第11話 初めての討伐依頼と、森に残された痕跡
翌朝。
窓から差し込む柔らかな光に目を覚ました俺は、しばらく天井を見つめていた。
異世界に来てから、もう何度目の朝だろう。
最初は目に映るものすべてが未知で、眠っている間でさえ落ち着かなかった。けれど、ギルドで仕事を受け、街で食事をし、仲間と一緒に過ごすうちに、少しずつこの世界での生活にも慣れてきた。
もちろん、安心してばかりはいられない。
昨日は森の奥で奇妙な石碑を調べ、夜には北側の街道で魔物の動きがおかしくなっているという噂も聞いた。
何もかもがつながっているのか、それとも偶然なのか。
今の俺には、まだ判断できなかった。
「恒一、起きている?」
扉の向こうから、聞き慣れた声がした。
「ああ。今、準備するところだ」
「なら、朝食の後にギルドへ行きましょう。昨日の話もあるし、今日は無理のない依頼を選びたいわ」
「分かった。すぐに行くよ」
身支度を整えて部屋を出ると、リゼリアが廊下で腕を組んで待っていた。
その隣には、弓を背負ったエレナの姿もある。
「おはようございます、恒一さん」
「おはよう、エレナ。よく眠れたか?」
「はい。久しぶりに、安心して眠れました」
エレナは穏やかに微笑んだ。
森で出会ったときの彼女は、周囲を警戒しながら一人で行動していた。今も慎重なところは変わらないが、少なくとも俺たちと一緒にいるときは、以前より表情が柔らかくなっている。
それを見て、俺も少し安心した。
彼女には、まだ知らないことがたくさんある。
けれど、無理に聞き出す必要はないだろう。一緒に過ごす時間が増えれば、話せることから少しずつ教えてくれるはずだ。
「それじゃあ、朝食にしよう。その後はギルドだ」
「ええ。今日は私も、恒一の依頼選びを手伝ってあげるわ」
リゼリアは自信たっぷりに胸を張った。
「頼りにしているよ」
「ふふっ、任せておきなさい」
そのやり取りを見て、エレナが小さく笑う。
三人で行動することにも、少しずつ自然さが生まれていた。
この先、何が待ち受けているのかは分からない。
それでも、今の俺には一緒に歩いてくれる仲間がいる。
それだけで、昨日より少し前向きな気持ちになれた。
*
朝食を終えた俺たちは、冒険者ギルドへ向かった。
朝のギルドは、昨日の夕方とは違った活気に満ちていた。
掲示板の前では冒険者たちが依頼書を見比べ、受付では次々と手続きが進められている。装備を整えて出発する者もいれば、帰還した仲間を囲んで話し込む者もいた。
俺たちも掲示板の前に立つ。
採取、護衛、討伐。依頼書にはさまざまな仕事が記されていた。
「今日は何を受けるの?」
リゼリアが隣から尋ねてくる。
「まずは、無理なく達成できる依頼だな。昨日は森の奥まで行ったし、今日は情報を集めながら動きたい」
「それなら、採取だけでもいいんじゃないかしら?」
「そうですね。ただ、森の様子を確認するなら、魔物への対処も考えておいた方がいいと思います」
エレナは依頼書を眺めながら答えた。
俺も同意見だった。
昨日の石碑は気になるが、正体の分からないものを追いかけて、いきなり森の深部へ向かうのは危険だ。
まずはギルドが把握している範囲で活動し、魔物の出現状況や森の様子について情報を集めよう。
俺は何枚かの依頼書を確認し、その中から一つを選んだ。
「これにしよう。街道沿いの森で、薬草採取と小型魔物の討伐。指定された区域から出なければ、危険度も低めらしい」
「いいと思うわ。採取も討伐も経験できるし、素材の扱い方も覚えられるもの」
「私も賛成です。森の入り口に近い場所なら、周囲の変化にも気づきやすいと思います」
俺たちは依頼書を受付へ持っていった。
受付嬢は内容を確認すると、注意事項を説明してくれた。
「こちらの依頼ですね。指定区域から外れないようにお願いします。最近、北側の森で魔物の目撃情報が増えていますので」
その言葉に、俺は顔を上げた。
「魔物が増えているというのは、どの程度ですか?」
受付嬢は手元の記録を確認してから答えた。
「今のところ、例年より目撃報告が多いという段階です。大規模な群れが確認されたわけではありません。ただ、普段はあまり見かけない種類が街道近くに現れたという報告もあります」
昨日、食堂で耳にした噂とよく似ている。
「原因は分かっていないんですか?」
「ええ。現在、ギルドでも情報を集めています。異常を見つけた場合は、無理に討伐しようとせず、安全な場所まで戻って報告してください」
「分かりました。無理はしません」
俺が答えると、リゼリアとエレナも頷いた。
手続きを終え、依頼を正式に受注する。
掲示板から離れる途中、俺は何気なく北側の方角へ目を向けた。
昨日の石碑。
街道付近で増えている魔物の目撃情報。
そして、今朝受けた依頼。
まだ、これらが同じ原因によるものだと決まったわけではない。
だが、注意しておくに越したことはなかった。
*
街を出てしばらく歩くと、依頼で指定された区域に到着した。
街道から少し入った場所にある森で、木々の間には柔らかな日差しが差し込んでいる。地面には薬草が点々と生え、遠くから鳥の鳴き声も聞こえてきた。
昨日の森で感じた、あの妙な静けさとは違う。
少なくとも、今のところはいつもどおりの森に見えた。
「まずは薬草を採取しよう。必要な数を確保したら、周囲を確認する」
「分かったわ」
「はい」
俺たちは手分けして採取を始めた。
リゼリアは周囲への警戒を怠らず、薬草の生えている場所を探していく。エレナは植物の知識が豊富で、薬草とよく似た別の草を見分けるのも早かった。
一方の俺は、二人に教えてもらいながら、葉や根を傷つけないよう丁寧に採取していく。
「この薬草は、葉の裏側に薄い銀色の筋があります。似た種類もあるので、そこを確認すると間違えにくいですよ」
エレナが見本を手に取り、葉の裏を見せてくれた。
「本当だ。表から見ただけじゃ、ほとんど違いが分からないな」
「慣れれば、すぐに見分けられるようになります」
「俺も早く覚えないとな」
「焦らなくても大丈夫です。最初から何でもできる人はいませんから」
その言葉に、俺は思わず笑った。
異世界に来てから、妙な能力や未知の現象にばかり目を向けていた気がする。
けれど、冒険者として生きていくには、こうした地道な知識も必要だ。
戦う力があれば、それだけで十分というわけではない。
素材の見分け方や採取の技術、危険を察知する判断力。そうした積み重ねが、長く生き残るための力になるのだろう。
必要な薬草を確保した頃、森の奥から草を踏む音が聞こえた。
俺たちはすぐに手を止める。
リゼリアが俺の前に半歩出て、エレナは静かに弓を構えた。
木々の間から現れたのは、犬に似た姿の魔物だった。
普通の野犬よりもひと回り大きく、口元には鋭い牙が並んでいる。灰色の毛並みと、こちらを警戒する黄色い目が印象的だった。
「グレイファングね。単独でいることもあるけれど、群れで行動する場合もあるわ」
リゼリアが小声で説明する。
「今のところ、見えるのは一体だけです」
エレナは弓を構えたまま、木々の隙間にも目を向けていた。
俺も武器を手に取る。
グレイファングは低く唸り、じりじりと距離を詰めてきた。
「無理に追いかけず、ここで迎え撃とう」
「分かったわ。エレナ、右側をお願い」
「はい!」
エレナの矢が放たれた。
矢はグレイファングの進路を捉え、前脚の近くに突き刺さる。
魔物が一瞬、体勢を崩した。
その隙に、俺は間合いを詰めようとする。
だが、グレイファングの動きは予想以上に速かった。
地面を蹴った魔物は、こちらの攻撃を避けるように身をひねり、そのまま横をすり抜けようとする。
「恒一、左!」
リゼリアの声が飛んだ。
俺は反射的に身体をひねり、突進をかわす。鋭い牙がすぐ目の前を通り過ぎ、背筋に冷たいものが走った。
危なかった。
もし反応が遅れていたら、まともに食らっていたかもしれない。
グレイファングが方向を変えようとした瞬間、リゼリアが踏み込んだ。
一閃。
魔物の動きが止まり、俺は体勢を整えて確実に攻撃を加えた。
短い攻防の末、グレイファングは地面に倒れた。
「……ふう。思ったより動きが速かったな」
俺は息を吐き、武器を下ろした。
「油断したら危なかったわね」
リゼリアも周囲を確認しながら答える。
「でも、三人で役割を分ければ対応できそうです。私が動きを止め、リゼリアさんが隙を作り、恒一さんが確実に攻撃する。連携をもっと練習すれば、さらに安定すると思います」
「そうだな。俺も、相手の動きをよく見てから行動するようにするよ」
自分の能力を使えば、どんな相手にも対処できる――そんな考えは危険だ。
《空間固定》はまだ制御できる範囲が狭く、使える時間もほんの一瞬。無理に使えば、精神的な負担も大きい。
頼れる力ではあるが、何でも解決してくれるわけではない。
俺たちは魔物の素材を回収し、依頼書に記された条件と照らし合わせた。必要な牙と魔石を確保し、残りの素材も状態を確認しながら処理していく。
これで討伐の条件は満たせるはずだ。
だが、素材をまとめていたとき、エレナが森の奥をじっと見つめていることに気づいた。
「どうした、エレナ?」
「……少し、気になることがあります」
彼女は弓を手にしたまま、近くの木の根元へ歩み寄った。
そこには、土が不自然にえぐれた跡があった。
獣が通ったにしては、周囲の草が広い範囲で倒れている。さらに、地面には黒ずんだ筋のようなものが残っていた。
「これは……魔物が暴れた跡か?」
「分かりません。でも、普通に走り回っただけでできる跡には見えません」
エレナはしゃがみ込み、土や草の状態を慎重に観察する。
リゼリアも近づくと、表情を引き締めた。
「魔力の残滓があるわ。強くはないけれど……少し不自然ね」
「魔力が?」
「ええ。普通の魔物が通っただけなら、こんな残り方はしないと思う」
俺は黒ずんだ筋を見つめた。
昨日、黒い石碑の前で感じたもの。
あのとき空間に触れた感覚と、どこか似ている。
もちろん、同じものだと断言できるほどではない。俺の《空間操作》も、まだ異常の正体を見抜けるほど精密ではなかった。
それでも、完全に無関係だとは思えなかった。
「深入りはしない」
俺は二人に告げた。
「今日は依頼の指定区域内で動く約束だからな。この場所を記録して、ギルドに報告しよう」
リゼリアは俺を見つめ、少しだけ口元を緩めた。
「ええ。それがいいわ。気になるからといって、何でも確かめに行く必要はないもの」
「私も賛成です。今の情報だけでは、何が起きたのか判断できませんから」
エレナも頷いた。
俺たちは痕跡の位置や周囲の地形を記録し、森の奥へ進まずに引き返すことにした。
知りたいことは増えていく。
だが、危険を冒してまで、今すぐすべてを確かめる必要はない。
まずは冒険者として経験を積み、できることを少しずつ増やしていく。
それが、今の俺たちに必要なことだった。
*
ギルドへ戻ると、俺たちは受付で依頼の達成報告を行った。
採取した薬草の数、討伐したグレイファング、回収した素材。それぞれを確認した受付嬢は、記録をつけながら報酬を計算していく。
「お疲れさまでした。依頼は問題なく達成されています」
差し出された報酬を受け取り、俺はほっと息をついた。
これで、当面の生活費にも少し余裕ができる。
その後、俺は森で見つけた痕跡について説明した。
「黒ずんだ筋と、不自然にえぐれた地面ですか……」
受付嬢の表情が少しだけ真剣になる。
「はい。強い魔力ではありませんでしたが、普通の獣や魔物が通った跡とは違うように感じました。ただ、俺たちでは原因を判断できませんでした」
「報告ありがとうございます。最近の目撃情報と関係があるか、確認してみます」
受付嬢は記録用紙に内容を書き留めた。
「調査担当者にも伝えておきます。追加の情報が必要になった場合は、こちらから連絡しますので、それまでは指定区域を越えての調査は控えてください」
「分かりました」
俺たちは受付を離れた。
依頼自体は無事に終わった。
報酬も得られたし、薬草の見分け方や素材の扱い方も学べた。討伐では三人の連携について、改善すべき点も見えてきた。
そう考えれば、順調な一日だったと言えるだろう。
それでも、森で見つけた痕跡が頭から離れなかった。
あの黒い筋は何だったのか。
なぜ、普通の魔物の行動とは違う跡が残っていたのか。
そして、昨日の石碑と関係があるのだろうか。
考えても答えは出ない。
「恒一」
リゼリアが、俺の顔を覗き込んだ。
「難しい顔をしているわよ」
「そうか?」
「ええ。考えすぎると、せっかくの食事もおいしくなくなるわ」
彼女は少しだけ笑った。
「今日は依頼を達成できた。それで十分よ。分からないことは、明日また考えればいいじゃない」
「……そうだな」
俺は肩の力を抜いた。
一人で何もかも解決しようとする必要はない。
今は、二人と一緒に一歩ずつ進めばいいのだ。
「それじゃあ、夕食にしよう。今日は俺が少し多めに出すよ」
「本当? それなら、遠慮なくいただくわ」
リゼリアは嬉しそうに微笑んだ。
「私も、何かお手伝いできることがあれば言ってくださいね」
エレナも穏やかな表情を見せる。
「ありがとう。じゃあ、今日は三人でゆっくり食べよう」
俺たちはギルドを出て、街の食堂へ向かった。
森で見つけた謎は、まだ何一つ解けていない。
それでも、今日一日を通して、俺たちは少しだけ前へ進めた気がした。
*
その夜。
冒険者ギルドの奥にある記録室では、受付嬢から報告を受けた職員が、古い調査記録を取り出していた。
机の上に広げられた書類には、数年前、北側の森で発見された不審な魔力反応について記されている。
「また、似たような痕跡か……」
職員は記録を読み進め、眉をひそめた。
当時の報告には、森の一角で不自然な地面の損傷が見つかったことや、魔物の行動が一時的に変化したことが記録されていた。
さらに、黒い石のような物体を見たという証言も残っている。
しかし、調査隊が現地へ向かったときには、目立った異常は確認できなかった。
石のような物体も見つからず、原因は分からないまま調査は打ち切られていた。
職員は新しい報告書と古い記録を並べ、しばらく考え込んだ。
「偶然の一致ならいいんだがな……」
やがて彼は書類をまとめ、調査責任者への報告書を作成し始めた。
この件は、まだギルドの上層部にしか知られていない。
そして、その報告がどこまで広がることになるのかも、今は誰にも分からなかった。
一方、森の奥。
木々に囲まれた遺跡の中で、黒い石碑が淡い光を明滅させていた。
石碑の表面を走る光は、まるで何かを探すように不規則に揺れている。
やがて、その奥から文字が浮かび上がった。
《周辺領域における異常反応を検出》
《旧世界記録との照合を継続》
《管理者権限――未確認》
光は一度弱まり、再びゆっくりと明滅した。
結晶の奥で、何かが動き始めている。
それは、長い間眠り続けていた仕組みが、少しずつ目を覚ましているかのようだった。
そして、その変化はまだ、森の外にいる誰にも知られていなかった。




