霊能者の発現
「そういえば、悠斗さんはどうして探偵になろうと思ったんですか?」
昼下がり。探偵事務所の休憩スペースにて、僕はサユキからそう尋ねられた。
「どうして……か。話すと長くなるよ?」
「是非聞かせてください。知りたいです!」
身を乗り出して興味津々な彼女の様子に内心圧倒されながらも、僕は「わかった」と口にした。
「それじゃあ話そうかな」
「はい! よろしくお願いします!」
「あれは、僕が交通事故に遭って病院に運ばれた時だったんだ」
僕はサユキが淹れてくれたコーヒーを口に運びながら話を始めた。
***
目を覚ますと、僕は病室のベットで横になっていた。
窓から差し込む日の光が、長時間閉じていた眼球を焼きこがすように視界に入り込んでくる。思わず目を瞑り、その過程を数回繰り返してようやく光に慣れていった。
頭の奥が鉛のように重く、思考がうまく回らない。体も酷く重たい。まるで自分の体全てが金属の塊であるかのようだ。
一体、何があったと言うのか。
とても、長い夢を見ていたような感覚だ。
夢であったのかも、覚えていない。
ただ、とても暖かったように思う。
ひとまず状況を把握しようと辺りをぐるぐると見回すと、女性と目が合った。頭に白いナースキャップを身につけていることから、すぐに看護師だと分かった。
看護師はポカンと瞬きを二、三度した後、突如我に帰ったかのように僕に話しかけてきた。
「白神さんっ、聞こえますか?」
僕は掠れた声で「はい」とだけ返事をした。
「すぐに先生を呼んできますね?」
そう言い残し、看護師は慌てて病室を後にした。
それから、先生が病室にやってくるまで数分もかからなかった。
「白神君、元気かい? 意識が戻って本当に良かったよ」
眼鏡をかけた医師は優しい笑顔でそう言った。黒縁眼鏡の分厚いレンズの奥で、茶濁色の瞳が僕をしっかりと捉えている。
「あの、僕、一体何があったんですか? 記憶が、曖昧で……」
「無理もないね」
先生は積まれた丸底の椅子を一脚取ると、ベットの隣に置いて腰掛けた。
そして、僕の目を見て話を始める。
「驚かないで聞いてほしい。君は、交通事故に遭ったんだ。大型トラックに撥ねられた。運転手が携帯を見ながら運転していて信号を見ていなくてね。横断歩道を渡っていた君をはねてしまったんだ。君は頭を強く打って意識を失ってしまった。一時期は危うかった。心肺停止にまで陥った時は焦ったよ。だから戻ってきてくれて、本当に嬉しいよ」
生死を彷徨った――ということか。
他人事ようで実感が湧かない。
確かに脳にはふわふわとした感覚がある。
いや、脳だけではない。
身体中に血液とはまた違う液体のようなものが巡る感覚がある。
これも、頭を強く打った後遺症なのだろうか。
認識能力の低下、或いは神経の異常。
どちらにせよ、身体に何か問題があることは確かだ。
「そうだったんだですか……知れてよかったです。ありがとうございます。えっーと……」
「ああ、すまない。私は柴崎と言う。これから君の担当医になる。宜しく、白神君」
先生は後頭部をポリポリと掻き、子供のように笑った。
「はい、篠崎先生」
僕もそれに合わせて笑う。
「さて、挨拶が済んでからで申し訳ないのだが、君にはもう一つ伝えなければならないことがあるんだ。これを持って自分の顔を見てもらって良いかい?」
そう言って篠崎先生は手鏡を僕に渡して来た。
わけがわからなかったが、言うとおりに僕は鏡に映る自分の顔を覗いた。
次の刹那、頭の中の霧が一気に晴れるような大きな衝撃を受けた。なぜなら、黒かった髪は純白に染まり、瞳はサファイアような深い青みを帯びていたからだ。
「これ……僕……ですか?」
「ああ、君が救急車に運ばれた時、既に髪色と目はその色だったんだ。目については何とも言えないが、髪については言えることがある。先ほども話したが、君はトラックにはねられた際、頭を強くコンクリートに打ち付けている。そのショック症状によって、君の髪色を保っていたメラニン色素が抜け落ちたんだ。これは機器で検査してしっかりと分かっていることだから、安心してもらって大丈夫だよ」
「僕、いつの間に検査したんですか?」
「手術が済んだ後、並行して検査も行ったんだ。瞳についても検査をしたが特に異常は見られなかった。今、白神君の視界が明瞭に見えているのが何よりの救いだよ。瞳の色が血管の問題から赤くなることは稀にあるのだが、青くなるケースは初めてだから、私としてもこれ以上言うことができない。曖昧な説明ですまないね」
「いえそんなっ……調べていただいただけでもありがたいです。ありがとうございます」
篠崎先生は口角を緩やかに綻ばして「さて、今日はこのぐらいにしておこう。体に障るからね。ゆっくり休みなさい」と言った。
僕は先生の笑顔に釣られ、口元を綻ばせて「はい」と答えた。
その日は疲れていたのか、はたまた脳震盪の余韻なのか、柴崎先生が病室を出た後、目を閉じて横になっているとすぐに眠りについてしまった。
そして僕の意識は、また夢の中へと誘われた。
僕が交通事故に遭い、病院に入院してから一週間の時が流れた。
もうかなり体の調子は良くなっていた。手足は普段通りに動かすことができるし、頭に巻かれていた硬い包帯もロール数が少なってきている。
僕はベットから起き上がり、外の景色を眺めていた。
しかし突然、何の前触れもなく僕の病室に一人の男が入室してきた。
季節外れの厚手コートにつばの大きいフェドラハットを深く被った長身の男。彼は迷う素振りを見せず、一直線に僕の元へ歩いてきた。カツカツと革靴の音が病室内に異様な緊張感を持たせる。
僕は息を呑み、彼を必死で観察した。
そこで僕はあることに気づいた。その男のハットのつばから覗く瞳は僕の蒼眼と瓜二つであった。同等、あるいはそれ以上に深い青を宿している。よく見れば、髪も真っ白な雪色ではないか。
この男、もしや僕と同じ……。
「やっぱり……君もそうなんだな。少年」
僕は彼が何を言いたいのか八割ほど理解していたが、念のために聞き返してみた。
「それは、髪と目の色のことですか?」
男は乾いた声で「そうだ」と静かに答えた。
発する一言一言に重みを感じるのは、僕の気のせいであろうか。
「あなたは何者なんですか?」
「俺の名は雛黒優雅。『霊能探偵』という名で怪奇事件の解決をメインに活動している者だ。この病院を通りかかった時に霊能者の霊力を感じ取ってな。出向いてみたら君に出会ったというわけだ」
――霊能探偵。
聞いたことがある。
『人では到底起こすことのできない不可解な怪奇事件を専門に活動する探偵』
『霊や怪異といった者達が引き起こす事件を解決に導く霊能者』
色々な言及がされている。
綾羽市では有名な存在だ。
「僕は貴方の霊力を察知できませんでしたよ?」
彼は丸椅子に腰をかけて足を組み、両手を膝に置いて答えた。
「君も霊力を使いこなせるようになったらできるさ。その髪と瞳を見れば分かる。霊能者として覚醒したのだろう? 君の身体中を霊力が駆け巡っているはずだ」
入院当初から感じていた体を流れる液体のような感覚は霊力であったか。綾羽市では霊力は当たり前の物質として認識されている。陰陽師が悪霊や怪異を祓ってきた歴史があるためだ。
「霊力は使いこなせれば世の役に立つ。実際、俺はこうやって探偵業を営んでいるわけだしな」
確かにその通りかもしれない。
だが一つ引っ掛かることがある。
「あの、雛黒さんはどうして探偵に? 霊力が使えるのであれば、霊媒師とかになれば確実に稼げると思いますよ?」
僕がそう聞くと、彼はキョトンと虚空を見つめた後、先程までの威厳さが嘘のように高笑いを始めた。
まるで、子供のようだ……。
「僕、何かおかしなこと言いました?」
「いやぁ、すまない。その発想は確かになかったなと思ってな。そうだな……霊媒師かぁ。確かにもっと稼げるのかもなぁ」
「そう……ですよね?」
「でも、俺は探偵が良いんだ」
「何故?」
「霊能者は彼岸と此岸の両者に干渉できる存在だ。陰陽師もいるが奴らは怨霊や怪異を祓うことに躍起になっている。俺は違う。平穏な霊や怪異も祓ってしまっては元も子もない。俺は二つの世界の架け橋になりたいんだ。その為には人と彼らのどちらにも寄り添っていくしかない。そこで思いついたのが依頼を受けて解決する探偵。舞い込んでくる双方からの依頼を解決していれば、いつか二つの世界の秩序と平等を図ることが出来るのではないかと思うんだ」
「なるほど……架け橋……か」
僕は正直言って、現に未練はない。
もし交通事故で僕の魂が完全にあの世に招待され、閻魔大王の元で「輪廻転生をするか否か」と決まり文句のように問われた時、僕は迷わず「否」というだろう。
この現に執着はない。
真に友達と言える者もいなければ親友、ましてや恋人などという存在すら、高嶺の存在だ。
だが、この人は違う。
人間と霊・怪異。その双方に等しく価値を見出し、手を差し伸べようとしている。救いを与えようとしている。それは、霊能者となり力を手に入れた者にしかできないことだ。
──この人の元にいれば、霊能者としての正しい生き方がわかるかもしれない。
そう直感した。
正しく生き、正しく死にたいというわけではない。
しかし、これは僕に与えられたチャンスなのだ。
誰かと関わり、何かをして、笑顔にしてあげたい。
そうずっと心の奥底で思っていた。前の僕にその力はなかった。
――今は違う。
僕は生まれ変わった、転生したのだ。新しい自分に。成すべきことを成せるように。前の自分が出来なかったことを今の僕が成すんだ。
「雛黒さん」
僕は彼の目を見た。雛黒さんは未だに口元が綻んでいるが、僕の心境を察したのかスッと落ち着きを取り戻し、先ほどと同じように威厳を取り戻した立ち振る舞いで答えた。
「何だ?」
「僕を、あなたの弟子にしてくれませんか?」
「ほう。そうきたか」
「はい」
「なかなか面白いな。少年。先程とは違った意味でな」
彼はそう言ってふっと微笑むと丸椅子を片づけて立ち上がる。
「良いだろう。俺の元で霊能者としてのイロハを学ぶと良い。これからよろしく頼む」
そう言って彼は手を差し出した。
「はい。よろしくお願いします」
僕はその手を力強く握った。




