鵺が吠える
規制線が張られた、とある住宅街。
「外で老人が腹から血を流して倒れている」
深夜零時ちょうどに綾羽市警にそう通報が入った。即座にパトカーで駆けつけると、既に死体にはウジがわいていた。鑑識が現場に入り、死体の状態を確認する。老体の腹は喰い千切られており、臓物がまろび出ていた。あまりに凄惨な光景に思わず胃酸が逆流する。長年刑事をやっているが、ここまで酷い現場に対峙するのは初めてだ。
俺は死体の前で手を合わせたのち、黒田に事件の詳細を聞いた。
「死体の身元は滝山三郎。八十六歳。数年前に妻が他界し、現在は一人暮らしだったようです」
「そうか……」
無念だったろうに……せめて安らかに眠りにつくことを祈るばかりだ。
「今回の犯行手口から見て、熊や猪の線も考えられるのですが……」
黒田はそこまで言って言葉を詰まらせる。当たり前だ。今は冬場。動物はとっくに冬眠している時期だ。冬眠に失敗した熊や猪が下山して人を襲ったというシナリオも考えられなくはないが、人体をここまで凄惨に喰い殺すことができる動物を、俺は知らない。
これは……怪異の仕業か。
「黒田、悠斗に連絡取れるか?」
「白神さんですか?」
「ああ。今回の犯行、怪異だと見て間違いないだろう」
「わかりました。声かけてみます」
黒田は携帯を取り出し、悠斗に電話をかけた。
約二時間後、白髪の霊能者は雪女の助手と共に現場に現れた。
「赤城刑事、お疲れ様です」
悠斗は俺にそう挨拶する。
「こんばんは。赤城刑事。お仕事お疲れ様です」
サユキも頭を下げて丁寧に言葉を発する。
「おう。早速で悪いが、ちょっとこっちに来てくれ。遺体を見て欲しい」
「わかりました」
俺は二人を件の遺体の元まで案内した。
遺体を見た途端、サユキは両手で口を覆う仕草をとった。それもそのはずだろう。あまりにも殺害方法が酷すぎる。悠斗は比較的冷静だったが、その青い瞳はしっかりと遺体をとらえていた。
「これは……ひどいですね」
「ああ……どう思う? 怪異だと思うか?」
「そうですね……」
悠斗は遺体のそばにしゃがみ込み、何かを感じ取るかのように目を瞑る。
そして目を開いたかと思うと、その顔が一気に青ざめる。
「とても強い妖気を感じます……これまでの怪異とは比べ物にならない」
「そうか……なんの怪異か分かるか?」
「この妖気は……鵺だと思います」
「鵺……か」
「はい」
鵺。猿の頭、虎の胴体、蛇の尾を持つ妖獣。その存在はまことしやかに噂されていたが、まさか本当に生息しているとは。
「また同じ被害が出るかもしれない……一刻も早く鵺を祓わないと」
悠斗は焦燥感に駆られた様子だった。
「まあ待て。何の策もなしに突っ込むのは危険すぎる。それに今回の事件は警察に寄せられたものだ。俺たちにも協力する責務がある」
「ですが……あまりにも危険です」
雪女の少女はそう言った。
「危険は百も承知だ。それでもやらなきゃいけない時があるんだよ。お嬢ちゃん」
「そうですが……」
「ひとまず、本部で作戦会議を開くぞ。悠長にしてるとまた同じ被害が出るかもしれない。ほら、行くぞ」
「分かりました。行きましょう」
悠斗はそう言って立ち上がった。
そうして俺達はパトカーに乗り、綾羽市警本部に向かった。
本部に着くと俺は机の上に綾羽市の地図を広げた。
「さてと……まずはどうやって鵺を倒すかだ。悠斗、何か考えはあるか?」
「そうですね……山におびき寄せるのはどうでしょうか?」
「山? 何でだ?」
「一番近隣住民の被害が少ないからです。できればもうこれ以上犠牲者は出したくない」
「たしかにそうだな……お嬢ちゃんはどう思う?」
俺はサユキにも返答を訊いてみた。
「私も悠斗さんと同意見です。山の方が被害が少ない」
「よしわかった。それでいこう。でもどうやって鵺をおびき寄せるんだ?」
「僕が霊力を込めた霊符で結界を作ります。鵺は強力な霊力や妖力を食べることで自身のエネルギー源としていますから。今回ご老人が喰い殺されたのも、それが原因でしょう」
「老人に強力な霊力なんてあるのか?」
「少し言いにくいことなんですが、死期が迫っている人間ほど霊力が高くなる傾向にあるんです。一般人でも微量ながらに霊力はあります。ご老体の場合だとそれが顕著なんです」
「なるほどねえ……ひでぇ話だ」
「ええ、全くです」
「でも作戦は決まった。早速今夜決行する。それで問題ないな?」
「はい。大丈夫です。ただ結界を張るのに少し準備がかかります」
「それは問題ない。俺たちもその時間で周辺にパトカーを配置して『霊弾』をリロードしておく」
「わかりました。では行きましょう」
俺は悠斗の言葉に「おう」と返した。
そして俺達は本部を後にし、近隣住民のいない山間地帯へと足を進めた。
綾羽市の山間地帯は木々が生い茂り、身体の芯を凍らせるような冷たい風が吹いていた。
「準備できたか?」
無線トランシーバーを伝って赤城刑事から連絡が来た。
僕はいくつかの木の幹に霊力を込めた霊符を貼り付け、簡易的な結界を展開させた。
「はい。今ちょうど最後の霊符を貼り終えたところです。警察の皆さんの方はどうですか?」
「こっちもパトカーの配置と『霊弾』のリロードは済ませた。あとは鵺が来るのを待つだけだな」
「そうですね。奴が来るまで待ちましょう。何か動きがあったら連絡します」
「おう。頼んだ」
その言葉を最後に無線は切られた。
僕はサユキと共に結界の外で待機している。
「鵺、来ますかね……」
サユキは深夜の星空を見上げてそう呟いた。
「この作戦は一か八かの賭けだからね。どうなるかは鵺次第だ」
僕は霊刀を袋から取り出した。
今回の作戦。果たしてうまくいくだろうか。自分から提案したものだが、不安は拭えないままだ。もし鵺が現れなかった場合はまた別の作戦を考えなければならない。鵺と邂逅するかどうかは、作戦の土壇場になってみなければ分からない。筋書き通りに現れることを願うばかりだ。
その時だった。
一閃の雷が地面に直撃した。そしてその落雷に乗って、奴が姿を現す。猿の頭に虎の胴体、そして蛇の尾を持つ妖獣・鵺。どうやら僕の不安は杞憂に終わったらしい。
「悠斗さん」
「うん」
サユキの合図をもって、僕は赤城刑事に無線を送った。
「赤城刑事、来ました。鵺です」
返答はすぐに返ってきた。
「ああ、分かってる。こっちはいつでも銃撃できる体勢だ」
「分かりました。それじゃあ僕が霊力を込めた火玉を打ち上げますので、それを合図にして銃撃を開始して下さい」
「おう」
赤城刑事は最後に小さく「死ぬなよ」と口にした。
死か。今まで数多の怪異や怨霊と対峙してきたが、ここまで死をひしひしと感じるのは初めてだ。
「サユキ、行こう」
「はい」
僕はサユキを連れて鵺と対峙する。
奴は「グルルル」と唸り声を上げていた。
僕は霊刀を抜刀して構える。青い管が複雑に絡まり合う刀身を鵺に向ける。
やがて静寂がその場を支配する。
次の刹那、僕と鵺の間合いは崩壊した。
「零明流剣術・八岐頭」
まずはこの技で様子見だ。
霊刀から八つの龍の頭が具現化し、鵺に噛み付く。しかし鵺の皮膚は強靭であり、龍の牙を通さなかった。
「効かないか……」
僕は霊刀を後ろに構えながら駆け出し、鵺に目掛けて刃を振るう。
鵺は前足の鋭利な爪で応戦する。
刃と爪がぶつかり合う度に火花が散り、大気が揺れる。
「朧桜・横凪」
刀を水平に振るう。しかし切先は虎の四肢を斬ることはできず、真っ二つに折れてしまう。
「なっ……」
待て。焦るな。
刀身は霊力を込めればすぐに復元できる。
僕は霊刀に自身の霊力を流し込んで、折れた刀身を復活させる。
後方に飛び跳ねて一度間合いを確保しようとした刹那、鵺が僕に噛みつこうとした。
咄嗟に霊刀でガードするが、奴は刀身に噛みつき、そのまま走り出した。僕は地面に引きづられ、背中に擦り傷を負う。そして鵺は僕を投げ飛ばす。僕は後方の木々に衝突し、口から血を吐く。
「ぐはっ」
視界がぐわんぐわんと揺れる。脳震盪を起こしたようだ。
「悠斗さん!」
サユキがすぐに僕の元に駆け寄ろうとするが、鵺がそれを阻止する。サユキの前に立ち塞がったのだ。
「創成・氷針」
サユキは氷の針を複数生成し、鵺に向けて飛ばす。
しかし鵺の皮膚はサユキの氷すら通さなかった。
「それならっ……!」
サユキは『封魔刀』を手に取り、地獄の業火を纏った斬撃を放った。炎刀から発せられた斬撃は鵺の皮膚を容易く斬り裂いた。
「これなら祓える」
サユキは駆け出し、鵺に向けて絶えず斬撃を喰らわせた。
「ギャアアアアア」
鵺の虎の四肢が焼き焦がれていく。
サユキは一思いに畳み掛ける。
「封魔・焔咲」
炎の斬撃は薔薇の花弁のように重なって広がっていく。
やはり地獄の妖力は怪異にとって大きな弱点になるようだ。
タイミングは今しかない。
僕は霊力を込めた火玉を天高く打ち上げた。
夜空に青い火玉が灯る。悠斗の合図だ。
「全員、銃を構えろ!」
俺はトランシーバーで鵺を囲っている警察官全員に指示を出した。
「撃てぇ!」
次の刹那、一斉に『霊弾』の射撃が始まった。
「ギャアアアアアッ」
四方八方から『霊弾』を浴びせられ、鵺は悲鳴を上げる。効いている。悠斗の霊術は通らなかったが、『霊弾』は奴の皮膚を貫通している。何故かは分からないが、これで少しは彼らを援護をできたはずだ。
俺も『霊弾』をリロードした拳銃を構えて発砲する。
鵺は絶えず浴びせられる銃撃に耐えかねたのか撃たれながらも走り出し、奴を囲う警官に向かって爪を突き立てた。
「逃げろ!」
俺はすぐに無線で指示を飛ばした。
しかし警官が逃げる猶予はなかった。既に鵺の爪は警官達の間合いに入っていた。まずい。このままでは警官が殺されてしまう。だがその時、悠斗が咄嗟に飛び出し、鵺の猛攻を防ぎきった。
鵺は前足を上げて鋭利な爪を振るった。
対する悠斗は復元した霊刀で鵺の爪を受け止める。青い刃と鵺の爪がガチガチと鍔迫り合いの如くぶつかり合い、火花を散らす。
「大丈夫ですか?」
「は、はい」
「引き続き『霊弾』で援護をお願いします。どうやら、僕は結界を張った時にかなり霊力を消耗したみたいで、鵺に攻撃が通りません。皆さんの『霊弾』が頼みの綱です。よろしくお願いします」
「わ、分かりました」
「ありがとうございます」
悠斗は霊刀を振り切って鵺を弾き飛ばす。
「では、よろしくお願いします!」
彼はそう言い残し、鵺に向かっていった。
「おい。悠斗、大丈夫なのか?」
俺はトランシーバーで彼に声をかけた。
「はい。ですが、霊力が少ない状態です。『霊法』を使用できるだけの霊力は残りわずかです。サユキの『封魔刀』と『霊弾』だけが頼りです。ですが、秘策がないわけじゃない」
「秘策?」
「僕の残りの全霊力を霊刀に流し込んで、強力な一太刀を放ちます。霊刀は霊力を流し込めば何倍にも肥大化します。これは賭けですが、やってみる価値はあると思います」
「分かった。それに賭ける。俺達は変わらず『霊弾』で援護する。無理はするなよ」
「はい。ありがとうございます」
そこで無線は切れた。
俺達は援護することしか出来ない。最前線で戦う彼らを支援することしか出来ない。無力だ。とても無力だ。だが、出来ることをやるしかない。それが警察の意地とプライドなのだ。
俺は引き続き、『霊弾』を発砲した。
僕は再び鵺との間合いを詰めて斬撃を放つ。サユキも『封魔刀』で斬撃を繰り出し、鵺の体躯を焼き焦がしていく。
「サユキ。赤城刑事との会話聞いてた?」
僕は鵺と激しい攻防戦を繰り広げながら、彼女に話しかけた。
「はい。聞いてました」
「よし。僕が全霊力を込めた一撃を放つ。その為には霊力を込める時間が必要なんだ。その間、サユキに鵺を任せたい。『霊弾』もあるから、そこまで苦じゃないと思う。どうかな?」
「分かりました。やってみます」
「ありがとう」
僕は鵺の間合いの範囲外に飛び出し、霊刀に霊力を込め始めた。
警察の皆さんが発砲する『霊弾』が飛び交う中、私は鵺と対峙していた。悠斗さんが霊力を込め終わるまでの時間稼ぎだ。絶対にやり遂げてみせる。
「創成・氷刀」
私は妖力を片手に集中させて氷の刀を生み出す。『封魔刀』との二刀流で鵺の猛攻を迎撃する。氷と炎の太刀を振り切る。冷気を帯びた斬撃と地獄の業火を帯びた斬撃を絶えず放ち続ける。私の攻撃には妖力と霊力が混ざり合っている。相反する二つの属性の猛攻を繰り出していれば、きっと活路を見いだすことができるはずだ。『霊弾』もある。絶対に悠斗さんに繋げる。それまで折れない。絶対にだ。
私は自身を鼓舞し続ける。
そして私が持ち寄る全ての技を出し尽くした時だった。
「サユキ、ありがとう。霊力を込め終えた。技を放つから鵺から離れて欲しい」
帯に巻きつけておいたトランシーバーなるものから声が聞こえてきた。悠斗さんの声だ。私はその声に安堵感を覚えると共にすぐに戦線離脱した。
後方に飛び跳ねて鵺との間合いを確保する。
そして悠斗さんが再び鵺と対峙する。
「グルルル……」
鵺は私の猛攻と『霊弾』を受けてかなり弱っているように見えた。これは勝機があるかもしれない。
悠斗さんは一度霊刀を鞘に納めた。
「零明流剣術・奥義・──っ」
そして一思いに抜刀し、二倍三倍にも肥大化した霊刀から斜め上に斬撃を放った。
「天穿神荷大蛇!」
斬撃は巨大な大蛇の形を帯び、鵺に向かって突進する。
そして鵺を噛み砕いたのち、強力な一太刀が浴びせられた。
「ギャアアアアアッ!」
鵺の体躯は真っ二つになり、黒い塵になって消滅した。
「はぁはぁはぁ……」
悠斗さんはゆらりとバランスを崩し、その場に倒れ込んだ。
「悠斗さん!」
私はすぐに彼の元に駆け寄った。
「大丈夫ですか?」
私はしゃがみ込み、彼の頭を自身の膝に乗せた。
「サユキ……」
彼の顔はひどく青ざめていた。
「霊力がカラカラだ……これは回復するまで少し時間がかかる……」
「何か私にできることはありますか?」
「いや、大丈夫……少し休めば元に戻るから」
「悠斗!」
遠くから赤城刑事が走り寄ってきた。
「大丈夫か?」
「赤城刑事……やりましたね」
彼はそう言って優しく笑った。
その笑顔を受けてか、赤城刑事は何かを飲み込んだ後のように「そうだな……」と呟いた。
「俺達が勝ったんだ」
彼はそう言って星空を見上げた。




