第10話 冒険者ギルドへの帰還と、遠い街の噂
森を抜ける頃には、空はすっかり夕暮れの色に染まっていた。
木々の隙間から差し込む赤い光が、街へ続く石畳の道を細長く照らしている。
俺たちはエルセリアへ向かって歩きながら、今日見つけた黒い石碑について考えていた。
石碑の中心にあった魔石。
俺の《空間操作》が感じ取った、奇妙な空間の歪み。
そして、石碑に触れたとき、一瞬だけ頭の中に浮かび上がった不可解な表示。
《旧世界記録装置》
《星位固定機構――稼働中》
《管理者権限を確認できません》
どれも、この世界の一般的な遺跡で見つかるような言葉ではなかった。
そもそも、俺には「旧世界」が何を指しているのかさえわからない。
それなのに、あの石碑は俺の能力に反応した。
まるで、俺という存在を認識したかのように。
「……考えすぎか」
小さく呟いた俺の隣で、リゼリアがこちらを見上げた。
「恒一、まだ石碑のことを考えているの?」
「ああ。どうして俺の能力に反応したのか、気になってな」
「私も気になるわ。でも、今はまだ情報が少なすぎるもの」
彼女は少し考えてから、声を落とした。
「ギルドには、見つけた場所や魔物が現れたことを報告しましょう。ただし、石碑に触れたときの表示については、もう少し様子を見たほうがいいと思うわ」
「やっぱり、そう思うか」
「ええ。危険なものなのか、それとも何か大きな価値があるものなのか。正体がわからないうちに、すべてを話す必要はないでしょう?」
リゼリアの判断は冷静だった。
俺も、石碑そのものを隠し通すつもりはない。ギルドには調査を続けてもらう必要があるし、あの場所で起きた異常を放置するのも危険だ。
だが、俺の能力に何が起きたのかまで、今すぐ他人に説明するのは避けたかった。
この世界では、十五歳になるとジョブを授かり、その★ランクが人生を大きく左右する。
多くの人は、生まれ持ったジョブと能力を受け入れ、その範囲で生きていく。
そんな世界で、通常とは違う現象に関係する力を持つ俺が、どこまで自分のことを明かしていいのか。
慎重に判断する必要があるだろう。
「コーイチさん、そろそろ街が見えてきますよ」
少し前を歩いていたエレナが振り返った。
森の向こうには、エルセリアを囲む石壁と、その内側に立ち並ぶ建物の屋根が見えていた。
「ああ。まずはギルドで報告して、今日の素材も換金しよう」
「そうね。冒険者らしく、きちんと仕事を片づけないと」
リゼリアが楽しそうに笑う。
「冒険者らしく、か……」
俺は苦笑した。
この世界に来てから、予想外の出来事ばかりが続いている。
空間を操る能力に、魔石だけが残る奇妙な現象。そして、正体のわからない石碑。
のんびりと暮らせるようになるのは、まだ先の話らしい。
◇
冒険者ギルドの扉を開けると、酒と料理の匂い、そして大勢の冒険者たちの声が一度に押し寄せてきた。
夕方のギルドは、朝とは違う活気に満ちている。
依頼を終えて報告に来た者。
翌日の仕事を探している者。
食堂で仲間と酒を飲みながら、今日の冒険を語る者。
それぞれが、自分の生活を送っていた。
俺たちは受付へ向かった。
「お帰りなさいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付嬢のミリアが、いつもの丁寧な笑顔で迎えてくれた。
「森での調査報告と、持ち帰った素材の換金をお願いします」
「かしこまりました。素材をこちらへお願いします」
俺は空間収納から、採取した薬草や魔物の牙、皮などを取り出してカウンターに並べた。
ミリアは一つずつ状態を確認し、記録用の用紙に目を落とした。
「薬品の材料として需要のある素材ですね。こちらの牙と皮も買い取り可能です。状態も悪くありません」
素材の種類や状態によって、買い取り価格は変わるらしい。
傷が少なく、適切に保管されたものほど価値が高い。魔物を倒せばそれで終わり、というわけではないのだ。
「こちらの魔石もお願いします」
俺が差し出した魔石を、ミリアが専用の器具に載せた。
器具の中央に淡い光が灯り、内部に残る魔力を測定していく。
やがて光が消え、ミリアは査定結果を記録した。
「こちらは一般的な魔石ですね。素材と合わせて、今回の買い取り額はこちらになります」
提示された金額を確認し、俺は小さく頷いた。
一度の冒険で大金が手に入るわけではない。
武器や防具の修繕費、宿泊費、食事代、薬品代。冒険者として活動を続けるなら、収入と支出を考える必要がある。
「素材の状態って、思った以上に値段に影響するんですね」
「はい。魔物の素材は、職人や薬師の方々が加工して利用しますので。採取の仕方や保管状態も重要なんですよ」
「なるほど。勉強になります」
戦闘能力だけでなく、素材を無駄なく持ち帰る技術も必要ということか。
今後は、討伐だけでなく採取や保管についても、少しずつ知識を身につけていこう。
「それと、森の奥で古い石碑を見つけました」
俺は言葉を選びながら続けた。
「石柱群の中央に、黒っぽい石碑がありました。表面はかなり風化していて、詳しいことはわかりませんでしたが、周囲には見慣れない遺構も残っていました」
ミリアの表情が、わずかに変わった。
「古い石碑ですか……。場所はどのあたりでしょう?」
俺は北東の森にある石柱群の位置と、周辺の地形について説明した。
ただし、石碑が俺の能力に反応したことや、頭の中に浮かんだ表示については伏せておく。
ミリアは記録を取りながら、少し考えるように目を伏せた。
「その地域については、過去にも古い遺構らしきものがあるという報告が届いています。ただ、正式な調査は行われていません」
「そうなんですか?」
「はい。詳しいことがわかっていない場所ですので、無理に奥へ進むことはお勧めできません。特に、魔物の異常な出現が確認された場合は、十分に注意してください」
「わかりました。今後は慎重に行動します」
「新しい情報が得られましたら、改めてご報告ください。遺跡に関する情報は、ギルドでも重要視していますので」
ミリアの説明を聞きながら、俺は内心で考えた。
あの石碑は、完全に未知の存在というわけではないらしい。
だが、過去の報告にあった遺構と、俺が目にした石碑が同じものなのかはわからない。
少なくとも、今は情報を集めることが先決だ。
俺たちは報告を終え、換金された報酬を受け取った。
「本日の報告は以上となります。皆さん、お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
受付を離れたところで、リゼリアが俺の顔を覗き込んだ。
「これでひとまず、一段落ね」
「ああ。あとは、今日のことを整理しておこう」
「その前に、ご飯にしましょう。お腹が空いたわ」
「……そうだな」
彼女の言葉に、俺の腹も小さく鳴った。
エレナが口元を押さえて笑う。
「ふふっ。まずは食事ですね」
◇
俺たちはギルドの食堂へ移動した。
テーブルには温かいスープとパン、それに香ばしく焼かれた肉料理が並んでいる。
森を歩き回った後ということもあり、食事は普段よりおいしく感じられた。
「こうして考えると、冒険者って意外と地道な仕事なのね」
リゼリアがスープを口に運びながら言った。
「魔物を倒すだけじゃなくて、依頼を選んだり、素材を売ったり、次の準備をしたり……」
「戦って勝つだけでは、安定して暮らせないということだな」
「でも、私はこういうのも嫌いじゃありません」
エレナが微笑んだ。
「自分たちが何をして、何を得たのかがわかりますから。森で採取した素材が誰かの薬になったり、道具の材料になったりするのなら、無駄ではありませんし」
その言葉には、森で暮らしてきたエルフらしい考え方が感じられた。
「エレナは、森での暮らしが長かったのか?」
「はい。北のエルフの集落で暮らしていました。人間の街へ来ることはありましたけれど、長く滞在することはあまりありませんでした」
「それなら、街での生活にも少しずつ慣れていかないとな」
「そうですね」
エレナは照れたように笑った。
「でも……お二人と一緒なら、きっと大丈夫だと思います」
リゼリアが満足そうに頷く。
「もちろんよ。せっかく一緒に行動するのだから、遠慮なんてしないでね」
「はい。ありがとうございます、リゼリアさん」
二人の様子を見て、俺は自然と頬が緩んだ。
エレナが加わったことで、冒険の雰囲気も少し変わった。
まだ、お互いに知らないことは多い。それでも、こうして食事をしながら気兼ねなく話せるようになったのは、一歩前進と言えるだろう。
そのときだった。
隣のテーブルから、冒険者たちの話し声が聞こえてきた。
「聞いたか? 最近、王都の方で妙な話が広まっているらしい」
「妙な話?」
「荷物持ちとして扱われていた冒険者が、元の仲間と別れてから頭角を現しているとか。収納能力がどうとか、仲間の戦い方が変わったとか……」
「荷物持ちが? そりゃ珍しいな」
「詳しいことは知らん。別の街の話だし、尾ひれもついているだろうさ」
俺は思わず耳を傾けた。
荷物持ち。
収納能力。
仲間と別れた冒険者。
どれも冒険者の世界では、決して珍しい言葉ではない。
それでも、なぜか少し引っかかった。
「恒一?」
リゼリアが俺の視線に気づき、小声で尋ねた。
「いや、ちょっと気になっただけだ」
「遠い街の噂でしょう? 今は気にしすぎなくてもいいと思うわ」
「そうだな」
俺はそれ以上、話題にすることはなかった。
王都で起きている出来事だ。今の俺たちには、まだ関係のない話だろう。
だが、冒険者たちの会話はそれだけでは終わらなかった。
「それより、北の街道で魔物の動きが変わっているって話の方が気になるぜ。討伐依頼が増えているらしい」
「ダンジョンの影響じゃないのか?」
「さあな。ギルドも詳しいことは調査中らしい」
魔物の動き。
ダンジョン。
古い石碑。
今日見つけたものと、今聞いた話が関係しているとは限らない。
それでも、この世界では、俺の知らない場所でも多くの出来事が進んでいるのだ。
そして、その一つ一つが、いつか俺たちの歩む道と交わる可能性もある。
「……世界は広いな」
「急にどうしたの?」
リゼリアが首を傾げた。
「いや。俺たちが知らないところでも、いろいろなことが起きているんだなと思って」
「それはそうよ。私たちがすべてを知ることなんてできないもの」
彼女は穏やかに微笑んだ。
「だからこそ、目の前のことを一つずつ片づけていけばいいのよ」
「……そうだな」
今の俺たちにできることは限られている。
まずは自分たちの力を磨き、仲間との連携を深めること。そして、目の前の依頼をこなしながら、必要な情報を集めていくことだ。
食事を終えた俺たちは、明日の依頼について簡単に相談してから、宿へ戻ることにした。
◇
その夜。
宿の部屋に戻った俺は、窓辺に立って街の灯りを眺めていた。
リゼリアとエレナは、それぞれ明日の準備を終えて休むところだった。
俺は二人に気づかれないよう、そっと手のひらを見つめた。
今日、石碑の前で感じた奇妙な感覚が、まだ頭の片隅に残っている。
あのとき、俺の能力は確かに何かを捉えていた。
ただの魔力反応とは違う。
もっと深いところで、空間そのものに触れたような感覚だった。
そして、あの不可解な表示。
《旧世界記録装置》
《星位固定機構――稼働中》
《管理者権限を確認できません》
「……いったい、何なんだろうな」
呟いても、答えはない。
俺は手を握り、ゆっくりと息を吐いた。
今はまだ、焦る必要はない。
仲間を守り、冒険者として経験を積み、少しずつ情報を集めていけばいい。
それに、今日の戦いでわかったこともある。
俺の《空間固定》は、まだ不完全だ。
けれど、リゼリアの魔力とエレナの弓を組み合わせれば、一人では対処できなかった相手にも立ち向かえる。
これからも、二人と一緒に少しずつ成長していこう。
そう考えて、俺は窓を閉め、ベッドに横になった。
◇
その頃。
誰もいなくなった北東の森の奥では、黒い石碑の内部に淡い光が灯っていた。
石碑の中央に埋め込まれた結晶。その表面に、細かな光の筋が走る。
やがて、誰にも聞こえない声のように、無機質な表示が浮かび上がった。
《管理者候補の反応を再検出》
《星位固定機構――再解析を開始》
《既存記録との不一致を確認》
一瞬、結晶全体が脈打つように明滅した。
さらに、文字が一行だけ追加される。
《旧世界記録との照合を継続します》
石碑は、何かを確かめるように淡い光を繰り返した。
だが、その反応を知る者はいない。
光はやがて石碑の奥へ沈み、森は再び静寂に包まれた。
遠い街で広がる噂も、森に残された謎も、まだ互いにつながっているとは誰も知らなかった。




