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霊能力と鬼の霊障

 彼の手に刀が飛んできたと思った時には、私は建物の屋上に立っていた。

 餓鬼達も状況が理解できていないようだった。辺りをぐるぐると見回し、困惑している。

「全員事務所の屋上に移させてもらった。中を荒らされちゃあ、たまったもんじゃないからな。あ、窓ガラス……閻魔に修理代請求できるかな……」

 顎に手を当てて考え込む悠斗さんには『強者の余裕』が滲み出ている。

「ま、いっか。あとで八咫烏飛ばそう」

 彼は刀を地面に突き刺し、片腕を天に掲げた。空を五本の指で力一杯握りしめるようにモーションをとる。途端、私一人を除いて、悠斗さんと餓鬼達のみを囲う淡い青色の結界が展開された。

「零明流霊術・閉栓結界──僕とお前達を囲う結界だ。僕を殺さない限り解けることはない。つまりだ……」 

 悠斗さんはフードを外し、白い髪を靡かせる。

 刀を持ち、対峙する彼らへと向けた。

「彼女の腕が欲しかったら僕を殺しな。三下怪異共」

 ブチっと餓鬼達の頭の血管が切れる音がした。次の瞬間には、彼らはその鋭利な爪を展開し、一斉に悠斗さんに飛びかかっていた。

 悠斗さんは刀を強く握る。両腕から青い血管のようなものが浮き彫りになり、ドクンドクンと脈打つ『何か』が刀に浸透していく。やがて刀は青く染まり、私は刀が霊力を帯びたのだと悟った。

 そして上段から放たれる青い斬撃は、餓鬼の細く乾いた体を難なく切り裂いた。彼らは怯むことなく間合いを詰めていくが、悠斗さんは全方位から襲ってくる彼らの攻撃を全て回避しながら、確実に刃を叩き込んでいく。

 次々と餓鬼の死体が転がり、黒い塵となって地獄へと還っていく。

 かなり数が減ったが、一体の餓鬼が彼の頭上に飛び込んできた。悠斗さんは刀を投げてそれを串刺しにし、即座に肉弾戦に切り替える。

 拳に霊力を溜め込み、彼らの胴体を殴り飛ばしていく。

「どうした、こんなもんか」

 白髪の霊能者は自身の着ている白いパーカーを脱ぎ捨て、一体の餓鬼に被せる。パーカーには青い線が走っており、霊力を一瞬で込めたのだとわかった。視界を覆われた餓鬼はその爪でパーカーを引きちぎろうとするが、霊力により強化されたパーカーは鋼鉄の如き硬さを誇り、易々と突破できる代物ではなかった。

 悠斗さんは足に霊力を充填させ、勢いよく餓鬼を蹴り飛ばした。パーカーを被された餓鬼は硬い一枚岩のような凶器と化し、雪崩のように他の餓鬼達を一直線上に潰していった。最後には自身も結界に叩きつけられて消滅した。

 彼は頭上の結界に突き刺した刀を取り、残り数体となった餓鬼に向けて構える。

「あとはお前達だけだな」

 刀を後方に持っていき、姿勢を低くする。

「零明流剣術・八岐頭やまたのかしら

 瞬き一つの間に、刀から八本の蛇の頭が具現化し、悠斗さんの突進と共に一つ一つが餓鬼の体を噛み砕いていく。

 そして最後の一体を切り殺し、私を長い間苦しめた餓鬼達はあっさりと敗北したのだった。

「よし」

 彼は結界を解き、刀を鞘に納めた。

「大丈夫だった?」

 息一つ切らしていない。おそらく幾度もこのような修羅場を潜り抜けてきたのだろう。

「はい……大丈夫です。ありがとうございます」

「いいえ。それじゃあ、餓鬼は倒したことだし、あとはその左腕をどうにかしにいこうか」

 私に向けて、そう提案する。

「どうにかって……この霊障をどうにかできるんですか?」

「一つ、宛てがあるんだ。そこに向かおう。移動するのがめんどいからまた転移霊陣使わせてもらうね」

 そう言って私に微笑みかけ、彼は再び霊術を使用するのだった。



 気づいた時には、私の体は大きな鳥居が立ちはだかる神社の前に立っていた。

 あたりを青々と生い茂った緑が囲い、どこか懐かしい郷愁の念にふけってしまう。

「あ、あの、ここは……」

 私が尋ねると彼はこちらを向いて答えてくれた。

「ここは九尾の神様が住み着いてる神社なんだ。結構森の奥深くだから、来る時はいつも転移霊陣で来ちゃうんだよね」

 頭をポリポリと掻いて悠斗さんは困ったように笑う。

「『住み着いてる』とは、これまた失礼な」

 突然、祠の中から女性の声が聞こえてきた。深みがある重低音。腹の奥が見えないような、異質な声だ。

「げ、聞こえてた」

「聞こえとるわ、このたわけが」

 青白い炎が神社の灯籠に灯っていき、やがて祠の中から一匹の狐が姿を現した。赤い目をしていて、黄金こがね色の毛並みを持つ狐。もっとも、異形であることは後ろに生える九本の立派な尻尾を見れば、一目瞭然だった。

「全く、あいも変わらず口の達者な小僧じゃな。三代目」

「僕は三代目じゃなくて四代目ですよ。何回言ったら覚えるんですか?」

「ふん、零明流なんぞの継承記録などいちいち把握しとらんわ……ん、そちの娘は何じゃ?」

 宙に浮かぶ狐はこちらを見るや否や、不思議そうな表情で私を凝視した。

「こ、こんにちは! 雪女のサユキと言います! え、えっーと、よろしくお願いします?」

 とにかく、頭を下げることにした。

 神様と聞くだけで身の毛がよだつほど恐ろしいのに、先ほどからの会話を聞いているといささか性格の難しい稲荷様に見える。

 内心萎縮し尽くしており、反射的に敬語で畏敬の念を現した次第である。

 しかし、帰ってきたのは高らかとした笑い声だった。

「娘、其方、良いのお」

 次の瞬間、稲荷様は美しい女性の姿となって地に足をつけた。私と同じように白い着物を身に纏っているが、髪は先ほどと同じ黄金色。上部には耳が生え、背中からは九本の尻尾が覗いている。

 カランコロンと鈴の音を響かせながら近づき、そっと私の顎をなぞった。

「んー、肌も白い。それでいてその氷色の髪は宝石のようじゃなあ。美しい。気に入ったぞ、娘。無論、中身も含めてな。しっかりとした敬意を持っとる。どこぞの生意気な霊能者とは大違いじゃ」

「は、はぁ……」

「それって僕のことじゃないですよね? 稲荷さん?」

「稲荷『様』じゃ、たわけ。お前のことなど口にするのも憚られる」

「ひどい言われよう……」

「じゃがまぁ、この可愛らしい女子おなごを連れてきたことは褒めてやろうぞ。で、何用じゃ。こう見えて我は忙しい」

 稲荷様は祠の前に戻り、地面に腰をかけて悠斗さんを睨みつけた。

「実は、あなたが今し方気に入った彼女について、少しお力添えをいただきたく……」

「ほお」

 稲荷様は体を前のめりにして話に興味を示した。

「稲荷さんが持っている『封魔刀』を、彼女に譲って欲しいんです」

「我の『封魔刀』をか? それまた何故?」

 訝しげに悠斗さんを見つける稲荷様。

 隣の悠斗さんは「まあまあ」といった態度で、話を一旦切り、私に耳打ちをした。

「例の左腕、稲荷さんに見せてもらうことってできる?」

「え、もしかして稲荷様にこの霊障をどうにかしてもらうんですか?」

「うん、きっと役に立つと思うんだ。一回だけでいいから、僕を信じて欲しい」

 真剣な眼差しでこちらを見る悠斗さんの姿に、私は覚悟を決めた。

 着物の袖をめくり、ひび割れたふちを溶岩が流れる凄惨な左腕を晒した。

 稲荷様は目を細め、「ほぉ……」と声を漏らした。

「それは地獄の妖気じゃな。かなり強力で異質なものを感じる…………『鬼』じゃな?」

 にやりと口角を上げて微笑む妖艶な女性の呟きに背筋が凍るような畏怖を覚えた。

 鬼。彼女はそれを言い当てた。

 その言葉に悠斗さんは困惑し、狼狽していた。

「鬼だって……?」

「何じゃ、お主は気づいとらんかったのか?」

「地獄の妖気としか感じられなかった……異質な気を放っていたから、あまり細かく分析できなかったんです」

「阿呆が。鬼なんぞに臆していて霊能者を名乗るでない。陰陽師の奴らの方がまだ頼り甲斐がある」

「……」

 悠斗さんはぐうの音も出ないと言った様子だった。

「つまりは何じゃ、その左腕の妖気を我の『封魔刀』にて吸収しようという根端かえ?」

「ええ、まぁ」

「確かに、我の『封魔刀』を使えば多少なりとも妖気の暴走を抑えることができよう。じゃが、それはあくまで『長い期間使用する事を前提とした話』じゃ。となれば、我の宝をわざわざ一介の怪異にくれてやらねばならなくなる……それはたとえ気に入った娘と言えど、少々欲がすぎるというものよ。のう? 四代目」

「く……」

「あまり我を見くびるでない。じゃが、まあ、そうじゃなあ…………」 

 稲荷様は目を泳がせ、少しばかり頬を染めながらポリポリと頭を掻いた。

「これから我が出す条件を女子おなごが飲めば、考えてやらんでもない」

 意気消沈していた悠斗さんは思わず「え」と声を漏らす。

「い、良いんですか……? 稲荷さん」

「様じゃ、様っ! じゃが、んまあ、その女子に免じて、良いじゃろう」

「ツンデレじゃん……」

 そう呟いた悠斗さんの言葉に稲荷様はキッと眼光を光らせた。

「な、何でもないです」

「たく……条件はただ一つ。女子、サユキと申したな」

「は、はい!」

「──主が小僧の助手をしろ」

 稲荷様から告げられたのは、予想外のものだった。

「私が、悠斗さんの助手?」

 あまりの内容に、私は動揺を隠せなかった。

「左様じゃ」

「ちょ、ちょっと待って下さい! 何で僕に助手?」

 悠斗さんもとても困惑しているようだ。

「馬鹿が。主は霊能者としても探偵としてもまだまだ未熟じゃ。頭が足りんし、技も術も発展途上。ここまで一人でやってこられたのは神がお主に味方していたからじゃ。主がいる世界は一つ道を踏み外せば全てが崩れ去る。ガラス細工の様に脆い事を少しは痛感せぬか」

 稲荷様は耳をピクピクとさせて語る。

「で、でもサユキは鬼に霊障を受けてるんですよ? それはいわば、強力な怪異に襲われたってことです。トラウマだってあるでしょう?」

「そうじゃろうな。わしはサユキの過去を知らぬが、この身なりでも神故、大抵のことは想像がつく。サユキ、お主の凄惨な過去を払拭するためにも、この提案は光ると我は思っとるんじゃが?」

 試す様な赤い眼差しが私を見る。

 私は思わず目を下に移し、俯いてしまう。あの過去が頭の中を巡って離れない。いつもよぎるのだ。餓鬼に追いかけまわされていた時もそうだ。「死」という名の恐怖が、ずっと私の中にある。目の前で両親を殺され、村を焼かれて、左腕には抱えきれないほどの傷を負った。

 いっそ死のうかと思ったが、私の命は私一人が抱え込むにはあまりにも大きすぎた。何人もの仲間や家族の犠牲があって、私は今この場に立っている。そう簡単に、自ら命を断つことなどできなかった。

 私には力がない。決断する力もなければ、抗う力もない。今回だって、悠斗さんに助けられなければどうなっていたことか。非力だ。ずっと弱いままだ。自分の身一つすら守れない、弱い怪異だ。だが、それで良いはずがない。これは神様が恵んでくれたチャンスなのかもしれない。

「……わかりました。その条件、のみます」

「サユキ…………僕の助手になったら、今回みたいに邪悪な怪異とか悪霊とかと戦うことになる。それはきっと君を苦しめるし、傷つける。せっかく餓鬼から解放されたのに……僕のことも気にしなくて良い。稲荷さんはああ言ってるけど、僕には師匠から託された霊法も探偵術もある。確かにまだ未熟だけど……一人でどうにかやっていける。だから……」

 悠斗さんは必死に私を説得しようと、言葉を選びながら口を動かす。それはきっと彼なりのプライドであると同時に、心の底から私を心配してのことなのだろう。

「お気遣いありがとうございます。でも、私がやりたいんです。悠斗さんの助手。悠斗さんには助けてもらったご恩もありますし、それに行く宛てもないので──それならいっそのこそ、一緒に活動させて下さい」

 私はそう返した。

「サユキ……」

 真剣な私の顔つきに、彼も心を決めた様だった。

「まとまったかの?」

 祠の元にしゃがみ込む稲荷様は頬杖をついて、私たちの会話を聞いていた。

「お主らはどちらも似ているのう。自分よりも他人を優先する癖がある。どちらも強くなれる素質はあるし、伸び代もある。じゃが、その性格ゆえに機会を逃し続けておる。これは良い機会じゃ。お主ら両方にとってな」

 稲荷様はニカっと笑う。

「そんじゃあ、ほれ」

 神様は片手を突き出し、手のひらをふわっと開いた。そこには青い火玉が灯っており、ゆっくりと私の方へ向かってくる。本能的にそれが危険なものでないと感じ取った私は、両手で包み込む様に炎を抱えた。

 次の刹那、炎がボフンと音を立てて消えると同時に、一本の小刀が私の手に落とされた。

 金色の鍔に、黒い漆が施された豪然なものだった。

「これが……」

「うむ、我の宝の一つ、『封魔刀』じゃ」

「よかった……」

 悠斗さんは張り詰めていたものが解けたのか、胸を撫で下ろして安堵の息をつく。

「じゃあサユキ、それを抜いてみて。左手で」

「左手で……」

 私は悠斗さんに言われるがままに刀の柄を左手で握り締め、そっと鞘から刀身を抜いた。その瞬間、体内に流れる地獄の妖気が一気に刀に吸収されていくのがわかった。その全てが小さな刀に収まり、気づいたときには地獄の妖気は私の体内から完全に消えて無くなっていた。

 最後にカチンと刀が自動的に鞘に収められ、儀式は終了した。

「え、え……え? 妖気が…………」

 呆気のない現象に、頭の処理が追いつかない。

「『封魔刀』はその名の如く、妖気を封印する為のものじゃ。再び抜刀すれば、吸い上げられた妖気はたちまち日の目を浴び、お主を助けてくれるじゃろう」

 にししと笑う稲荷様。

「さて、我ができることはこのくらいじゃ。あとは二人で煮るなり焼くなり好きな方法で荒波に揉まれてくることじゃな」

「いや、それ使い方間違ってますって」

「冗談じゃ、たわけ。神の戯言には真摯に向け合わんか」

「理不尽だ……」

「あ、あの! ありがとうございました! 稲荷様!」

 私は稲荷様に頭を下げた。

 その姿に稲荷様は気をよくしたのか、口元を綻ばせる。

「おう、また何かあったらいつでもここに来い。小僧は黒焦げにするが、サユキの話は聞いてやろうぞ」

「いや、黒焦げて。僕の扱い相変わらず酷すぎじゃないですか?」

「たわけ。お主は〝雛黒〟に誇れるぐらい強くなってからものを言え」

 悠斗さんは稲荷様からの言葉を受けて「ぐっ」と奥歯を噛み締めた。

「はぁ、わかりました。今回は助かりましたよ。ありがとうございます」

「主の礼は要らん。とっとと失せろい」

 そう言って、稲荷様は手をひらひらと靡かせる。

「はいはい。サユキ、帰ろう」

「あ、はい、わかりました」

 私はもう一度稲荷様に頭を下げ、彼が展開した霊陣の中に入った。



 霊陣が消え、完全に二人の気配が消えた後、我は祠に腰を据えなおし、日が落ちつつある空を見上げた。

「雛黒……」

 それは悠斗の零明流の師匠であり、探偵業を叩き込んだ張本人。もうこの世にはいないが、長い時間を共に過ごしてきた故、たまにふと思い出すことがある。

「あやつ、とうとう女を連れてきたぞ? お前、しっかりと貞操観念は叩き込んであるんじゃろうなあ?」

 空に語りかけるがあいも変わらず返答はない。

「まあ、良いがな」

 妖術でひょうたんを出し、中の酒をごくごくと飲み干す。

 ──俺はもうすぐ寿命だ。稲荷、お前とも今生の別れになる。最期の願いと言っちゃあ縁起が悪いが、一つ、頼まれてくれないか? お前にしか頼めないんだ。あいつのこと、見守ってやってほしい。遠くからで良い。一緒にいなくても良い。ただ、あいつが困ったとき、手を貸してやってほしいんだ。

「たわけめ。恋する乙女がそんな願い、聞かぬわけにいかぬことを承知で頼んできおって。全く……まあ、お前も我を好いていてくれたからの。おあいこじゃ」

 ひょうたんを空に掲げ、もう隣にいないかつての恋人と盃をかわした。



 事務所に帰還すると、僕はすぐにソファにもたれかかった。

「疲れたぁ」

 サユキはその場に立ち尽くし、ただじっとこちらを見ている。

「サユキ、どうしたの?」

「え、あ、その、えっーと」

 彼女はおろおろと慌てふためく。

「──ありがとうございました。おかげで、色々と吹っ切れた気がします」

 そう言って、彼女は微笑んだ。

「それなら良かったよ。そうだ──赤城刑事に連絡しなきゃ」

 僕は携帯を取り出し、赤城刑事の番号に電話をかけようとした。

「あの……その薄い板はなんですか?」

 だが、サユキの質問によって静止させられる。

「ん? あぁ、これはスマホだよ」

「スマホ?」

「そう。遠くにいる相手とこれで話ができるんだ」

「え、すごいです! それも霊術ですか?」

「これは違うよ。いわゆる現代技術ってやつさ。そうだな……サユキも持っておいたほうがいいかもね。今度買いに行こっか」

「は、はい……?」

 よく分かっていなさそうだが、サユキはそう返答した。

「せっかくだから、これを機に人間の暮らしを色々知ってもらおうかな」

 僕は赤城刑事との電話を先に済ませ、その後で彼女に人間界の様々な技術を教えるのだった。


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