座敷童子が見た予知夢
日曜日。
僕は探偵事務所のオフィスで報告書を作成していた。鵺の件と口裂け女のことについてだ。昨今、邪悪な怪異による殺害事件が増加したように思う。霊脈の乱れが強くなっているのだろうか。怪異は人々の念から具現化するものがほとんどだ。怨恨、呪怨、邪気。負の感情はやがて形を成し、人々に害をあだなす。それは怪異だけに留まらず、怨霊や悪霊となるケースもある。無論人に危害を加えない平穏な性格の怪異や浮遊霊も存在するが、指折りで数えられる程度だ。
「ふぅ」
タイプライターで報告書を書き終え、僕は一息をついた。
ふと、サユキが僕の元に何やらカップを持ってやってきた。
「悠斗さん、コーヒー淹れたので、もしよかったら飲んで下さい」
「ありがとう、サユキ」
「はい」
彼女は満面の笑みで笑う。
僕は心の奥底がじんわりと温かくなるのを感じた。
サユキが笑うとそれに呼応して僕の心は温かくなる。それが何故なのかは分からない。ただ彼女が幸せそうに笑っていると、僕も心から笑えるのだ。心臓がドクンドクンと脈打ち、鼓動が早くなる。体温は上がり、顔が熱くなる。胸の奥が締め付けられるような感覚に陥る。この感情は一体何なのだろうか。
僕が考え込んでいたその時だった。
事務所の扉が開き、依頼人が姿を現した。
しかしその正体は意外なものだった。
「え……?」
室内に入ってきたのは藍色の着物に身を包んだおかっぱ頭の少女だった。ほんのりと感じる妖気。間違いない。怪異だ。その特徴的な容姿から僕は彼女が座敷童子なのだと理解した。
「座敷童子……ですか?」
思わずそう言葉が漏れた。
座敷童子はその小さな体躯を必死に動かして僕の元まで歩いてくる。
「あの、ここって白神探偵事務所であってますか? お兄ちゃんが白神悠斗さん?」
彼女はそう尋ねてきた。
僕はその問いかけで我に帰り、すぐに「そうです」と返した。
今まで怪異が依頼に来たことは無いため、思わずフリーズしてしまった。
「何かご依頼ですか?」
「あのね、えっーとね、ちょっと聞いてほしい話があるんだけど……」
「立ち話も何ですから、こちらのソファにどうぞ」
サユキが咄嗟に彼女をソファに案内した。
「良いの? ありがとう」
彼女はにっこりと笑った。
そして座敷童子は依頼人が座るソファに腰掛けた。
僕は彼女の眼前の椅子に座る。
とても不思議な気分だ。
まさか怪異が依頼人だとは。
「それで、本日はどうされましたか?」
「あのね、私ね、今ね、お家にいるんだけど」
「お家?」
「うん。人間のおばあちゃんがいるの。おばあちゃん、一人で暮らしてるんだけど、私が住み着いて勝手に二人で暮らしるの」
「そ、そうなんですね」
何かを必死に伝えようとしてくれているが、話の意図が読めない。
一体どういった依頼なのだろうか?
「それで僕達は何をすれば良いんですか?」
「最近、夢を見るの」
「夢?」
「うん。おばあちゃんが死んじゃう夢」
「死んじゃう……夢……」
予知夢だろうか?
座敷童子は善良な怪異だ。幸福を運び、家に住み着いてはその家主を幸せにする。そんな彼女が家主が死ぬ夢を見るというのだから、それはただならぬことではない。
「そうですか……それはきっと予知夢でしょうね」
「やっぱり、そうなのかな」
座敷童子はしゅんと俯いて表情を曇らせた。
「残酷な話ですが、そのお婆さんには死期が迫っているんだと思います」
僕は心を鬼にして話を続けた。
彼女にとっては酷な話になるが、真実を伝えずにいては逆に座敷童子にとって不幸な出来事になってしまう。それだけは避けなければならない。例外なく、別れというものはやってくるものだ。運命を受け入れなければならない時もある。今がまさにその時なのだ。
「一度座敷童子さんが住み着いているお宅に訪問しても良いですか? お婆さんの状態を知りたいので。医者ではないので医学的なことは何もできませんが、しっかりと成仏できるように最期を看取るぐらいのことはさせて下さい。もしかしたら、予知夢の内容が外れる可能性だってある。必ずしもお婆さんが死に至るわけではないかもしれませんし」
僕はそう言って座敷童子を励ました。
彼女は終始暗い顔をしていたが、僕の言葉に少し心が安らいだようだった。
「ありがとう。それじゃあお家に案内するね」
「はい。是非お願いします」
僕は隣に座るサユキにも確認をとった。
「サユキもそれで良いよね」
彼女は笑って答えた。
「はい。構いません」
こうして僕達は座敷童子が住み着いている家へと訪問することになった。
座敷童子に連れられて僕達は一軒の古民家に足を運んだ。
「ごめんください」
僕は戸を叩いて返事を待った。
すぐに「はーい」と掠れた声が聞こえてきた。
扉を開いて現れたのは、白髪混じりの老婆だった。座敷童子と同じ藍色の着物に身を包んでいた。
「突然すみません。僕達、白神探偵事務所の者なのですが……」
「あら、探偵さんが私に何か用ですか?」
さて、どうしたものか。
座敷童子の存在を話して果たして信じてもらえるかどうか。
しかし僕のそんな考えは杞憂に終わった。
「おばあちゃん!」
驚いたことに座敷童子が老婆の元に駆け寄ったのだ。
「座敷ちゃん。急にいなくなったから心配したんだよ?」
彼女は「えへへ。ごめんね」と照れ臭そうに笑う。
この老婆は座敷童子を認識できている様子だった。「勝手に二人暮らししている」と座敷童子は言っていたが、一方的な意味合いではなかったのか。確かに死期が迫っている人間は一時的に霊力が増し、怪異や例を視認できるようになる事例がある。今回がまさにそうだ。
これは一から説明する必要はないだろう。
「実は私達、座敷童子さんから貴方の話を聞かせてもらって、お家まで訪問させていただいたんです」
サユキは老婆に向けてそう告げた。
「あら、そうなの? 立ち話も何だから、細かい話は中でしましょう。ほら、上がって上がって」
老婆はそう言って僕達を畳が敷かれた和室に案内してくれた。さらにキッチンから煎餅と温かい緑茶を持って来てくれた。
「外は寒かったでしょう? お茶でも飲んで温まりなさい」
老婆はお盆をテーブルに置いてそう言ってくれた。
「あ、すみません。ありがとうございます」
僕は和室に正座で座り、頭を下げて礼を告げた。
「ありがとうございます」
サユキも笑って礼を言った。
「良いのよ。主人が亡くなって、私も長いこと一人暮らしだったから、座敷ちゃんが人を連れて来てくれて嬉しいわ」
彼女は笑ってそう言った。
「そうですか……」
「それで、今日は一体どうしたの?」
あちら側から本題に切り込んできた。
僕は意を決して口を開いた。
「実は、座敷童子さんから貴方が亡くなってしまう夢を見ることがあると言われまして……」
内心気まずさでいっぱいだったが、当の本人は「そう……」と冷静な様子だった。
「驚かないんですか?」
サユキが彼女を気遣うようにそう尋ねた。
「そうねえ……私も歳だからねえ。何となくそんな気がしてたのよ。座敷ちゃんもわざわざありがとうね。私のために探偵さんに依頼してくれるなんて」
「だって、おばあちゃんが死んじゃうの嫌なんだもん。私、人を幸せにできるけど、人が死んじゃうのはどうすることもできないから……」
「気にしなくても良いのよ。私は座敷ちゃんのこと、本当の孫のように思ってるんだから」
「おばあちゃん……」
座敷童子は目に涙を浮かべて言葉を漏らす。
どうにかしてあげたいが、僕達に人の死はどうすることもできない。せめてできることと言えば、死神に魂を冥界に送り届けるのを待ってもらうことぐらいだ。だが、それもあくまで気休め。根本的な解決には至らないだろう。
どうしたものか。
僕は頭を悩ませた。
老婆はその様子を察してか「別に良いのよ」と告げた。
「もう覚悟はできているから……今更長生きしようなんて思わないわ」
「ですが……」
僕はそれ以上踏み込めなかった。
彼女は既に覚悟を決めている。そんな彼女にかける言葉などそう易々と出てくるものではなかった。
しかし、サユキは口を開いた。
「でも、寂しいです……私は今日初めて会いましたけど、お婆さんに死んでほしくないです」
サユキは氷色の瞳を潤わせてそう言った。
老婆は驚いたように目を見開いたのち、すぐに口角を綻ばせた。
「ありがとうねえ。そう思ってくれるだけでも嬉しいよ。でもこれ以上生きていてもねえ……向こうで主人も待っていることだろうし」
「でも……」
サユキはそう言ったのち「それじゃあお婆さんが報われない……」と続けた。
「いいや。報われるよ。主人に逢えるんだから」
彼女は死ぬことを恐れていなかった。むしろ、死ぬことを切望しているようにすら思える。しかしそんな彼女に告げたい言葉が浮かんだ。自己満足で終わってしまうかもしれないが、これだけはどうしても言いたかった。
「でも、生きるのを諦めないで欲しいです」
僕はそう言った。
彼女ははっと驚いたような表情を見せた。
僕は真っ直ぐ彼女を見やる。
「そうだねえ。確かにその通りかもね……残されたこの命、精一杯生きてみるよ」
彼女はそう言って笑った。
僕はその笑顔を見て心がほっとするのを感じた。
僕達は彼女と日没まで話したのち、家を後にした。
座敷童子は僕達を家の外まで見送ってくれた。
「今日はありがとうございました。おばあちゃんが死んじゃうのは寂しいけど、それまでおばあちゃんと楽しく過ごそうと思います」
「うん。お婆さんのこと、覚えていてあげられるのは座敷童子さんだけです。お婆さんのこと、頼みます」
僕の言葉に彼女は「うん」と満面の笑みで答えた。




