第15話 しっぽは正直、気持ちはまだ秘密
翌朝。エルセリアの街は、朝日とともに活気づき始めていた。冒険者ギルドへ向かう大通りには、焼きたてのパンの香りが漂い、荷車を引く商人や、武器を背負った冒険者たちが行き交っている。
そんな通りを、恒一たちは四人で歩いていた。
「ねえ、今日は何するの?」
コハクが恒一の隣を歩きながら尋ねた。
「まずはギルドで依頼を確認する。昨日の報酬も入ったし、装備を整えながら少しずつ難しい依頼に挑戦していきたいな」
「お金が入ったなら、おいしいものを食べようよ!」
「……昨日も食べただろ」
「昨日は昨日! 今日は今日!」
コハクは堂々と言い切った。頭の上の獣耳がぴんと立ち、尻尾が楽しそうに揺れている。
恒一は苦笑した。
「お前、食べることが本当に好きなんだな」
「うん! おいしいものは元気の源だもん!」
「その理屈なら、私は反対しないわね」
リゼリアが口を挟んだ。
「えっ、リゼリアさんも賛成?」
「もちろん。ただし、恒一のお財布と相談してからよ」
「結局そこか……」
「大事なことでしょ?」
リゼリアは悪戯っぽく笑う。その様子を見ていたエレナが、穏やかな声で言った。
「でも、昨日の報酬なら少し余裕はあります。食事を楽しむくらいなら問題ないと思いますよ」
「ほら!」
コハクが嬉しそうに両手を上げた。
「エレナ、好き!」
「ふふ。ありがとう。でも、だからといって食べすぎないようにね」
「はーい!」
元気な返事が街路に響く。
恒一は、三人の様子を眺めながら思った。この世界に来た当初は、目の前の状況を理解するだけで精いっぱいだった。見知らぬ土地。未知の能力。魔物の脅威。何もかもが不安だった。
それが今では、こうして仲間と他愛のない話をしながら街を歩いている。冒険者としての成長は、戦闘の強さだけではないのかもしれない。こんな時間を守るためにも、自分は強くならなければならない。
「恒一?」
リゼリアが顔をのぞき込んできた。
「何を考えてるの?」
「いや。いい仲間ができたなと思って」
「……ふうん」
リゼリアは一瞬だけ目を細めた。
「それって、私も含まれてるわよね?」
「当たり前だろ」
「ならいいわ!」
彼女は満足そうに笑い、恒一の腕に自分の腕を絡めた。
コハクが、その様子をじっと見ていた。
「……ねえ、恒一」
「ん?」
「わたしも腕を組んでいい?」
「えっ?」
あまりに唐突な申し出に、恒一は思わず足を止めた。リゼリアの笑顔がぴたりと止まる。エレナは興味深そうに二人を見比べていた。
「こ、コハク? 急にどうした?」
「だって、楽しそうだから!」
コハクは何のためらいもなく答えた。
「わたしも仲良しになりたい!」
「仲良し……」
恒一が困っていると、リゼリアが小さく息を吐いた。
「コハク。恒一が困ってるじゃない」
「えっ、駄目?」
コハクの耳が、しゅんと横に倒れた。その変化を見て、リゼリアは少しだけ表情を和らげた。
「駄目とは言ってないわよ。恒一がいいなら、好きにすればいいじゃない」
「本当!?」
コハクの尻尾が、ぶんぶんと左右に振られ始めた。
「恒一、いい?」
「……まあ、別に構わないけど」
「やったー!」
コハクは恒一の反対側に回り込み、嬉しそうに腕を組んだ。
右側にリゼリア。左側にコハク。両腕を美女に取られた状態で、恒一は大通りの真ん中に立ち尽くしていた。
「……なんだ、この状況」
「いいじゃない。両手に花よ?」
リゼリアは楽しそうに笑った。
「ただし、勘違いしないでね。私が一番最初の契約者なんだから」
「分かってるって」
「本当に?」
「本当だよ」
恒一が答えると、リゼリアは満足そうにうなずいた。
その一方で、コハクは二人のやり取りを不思議そうに見つめていた。
「契約者って、そんなに特別なの?」
「ええ。私と恒一は、魔力だけじゃなくて、もっと深いところでつながっているの」
リゼリアは誇らしげに言った。
「だから、簡単には譲れないものもあるわ」
その言葉に、コハクは少しだけ考え込んだ。そして、ふっと笑った。
「そっか。じゃあ、わたしはわたしのやり方で仲良くなるね!」
「……そう来るのね」
リゼリアは呆れたように肩をすくめた。けれど、その声には険しさがなかった。
恒一は、そんな二人を見ながら小さく笑った。こういう騒がしさも、悪くない。
◇
冒険者ギルドに到着すると、恒一たちは掲示板を確認した。昨日の依頼を無事に達成したことで、受けられる仕事の選択肢も少しずつ増えている。
「これなんかどうでしょう?」
エレナが指さしたのは、街の北西にある林での薬草採取依頼だった。
「討伐任務ではありませんが、群生地の確認も含まれています。薬草の種類を覚える練習にもなりますね」
「悪くないな。ただ、昨日は牙狼を五頭倒したし、今日は採取中心でもいいか」
恒一がそう言うと、リゼリアもうなずいた。
「賛成よ。毎日強い魔物と戦えばいいというものでもないわ。身体を休めながら経験を積むことも大切だもの」
「じゃあ、決まりだね!」
コハクが依頼書を取ろうとした、そのとき。
「あ、ちょっと待ってください」
受付の職員が声をかけてきた。
「その依頼でしたら、ちょうど別の冒険者の方から、群生地の周辺に小型魔物が出るという報告がありました」
「小型魔物ですか?」
恒一が尋ねる。
「はい。危険度は高くありませんが、採取中に遭遇する可能性があります。討伐が必要になった場合は、無理をせず撤退してください」
「分かりました。周辺の確認も忘れないようにします」
恒一は依頼を受注した。報酬は控えめだが、薬草採取の経験を積むにはちょうどいい。それに、魔物が現れるなら、戦闘の練習にもなる。
地道な仕事を積み重ねる。今の自分たちには、それが必要だった。
◇
北西の林は、街道からそれほど離れていなかった。木々の間から差し込む日差しが地面に模様を描き、鳥の鳴き声が頭上から聞こえてくる。
「この辺りなら、薬草が多そうだね」
コハクが鼻をひくつかせた。
「薬草の匂いも分かるのか?」
「ううん。土とか葉っぱの匂いが違うんだよ。あと、踏まれた草の匂いも」
「すごいな……」
「えへへ。こういうのは得意!」
コハクは胸を張った。そのあと、彼女はすぐにしゃがみ込んだ。
「この先に群生地があるよ。ただ……」
「ただ?」
「小さな足跡がいっぱい。たぶん、森ネズミか、苔トカゲかな」
エレナが周囲を見回す。
「森ネズミなら問題ありませんが、苔トカゲは群れで襲ってくることがありますね」
「まずは距離を取って確認しよう」
恒一の指示に、全員がうなずいた。コハクを先頭に、慎重に進む。
やがて、木々の間に小さな開けた場所が見えてきた。そこには淡い青色の葉を持つ薬草が群生していた。
「おお……これはすごいな」
恒一が感心していると、エレナが説明した。
「月光草です。傷薬や魔力回復薬の材料になるので、需要があります。ただし、根を傷つけると品質が落ちてしまいます」
「なるほど。丁寧に採らないとな」
恒一たちは、それぞれ採取を始めた。恒一は空間収納を使い、採取した薬草を種類ごとに分けて保管する。エレナは品質を見極めながら採取し、リゼリアは周囲の警戒を担当した。コハクは薬草を採るたびに、何かを見つけては恒一を呼んだ。
「恒一、これも売れる?」
「どれどれ……エレナ、分かるか?」
「それは食用の野草ですね。売却は難しいですが、食べられますよ」
「じゃあ、今日のごはんにしよう!」
「採取依頼のついでに食材まで確保する気か……」
「いい考えじゃない?」
リゼリアがくすりと笑った。
「恒一、食費の節約になるわよ」
「リゼリアまで……」
そんな会話をしながら、採取は順調に進んでいった。
ところが、コハクが突然顔を上げた。
「……来るよ」
耳がぴんと立つ。次の瞬間、草むらから緑色の小さな影が飛び出した。
一匹、二匹、三匹。
体長は五十センチほど。苔のような緑色の鱗に覆われたトカゲ型の魔物だった。
「苔トカゲです!」
エレナが弓を構えた。さらに、草むらの奥から数匹が姿を現す。
「思ったより多いな……!」
「大丈夫。動きは速いけど、正面からなら対処できるわ」
リゼリアが前に出た。
苔トカゲの一匹が跳びかかる。リゼリアは身体を半歩ずらし、その攻撃をかわすと、魔力をまとった手で地面へ押し返した。続けてエレナの矢が飛び、別の一匹の進路を塞ぐ。
「コハク、左側を頼む!」
「任せて!」
コハクは低い姿勢で走り、苔トカゲの攻撃をすり抜ける。素早い動きで背後に回り、短剣の柄で相手の頭を打った。
魔物がひっくり返る。
「よしっ!」
一方、恒一は空間固定を使い、こちらへ向かってくる二匹の動きを一瞬だけ止めた。
「今だ!」
リゼリアが魔力を放ち、エレナの矢が続く。二匹はほぼ同時に地面へ倒れた。
残りの苔トカゲは、仲間が次々に倒されると、草むらへ逃げていった。
「追わなくていい。依頼の範囲はここまでだ」
恒一が言うと、コハクは少し残念そうにしながらも、すぐにうなずいた。
「うん。深追いは危ないもんね」
リゼリアが感心したように彼女を見た。
「ちゃんと分かってるじゃない」
「えへへ。褒められちゃった!」
「褒めたくらいで、そんなに喜ぶの?」
「うん!」
コハクの尻尾が大きく揺れた。リゼリアは一瞬だけ目を丸くし、それから笑った。
「……あなた、面白い子ね」
◇
魔物の脅威が去ったあと、恒一たちは周辺を確認した。苔トカゲの魔石は小さいが、いくつか集めれば売却できる。さらに、依頼対象の月光草も十分な量を採取できた。
「これなら、いい報酬になりそうだな」
恒一が収納を確認していると、コハクが隣にやってきた。
「ねえ、恒一」
「どうした?」
「わたし、今日すごく楽しかった」
「そうか。それならよかった」
「うん。みんなと一緒に戦って、薬草を採って、おしゃべりして……」
コハクは少しだけ言葉を切った。
「こういうの、久しぶりだったんだ」
いつもの明るい声よりも、少し落ち着いた声だった。
「前は、ひとりで依頼を探して、ひとりで森を歩いてたから。誰かと一緒だと、こんなに楽しいんだね」
恒一は彼女の顔を見た。
「一人で活動してたのか?」
「うん。獣人だからって、変な目で見られることもあったし。わたし、斥候としては役に立つけど、力はそんなに強くないから」
コハクは笑顔を作った。
「だから、ずっと一人で頑張ってたんだ」
その尻尾は、さっきまでとは違い、少しだけ元気がなかった。
恒一は、すぐには言葉を返せなかった。この世界には、さまざまな種族がいる。そして、種族が違うというだけで、偏見を向ける者もいるのだろう。
「……コハク」
「ん?」
「俺たちといるときは、そんなことを気にしなくていいぞ」
恒一は、まっすぐに彼女を見た。
「お前の追跡能力は頼りになるし、戦闘でも助けられてる。俺たちにとって、十分に大切な仲間だよ」
「……仲間?」
コハクの耳が、ぴくりと動いた。
「ああ。まだ正式にパーティーを組んだわけじゃないけどな」
「そっか……」
彼女はうつむいた。その表情が見えず、恒一は少し心配になった。
「どうした?」
「ううん。なんでもない!」
コハクは顔を上げた。笑顔だった。ただ、その頬はほんのり赤くなっていた。
「……ありがと、恒一」
小さな声でそう言うと、彼女は先に歩き出した。尻尾だけは、隠しきれないほど嬉しそうに揺れていた。
◇
街へ戻ると、ギルドで依頼の報告を済ませた。月光草の買い取りと苔トカゲの討伐素材を合わせ、今回もそれなりの報酬を得られた。
大金というほどではない。それでも、食費や消耗品を補い、装備を整えるには十分な収入だった。
「これで、しばらくは余裕があるな」
恒一が報酬を確認すると、リゼリアがうなずいた。
「そうね。でも、回復薬の予備はもう少し買っておいたほうがいいわ。昨日の戦闘で使った分もあるでしょう?」
「そうだな。次の依頼までに補充しておくか」
エレナも賛成した。
「矢も補充しておきたいですね。使い捨てにできるものと、回収して再利用するものを分けておきます」
「わたしは?」
コハクが身を乗り出した。
「コハクは……食料の調達担当?」
「えっ、ほんと!?」
「冗談だよ」
「もー! 恒一、ひどい!」
コハクが頬を膨らませる。リゼリアがくすくすと笑った。
「でも、食料の選び方は上手そうね。私は賛成よ」
「リゼリアさんまで!」
コハクは抗議したものの、すぐに笑顔に戻った。
そのあと、四人は食堂で少し早めの夕食を取ることにした。
コハクが選んだのは、大きな肉の串焼きと、蜂蜜を使った焼き菓子だった。
「んー! おいしい!」
彼女は幸せそうに頬張った。
「ねえ、恒一。これ、ひと口食べる?」
「いいのか?」
「うん! すっごくおいしいよ!」
差し出された焼き菓子を、恒一はひと口かじった。
「……本当だ。甘くてうまいな」
「でしょ!」
コハクの尻尾が、ぶんぶんと揺れた。
その様子を、リゼリアがじっと見ていた。
「……恒一」
「ん?」
「私の分も、ひと口食べてみない?」
彼女は自分の皿から、小さな果実のタルトをフォークで切り分けた。
「こっちもおいしいわよ」
「じゃあ、もらおうかな」
恒一が口を開けると、リゼリアは少しだけ頬を赤くしながら、フォークを差し出した。
「……はい、どうぞ」
「ん。うまいな、これ」
「ふふっ。でしょう?」
リゼリアは満足そうに笑った。
しかし、すぐにコハクが身を乗り出す。
「わたしも、もうひと口あげる!」
「いや、もう十分……」
「遠慮しなくていいよ!」
コハクが焼き菓子を差し出す。リゼリアは目を細めた。
「……コハク?」
「なに?」
「恒一は今、食事中なのよ。あまり食べさせすぎると、お腹いっぱいになっちゃうでしょう?」
「そっか! じゃあ、あとで!」
「あとでも駄目とは言ってないわよ」
「やった!」
恒一は二人のやり取りを見て、苦笑した。
リゼリアは少しだけ対抗心を見せるものの、コハクを遠ざけようとはしない。むしろ、彼女が自然に仲間の輪に入れるよう、さりげなく気を配っている。そのことが、恒一には嬉しかった。
◇
夕食のあと。宿へ戻る道で、コハクがふと足を止めた。
「あのさ、恒一」
「どうした?」
「明日も、一緒に依頼を受けていい?」
彼女はいつもの明るさを保とうとしていた。けれど、耳は少しだけ横に倒れ、尻尾も落ち着きなく揺れている。
「もちろんだよ」
恒一は即答した。
「明日も一緒に行こう」
「……ほんと?」
「ああ」
「そっか……!」
コハクは顔を輝かせた。そして、勢いよく恒一の腕に抱きついた。
「やったー!」
「うわっ!?」
「明日も一緒! 明日も一緒!」
「分かった、分かったから! ちょっと落ち着け!」
コハクは笑いながら腕を離した。その顔は、今まで見た中でも一番嬉しそうだった。
リゼリアはそんな彼女を見て、小さく微笑んだ。
「……よかったわね、コハク」
「うん!」
「でも、恒一に甘えるのはほどほどにね?」
「えっ、どうして?」
「どうしてって……」
リゼリアは一瞬だけ言葉に詰まった。そして、少しだけ頬を膨らませた。
「……私だって、恒一と二人で過ごす時間が欲しいんだから」
コハクは目を丸くした。エレナは口元を押さえて笑っている。
恒一は、思わずリゼリアを見た。
「リゼリア……」
「な、何よ。悪い?」
「いや……嬉しいよ」
「……っ!」
リゼリアの頬が、ぱっと赤くなった。
「そ、そう。ならいいわ!」
彼女はぷいっと顔をそむけた。けれど、恒一の手を握る指は、そっと強くなっていた。
コハクは二人を交互に見つめ、それから、にっこりと笑った。
「じゃあ、明日はみんなで依頼を終わらせて、そのあと一緒においしいものを食べようよ!」
「ふふ、それなら賛成です」
エレナがうなずく。リゼリアも、少し照れた顔で笑った。
「……そうね。それなら、悪くないわ」
恒一は三人を見渡した。まだ、正式なパーティーの形は整っていない。実力も、経験も、足りないものばかりだ。それでも、少しずつ仲間との距離は縮まっている。
そしてコハクの胸にも、小さな気持ちが芽生え始めていた。
――この人たちとなら、もっと遠くへ行けるかもしれない。
そんな予感を抱きながら、彼女は夜空を見上げた。明日もまた、みんなと冒険ができる。そのことが、何より楽しみだった。




