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第9話 空間を穿つ三人の連携技と、エルフの胸に芽生えた想い

 翌朝。

 目を覚ました俺は、昨夜確認した能力の表示を思い返していた。

《空間操作:微弱な異常反応を記録しました》

《記録対象:未解析》

《解析条件:不足》

「……やっぱり、気のせいじゃなかったんだな」

 北東の森で見つけた魔石。そこに残っていた不自然な魔力の痕跡。そして、俺の《空間操作》が感じ取った、空間のつながりが歪むような感覚。

 まだ何ひとつ解明できていない。

 それでも、あの魔石が普通のものではないことだけは確かだった。

 俺は身支度を整え、今日の予定を考える。

 まずはギルドで昨日の調査について確認する。それから、必要ならもう一度森へ向かうことになるだろう。

 ただし、昨日のように無理に能力を使うつもりはない。

 《空間固定》は、ほんの一瞬だけ対象の動きを妨げられるようになったばかりだ。範囲を広げたり、長時間維持したりすれば、頭痛や集中力の低下が起きる。

 戦闘で使うなら、なおさら慎重にならなければならない。

 そんなことを考えていると、扉が軽く叩かれた。

「恒一、起きている?」

「起きてるよ。どうぞ」

 扉を開けて入ってきたのは、リゼリアだった。

「おはよう、恒一」

「おはよう。今日は早いな」

「昨日、朝から一緒に行動するって話したでしょう?」

「ああ、そうだったな」

 リゼリアは俺の隣に腰掛け、顔を覗き込んだ。

「……ちゃんと眠れた?」

「まあ、そこそこ」

「魔石のことを考えていたのね?」

「どうしてわかるんだ?」

「恒一は、気になることがあると、考え込んでしまうもの」

 彼女は少し心配そうに俺の手を握った。

「謎を解くのも大切だけれど、自分のことも大切にしてね」

「わかってる。無理はしないよ」

「本当かしら?」

「本当だって」

 リゼリアは俺の顔をしばらく見つめてから、ようやく笑った。

「なら、信じてあげる」

 そして、少しだけ身を寄せてくる。

「……ところで、昨日の約束は覚えている?」

「約束?」

「二人でお茶を飲む時間を作るって話よ」

「ああ。もちろん覚えてる」

「よかった」

 リゼリアは満足そうに頷いた。

「今日は調査が終わったら、ちゃんと二人きりの時間を作ってね」

「わかったよ」

「エレナを誘ったりしないこと」

「……はい」

「ふふっ。素直でよろしいわ」

 楽しそうに笑う彼女を見て、俺もつられて笑った。

 魔石の謎も、遺跡のことも気になる。

 けれど、こうして何気ない時間を過ごせることも、今の俺にとっては大切だった。

     ◇

 エルセリアの冒険者ギルドに着くと、広場で待っていたエレナと合流した。

「おはよう、二人とも」

「おはよう、エレナ」

「おはよう。待たせてごめんな」

「いいえ、私も今来たところよ」

 そう答えたエレナは、俺の顔を見て少し眉を寄せた。

「……恒一、疲れていない?」

「えっ?」

「少し考え事をしていたような顔をしているわ」

「そんなに顔に出ていたか?」

「ええ。昨日の魔石のことが気になっているのでしょう?」

「まあな。でも、今日は無理に調べようとは思っていないよ」

「それならいいのだけれど」

 エレナは安心したように頷いた。

 その横から、リゼリアが俺の腕にそっと自分の腕を絡める。

「恒一のことなら、私も気にかけているわ」

「ええ、知っているわ。昨日もずっと心配していたものね」

「当然よ。恒一は私の大切なパートナーなんだから」

 リゼリアは少し得意げに胸を張った。

 エレナはその様子を見て、柔らかく笑った。

「ふふっ。二人は本当に仲がいいのね」

「もちろん!」

 リゼリアが即答する。

 俺は苦笑しながら、ギルドの扉へ向かった。

「とりあえず、中で話を聞こう。昨日の報告について、ガルドさんに確認したい」

「そうね。行きましょう」

     ◇

 ギルドの奥にある小部屋で、ガルドは俺たちを待っていた。

「来たか。昨日の報告について、少しわかったことがある」

「何かわかったんですか?」

「過去にも似た事例が一度だけ記録されていたらしい」

 ガルドは机の上に古い書類を置いた。

「十年以上前、別の森で魔物の死骸が見つからないのに、魔石だけが落ちていたことがあった。その周辺では、魔物の行動にも異常が見られたそうだ」

「今回とよく似ていますね」

 エレナが書類を覗き込む。

「ああ。ただ、そのときは魔石そのものに危険性が確認されず、原因不明のまま調査が打ち切られている」

「魔石だけが残る理由は、わからなかったんですか?」

「何もな。魔物が死んだあとに魔石が残っただけ、という意見もあったが、死骸が見つからなかった理由は説明できなかった」

 俺は昨日の違和感を思い出した。

 魔石の周囲だけ、空間のつながりが歪んでいるように感じたこと。

 あれが何かの手掛かりになるのかもしれない。

「ガルドさん。昨日、俺の能力に異常反応が記録されました」

「その表示について、もう一度説明してくれ」

 俺は、能力を使ったときの感覚と、夜に浮かび上がった表示について話した。

 ガルドは腕を組み、しばらく考え込んだ。

「仮説にすぎんが……空間に関係する何らかの現象が起きている可能性はあるな」

「空間魔法の一種でしょうか?」

 エレナが尋ねる。

「その可能性もある。ただし、普通の転移魔法とは違うのかもしれん。現時点では、何が起きたのかも、誰が関わっているのかもわからん」

 リゼリアが真剣な顔で頷いた。

「空間を移動させる魔法自体は、理論上存在するわ。でも、生き物の体だけを移動させたり、魔石だけを残したりする現象は、簡単に起こせるものではないはずよ」

「つまり、魔石が原因なのか、それとも何かの結果として残されているのかもわからない、ということですね」

「そういうことだ」

 ガルドは地図を広げた。

「今回の異常が報告された場所は、北東の森にある古い石柱群の近くだ。昔、魔力の流れを調べる施設があったという話も残っている」

 地図の印を見つめながら、俺は考えた。

 魔石だけが残る現象。

 空間の異常。

 そして、古い石柱群。

 偶然にしては、つながりがありそうな情報ばかりだ。

「ガルドさん。周辺を調査させてもらえませんか?」

 ガルドはすぐには答えなかった。

「危険がある可能性は高い。お前たちだけで深入りすることは勧めん」

「遺跡の内部には入りません。まずは石柱群の周辺を確認して、何かあればすぐに戻ります」

 リゼリアが俺の隣に立つ。

「私も行くわ。恒一一人にはしない」

「私も同行するわ。森の地形や魔物の足跡なら、ある程度は判断できるから」

 エレナも迷いなく頷いた。

 ガルドは三人の顔を順番に見て、やがて小さく息を吐いた。

「……わかった。ただし、遺跡の内部には入るな。異常を感じたら即座に撤退すること。戦闘になった場合も、討伐にこだわる必要はない」

「わかりました」

「それと、これを持っていけ」

 ガルドが差し出したのは、小さな銀色の筒だった。

「緊急用の信号具だ。魔力を流せば光が上がる。異変があれば、ためらわず使え」

「ありがとうございます」

 俺は信号具を受け取り、道具袋へしまった。

「必ず無事に戻ります」

「その言葉を忘れるなよ」

     ◇

 北東の森。

 俺たちは昨日の調査地点を通り過ぎ、さらに奥へと進んでいた。

 エレナが先頭で道を選び、リゼリアが周囲の気配を探る。俺は二人から離れないようにしながら、空間の変化に意識を向けていた。

 しばらく進んだところで、エレナが足を止めた。

「……あそこよ」

 木々の間に、苔むした石柱が見えた。

 一本だけではない。

 半ば地面に埋もれた石柱が、円を描くように並んでいる。

「これが、古い石柱群か」

「ええ。外側の一部みたいね」

 エレナは石柱の表面を観察した。

「刻まれている記号は古いものだわ。完全には読めないけれど、魔力の流れを記録するための施設だった可能性がある」

 リゼリアも石柱に手を近づけた。

「……ごく弱い魔力が残っているわ」

「ここが、魔石の現象と関係しているのかな」

「まだ断定はできないわ。でも、周囲とは明らかに違う」

 俺は石柱群の中央に目を向けた。

 そこには、ひび割れた円形の石板があった。

 表面には細い溝が複雑に刻まれている。そして、中心部には小さな紫色の魔石がはめ込まれていた。

「昨日見つけたものと似ているな……」

「近づきすぎないで」

 エレナが俺の前に腕を伸ばした。

「まずは周囲を調べましょう」

「ああ」

 俺たちは石板に触れないよう、周囲の地面や石柱を確認した。

 石柱の根元には、魔物の爪痕が残っていた。地面には複数の足跡もある。

「魔物がここに来ていたみたいね」

 エレナがしゃがみ込む。

「でも、爪痕は石柱の外側に多いわ。何かを避けるように歩いた跡もある」

「中に入ろうとしたけれど、近づけなかったのかもしれないわね」

 リゼリアが石柱群の中央を見つめた。

 俺も、そこへ意識を向ける。

 ――まただ。

 空間の奥に、何かが引っかかるような感覚。

 昨日よりも、はっきりと感じられる。

「この場所……空間のつながりが、少し歪んでいる気がする」

 そう呟いた瞬間、頭の奥がわずかに痛んだ。

「恒一、無理に探ろうとしないで」

 リゼリアがすぐに俺の腕を支えた。

「能力を使い続ける必要はないわ」

「わかってる。少し感じ取っただけだよ」

「その『少し』が心配なの」

 彼女の声には、真剣な響きがあった。

 俺は意識を引き戻し、深く息を吐いた。

「……そうだな。これ以上はやめておく」

 エレナも頷いた。

「まずは、見えている範囲の記録を取るわ。異変が起きたらすぐに離れましょう」

 俺たちは石板から距離を取り、周囲の様子を記録し始めた。

 そのときだった。

 石板の中心にある魔石が、かすかに紫色に輝いた。

「……光った?」

 俺が呟いた直後、石板に刻まれた溝へ淡い光が走った。

 リゼリアが鋭く声を上げる。

「二人とも、下がって!」

 俺たちは一斉に後退した。

 石板の上の空気が、ぐにゃりと揺らいだ。

 次の瞬間、黒い影が石板の中央から飛び出してきた。

 獣のような姿。

 グレイファングに似ているが、体の輪郭は半透明で、ところどころに紫色の光が走っている。

「グレイファング……なのか?」

 エレナが弓を構えた。

「わからない。でも、普通の魔物とは違うわ!」

 影の魔物は俺たちを見つけると、低く唸り、地面を蹴った。

「来るわ!」

 エレナの矢が放たれる。

 しかし、矢は魔物の体をすり抜け、背後の地面へ突き刺さった。

「物理攻撃が通らない……?」

 エレナが驚きの声を上げる。

 リゼリアが一歩前へ出た。

「なら、魔力を直接ぶつけるわ!」

 彼女の手に赤黒い魔力が集まる。

 魔物が飛びかかってきた瞬間、リゼリアは横へ踏み込み、魔力をまとった一撃を叩き込んだ。

 衝撃が走る。

 魔物の輪郭が大きく乱れ、紫色の光が一瞬だけ強くなった。

「効いているわ!」

 だが、魔物はすぐに体勢を立て直した。

 今度は俺に向かって突進してくる。

「恒一、右!」

 エレナの声に反応し、俺は横へ飛び退いた。

 同時に、《空間固定》を発動する。

 魔物の進路にある空間を、ほんの一瞬だけ押さえ込む。

 突進の速度がわずかに落ちた。

 それだけで、どうにか攻撃をかわすことができた。

 しかし、頭の奥に鋭い痛みが走る。

「っ……!」

「恒一!」

「大丈夫だ。少し集中しただけだ!」

 そう答えたものの、連続して使えば長くは持たない。

 魔物は再び輪郭を揺らし、今度はエレナへ向かった。

「くっ……!」

 エレナは弓を構えたまま後方へ跳ぶ。

 だが、魔物の速度が速い。このままでは、矢を放つ前に距離を詰められる。

 俺は反射的に前へ出かけた。

 その瞬間、リゼリアが声を上げた。

「恒一、無理に近づかないで!」

 彼女の言葉に、俺は足を止めた。

 そうだ。

 俺が一人で何とかする必要はない。

「エレナ! そいつの動きを誘導できるか?」

「やってみるわ!」

「リゼリア、魔力攻撃で輪郭が乱れることは確認できた。もう一度、攻撃を合わせたい!」

「わかったわ!」

 俺は二人の位置を確認した。

 俺の《空間固定》は、まだ初期段階だ。魔物の全身を長く押さえ込むことはできない。

 なら、必要な瞬間だけ動きを妨げる。

 その一瞬に、二人の攻撃を重ねるんだ。

 エレナが弓を引き絞った。

「魔物の動きは私が読むわ。恒一は、私の合図に集中して!」

「ああ!」

 矢が一本、魔物の左側へ放たれる。

 矢は体をすり抜けたが、魔物は避けるように身をひねった。

 続いて二本目。今度は右側。

 魔物の輪郭が揺れ、動きが一瞬だけ乱れる。

「今よ!」

 エレナの声が響いた。

 俺は魔物の周囲へ意識を集中した。

《空間固定》

 狭い範囲。

 短い時間。

 魔物が逃げ込もうとしている空間の隙間を、ほんの一瞬だけ押さえ込む。

 紫色に揺らいでいた輪郭が、わずかにはっきりした。

「リゼリア!」

「任せて!」

 リゼリアが踏み込み、魔力をまとった掌を魔物の胸元へ叩きつける。

「――ブラッド・インパクト!」

 轟音が響いた。

 魔物の体が大きくのけぞり、紫色の光が全身へ走った。

 その瞬間、エレナの矢が放たれる。

 今度は矢がすり抜けなかった。

 魔物の肩口に矢が突き刺さり、輪郭がさらに乱れる。

「やった……!」

 だが、魔物は苦しげに吠えた。

 石板の溝が次々と紫色に輝き、周囲の空気が不安定に揺らぎ始める。

「石板の反応が強くなっているわ!」

 リゼリアが叫んだ。

 魔物は再び、体の一部を空間の隙間へ逃がそうとしていた。

 このままでは、せっかく捉えた実体を逃してしまう。

「もう一度、合わせるぞ!」

 俺は二人に声をかけた。

「でも、恒一。顔色が……」

 エレナが心配そうにこちらを見る。

「長くは使えない。でも、一瞬ならまだいける」

 頭痛が強くなっていた。

 意識を集中するたび、周囲の音が遠のくような感覚がある。

 それでも、今は一人で耐えるのではなく、二人に任せるべきだ。

「俺が合図を出す。二人は、それに合わせてくれ」

 リゼリアとエレナは、迷わず頷いた。

「ええ!」

「わかったわ!」

 俺は魔物の動きを見極めた。

 魔物が体を揺らし、空間の隙間へ逃げようとする。

 その瞬間を狙う。

「今だ!」

 《空間固定》を発動する。

 空間を広く固定することはできない。

 長時間、動きを止めることもできない。

 だからこそ、必要な一点だけを押さえる。

 魔物の輪郭が、ほんの一瞬だけ実体を取り戻した。

「ブラッド・インパクト!」

 リゼリアの魔力が胸元へ炸裂する。

 同時に、エレナが弓を引き絞った。

 矢の先端に淡い緑色の光が集まる。

「風よ、我が矢に宿れ――ウィンド・ピアース!」

 放たれた矢が風をまとい、魔物の胸元を正確に貫いた。

 赤黒い魔力と緑色の風が交差する。

 そして、俺の《空間固定》が、その一瞬を逃さないように押さえ込んだ。

 魔物の輪郭が激しく震えた。

 紫色の光が砕け散り、体が霧のように崩れていく。

 最後に、小さな魔石だけが地面へ落ちた。

 静寂が戻った。

 森を吹き抜ける風の音が、再び聞こえ始める。

「……倒した、のか?」

 俺は膝に手をつき、荒い息を整えた。

「ええ……今度こそ、終わったみたいね」

 エレナも弓を下ろし、深く息を吐いた。

 リゼリアはすぐに俺のそばへ駆け寄ってきた。

「恒一、大丈夫!?」

「ああ……少し頭が痛いだけだ」

「少しじゃないでしょう!」

 リゼリアは俺の顔を覗き込み、額に手を当てた。

「もう。無理をしないって約束したばかりなのに……」

「ごめん。でも、二人が合わせてくれたから倒せたんだ」

 俺はエレナへ視線を向けた。

「エレナ、合図が完璧だった。魔物の動きもよく見えていたな」

「恒一が私の判断を信じて任せてくれたからよ」

 エレナは静かに答えた。

「リゼリアの攻撃で輪郭を乱し、私が動きを誘導する。そして、恒一が空間を固定する。三人の力がそろわなければ、成功しなかったと思うわ」

「……そうだな」

 俺は地面に落ちた魔石を見つめた。

 紫色の痕跡が、かすかに残っている。

 だが、魔物が崩れたあと、その光は徐々に弱くなっていた。

「この魔石も、昨日のものと同じなのかもしれない」

 リゼリアが慎重に周囲を確認する。

「まだ触らないほうがいいわ。位置と状態を記録して、ガルドに報告しましょう」

「ああ。今はそれがいい」

 俺たちは魔石に触れず、石板や周囲の様子を記録した。

 戦闘でわかったことは多い。

 あの魔物は、完全な実体を保っていなかった。俺の《空間固定》で動きを一瞬だけ妨げ、リゼリアの魔力で輪郭を乱し、エレナの矢で実体を捉えることができた。

 ただし、これがすべての魔石に共通する現象なのかは、まだわからない。

「……なあ、二人とも」

「何?」

「今日の連携、名前をつけないか?」

 リゼリアの目が輝いた。

「名前? いいわね!」

 エレナも少し驚いたあと、微笑んだ。

「確かに、三人で初めて成功させた連携技だものね」

「俺が空間を押さえて、リゼリアが魔力をぶつけて、エレナが矢で貫く。三人の力がそろって、初めて成立する技だ」

 俺は少し考えた。

「《星断ちの空域》……なんてどうだ?」

「星断ちの空域……」

 リゼリアが名前を口にし、嬉しそうに笑った。

「素敵じゃない!」

 エレナも頷く。

「空間を一瞬だけ押さえ、そこへ二人の攻撃を重ねる。確かに、今の私たちに合っている名前だと思うわ」

「よし。じゃあ、決まりだな」

 俺たちは顔を見合わせた。

 まだ未熟な部分は多い。

 それでも、三人で力を合わせれば、今まで倒せなかった相手にも対抗できるかもしれない。

 そう思うと、少しだけ心が軽くなった。

     ◇

 遺跡を離れる前に、エレナは石柱に刻まれた記号を慎重に書き写した。

「全部は読めないけれど、この記号は『境界』に近い意味だと思う」

「境界?」

「こちら側と向こう側。あるいは、二つの場所を隔てるもの……。そんな意味で使われていた可能性があるわ」

 別の記号を指でなぞりながら、彼女は続けた。

「こっちは『接続』か『通路』に近い意味かもしれない」

「空間の境界をつなぐ装置だった、ということか?」

「可能性はある。でも、今の情報だけでは断定できないわ」

 リゼリアが石板を見つめた。

「魔石の現象と関係があるのかもしれないけれど、詳しく調べるには専門家の力が必要ね」

「ああ。ここで勝手に調べ続けるのは危険だ」

 俺はそう答えながら、石板の中心を見た。

 もし、あの魔物が別の場所から呼び出されたのなら、この石板は何かをつなぐ役割を持っているのかもしれない。

 逆に、魔物の体がどこかへ移されたのなら、魔石だけが残る現象にも関係している可能性がある。

 だが、どちらも仮説にすぎない。

 俺たちは石板に触れず、必要な記録を終えると、森を引き返すことにした。

 その途中、リゼリアが俺の手を握った。

「恒一」

「ん?」

「今日、あなたが私たちの力を信じてくれたこと、嬉しかったわ」

「二人の力を信じるのは当然だろ」

「そう言ってくれるのは嬉しいけれど……」

 彼女は少しだけ声を落とした。

「あなたが一人で危険を背負おうとするのは、やっぱり心配よ」

「……わかってる。次からは、もっと早く二人に頼るようにする」

「約束よ?」

「ああ、約束だ」

 リゼリアは安心したように笑った。

 俺の能力は、敵を倒すためだけのものではないのかもしれない。

 仲間の力をつなぎ、互いの弱点を補い、できることを増やしていく。

 今日の戦いは、その可能性を教えてくれた。

     ◇

 森を出る頃には、夕日が木々の隙間から差し込んでいた。

 俺たちは街道を歩きながら、今日の戦闘について話し合っていた。

「《空間固定》は、まだ長く維持できないな」

「ええ。でも、必要な瞬間に使えれば十分に役立つわ」

 エレナは少し考えてから続けた。

「次は、あなたが無理をせずに済むよう、私の矢で魔物の動きを誘導する方法を練習してみたい」

「ぜひ頼むよ。今日みたいに連携できれば、もっと安全に戦えると思う」

「……そう言ってもらえると、嬉しいわ」

 エレナは微笑んだ。

「私ね。誰かと一緒に戦うことはあっても、あんなふうに自分の判断を信じて任せてもらったことは、あまりなかったの」

「そうなのか?」

「ええ。弓使いは後ろから支援する役割だと思われがちだから、前衛の人に合わせることが多いのよ」

 彼女は少しだけ苦笑した。

「でも、恒一は私に合図を任せてくれた。だから、迷わず動けたの」

「エレナの判断は信頼できるよ。これからも頼りにしてる」

 その言葉を聞いた瞬間、エレナは目を見開いた。

 そして、頬をほんのり赤く染めた。

「……そういうことを、さらっと言わないで」

「えっ? 何か変なことを言ったか?」

「変ではないけれど……」

 彼女は視線をそらした。

「……嬉しくなるから、困るのよ」

 思いがけない返事に、俺は言葉を失った。

 エレナはすぐに顔を上げ、いつもの落ち着いた表情を取り戻そうとする。

「さあ、早く戻りましょう。ガルドさんへの報告が残っているわ」

「あ、ああ」

 その様子を見ていたリゼリアが、楽しそうに微笑んだ。

「エレナ、顔が赤いわよ?」

「森を歩いて暑かっただけよ」

「そうかしら?」

「そうなの!」

 エレナが珍しく強い口調で答えた。

 俺は思わず笑ってしまう。

「……恒一まで笑わないで」

「ごめん。でも、エレナにもそんな一面があるんだなと思って」

「どんな一面よ……」

「かわいいところ」

「――っ!」

 エレナがぴたりと固まった。

 しまった。今のは少し踏み込みすぎただろうか。

「いや、今のは……」

「……取り消さないで」

「え?」

 エレナは俯いたまま、小さな声で言った。

「……嬉しかったから」

 その声は、風の音に紛れてしまいそうなほど小さかった。

 俺は何と答えればいいのかわからず、ただ彼女を見つめた。

 エレナは少しだけ顔を上げ、照れくさそうに微笑んだ。

「……ありがとう、恒一」

 その表情には、これまでの彼女とは違う柔らかさがあった。

 仲間としての信頼が、少しずつ別の感情へ変わり始めている。

 けれど、それはまだ小さな芽にすぎない。

 俺はその変化に気づきながらも、今すぐ答えを出そうとは思わなかった。

 まずは、彼女の気持ちを大切にしながら、これまでどおり一緒に冒険していこう。

     ◇

 ギルドへ戻った俺たちは、魔物との戦闘と石柱群の調査について報告した。

 ガルドは、俺たちが持ち帰った記録を確認しながら、険しい表情を浮かべた。

「石板から魔物が現れた、か……。しかも、倒したあとに魔石だけが残った」

「はい。昨日見つけた魔石と、似た特徴がありました」

 俺は、魔石に触れずに観察したことも伝えた。

「よく判断した。現時点では、それ以上の調査は専門の担当に任せる。お前たちは、しばらく北東の森には近づくな」

「わかりました」

「今回の報告は重要だ。討伐についても記録しておく。ただし、あの魔物の正体がわかったわけではない。勝手に名前をつけて、既知の魔物として扱わないようにな」

「もちろんです」

 ギルドを出ると、空は夕焼けに染まっていた。

 エレナは、ここで別れるつもりらしい。

「私は、今日写し取った記号を整理しておくわ。何かわかったら、明日報告する」

「ありがとう、エレナ。今日は助かったよ」

「私も、二人と一緒だったから落ち着いて動けたわ」

 彼女は少しだけ俺を見つめた。

「……明日、時間があれば、空間固定と弓の連携を練習しましょう」

「もちろん。楽しみにしてるよ」

「……うん。また明日ね、恒一」

 エレナは微笑み、街の通りへ歩いていった。

 その背中を見送っていると、隣からリゼリアの声が聞こえた。

「恒一」

「ん?」

「エレナのこと、気になっている?」

 俺は少し考えてから答えた。

「大切な仲間だと思ってるよ。今日の戦いで、もっと信頼できるようになった」

「……そう」

 リゼリアは俺の顔を見つめた。

 そして、ふっと微笑んだ。

「エレナが大切な仲間になるのは、私だって嬉しいわ」

「本当に?」

「ええ。仲間が増えるのは素敵なことだもの」

 彼女は俺の腕をぎゅっと抱きしめた。

「でも、ひとつだけ忘れないでね」

「何を?」

「私が、あなたの最初の契約者だということ」

「忘れるわけないだろ」

「……うん」

 リゼリアは安心したように目を細めた。

「それに、今日は二人でお茶を飲む約束だったでしょう?」

「そうだったな」

「だから、今から行きましょう。今日は私が、あなたの疲れを癒やしてあげるわ」

「それはありがたいけど、具体的には?」

「おいしいお茶とお菓子。それから……」

 彼女は俺の腕に頬を寄せた。

「少しだけ、私を独り占めさせて」

 その言葉に、俺は笑った。

「ああ。今日はリゼリアの時間にしよう」

「ふふっ。約束よ」

 リゼリアは嬉しそうに笑った。

 彼女との絆は、少しずつ深まっている。

 そして、エレナとの距離も、今日の戦いを通じて変わり始めていた。

 誰か一人だけを頼るのではなく、互いを信じ、力を合わせる。

 今の俺に必要なのは、きっとそういう関係なのだろう。

     ◇

 その夜。

 宿の部屋に戻った俺は、能力の表示を確認した。

《空間操作》

《空間収納:使用可能》

《空間固定:初期段階》

《固有異空間:未解放》

 そこまでは、これまでと大きく変わっていない。

 だが、その下に新しい表示が浮かび上がった。

《連携行動を確認》

《複数人との協調による能力運用を記録しました》

《契約者との信頼関係に基づく能力連動:微弱な反応》

「……能力連動、か」

 今日、リゼリアとエレナの攻撃に合わせて空間固定を使ったとき、確かに今までとは違う感覚があった。

 俺一人で能力を使ったときよりも、二人の動きが読みやすくなったような感覚。

 それが単なる集中の結果なのか、それとも能力そのものに変化が起き始めているのかは、まだわからない。

 少なくとも、今すぐ新しい力を使えるようになったわけではない。

 《空間固定》の範囲も持続時間も、相変わらず小さく短いままだ。

 けれど、仲間と息を合わせることで、限られた力をより有効に使える可能性はある。

「……一人で強くなるだけじゃ、足りないんだな」

 俺は小さく呟いた。

 魔石の謎も、石柱群の正体も、まだわからないことばかりだ。

 それでも、今日の戦いでひとつだけ確信できたことがある。

 俺は一人ではない。

 リゼリアがいる。

 エレナがいる。

 そして、二人と力を合わせることで、俺一人では届かなかった場所へ手を伸ばせるかもしれない。

「……明日も、少しずつ進んでいこう」

 俺は表示を閉じ、灯りを消した。

 窓の外には、静かな夜空が広がっていた。

 そのはるか遠く。

 北東の森にある古い石柱群では、誰も触れていないはずの石板が、ほんの一瞬だけ紫色に光った。

 石板の溝を淡い光が走り、中央の魔石が小さく脈打つ。

 だが、その変化に気づく者はいない。

 光はすぐに消え、森は再び静寂に包まれた。

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