第13話 黒衣の魔族と、遺跡で起きた予想外の密着事故
翌朝、エルセリアの冒険者ギルドに俺たち四人が集まっていた。
「――これが、石環遺跡に関する過去の記録だ」
ギルドマスターのガルドが、分厚い資料をテーブルの上に広げた。何十年も前に作成された遺跡の見取り図や、魔物の異常行動に関する報告書が何枚も挟まれている。
「北東の森にある石環遺跡。その周辺では、過去にも魔物が突然姿を消したり、本来の生息域から外れたりする現象が報告されている」
「以前から起きていたんですか?」
エレナが資料を覗き込みながら尋ねた。
「ああ。ただし、発生頻度は低かった。それがここ数週間で急激に増えている」
俺は記録の一枚に目を留めた。
そこには、古代文字を写し取ったと思われる円形の紋様が描かれていた。中心から複数の線が伸び、まるで離れた場所同士を結びつけているように見える。
その下には、翻訳された短い文章が記されていた。
『境界を越え、離れた場所をつなぐもの』
「……空間をつなぐ装置、ということか」
「その可能性はある。だが、誰が何のために作ったのか、肝心なところはわかっていない」
ガルドは眉間にしわを寄せ、別の資料を取り出した。
「もう一つ、気になる記録がある。二十年ほど前、同じ森で調査隊が黒いローブを着た人物を目撃したという証言だ」
「黒いローブ……?」
思わず、俺はリゼリアとエレナの顔を見た。
「顔はフードに隠れていて、声も聞き取れなかったらしい。調査隊が声をかける前に姿を消したそうだ」
「今回の異常と関係があるのでしょうか」
エレナが尋ねると、ガルドは首を横に振った。
「断定はできん。だが、無関係だと決めつけるのも危険だ」
ガルドは俺たち四人を順番に見渡した。
「今日の目的は、昨日確認した魔力の痕跡と、石環遺跡周辺の異常を調べることだ。ただし、遺跡の内部へは入るな。正体のわからない魔法陣や装置を見つけても、むやみに触れるな。危険を感じたら、調査を打ち切って戻ってこい」
「わかりました」
俺はしっかりとうなずいた。
その隣で、コハクが勢いよく両手を握りしめる。
「よーし! 今日こそ、変な足跡の正体を突き止めよう!」
ぴんと立った獣耳と、ぶんぶん揺れる尻尾。昨日からずっと調査のことが気になっていたらしい。
「やる気満々だな」
「もちろん! それに、今日はみんなが一緒だもん!」
コハクは満面の笑みを浮かべた。
昨日出会ったばかりなのに、彼女はもう俺たちを仲間として見てくれているらしい。
そう思うと、自然に頬が緩んだ。
「では、出発しましょう」
エレナの言葉を合図に、俺たちはギルドを後にした。
◇
北東の森に到着すると、コハクはすぐに地面へしゃがみ込んだ。
「……やっぱり、増えてる」
「何がだ?」
「足跡だよ。昨日はなかったものが、ここに残ってるの」
彼女が指差したのは、石柱の根元だった。
土の上に、細長い靴底の跡が残っている。人間の足跡に似ているが、踏み跡は数歩先から急に薄くなり、やがて完全に消えていた。
周囲に岩場や水たまりはない。途中で跳び上がったような形跡も見当たらなかった。
「また、空間の歪みか……」
俺は《空間操作》を意識した。
すると、昨日と同じように、周囲の空気に薄い違和感を覚えた。目には見えないのに、そこだけ何かがずれている。まるで、存在しない扉が半開きになっているような感覚だった。
「恒一さん。あちらにも何かあります」
エレナが弓を構えたまま、石柱の向こうを示した。
そこには草に覆われた小さなくぼみがあった。コハクが周囲を確かめながら近づき、草を慎重に払いのける。
「これ……魔法陣かな?」
地面には、紫色の線で描かれた円形の紋様が残っていた。石環遺跡で見つかった古代の刻印に似ている。だが、風雨にさらされた古い遺物というより、最近になって何者かが描いたもののように見えた。
「誰かが、ここで魔法を使ったんだ」
リゼリアがしゃがみ込み、紋様に触れないよう手をかざした。
「魔力の残滓が残っているわ。それも、かなり嫌な性質ね」
「嫌な性質?」
「私が扱う吸血魔法とは違うわ。似ている部分はあるけれど、もっと冷たくて、歪んでいる……生き物の魔力を乱すような感じがする」
いつも落ち着いているリゼリアの表情が険しくなった。
そのときだった。
ぱきり、と森の奥で枝が折れる音がした。
俺たちは一斉に顔を上げた。
「誰かいる!」
コハクが音のした方向を指差す。
俺は反射的に《空間固定》を意識した。まだ制御範囲はごく狭く、持続時間も一瞬にすぎない。それでも、いざというときに動けるよう、集中を整える。
「出てこい! こちらは冒険者だ!」
返事はなかった。
しかし、木々の隙間で黒い影が動いた。
次の瞬間――パチン、と乾いた音が響いた。
足元の魔法陣が、紫色に輝く。
「全員、離れて!」
エレナが叫んだ。
だが、光はすでに地面を走り、石柱を伝って周囲へ広がり始めていた。
地面が大きく揺れる。
「なっ……!」
石柱の根元が崩れ、土砂が流れ出した。俺たちの足元に亀裂が走り、地面が谷のように口を開いていく。
その向こうに、黒いローブをまとった人物が姿を現した。
顔は深いフードに隠されている。片手には、紫色に光る小さな結晶が握られていた。
「……やはり、反応したか」
低く冷たい声だった。男とも女ともつかない。
「お前が、この魔法陣を仕掛けたのか!」
俺が問いかけると、黒衣の人物はゆっくりと首を傾けた。
「人間が知る必要はない」
「なら、ここで捕まえて聞かせてもらうわ!」
リゼリアが前へ出る。
だが、黒衣の人物は笑うような気配を見せた。
「試してみるがいい」
結晶が、ひときわ強く輝いた。
――ドォンッ!
足元が爆ぜた。
「うわっ!」
俺の身体が浮き上がる。崩れた地面の向こうで、コハクが足を滑らせていた。
「きゃっ!」
「コハク!」
俺は反射的に手を伸ばし、彼女の手首をつかんだ。
しかし、崩落の勢いは強かった。俺たちは一緒に傾いた足場へ引きずられていく。
「恒一さん!」
エレナが俺の腕をつかみ、リゼリアがエレナの腰を支えた。
四人が一本の鎖のようにつながる。
だが、足場は容赦なく崩れていった。
「このままじゃ、全員落ちる!」
俺は歯を食いしばった。
今の《空間固定》で、四人を支えられるのか。そもそも、こんな広い範囲を固定したことなどない。
それでも、何もしなければ全員が落ちる。
「《空間固定》!」
俺は崩落する足場の端へ意識を集中させた。
頭の奥に鋭い圧迫感が走る。空間が軋むような感覚が広がり、ほんの一瞬だけ、落下の勢いが鈍った。
「今よ!」
リゼリアがエレナの手を引き、エレナがコハクの腕をつかむ。
だが、コハクを引き上げようとした瞬間、俺の足元の岩が完全に崩れた。
「恒一!」
リゼリアの叫び声が響く。
俺はコハクを抱き寄せたまま、崩れた足場の下へ滑り落ちた。
◇
ドサッ!
背中に鈍い衝撃が走った。
「ぐっ……!」
落ちた先は、石柱の下に隠れていた浅い空洞だった。土と苔が衝撃を和らげてくれたおかげで、致命的な高さではなかったらしい。
だが、背中が痛い。
それ以上に、俺の腕の中にコハクがいた。
彼女をかばうように抱き込んだまま、俺たちはもつれ合って倒れていた。
「……い、痛たた……」
「コハク、大丈夫か!?」
「う、うん……私は平気。恒一は?」
「俺も、なんとか……」
そう答えたところで、俺はようやく自分の姿勢に気づいた。
コハクは俺の胸元に顔を寄せ、俺の腕は彼女の背中に回っている。さらに、転倒した拍子に上着の留め具が一つ外れたらしく、肩口が少しずれていた。
「…………」
「…………」
お互いに動きが止まった。
コハクの獣耳が、みるみるうちに赤くなっていく。
「こ、恒一……?」
「す、すまん! わざとじゃない! 落ちるところを助けようとしたら……!」
「わ、わかってる! わかってるけど……近い! 近いってば!」
「悪い!」
俺は慌てて身体を起こそうとした。
そのとき、頭上から小石が落ちてきて、俺の肩に当たった。
「いてっ!」
「きゃっ!」
驚いたコハクが、反射的に俺の胸へしがみつく。
結果、せっかく離れかけていた顔が、また近づいてしまった。
「…………」
「…………」
コハクの尻尾が、ぼわっと膨らんだ。
「こ、恒一のばかぁっ!」
「俺のせいなのか!?」
「わかんない! わかんないけど、恥ずかしいの!」
彼女は真っ赤な顔で叫んだ。
俺も顔が熱い。戦闘中の緊張とは違う意味で、心臓がうるさかった。
「と、とにかく、服を直してくれ。俺は向こうを見てるから」
俺はすぐに腕を離し、視線を反らした。コハクが外れかけた留め具を直せるよう、近くに落ちていた布を拾って差し出す。
「……うん」
コハクは布を受け取り、少しだけ安心したように息をついた。
やがて、ぼそりとつぶやく。
「……でも、助けてくれて、ありがと」
「当然だよ。仲間を見捨てられるわけがない」
「……仲間、か」
コハクはその言葉を繰り返した。
尻尾が、今度はゆっくりと揺れ始める。恥ずかしさの中に、どこか嬉しそうな気配が混じっていた。
そのとき。
「――恒一?」
頭上から、妙に静かな声が降ってきた。
嫌な予感を覚えながら、俺はゆっくりと顔を上げた。
崩れた足場の向こう。銀色の髪を揺らし、赤い瞳を細めたリゼリアがこちらを見下ろしていた。その隣では、エレナが心配そうに身を乗り出している。
「二人とも、無事ですか!?」
「ああ! 俺もコハクも無事だ!」
俺は大声で答えた。
リゼリアは、ほっとしたように胸をなで下ろす。
……が。
彼女の視線が、俺とコハクの距離に気づいた瞬間、ぴたりと止まった。
「…………へえ」
その一言が、妙に怖かった。
「リ、リゼリア? これは事故で……」
「わかっているわ。あなたがコハクを助けたことも、事故だったことも」
リゼリアはにっこりと微笑んだ。
「だから、あとでゆっくりお話ししましょうね?」
「……はい」
思わず背筋が伸びた。
エレナが困ったように笑う。
「リゼリア、まずは二人を引き上げましょう。話はそれからです」
「……そうね。もちろんよ」
リゼリアは俺たちへ手を差し伸べた。
コハクを先に引き上げてもらい、続いて俺も地上へ戻る。立ち上がったコハクはすぐに俺から距離を取ったが、その尻尾はまだ落ち着かない様子で揺れていた。
「……恒一」
リゼリアが俺の袖をつまむ。
「はい」
「あなたが仲間を助けるのは、とても素敵なことだと思うわ」
「ありがとう」
「でも、私が助けてほしいときも、ちゃんと助けてね?」
最後の言葉だけ、少し柔らかくなった。
俺は彼女の赤い瞳を見つめる。
「ああ。リゼリアも、エレナも、コハクも。みんな守りたいと思っている」
リゼリアは一瞬驚き、それから嬉しそうに微笑んだ。
「……なら、許してあげる」
そう言って、彼女は俺の腕にぎゅっと抱きついた。
「ただし、帰ったら私にも少し甘えてもらうわ」
「えっ?」
「あなたも怪我をしているでしょう? ちゃんと確かめてあげる」
今度は俺が赤面する番だった。
エレナは頬を赤らめながらも、どこか微笑ましそうに二人を見ている。
コハクは俺たちを見比べ、ぽつりとつぶやいた。
「……なるほど。恒一って、ほんとに大変なんだね」
「頼むから、他人事みたいに言わないでくれ……」
俺は頭を抱えた。
だが、まだ安心するには早かった。
◇
「――見つけました!」
エレナの声に、俺たちは一斉に振り向いた。
崩落地点の向こう側。そこには、黒いローブの人物が立っていた。
崩落を引き起こした張本人だ。
そいつは俺たちを見下ろし、手の中の結晶を握りしめていた。
「思った以上に、興味深い結果だ」
「お前、何者だ!」
俺が問いかけると、黒衣の人物はゆっくりとフードを持ち上げた。
その下にあったのは、人間に似た顔だった。
だが、肌は異様なほど白く、額の左右には黒い角が伸びている。瞳は血のような赤ではなく、底の見えない紫色をしていた。
「……魔族!」
リゼリアが息を呑んだ。
魔族。この世界に存在する、人間とは異なる種族だ。人間と交流する者もいる一方、敵対する勢力も少なくないと聞いている。
目の前の存在から感じる気配は、明らかに普通の人間とは違っていた。
「やはり、お前たちには反応するのか」
魔族は俺を見た。
正確には、俺の胸元――《時空士》の力が宿るあたりを見つめているようだった。
「空間を固定する力。そして、複数の契約者との連動……。なるほど。記録に残されていた可能性は、本物だったらしい」
「何を言っている?」
「お前が知る必要はない」
魔族は結晶を掲げた。
「今日は、これ以上の調査は不要だ。観測は十分にできた」
「逃がすと思うか!」
エレナが矢を放った。
風をまとった矢が、魔族の肩を狙って飛んでいく。
しかし、命中する直前、魔族の背後に紫色の輪が現れた。
矢は輪の中へ吸い込まれ、別の場所から飛び出して石柱に突き刺さった。
「なっ……!」
「空間をつなぎ替えたのか……?」
俺は息を呑んだ。
俺の《空間操作》にも通じる力。しかし、規模も精度もまるで違う。俺が狭い範囲を一瞬だけ固定するのに苦労しているのに対し、あいつは離れた場所同士をつなぎ、攻撃の軌道まで変えてみせた。
「その力を、まだ失うわけにはいかない」
魔族はそう言い残し、結晶を地面へ落とした。
――パリンッ!
結晶が砕け、紫色の光が周囲を覆う。
「目を閉じて!」
リゼリアの叫びに、俺たちは腕で顔を覆った。
次の瞬間、光が消えた。
そこには、魔族の姿も、魔法陣も残っていなかった。
ただ一つ、地面に黒い金属片が落ちていた。
◇
俺は周囲を警戒しながら金属片を拾い上げた。
表面には奇妙な紋章が刻まれている。翼のような二本の曲線。その中央には、星を思わせる五つの突起があった。
「……この紋章、見覚えがあるような気がするわ」
リゼリアが眉を寄せる。
「知っているのか?」
「はっきりとはわからない。でも、古い魔族の伝承に似た意匠があった気がする。あとで調べてみる必要があるわね」
エレナは、魔族が消えた場所をじっと見つめていた。
「彼は、私たちを倒すつもりではなかったようですね」
「ああ。むしろ、俺たちを観察していた」
魔族の言葉が頭から離れない。
――複数の契約者との連動。
――記録に残されていた可能性。
なぜ、俺のスキルを知っていたのか。なぜ、俺たちの戦い方を確認していたのか。そして、なぜ俺を殺さずに立ち去ったのか。
疑問は尽きなかった。
「恒一さん」
エレナが静かに声をかける。
「今は、無事に戻ることを優先しましょう。私たちだけで追いかけるのは危険です」
「……そうだな」
俺はうなずいた。
今回の調査で、魔族がこの異常に関与している可能性は高まった。だが、相手の実力も目的も未知数だ。
まずはガルドに報告し、今後の対応を相談する必要がある。
そのとき、コハクがそっと俺の袖を引いた。
「恒一、さっきのことなんだけど……」
「さっき?」
「その……助けてくれたこと。本当に、ありがとう」
コハクは目を伏せた。
「私、ずっと一人で調べてたから。危なくなっても、自分でなんとかするしかないって思ってたんだ」
尻尾がゆっくりと揺れる。
「でも、今日は違った。恒一たちが一緒にいてくれたから、怖くても頑張れたんだ」
「コハク……」
「だから、もしよかったら……また一緒に調査させてほしい。私も、みんなの役に立ちたいんだ」
俺は笑ってうなずいた。
「もちろんだ。これからも頼りにしているよ」
「……うん!」
コハクの尻尾が勢いよく跳ねた。
その直後、リゼリアが俺の反対側から腕を絡めてくる。
「もちろん、私も一緒よね?」
「当たり前だろ」
「ふふっ。なら、問題ないわ」
エレナも穏やかに微笑んだ。
「私も、これから先が楽しみです」
俺たちは互いに顔を見合わせた。
魔族の暗躍。古代遺跡の謎。そして、俺自身のスキルに隠された秘密。
これから先、簡単にはいかないだろう。
それでも、今は一人じゃない。
守りたいと思う仲間がいる。
だからこそ、もっと強くならなければならない。
◇
その夜。
ルナリア王国の遥か北東、地図にも記されていない地下神殿。
黒い石で造られた広間に、紫色の魔法陣が浮かび上がっていた。その前に、昼間の魔族が片膝をついている。
『観測結果を報告せよ』
頭上から、低い声が響いた。
「対象を確認しました。空間操作の適性、契約者との連動反応、いずれも記録と一致しています」
『星位解放の兆候は?』
「現時点では未確認。ただし、複数の契約者を通じた反応が生じています」
しばしの沈黙が流れた。
やがて、広間の奥に座す何者かが、ゆっくりと笑った。
『……ならば、まだ手を出すな』
「よろしいのですか?」
『あれは、我らが長きにわたって探し求めた鍵かもしれぬ。早まれば、再び境界が閉じる』
紫色の光が広間を照らす。
『第二接続点を維持せよ。次は、契約者たちの絆がどこまで力を引き出すかを確かめる』
「承知しました」
魔族が深く頭を垂れる。
その背後の壁には、巨大な紋章が刻まれていた。五つの星を囲む、黒い翼。
そして、その中央には古代文字でこう記されていた。
――《世界の境界を開く者》。
誰も知らない場所で、世界の運命を揺るがす計画が、静かに動き始めていた。




