に意識を向けた。淡い光が規則的に明滅している。以前、石造りの遺跡で感じた反応と似ていた。

ただし、今回は少し違う。魔力が外へ漏れ出しているというより、神殿の奥へ向かって引き寄せられているように感じるのだ。


「恒一、何か分かった?」 


隣に並んだリゼリアが尋ねた。


「まだ分からない。でも、奥へ向かって魔力が流れている気がする」

「そう。なら、私も見てみるわ」


彼女の赤い瞳が、かすかに輝いた。リゼリアは《紅玉の魔眼》で、生命力や魔力の流れを感知する。まだ細かな仕組みまで見抜けるわけではないが、こうした未知の場所では頼りになる。

数秒後、リゼリアは眉を寄せた。


「……神殿の奥に、魔力が集まっているわ。生き物の気配とは違う。まるで、何かの器に魔力を注ぎ続けているみたい」

「器?」

「ええ。ただ、何のためのものなのかまでは分からないわ」


今は、それで十分だった。俺たちは互いに顔を見合わせ、神殿の入口へと進んだ。


◇


入口の石扉は、昨日と同じように半開きになっていた。表面には古い紋様が刻まれている。風化して読み取れない部分も多いが、中央には六つの点を輪で囲んだような図形が見えた。


「この紋様……」


俺は思わず足を止めた。手の中の魔力石が小さく震えたからだ。

六つの点。輪。そして、その中心を横切る一本の線。以前の遺跡で見たものと完全に同じではない。しかし、どこか似ている。


「恒一?」

「いや、何でもない。ちょっと気になっただけだ」


今は、余計な推測を口にする段階ではない。

俺は石扉に手をかざし、《空間操作》を意識した。物体を収納したり、空間に干渉したりする扱いには少しずつ慣れてきた。だが、古代の仕掛けを自由に操れるほど熟練しているわけではない。無理に動かすのは危険だ。


「まずは、仕掛けがあるか確認しよう」

「それなら、私が見ます」


セレスが一歩前へ出た。彼女は聖印を両手で包み込み、静かに祈りを捧げる。


「《ピュリフィケーション》」


白い光が指先から広がった。光は扉の表面をゆっくりと走り、刻まれた紋様を浮かび上がらせる。

その瞬間、石扉の奥から低い音が響いた。

ゴウン……。


「っ!」


コハクが素早く身を低くした。エレナは弓を構え、リゼリアは俺の前へ半歩出る。

だが、扉が開いたわけではなかった。代わりに、地面に刻まれていた細い溝が淡く光り始めた。


「これは……魔力回路?」


セレスの表情が険しくなる。


「浄化の光に反応したみたいです。でも、邪悪な魔力を取り除くというより、何かの仕組みを起動させてしまったような……」

「つまり、浄化したら動き出したってことか?」

「はい。申し訳ありません……」

「いや、謝る必要はないよ。危険な反応を確認できたんだから」


俺がそう言うと、セレスは少しだけ表情を和らげた。

しかし、次の瞬間、石扉の前に薄い光の壁が現れた。


「全員、下がれ!」


俺は反射的に叫んだ。光の壁から細い光線が何本も走る。それらは俺たちを直接狙っているわけではなく、床や壁をなぞるように移動し、一定の位置で交差していた。まるで、侵入者を検知するための網のようだった。


「恒一さん、あの交差点です!」


エレナが弓の先で示した。光線が一点に集まるたび、魔力が強く脈打っている。

俺は《空間固定》を発動した。交差点の周囲に意識を集中させ、空間の動きをほんの一瞬だけ押さえ込む。光線の動きが、わずかに鈍った。


「今です、セレス!」

「はい!」


セレスの浄化魔法が光の交差点へ放たれた。白い光が重なった瞬間、魔力回路が一斉に明滅する。

そして――。

カチリ。

小さな音がした。光の壁が消え、石扉の奥から乾いた空気が流れ出してくる。


「……解除できたのか?」

「完全に停止したかどうかは分かりません。でも、少なくとも今の仕掛けは動いていません」


セレスが慎重に答えた。

リゼリアは俺の肩を軽く叩いた。


「やるじゃない、恒一。あなたの空間固定がなければ、セレスの魔法を合わせるのも難しかったでしょうね」

「セレスの浄化があったからだよ。俺一人じゃ無理だった」

「ふふ。そういうところ、嫌いじゃないわ」


リゼリアは得意げに微笑んだ。……褒められているのか、からかわれているのか。判断に困る。

一方、意識を集中させた反動で、こめかみに鈍い痛みが残っていた。長く使ったわけではない。それでも、《空間固定》はまだ制御が難しい。俺は呼吸を整え、痛みが引くのを待ってから歩き出した。


◇


神殿の内部は、想像していたよりも広かった。石造りの廊下が奥へと続き、壁には古い壁画が残されている。

描かれているのは、円形の祭壇と、その周囲に立つ複数の人影だった。人物の顔は削れたように失われていたが、祭壇の中央には、六つの光点を持つ紋様が描かれていた。


「この神殿は、何を祀っていたんでしょうね……」


セレスが壁画を見上げた。


「聖域に残されている記録にも、ここについての詳しい記述はありません。少なくとも、現在の聖堂で使われている様式とは違います」

「古い時代の施設なのかもしれないな」

「はい。ただ、これだけの魔力回路を維持できる技術があったのなら、かなり高度な文明だったはずです」


セレスの目が、研究者のような輝きを帯びていた。普段の彼女は穏やかで、少し遠慮がちだ。だが、知らないものを前にすると、好奇心が表情に現れるらしい。


「……セレスって、こういう遺跡が好きなのか?」

「えっ?」


彼女ははっとして振り返った。


「あ、いえ、その……好きというより、聖堂で古文書を読む機会が多かったので。知らないことを知るのは、楽しいです」

「いいことだと思うよ」

「そ、そうでしょうか?」

「うん。楽しそうに話してるから、こっちまで興味が湧いてくる」


セレスは頬を赤くした。


「……恒一さんは、自然にそういうことを言うんですね」

「そういうこと?」

「い、いえ! 何でもありません!」


彼女は慌てて壁画へ視線を戻した。

その様子を見ていたリゼリアが、俺の腕をつつく。


「恒一」

「何だ?」

「あなた、女の子を照れさせるのが上手くなったんじゃない?」

「そんなつもりはないんだけどな……」

「ふうん?」


リゼリアの目が細くなる。


「じゃあ、私も照れさせてみてよ」

「……今ここで?」

「何か問題でも?」


彼女は顔を近づけ、赤い瞳でじっと俺を見つめた。近い。銀色の髪が頬に触れそうな距離だ。


「えっと……リゼリアは、今日も綺麗だな」

「……っ」


今度はリゼリアの方が固まった。ほんの一瞬だけ目を見開き、それから顔をそむける。


「……そういう不意打ちは反則よ」

「自分で言わせたんだろ?」

「うるさいわね!」


彼女は俺の腕を軽く叩いた。しかし、指先はそのまま俺の袖をつまんでいる。

少し離れたところで、コハクが小さく呟いた。


「……あたしも、綺麗って言われたいな」

「コハク?」

「な、何でもない!」


尻尾が大きく跳ねた。

エレナは咳払いを一つして、廊下の奥を指さした。


「……調査を続けましょう。まだ安全が確認できていませんから」

「そ、そうだな」


俺たちはそれぞれ気持ちを切り替え、奥へ進むことにした。


◇


廊下の先には、小さな部屋があった。中央には石の台座があり、その上に黒ずんだ金属製の円盤が置かれている。円盤の表面には、細かな溝が幾何学模様を描いていた。


「罠は……なさそう?」


コハクが慎重に床を調べる。


「少なくとも、足元には仕掛けがないよ。でも、台座の周りだけ、魔力の匂いが濃い」

「触らない方がよさそうだな」


俺は円盤に近づきすぎない位置で足を止めた。リゼリアは《紅玉の魔眼》で円盤を観察している。彼女の瞳が赤く輝いた。


「どうだ?」

「魔力が円盤に集まっているわ。でも、これは攻撃用じゃないみたい。何かを記録している……あるいは、何かと接続するための装置かしら」

「接続?」

「ええ。魔力の流れが、円盤から壁の向こうへ続いているの」


俺は周囲を見回した。壁の向こう。つまり、この部屋だけで完結している仕掛けではない。


「恒一さん、こちらを見てください」


エレナが壁の一角を示した。そこには、壁画と同じ六つの点と輪の紋様が刻まれていた。

俺は円盤と紋様を交互に見た。以前の遺跡で見たもの。そして、魔力石が反応したときに浮かんだ光の形。これらには、何か共通点があるのかもしれない。


「……試しに、魔力を流してみるか?」

「待ってください」


セレスがすぐに止めた。


「何が起こるか分かりません。まずは、外側の回路を確認しましょう」

「そうだな。焦る必要はない」


俺は頷き、円盤から少し離れた。

そのときだった。床の奥から、かすかな振動が伝わってきた。

ゴゴゴ……。


「また動いた!?」


コハクが飛び退く。円盤の表面に、赤紫色の光が走った。

リゼリアの表情が変わる。


「みんな、下がって!」


彼女の声と同時に、台座の脇から石の腕のようなものが伸びてきた。

人間ほどの大きさをした石の守衛。その胸部には、赤紫色の魔力石が埋め込まれている。

守衛はゆっくりと頭を上げ、俺たちを見た。いや、正確には――俺の手の中にある魔力石を見ているようだった。


「……俺を狙っているのか?」


守衛の胸部が光った。


「恒一、避けて!」


リゼリアが叫ぶ。

次の瞬間、守衛の腕が振り下ろされた。俺は横へ跳び、《空間固定》を発動する。守衛の腕の動きが、一瞬だけ鈍った。


「今よ!」


リゼリアが踏み込み、紅い魔力をまとった一撃を叩き込む。石の腕に亀裂が走った。

続けてエレナの矢が、胸部の魔力石の脇へ突き刺さる。コハクは素早く側面へ回り込み、守衛の足元を狙った。


「足を止めるよ!」


コハクの攻撃で守衛の体勢がわずかに崩れる。セレスが俺たちの背後で、白い光を広げた。


「《プロテクション》!」


薄い結界が展開され、守衛の腕が床を叩いた際に飛び散った石片から、俺たちを守る。


「恒一さん、胸の魔力石です! そこを狙えば止められるかもしれません!」

「分かった!」


俺は守衛の動きを見極めた。力は強いが、動きは直線的だ。

次の攻撃が来る瞬間、再び《空間固定》を発動する。狭い範囲に意識を集中させ、守衛の腕の動きをほんの一瞬だけ鈍らせた。

こめかみに鋭い痛みが走る。長くは保たない。

だが、それで十分だった。

リゼリアがその一瞬を逃さなかった。


「これで終わりよ!」


紅い魔力を帯びた一撃が、胸部の魔力石を砕いた。

守衛の全身から光が消え、石の塊となって床へ崩れ落ちた。

静寂が戻る。


「……倒せた、のか?」

「反応は消えています。もう動かないと思います」


セレスが慎重に確認した。

俺は息を吐いた。それほど長い戦闘ではなかったが、狭い室内での戦いは神経を使う。頭痛と疲労が残っている。これ以上《空間固定》を使うのは避けた方がよさそうだった。


「みんな、怪我はないか?」

「私は大丈夫」


リゼリアが答える。


「問題ありません」


エレナも頷いた。


「平気! ちょっとびっくりしたけど!」


コハクは胸を撫で下ろした。


「私も大丈夫です。結界が間に合ってよかった……」


セレスも安心したように微笑んだ。

全員無事だ。それが何よりだった。


◇


守衛が崩れたあと、台座の下から小さな金属片が転がり出てきた。俺は周囲に危険がないことを確かめてから、慎重に拾い上げた。黒ずんだ表面には、古い文字らしきものが刻まれている。


「読めるか、セレス?」

「少し待ってください……」


彼女は金属片を覗き込み、指先で文字の輪郭をなぞった。


「古い神殿文字です。完全ではありませんが……『接続点を維持するため、守護機構を残す』と書かれているように見えます」

「接続点……」


俺は思わず呟いた。以前の遺跡でも、似た言葉を見た。この神殿と、あの遺跡は関係があるのだろうか。

だが、今ここで結論を出すのは早い。


「他には?」

「……ここから先は、文字が欠けています。ただ、何かを守るための装置だったことは確かだと思います」


リゼリアが腕を組んだ。


「つまり、この守衛は侵入者を排除するために動いたのね」

「そう考えるのが自然だな」


俺は金属片を空間収納へ収め、台座の周囲をもう一度確認した。装置の反応は弱まっている。だが、神殿全体の魔力が消えたわけではなかった。


「今日はここまでにしよう。これ以上進むのは危険だ」


俺が提案すると、誰も反対しなかった。セレスは名残惜しそうに奥を見つめたが、すぐに頷いた。


「はい。まずは、今日分かったことを聖堂とギルドに報告しましょう」


俺たちは慎重に来た道を戻った。入口を抜けた瞬間、森の空気が少しだけ軽く感じられた。

神殿の奥には、まだ何かが残されている。それが何なのかは分からない。けれど、少なくとも今日、俺たちは一つの手掛かりを手に入れた。


◇


帰り道。森を抜ける途中、セレスが俺の隣へやってきた。


「あの……恒一さん」

「どうした?」

「今日は、本当にありがとうございました」

「俺たちは一緒に調査しただけだよ」

「それでも、です」


セレスは少し考えてから、静かに続けた。


「私は聖堂で、誰かを守ることが大切だと教わってきました。でも、実際に危険な場所へ行くと、怖くなることもあります」


彼女は自分の手を見つめた。


「今日も、もし結界が間に合わなかったらと思うと……少し怖かったです」

「怖いと思うのは普通だよ。俺だって、危ないと思ったら怖い」

「恒一さんも?」

「ああ。怖くないふりをして無茶をするより、怖いと分かったうえで準備して進む方がいいと思ってる」


セレスはゆっくりと顔を上げた。


「……そうですね」

「それに、セレスがいたから助かった。君の浄化魔法と結界がなければ、もっと危なかったよ」


彼女はしばらく黙っていた。やがて、頬を赤く染めながら微笑んだ。


「……私、皆さんと一緒に調査できてよかったです」

「俺たちもそう思ってるよ」


その言葉に、セレスは嬉しそうに目を細めた。

少し先を歩いていたリゼリアが、こちらを振り返る。


「恒一、そろそろ帰るわよ!」

「ああ、今行く!」


俺がセレスに軽く手を振って歩き出そうとしたとき、彼女が小さな声で言った。


「……また、明日も一緒にお話ししてもいいですか?」

「もちろん」


セレスは、花が咲くように微笑んだ。


◇


その夜。宿の食堂では、神殿調査の無事を祝って、簡単な食事会が開かれていた。

コハクは焼き菓子を頬張りながら、今日の戦闘について熱心に話している。


「それでね、守衛がガシャーンって倒れて! すっごく大きな音がしたんだよ!」

「コハク、口の中のものを飲み込んでから話しなさい」


エレナに注意され、コハクは慌てて口元を押さえた。


「ふぁい……」


その様子に、セレスがくすくすと笑った。

リゼリアは俺の隣に座り、皿の上のタルトを小さく切り分けていた。


「はい、恒一。食べる?」

「ああ、ありがとう」


差し出された一口を食べる。甘い果実の香りが口いっぱいに広がった。


「おいしいな」

「でしょう?」


リゼリアは満足げに笑うと、今度は自分でも一口食べた。

その様子を見ていたコハクが、すかさず手を挙げる。


「じゃあ、あたしも恒一にお菓子をあげる!」

「え?」

「はい、あーん!」


差し出された焼き菓子を、俺は反射的に口で受け取ってしまった。


「……おいしい」

「えへへ、でしょ!」


コハクの尻尾が、ぱたぱたと揺れる。

その向かい側で、エレナが少しだけ視線を落とした。


「……恒一さん。私が選んだお茶も、飲んでみませんか?」

「もちろん」


差し出されたカップを受け取る。香りのよい、少し甘いお茶だった。


「これもおいしいな。エレナが選んだのか?」

「はい。疲れたときに落ち着く香りだと聞いたので……」


エレナは小さく微笑んだ。

リゼリアが俺の腕をつつく。


「恒一、人気者ね?」

「……何か怒ってる?」

「怒ってないわよ」


そう言いながら、彼女は俺の腕にそっと寄り添った。


「ただ、私にももう少し構ってほしいだけ」


小さな声だった。俺は彼女の手を握った。


「分かってるよ。今日は帰ったら、また二人で話そう」

「……約束よ?」

「ああ」


リゼリアは満足そうに頷いた。

その隣で、セレスは頬を赤くしながら、俺たちのやり取りを見ていた。エレナはお茶を飲み、コハクは焼き菓子を追加で取りに行く。

賑やかで、少し落ち着かなくて、けれど温かい。こんな日々が、これからも続けばいい。

そう思いながら、俺は仲間たちの笑顔を見渡した。

神殿の謎は、まだ解けていない。だが、焦る必要はない。明日もまた、一歩ずつ進んでいけばいいのだから。

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