口裂け女が迫り来る
「わたし……きれい?」
そこは綾羽市の閑散とした住宅街だった。
「──え?」
私は塾の帰りで、自転車を押しながら街灯の少ない夜道を歩いていた。
その時だった。
突如目の前に大きなマスクをつけた女性が現れたのだ。今まで私の眼前に人影はなかった。読んで字の如く、「唐突に現れた」のだ。まるで蜃気楼かのように彼女はそこに立っていた。
「わたし……きれい?」
「えっ、えっーと……きれいだと思いますよ?」
私は当たり障りのない返事を返した。一刻も早く彼女から離れ、家に帰りたかったからだ。
しかし次の刹那、全身の神経を逆撫でされたかのような衝撃が走る。
「これでも──?」
彼女はそう呟いておもむろにマスクを外した。その口は耳元まで避けており、彼女の頬は無に等しかった。
「ひっ」
私は咄嗟に自転車に乗ってもと来た道を引き返した。
逃げなければ殺される。
本能がそう感じ取った。
しかし気づいた時には、彼女は自転車と並走していた。
そしてどこからともなく大きなハサミを取り出し、私の口元に目掛けて刃先を突き刺してきた。
「ギャッ」
頬が裂けた。
冷たい夜の空気が口の中に入りこんでくる。
私は自転車から転倒し、その場に倒れ込んだ。
口の裂けた女はゆっくりと近づき、ハサミを逆手に持ちかえて、私の腹に突き刺した。
次の瞬間には、私の意識は完全に途絶えた。
「女子高生が道端に倒れている」
綾羽市警にそう通報が入ったのは、午後十時のことだった。
俺達はすぐに出動し、現場へと赴いた。そこには乱雑に耳元まで頬を裂かれた女子高生が倒れていた。口から大量に出血しており、腹には数箇所の刺し傷が見受けられた。
死因は失血死だと断定された。
「口を裂かれた女子高生ですか……」
事件翌日の昼、俺は綾羽市警本部に白髪の霊能者と雪女の助手を呼び出し、情報を聞き出していた。
「ああ。どう思う?」
「手口から見て、犯人は口裂け女だと思います」
応接室の席に座る霊能者はそう口にした。
彼の眼前の席に座る俺はタバコをふかして話を聞いていた。
「口裂け女……都市伝説とかでよく聞く怪異だな。実在するのか?」
「ええ。人面犬やきさらぎ駅みたいに都市伝説の中でも人々の念が強くこもったものは具現化する傾向にあるんです。今回、女子高生は口を裂かれて殺されていた……口裂け女は狙った対象を追いかけて自身と同じように相手の口をハサミで切り裂きます。被害者は運悪く口裂け女に狙われてしまったのでしょう」
「そうか……」
俺はタバコをぐりぐりと灰皿に押し付けて火を消した。
「悪いが、今回の事件も協力してもらって良いか?」
俺は内心申し訳なさでいっぱいだったが、悠斗は「良いですよ」と笑顔で快諾してくれた。
「さんきゅ。助かるよ」
「邪悪な怪異を祓うのは霊能者としての務めですから。探偵としても霊能者としても、いくらでも協力しますよ」
「そうですよ。赤城刑事はもっと私達を頼って下さい」
悠斗の隣に座るサユキもそう言って微笑んでくれた。
「ありがとう。鵺の時と言い、恩に切るぜ」
俺は感謝の意を述べた。
「別に気にしなくて良いですよ」
悠斗はそう言って再び笑ってくれた。
「それで早速なんだが、今回、口裂け女と会敵しないと意味がない。鵺の時みたいに、何か奴を誘い出す手段はないか?」
「そうですね……」
悠斗は顎に手を添えて「うーん」と考え込んだ。
ふとサユキが「べっこう飴……」と呟いた。
「べっこう飴ぇ?」
俺は思わずそう聞き返した。
「はい。スマートフォンなるもので見たことがあります。口裂け女はべっこう飴が好物で、逆に整髪剤のポマードが苦手だって」
「でもそれはネット上の噂だろ? 本当にそれで上手くいくのか?」
俺の疑問に答えたのは悠斗だった。
「もしかすると、上手くいくかもしれません」
「まじでか?」
「はい。口裂け女も元々は人々の噂が根源になって生まれた怪異です。であれば、同じ噂による情報は効果を得られる可能性がある」
「なるほどなぁ……」
俺は箱から新しいタバコを取り出し、ライターで火を付けた。ふぅと煙を吹き「分かった」と口にした。
「それでやってみよう。べっこう飴だよな? 駄菓子屋で可能な限り買い集めて特定の場所にカートンで置いてみる。それで様子を見よう」
「わかりました。それじゃあ僕達は少し離れた場所で待機します。警察の方々は僕が合図を出したらパトカーで包囲網を張って下さい。それで奴を逃げられないようにする。口裂け女はそこまで強い怪異じゃない。僕達だけで対処できると思います。警察の方々は護身の為に一応『霊弾』をリロードしておいて下さい」
「おう、了解した」
そうして口裂け女を祓うための手筈が決定した。
俺達は綾羽市中に存在する駄菓子屋からできる限りの量のべっこう飴を買い漁り、ダンボール箱に詰め込んで人通りの少ない空地にセットした。
「準備完了だ」
俺はトランシーバーで悠斗に合図を送る。
「ありがとうございます」
悠斗とサユキはすぐに件の空き地に現れ、そこで口裂け女を迎え討つことになった。
べっこう飴が大量に詰め込まれたダンボールが置かれた空き地で待つこと数十分。
ついに口裂け女が姿を現した。
赤いワンピースに身を包み、長い黒髪を垂れ流したその怪異は大きなマスクをつけていた。
「わたし……きれい?」
予想通りだ。
この問答で一番行っていけないことは何の返答もせず口裂け女から逃げることだ。もし口裂け女から逃げてしまえば、対象者を殺すまで追いかけられてしまう。口裂け女を退けるのに一番効果的なのはポマードだが、それはあくまで彼女の魔の手から逃れるための手段だ。僕達は彼女を祓わなくてはならない。つまり、この問答で一番するべき返事はこうだ。
「そこそこだと思います」
僕はそう答えた。
「──これでも?」
彼女はマスクをとった。そして耳元まで裂けた大きな口が露わになる。
「ええ、綺麗だと思いますよ」
サユキが続けて答える。
ここまでは想定内だ。
さあ、ここからどう出てくる?
僕とサユキは彼女の出方を伺った。
「そう──なら」
彼女はどこからともなく大きなハサミを取り出した。
「貴方達も同じにしてあげる」
そうきたか。
僕は咄嗟に刀袋から霊刀を取り出して構えた。
サユキも氷の刀を生み出して中段に剣先を置く。
「赤城刑事、口裂け女と会敵しました。包囲網を張って下さい」
僕は腰に挿していたトランシーバーで彼に連絡を取った。
「わかった。気をつけろよ」
赤城刑事からそう返答が来た。
「はい」
僕は短く返した。
しばらくの間、僕達の戦場に静寂が訪れた。
やがて風があたりの木々を揺らし、木の葉が地面に落ちた時だった。
僕達の間合いは崩壊した。
僕は霊刀を一思いに振り切った。しかし口裂け女はハサミで僕の攻撃をいなし、もう一つハサミを取り出して僕の口を切り裂こうとしてきた。僕は咄嗟に体勢を低くしてハサミを回避し、霊刀で彼女の脛を斬った。
口裂け女は体勢を崩す。
その隙を狙ってサユキが氷の刃を振るった。
しかし振り下ろされた刃はハサミで受け止められてしまう。
ハサミと氷の刀がぶつかり合い、火花が散る。
僕は口裂け女とサユキが鍔迫り合いをしている間合いの範囲外から霊術を発動した。
「零明流霊術・蒼極砲」
霊刀を持っていない左手を銃の形にし、霊力を込めた銃弾を発砲する。
霊力の銃弾は口裂け女の脇腹に直撃した。
「キャッ」
口裂け女が悲鳴をあげる。
僕はすかさず駆け出し、霊刀を振り下ろした。
彼女はハサミで迎撃する。
刀とハサミがぶつかり合うたびに火花が散り、大気が揺れる。
あと一歩のところで致命傷を与えられない。ここまで彼女がしぶといとは思わなかった。人を殺している怪異だ。それだけ人々の念が強く反映されているのだろう。
僕は霊刀で彼女の片腕を斬り落とした。
口裂け女に隙が生じる。
「創成・氷刀」
その隙をサユキは見逃さなかった。
サユキは二本目の氷の刀を生み出し、口裂け女の目を突いた。
「ギャッ」
口裂け女は片目を押さえてゆらゆらと上体を揺らす。
サユキは二刀の氷の刃を振るい続け、口裂け女の体躯を斬り刻んでいく。
彼女の身体から赤い血液が絶えず吹き出す。
僕はこの機を逃すまいと霊刀を横に構えて駆け出した。
「零明流剣術・朧桜・横凪」
水平に太刀を振るい、口裂け女の丹田を斬り裂いた。
「ギャァァァァァ」
口裂け女はハサミを地面に落とし、片手で腹の傷口を押さえ込む。
「サユキ、畳み掛けよう」
「はい」
僕とサユキは同時に駆け出し、青い管が絡まり合った霊刀と冷気を纏った氷の刃を交互に振るった。
やがて口裂け女は徐々に動かなくなり、黒い塵となって消滅した。
「ふぅ」
僕は彼女を祓い終えたことを確認したのち、霊刀を鞘に納めた。
「何とか祓えましたね」
サユキがそう言って近づいてきた。
「うん。そうだね」
僕はトランシーバーで赤城刑事に連絡を取った。
「赤城刑事、どうにか口裂け女を祓えました」
「そうか。俺達の出る幕はなかったか。ありがとうな。助かったぜ」
「いえいえ。責務ですから」
通信を切り、僕は「うーんっ」と身体を伸ばした。
「よし、帰ろうか」
サユキにそう声をかける。
白い着物をきた雪女の少女は「はい」と笑って答えた。




