鏡の中の亡霊
探偵業の朝は早い。
依頼人がいつ何時訪れてもいいように備える必要があるからだ。
僕とサユキは事務所でそのまま寝泊まりしているため、あまり心配することはないのだが、備えていて悪いことはない。
僕は朝五時に起床。軽く事務所を掃除したあと、キッチンで朝食を作る。サユキの分も作るため、食費が前よりも倍になったのが少し痛手ではある。だが、彼女もあれから僕によく尽くしてくれている。僕もできる限り彼女に還元しなければいけない。
冷蔵庫から卵を二つ取り出し、熱したフライパンに割って落とす。まだ眠気が残っているが、何とか意識を保ってベーコンエッグを作る。いつも僕が調理を終えた段階でサユキが起きてくるため、二人で朝食を取る。
「サユキはどう? 探偵業には慣れてきた?」
僕がベーコンを食べながらそう尋ねると、彼女は笑って首を傾げた。
「どうでしょう……まだあまり実感がないというか」
「でも幽霊列車の時も土蜘蛛の時も、僕はすごく助かったよ。サユキがいなきゃ解決できなかっただろうし」
「そうですか? そう言ってももらえると嬉しいです」
「うん」
朝食を食べ終えると、食器等の片付けはサユキが担当してくれる。
彼女が後片付けをしてくれている間に、僕は事務所の看板を『close』から『open』にひっくり返す。
そして扉を閉めようとした時、一人の女子高生が駆け寄ってきた。
「あの、ここって『白神探偵事務所』ですよね?」
「そうですよ。ご依頼ですか?」
「はい。良いですか?」
「もちろん。どうぞ」
僕は彼女を探偵事務所の中に招き入れた。
「ここで待っていてください」
「は、はい」
彼女を事務所のテーブルに案内し、サユキに依頼人が来たことを告げた。
「どうぞ」
サユキがお茶を出し、女子高生は「どうも」と頭をぺこりと下げる。
僕はソファに腰掛け、依頼内容を細かく聞いていく。
「お名前を伺っても良いですか?」
「は、はい。神木柚葉と言います」
「神木さんですね。それでご依頼内容はどういったものでしょうか?」
僕はそう尋ねると、彼女は一度俯いた。しばらくの沈黙が流れたのち、神木さんは重い口を開いた。
「……友達を、助けて欲しいんです」
「友達?」
「私の学校には噂があるんです。放課後、校舎B館に置いてある鏡を見ると、鏡の中に引きずり込まれる……って。それで、私の友達が委員会の仕事でどうしてもB館に行かなきゃいけなくなったんです。私は止めたんですけど、友達は『大丈夫だから』って……そこから何時間経っても、友達は帰ってきませんでした。家にも帰っていないらしくて……鏡の中に連れ去られたんだと思います」
「なるほど」
僕は彼女の話をメモしつつ、状況を整理した。
「では、一旦校舎のB館を調査してみます。おそらくですが、雲外鏡という怪異の仕業だと思うので」
「雲外鏡……ですか?」
「ええ。鏡に扮した怪異なんです。特段悪さをするような怪異じゃないんですが、個体差があるので。何かあるんだと思います」
「わかりました……よろしくお願いします」
彼女は深々と頭を下げた。
「お任せください」
時刻は午後四時半。
僕とサユキは彼女が通っているという高校に足を運んだ。
事務員に許可をとり、校舎の敷地に入らせてもらえることになったため、僕達は地図を見ながらB館を探した。
「あった、ここだ」
特別何か強力な妖気を発しているわけでもなく、ごく普通の高校の校舎といった印象だ。
「ひとまず、例の鏡を探してみよう」
「わかりました」
僕とサユキは件の鏡を探そうとした。
しかし、僕達はこの校舎の恐ろしさを目の当たりにした。
鏡は二階と三階には一切なく、一階の空き教室に集中して置いてあったのだ。その数、大小合わせておよそ数十個。これほど大量の鏡がなぜ一つの高校に集まっているのか。とても不気味な光景であった。
「なんだ……これ」
「なんていうか、すごく不気味ですね」
「これじゃあ、どれが例の鏡か分からないな」
「目撃者がいない以上、完全に噂頼りですもんね」
「さて、どうしたものか」
その時だった。
突如、教室に置かれたすべての鏡に男の顔が浮かび上がった。
「立ち去れ」
男はそう告げた。
「何者だ?」
雲外鏡だと踏んでいたが、推理が外れた。彼が発していたのは妖気ではなく、霊気だったのだ。
「誰でもない。良いから立ち去れ」
「そういうわけにはいきません! 攫った人達を返して下さい!」
サユキがそう言い放った。
「それはできない相談だ」
やはり、高校生を鏡の中に連れ去っていたのはこの男のようだ。
「なら、力づくで連れ戻す」
僕は刀袋から霊刀を取り出した。
「部外者が……俺の邪魔をするな」
霊気が強くなった。
奴は鏡の中から無数の手を伸ばし、僕達に向けて攻撃を仕掛けてきた。
「閉栓結界!」
僕は結界を張り、奴の攻撃を弾き飛ばす。
しかし、鏡から現れた無数の手は触手に姿を変え、結界を穿とうとしてくる。
「もたないか……?」
「私に任せて下さい!」
「頼んだ」
サユキの言葉を信じ、僕は閉栓結界を解いた。
「創成・氷針」
彼女は妖術で鋭い氷の針を生み出し、触手に向けて一つ一つ打ち込んだ。触手と針がすべて真正面からぶつかり合い、やがて互いに消滅する。
教室の中で繰り広げられる激しい戦闘は、サユキの妖術によって一時停戦となった。
「こうなれば……!」
突如、奴の霊気が強まった。
次の刹那、僕とサユキの体は凄まじい引力によって鏡の中に吸い込まれた。
気がつくと、僕は体育館倉庫の中に閉じ込められていた。
何だ……一体何が起きた。
「お前達を鏡の中に招き入れた。もう出ることはできない」
声が聞こえてきた。
眼前に巨大な鏡が現れ、男の顔が口を開いていた。
「何だと……」
「一生をここで過ごすのだな」
「このっ……!」
僕は手で銃の形を作り、奴に向けて霊力の弾丸を発砲した。
零明流霊術・蒼極砲。
しかし奴の顔面に弾丸が当たったと思った途端、男の霊気は消え去り、鏡が粉々に割れただけであった。
「くそ……っ」
完全に油断した。どうやらサユキとも隔離されてしまったらしい。だが彼女も鏡の中に吸い込まれたのだ。きっとこの世界のどこかにいるはずだ。それに神木さんの友人や他に囚われた学生達もここにいる可能性がある。
まずはこの倉庫の中から脱出しなければ。
僕は扉の前に立つ。
無論、鍵はなく、扉は鎖で丁寧に縛られている。
僕は霊刀を構え、鎖に目掛けて振り下ろした。
ガギンっという重厚な金属音が響いたのち、鎖は両断された。
扉を蹴破り、倉庫の外へと抜け出す。
空には万華鏡のような紋様が浮かび上がり、校舎の輪郭はぐにゃぐにゃに歪んでいる。
本当に鏡の世界に放り込まれたのだと思い知らされる。
「行かないと!」
僕は校舎に向けて駆け出した。
「う、うーん」
目が覚めると、校舎の天井が視界に入り込んできた。辺りには並んだ教室と窓ガラス。どうやら、廊下に倒れていたらしい。
「あれ? 私、どうして──」
確か鏡の中の男と交戦して、何か男が術を使って、鏡の中に吸い込まれて……。
ということは、ここは鏡の中?
「そんな、嘘……」
すぐに立ち上がり、窓の外を見る。
空には何とも形容し難い不思議な模様が浮かんでいる。建物の輪郭が曲がり、芯が通っていない。
悠斗さんともはぐれたようだ。一体どうすれば……。
そんな時だった。
「あの、大丈夫ですか?」
ふと、声が聞こえて来た。女性の声だ。
「誰ですか?」
「私、谷口ゆかって言います。あなたもあの男に……?」
ふと目をやると、教室の扉の隙間から一人の女子生徒がこちらを見ていた。
「そうみたいです……あなたもですか?」
「はい……放課後に委員会の仕事でB館の掃除をしなきゃいけなくて、鏡に触ったら吸い込まれて……」
彼女はひどく怯えていた。
私は扉を開けて、彼女を抱きしめた。
「もう大丈夫です。よく頑張りましたね。あなたの事は私が守ります」
「冷たい……」
「あ、ごめんなさい。私、雪女なんです」
「え?」
「依頼でこの件に関わって……鏡の中の男と交戦したんですけど、この通り、負けちゃいました」
「そうなんですか……依頼って?」
「探偵の助手をしているんです。神木さんという方から『友達を助けて欲しい』と依頼を受けました」
私が「神木さん」と名前を出した時、彼女はぴくりと体を動かした。
「え……神木ってもしかして、神木柚葉ですか?」
「──あなたがもしかして、神木さんのお友達ですか?」
「は、はい。そうです」
私は思わず胸を撫で下ろした。
「無事でよかったです。一緒にここを出ましょうね」
「は、はい……」
彼女が涙を流してそう告げた直後だった。
件の男と同じ霊気が大気に充満し始めた。
それらは形を成し、やがて背丈の高い化物へと姿を変えた。
「ひ、ひぃ」
「こっちです!」
私は彼女の手を引いて、廊下を駆け出した。
しかし行く手にも全身銀色の化け物が現れた。
「そ、そんな……」
「大丈夫です」
私は氷の針を生成し、化け物に向けて飛ばした。だが、化け物の体は鏡で構成されているようで、私の針は奴の体を通り抜けてしまった。
「ッ!」
この化け物達には、私の氷は効かない。
あっという間に周りを囲まれてしまった。化け物は全部で三体。これから増殖するかもしれない。
一体、どうすれば──。
ふと、着物の帯に差していた小刀に手が触れた。
「そうだ、これなら!」
私は帯から『封魔刀』を手に取り、左手で刀を抜いた。
刀身からは地獄の炎が燃え上がり、妖気が私の左半身へ血液のように拡がっていく。
私は『封魔刀』を振りかぶり、化け物に斬撃を与えた。業火によって鏡は焼けただれて溶けていく。やがて三体のうち一体の化け物は、跡形もなく溶けて無くなってしまった。
「これで戦える!」
私は炎を纏った小刀を構え、鏡の化け物達と対峙した。
校舎に入った途端、地獄の妖気を感じ取った。
「この妖気……『封魔刀』か」
稲荷さんからサユキが授かった宝物のうちの一つ。この焦げ付くような妖気は、彼女がそれを抜いた結果なのだろう。
サユキが戦っているのだ。僕も自分にできることをしなくては。
今僕がいるのは昇降口。先程と同じB館だ。つまり鏡が大量に置かれていたあの教室に入ることができれば、何か脱出の糸口を掴むことができるかもしれない。
僕はすぐにあの教室を探し出した。
教室の扉を開け、中に入る。
そこには、一人の男が背を向けて座っていた。一瞬連れ去られたこの学校の生徒かと思ったが、彼は霊気を発していた。生者で霊気を発することができるのは霊能者と陰陽師だけだ。死者であれば話は別だが、彼が死者である確証もない。
どっちだ?
「何者ですか?」
僕は刀を構えて尋ねた。
「お前達をここに招き入れた者だ」
奴はそう言い放ち、立ち上がった。
こちらに振り向くと、その素顔が露わになる。間違いない。僕達をこちらの世界に送り込んだあの男だ。
「ここを見破るとは、流石だな」
「こんな事は誰でも思いつく。ただあんたに太刀打ちできないだけだ」
「お前は太刀打ちできると?」
「やってみますか?」
次の刹那、僕は奴に目掛けて刃を振るった。
男は手のひらを正面に突き出した。次の刹那、巨大な鏡が眼前に現れ、振り下ろした刃は鏡を切り裂いた。
「ッ!」
パリンっという破裂音が響く。鏡の後ろに奴の姿はなかった。
「──甘いな」
背後から声が聞こえてきた。奴の声だ。
僕は即座に振り返り、霊力を込めた刀を振りかぶった。
しかし、鏡の中から無数の手が現れ、霊刀を握られてしまう。
「ぐっ……!」
なんという握力。刀を振り下ろせない。
僕は刀を振りかぶった体勢から動けなくなってしまった。
「くそ……っ」
思わず奥歯を食いしばる。
「感情的になる事はない。お前もすぐにこちら側の世界に慣れる」
奴は教室に置かれた鏡を持ちあげてそう言った。
「……何故こんなことをするんですか?」
戦闘は不可能だと悟り、僕は会話に徹した。
「俺は生きていた時も、死んだ時も、天涯孤独だった。誰にも看取られず、一人寂しく朽ち果てた……不公平だとは思わないか?」
「まあ、同情はします」
「だろう? 俺は黄泉に渡ってからというもの、霊脈の乱れを確認しては現世に足を運んだ。そしてこの鏡を見つけ、あることを思いついた。鏡の中に、俺だけの理想郷を作る事はできないかと」
「馬鹿げてる……うまくいくと思いますか?」
「うまくいかせれば良い。邪魔者は排除するだけだ」
男はぬるりとこちらに近づいてきた。
「お前達のような者は扱いやすい。おかげで楽にことが進むよ」
奴が人差し指をクイっと曲げると、刀を握る無数の手が消えた。僕はすかさず刃を振るうが、奴は後方へと飛び跳ねて、攻撃をかわす。
「な? 扱いやすい」
「あまり舐めないほうがいいですよ」
「ふん、強がらなくてもいい。お前達の負けは変わらない」
「──たとえ霊気が強くても、元人間であれば、妖気は感じ取れない」
「なに?」
その時だった。
教室の天井が無数の斬撃で切り裂かれ、サユキと女子高生が落ちてきた。
「何だと⁉︎」
「創成・氷針」
サユキは氷の針を生成し、男に目掛けて打ち込んだ。
「くっ……」
男は鏡の盾を生成し、サユキの攻撃を回避する。しかし彼の防御によって胴体を護るものがなくなった。僕はすかさず飛び出し、霊刀で奴の脇腹を切り裂いた。
「ぐあっ!」
奴の体から赤い血液が飛び出した。
「サユキ、今!」
「はい!」
僕の攻撃により、奴は盾を維持することが困難になった。その不意をついて、サユキは上空から『封魔刀』を振り下ろした。
「ゔわぁぁ」
炎を纏った斬撃が浴びせられ、男はその場に膝をついた。
彼女たちは教室内に着地し、すぐさま戦闘体制を取る。
「くそ……」
男は脇腹に鏡を埋め込むことで止血し、再び立ち上がった。
「もう手加減せんぞ……!」
男は両の掌から鏡を生み出し、それらを捏ね回すことによって一本の鋭い剣を生成した。
そしてそれを握りしめ、僕たちに向けて振るってきた。
僕は咄嗟に霊刀で受け止める。
ガチガチと鍔迫り合いが発生し、火花が散る。
僕と男は硬直状態に入った。
「あんたは間違ってる。理想郷なんて作れやしない。あんたが一番気づいてるんじゃないのか?」
僕は男に語りかける。
「黙れ。部外者が首を突っ込むな。黙って俺の理想郷の供物となれ!」
「悪いけど、お断りだ」
僕は霊刀にさらに霊力を流し込み、刀身を肥大化させる。青く脈打つ霊刀を振り切り、奴の鏡の剣を真っ二つに断ち切った。
「チッ」
男に隙が生まれた。有効打を与えるなら今しかない。
僕は霊刀で奴の腹を突き刺した。
「ぐはっ」
男は血を吐き、ゆらゆらと体勢を崩す。
「零明流剣術・爆炎刃」
僕は剣術で畳み掛ける。奴の体内で霊刀から霊力が一気に爆散し、男の体躯をボロボロにする。
「う、ぐぅ」
男は僕の猛攻を一身に受け、その場に倒れ込んだ。
そして次の刹那、視界が白い光で覆われ、僕達は件の教室の中に立っていた。僕は鏡の世界から脱出することができたのだと悟った。周りを見ると、向こうの世界に閉じ込められていたであろう生徒達が教室の中に座り込んでいた。どうやら男を倒すことができたらしい。身体にまとわりつくような嫌悪感を覚える霊気も無くなっていた。
「悠斗さん、これってもしかして……」
「うん。どうにか祓えたみたい」
「そうですか。良かった……」
サユキはそう言って胸を撫で下ろす。
「あの、ありがとうございました!」
サユキの背後から顔を覗かせる女子生徒が僕に向けて礼を言ってきた。
「いえいえ。これが仕事ですから」
僕はそう返した。
「この子、神木さんの友達みたいなんです」
「ああ、あなたがそうだったんですね。無事で何よりです」
「はい。本当にありがとうございます」
彼女は頭を下げて礼を言ってくれた。
「なんだ……戻って来れたのか?」
ふと、生徒の一人がそう言葉をこぼした。
「ええ、戻ってきたんですよ。皆さん、無事で何よりです」
僕はそう言って生徒に笑いかけた。
「良かった……もう一生出られないものかと思った」
「ああ、本当にな」
「私たち助かったんだ」
生徒達は歓喜の涙を流した。
僕はスマホを起動させ、神木さんに依頼が完了したと報告をした。すぐに彼女から「本当にありがとうございました!」と返信がきた。
僕達はすっかり暗くなった夜の学校を出た。
空には星々が煌めいていた。




