第18話 森の救助依頼――聖女候補との出会い
コハクが正式に仲間になってから、数日が経った。
俺たちのパーティーは、少しずつ連携が取れるようになっていた。
エレナが弓で遠方を警戒し、コハクが足跡や周囲の気配から危険を察知する。リゼリアが前衛で魔物を引きつけ、俺は《空間固定》で敵の動きを一瞬だけ制限する。
まだ完璧とは言えないが、それぞれの得意分野を理解し始めたことで、以前よりも戦闘は安定してきた。
「ねえ、恒一。今日の依頼、これなんてどう?」
朝の冒険者ギルドで、コハクが掲示板から一枚の依頼書を剥がしてきた。
「東の森で、薬草採取と魔物の調査か」
依頼書には、森の奥で通常より多くの魔物が目撃されていると書かれていた。
今回の主目的は討伐ではない。森を通る薬草採取人が安全に仕事をできるよう、危険な場所を調べて報告することだった。
「報酬は銀貨六十枚。調査結果によっては追加報酬もあるみたい」
エレナが依頼書に目を通す。
「今の私たちに合った仕事だと思います。ただ、森の奥まで進むなら慎重に行動したほうがよさそうですね」
「そうね。危険を確認したら、無理をせずに戻りましょう」
リゼリアも頷いた。
「焦って実力以上のことをする必要はないわ。恒一も、無茶はしないこと」
「分かってるよ」
俺たちは受付へ向かい、依頼を受ける手続きを済ませた。
昇格審査の候補として記録されたとはいえ、まだランクが上がったわけではない。
今は一つずつ経験を積み、確実に実績を重ねていくべきだ。
そう考えながら、俺たちは東の森へ向かった。
◇
森に入って間もなく、コハクが足を止めた。
「……変だね」
「何があった?」
「鳥の声が少ないんだ。それに、地面に残ってる魔物の足跡が、ほとんど同じ方向へ向かってる」
コハクはしゃがみ込み、土に残った跡を指先でなぞった。
「普段なら、もっとばらばらに歩いてるはずなんだよ。何かに追われてるのか、それとも……何かに集まってるのかも」
「魔物が一か所に集まっている、ということですか?」
エレナが尋ねる。
「うん。でも、まだ断定はできないよ」
俺は周囲を見回した。
木々の間には薄い霧が漂い、遠くから水の流れる音が聞こえてくる。
以前にも薬草採取で訪れた森だが、今日はどこか雰囲気が違っていた。
「コハク、足跡を追えるか?」
「任せて!」
コハクは元気よく頷いた。だが、すぐに表情を引き締め、地面や木々の様子を確かめながら歩き始めた。
俺たちは彼女の案内に従い、森の奥へと進んでいった。
やがて、小さな川に差しかかった。
川岸には折れた枝と踏み荒らされた草が散らばっている。
「ここで何かあったみたい」
コハクが地面を調べた。
「人間の足跡が二人分。それから、魔物の足跡が五、六匹くらいかな」
「人が魔物に襲われたのか?」
「たぶん。こっちに続いてる!」
コハクが指さした先には、川に沿って続く細い獣道があった。
俺たちは周囲への警戒を強めながら、その跡を追った。
そのときだった。
「助けてくれ……!」
かすかな声が聞こえた。
俺たちは顔を見合わせ、すぐに声のした方向へ走り出した。
◇
獣道を抜けた先には、小さな開けた場所があった。
そこでは、商人らしい男性が倒れた荷車のそばで、必死に木の棒を振り回していた。
男性を取り囲んでいるのは、灰色の毛並みを持つ狼型の魔物が四匹。
男性の腕からは血が流れ、足元には荷車からこぼれた荷物が散乱していた。
少し離れた岩陰には、白いローブをまとった女性が膝をついている。
「リゼリア、前を頼む! エレナ、右側の魔物を牽制してくれ!」
「分かったわ!」
「了解です!」
リゼリアが地面を蹴り、狼たちの前へ飛び出した。
鋭い爪による攻撃を身軽にかわし、一匹の側面へ回り込む。狼が体勢を崩したところへ、彼女の剣が走った。
同時に、エレナの矢が風をまとって飛び、別の狼の足元に突き刺さる。
「コハク、残りの位置を!」
「任せて! 左の木の裏に一匹、倒れた荷車の向こうにもう一匹!」
俺はコハクの指示を聞き、荷車の向こうから飛び出そうとする狼に意識を集中させた。
「《空間固定》!」
一瞬だけ、狼の進路にある空間が固定される。
狼の動きが鈍り、踏み込もうとした足がわずかに遅れた。
完全に止めることはできない。
それでも、味方が動くための隙を作るには十分だった。
「今だ、コハク!」
「うんっ!」
コハクが低く身をかがめ、狼の横へ滑り込む。短剣で攻撃を受け流し、相手の体勢が崩れた瞬間に距離を取った。
その隙を逃さず、リゼリアがもう一匹を仕留める。
残った狼たちは警戒するように唸り、俺たちを見比べていた。
「逃げ道を塞ぎます!」
エレナの矢が狼たちの進路へ放たれる。
俺はもう一度《空間固定》を使い、先頭の狼の動きを一瞬だけ鈍らせた。
だが、長くは保たない。頭の奥にじわりと負担が広がる。
それでも狼たちは、こちらの連携を警戒したのか、森の奥へと走り去っていった。
「追わないで!」
コハクがすぐに声を上げた。
「足跡が森の奥へ続いてる。まだ仲間がいるかもしれないよ!」
「分かった。ここで止めよう」
俺たちは追撃をやめ、周囲の安全を確認した。
逃げた狼たちが戻ってくる気配はない。
「みんな、怪我はないか?」
「私は大丈夫よ」
「問題ありません」
「私も平気!」
俺は頷き、倒れている商人のもとへ駆け寄った。
「大丈夫ですか? 今、手当てをします」
「あ、ああ……助かった。もう駄目かと思ったよ」
男性は安堵したように息を吐いた。
そのとき、岩陰にいた白いローブの女性が立ち上がった。
「待ってください。傷の手当てなら、私に任せていただけませんか?」
澄んだ声だった。
女性は淡い金色の髪を肩まで伸ばし、胸元には小さな聖印を下げていた。ローブの裾には泥がついているが、立ち姿には不思議な気品がある。
「私は治癒魔法を使えます。応急処置だけでもさせてください」
「それなら、お願いします」
女性は商人のそばに膝をつき、傷口の近くへ両手をかざした。
「どうか、癒やしの光よ。この方の痛みを和らげ、傷を塞いでください――《ヒール》」
淡い金色の光が、彼女の手からあふれた。
商人の傷口から流れていた血が止まり、苦しそうだった表情が少しずつ和らいでいく。
「おお……痛みが引いていく……!」
女性はほっと息を吐いた。
「よかったです。でも、まだ無理はなさらないでください。傷が完全に治ったわけではありませんから」
その丁寧な物言いに、俺は思わず感心した。
治癒魔法を使える冒険者はいるが、負傷者を前にして落ち着いて処置できる人は、そう多くない。
「あなたは治癒術師なんですか?」
エレナが尋ねた。
女性は少し照れたように微笑んだ。
「いえ、まだ修行中です。私はセレス・ルミナスと申します。聖堂で治癒魔法と浄化魔法を学んでいます」
「聖堂で?」
リゼリアが彼女の胸元の聖印に目を向けた。
「もしかして、聖女候補なの?」
「……はい。一応、そう呼ばれています」
セレスは困ったように笑った。
「ですが、まだまだ未熟です。今日も森で魔物に襲われている方を見つけたのに、私一人では助けきれませんでした」
「そんなことはないですよ」
俺は首を振った。
「あなたが治療してくれたおかげで、この人は助かったんです」
セレスは目を見開いた。
それから、ゆっくりと微笑んだ。
「……ありがとうございます」
◇
商人を森の入口近くまで送り届け、安全な場所で休めるよう手配したあと、俺たちはセレスから森の状況について話を聞いた。
彼女によると、聖堂から依頼を受け、森の奥にある小さな祠を調べに来ていたらしい。
「最近、この森で魔物が増えていると聞きました。聖堂では、森の奥にある古い祠に何か異常が起きているのではないかと考えています」
「祠?」
俺は顔を上げた。
「どのあたりにあるんですか?」
「この川をさらに上流へ進んだ先です。ただ、魔物が増えていて、今日は近づくことができませんでした」
コハクがすぐに反応した。
「それなら、魔物が集まっている場所と関係があるかもしれないね」
「私もそう思います」
セレスは頷いた。
「ただ、祠に何があるのか、私にはまだ分かりません。聖堂の古い記録にも、詳しいことは残っていなくて……」
俺は少し考えた。
今回の依頼は、森の危険な場所を調査して報告することだ。祠の内部まで調べる必要はない。
けれど、魔物の異常な行動と関係している可能性があるなら、場所や周囲の様子を確認しておく価値はある。
「セレスさん。俺たちは冒険者ギルドから森の調査を依頼されています。よければ、祠の近くまで案内してもらえませんか?」
「私でよければ、もちろんです。ただ、危険な場所ですから、無理はしないでくださいね」
「ええ。危険だと判断したら、すぐに引き返します」
こうして俺たちは、セレスとともに川の上流へ向かうことになった。
◇
森の奥へ進むにつれ、空気が少しずつ冷たくなっていった。
木々の根元には、白い苔のようなものが広がっている。その一部は、かすかに光を放っていた。
「これは……」
エレナがしゃがみ込んだ。
「普通の苔ではありません。魔力を帯びています」
「魔物が集まっている原因かな?」
コハクが周囲を警戒する。
「まだ分からないわね」
リゼリアが答えた。
「でも、何かが起きているのは確かみたい」
さらに進むと、木々の間に石造りの小さな祠が見えてきた。
半分ほどが苔に覆われ、入り口には古い紋様が刻まれている。
セレスが祠の前で足を止めた。
「ここです。聖堂の記録によると、かつて旅人たちが安全を祈るために建てた場所だそうです」
俺は入り口の紋様を見つめた。
どこかで見たことがある。
いや、正確には、似たものを見たことがある。
北東の森にあった石造りの遺跡。そこに刻まれていた、境界や接続を示す古い文字だ。
「恒一?」
リゼリアが俺の表情を見て声をかけた。
「どうしたの?」
「いや……この紋様、少し気になるんだ」
俺が近づこうとした瞬間、腰の袋に入れていた魔石が、淡い光を放った。
北東の遺跡で見つかったものと、どこか似た反応だった。
同時に、視界に文字が浮かび上がる。
《魔力反応を検知》
《空間操作:微弱な反応を記録》
《固有異空間:未解放》
《解放条件:未達成》
「またか……」
俺は思わず呟いた。
以前から時折現れる表示だが、意味はまだ分からない。固有異空間を使えるようになったわけでもなく、解放条件が明らかになったわけでもない。
今は、反応を記録することしかできないようだった。
「恒一、何か分かったの?」
エレナが尋ねる。
「まだ何とも言えない。ただ、この祠には、俺の能力と何か関係があるものが残っているのかもしれない」
そのときだった。
祠の奥から、かすかな音が聞こえた。
――コツン。
石を叩いたような、小さな音。
コハクの耳がぴんと立った。
「みんな、静かに。中に何かいる」
リゼリアがすぐに俺の前へ出た。
「恒一、勝手に近づかないでね」
「分かってる」
セレスも胸元の聖印を握りしめ、祠の入り口を見つめている。
「……中から、弱い魔力を感じます。でも、それが危険なものなのかは分かりません」
俺たちは互いに顔を見合わせた。
依頼はあくまで森の調査だ。ここで無理をする理由はない。
「今日は入り口の様子を確認するだけにしよう。危険があるなら、ギルドに報告してから改めて準備を整える」
俺がそう告げると、全員が頷いた。
その判断を、セレスは安心したような表情で受け止めた。
「慎重な方たちなんですね」
「仲間を危険にさらしたくないだけだよ」
俺は祠から一歩離れた。
すると、セレスがこちらを見つめていた。
「黒瀬……いえ、恒一さん、でしたね」
「はい?」
「今日、商人の方を助けるときも、祠の前でも、あなたはいつも仲間のことを先に考えていました」
セレスは穏やかな声で続けた。
「私は聖堂で、人を救うことの大切さを学んできました。でも、誰かを救うためには、自分だけが頑張ればいいわけではないんですね」
「……そうかもしれない」
「もしよろしければ、また皆さんと一緒に活動させていただけませんか? 私も、冒険者の方々と協力しながら、もっと人を助けられるようになりたいんです」
その言葉に、リゼリアが俺を見た。
エレナも静かに頷いている。
コハクは尻尾を揺らしながら、嬉しそうに笑った。
「いいじゃん! セレスが一緒なら、怪我をしたときも安心だよ!」
「ふふっ。まだ修行中ですから、期待しすぎないでくださいね」
セレスは少し恥ずかしそうに答えた。
俺は彼女へ手を差し出した。
「それなら、まずはギルドで正式な依頼を確認して、無理のない範囲で協力してもらえませんか?」
「はい。喜んで」
セレスは俺の手を握った。
こうして俺たちは、新たな協力者と出会った。
まだ、彼女が正式な仲間になるかどうかは分からない。まして、契約について考えるのは早いだろう。
大切なのは、互いを知ること。そして、同じ目的に向かって歩けるかどうかだ。
俺は祠を振り返った。
古い石造りの入り口は、何事もなかったかのように静まり返っている。
だが、袋の中の魔石は、まだ微かに光っていた。
固有異空間の解放条件は、依然として分からないままだ。
それでも、北東の遺跡に続いて、この祠でも反応があった。二つの場所に何らかのつながりがあるのかもしれない。
今はまだ、確かなことは何も言えない。
だからこそ、焦らずに調べていく必要がある。
そして俺たちのパーティーにも、新しい出会いが訪れようとしていた。




