雪女と不審惨殺事件
荒れ狂う吹雪の中を突き進む。
「はぁっ、はぁっ」
体力はとうに限界を越え、息は上がり、心臓の鼓動が速くなる。体の芯が徐々に熱くなっていくのが分かる。左腕の『霊障』の影響だろうか。今までに感じたことのない灼熱のような痛みが体を蝕んでいる。
「ヨコセっ、ヨコセっ!」
背後には数体の餓鬼。黒く痩せ細った体躯に、俊敏さと腕力を兼ね備えた地獄の住人。何故彼らに追われるのか、何故地獄にいるはずの彼らが雪山にいるのか、そのどれこれも、この左腕の『霊障』のせいだ。
追いつかれるわけにはいかない。
彼らに捕えられてしまえば、私は確実に殺される。
死ぬわけにはいかない。私を匿い、死んでいったみんなの為に、私は生きなければならない。
あと少し進めば『霊石』にたどり着く。そこに私の妖力を流し込めば、どこか遠くの座標に転移することが出来るはずだ。
「ヨコセ!」
餓鬼の一体がその鋭利な爪を振り下ろす。私は走りながらも視線を飛ばし、氷の槍をその乾いた体に突き刺した。
「ぐぅっ」
餓鬼達は頭に血が昇り始めている。
このままではまずい。そう思った矢先、目の前に緋色の石が姿を現した。
間違いない。『霊石』だ。
私はすぐさまそれに掌を乗せ、ありったけの妖力を流し込んだ。
石は緋色の輝きを放ち、刻み込まれた力を発揮する。
餓鬼が転移を阻止しようと私に飛びかかった瞬間、私の体は暗く狭い場所に投げ捨てられた。
「ううっ」
落下した衝撃で受け身を取り損ね、全身を強く地面に打ち付けてしまった。
残っていた妖力を全て『霊石』に注ぎ込んでしまった為、全身の力が抜け始め、私は意識を失った。
***
規制線が貼られた深夜の田舎道。
補導されていない土混じりの道路には、血痕がベッタリとこびりついていた。
現場の奥に向かうと、何枚ものブルーシートで囲まれた閉鎖的な空間が俺を出迎えた。
「赤城さん、お疲れ様です」
「おう、お疲れ。んで遺体は? あと詳細」
「はい、少しお待ちください」
部下の黒田は手帳を取り出し、犯行の詳細を説明し始めた。
「遺体の男性は冴島直人、58歳。畜産農家らしく、鶏舎で鶏を飼育していたそうなのですが、数日前から鶏が食い殺されるケースが頻繁に起こり、犯人を捕まえようと鶏の羽や血痕を追跡。この場所に辿り着き、その後何者かに殺害されたようです」
俺は手袋をはめつつ、黒田の話を耳に入れる。聞いた限りでは、『山から降りてきた猪に鶏が何度も食い殺され、堪忍袋の緒が切れた被害者が啖呵を切って出ていき、殺害された』というシナリオが構築される。
「そんじゃ、遺体も見せてくれ」
「はい……ですが、その、かなり惨たらしいので、注意して下さい」
顔面蒼白になりながら注意を促す部下に、俺は口元を緩めた。
「何年刑事やってると思ってんだ。慣れてるよ」
「で、では、こちらです」
黒田に案内された場所には、ブルーシートで覆われた遺体が横たわっていた。
俺は遺体の前で膝をついて手を合わせ、そっと被されたシートを取った。
その遺体を見た途端、体のありとあらゆる神経が逆撫でされたような衝撃を覚えた。
ブルーシートに包まれた遺体には、数箇所の切り傷が刻まれていたのだ。そのどれもが肉を断ち切り、内臓や骨にまで達していた。とても人や動物が行なったとは考えられない殺害方法だ。
「何じゃ……こりゃ」
刃渡りの大きい鎌やノコギリで切断されたにしては、傷跡が綺麗すぎる。もっと短時間で、尚且つ素早く切り込まれたものに見える。
これは……まさか…………。
「怪異ですね、犯人」
「うわあっ!」
思考を進めていたその刹那、俺の隣でしゃがみ込み、遺体を見つめる少年の姿があった。白いパーカーのフードを深く被っているが、ちらつく白い雪のような髪と特徴的な青い瞳が、直ぐに何者なのかを理解させる。
「びっくりした、来るならせめて足音ぐらい出せよ!」
思わず情けない声をあげてしまった。
刑事としての威厳が損なわれる……。
「こんばんは、赤城刑事」
「全くどこから嗅ぎつけたんだが……」
「ちょっと良くない妖気が漏れてたんで、気になって入ってきちゃいました」
「全くお前って奴は……」
白神悠斗。十九歳の少年。大学を中退して探偵事務所を経営している謎の人物。本人曰く霊能者であり、人ならざる者が引き起こしたと考えられる怪奇事件を専門として取り扱っている。実際、彼には何度か捜査に協力を依頼したこともあり、ある程度の信頼関係は構築されている。しかしだからと言ってそう易々と現場に足を運ばれるのは問題である。
「んで、怪異って言ったか? 今回は何だと思う?」
「そうですね……」
少年はしばらく考え込んだのち「餓鬼……」と小さく口にした。
「餓鬼だぁ?」
「ええ、傷跡から発してる妖気が地獄のものなので。そうかなと。地獄は閻魔が仕切っているからそう簡単には現世に上がって来れないんですけど、たまに脱け出してくるんですよね。あいつら」
困ったようにポリポリとフード越しに頭を掻く少年。
「餓鬼……ねぇ」
俺は遺体の状態を眺めながら、半信半疑で少年の推理を捜査の基準として定めることに決めた。
田舎町で起きた悲惨なあの一件以来、それに共鳴するかの如く、次から次へと同じ手口の犯行が相次いで発生した。
綾羽市警は町全体に包囲網を張り、住民に警戒勧告を発令。隣町への避難を呼びかけた。
綾羽市では、怪異や霊などの『この世のものではない超常的な存在』は日常に溶け込んでおり、住民達はそれらに疑いの目を向けることはない。他の自治体からしてみればかなり特殊な立ち位置の街だと言える。だが、綾羽市周辺地域の歴史は古く、長年にわたって陰陽師が影からお祓いを続けていたが、地下の霊脈の乱れによって現世に彼らが過干渉するようになった。その為、怪異や霊の存在、そして陰陽師や霊能者の存在を公表するに至ったのだ。それによって僕もずいぶんと探偵業の活動をしやすくなった。しかし、陰陽師による公表はついニ年前のことである為、他の地域との連携などは未だ実現できていないのが現状である。
つまり、綾羽市で起きた怪奇事件は綾羽市自身で解決するしかないのだ。
すっかり人気のなくなった街を歩き、パトロールも兼ねて餓鬼の妖気を探っていると、パーカーのポケットの携帯が鳴った。
見ると、赤城刑事からの着信であった。
「はい、もしもし」
「おう、悠斗か。今ちょっといいか?」
「はい。大丈夫ですけど……何か進展ですか?」
「ああ。捜査本部で地図を見ていて閃いてな。これまで起きた事件の場所に印をつけて、線で繋いでみたんだ。そうしたら、ちょいと気になることが出てきてな」
「というと?」
「お前が言う餓鬼が本当に犯人だとすれば、綾羽市から数キロ離れた山の方角。ここから奴らがこっちに降りてきてるんじゃねえかって考えたんだ」
「山……」
「この間の田舎の事件を奴らが市街地に下りていく通過点だと考えると、次の事件はさらに下、また次の事件はそのさらに下ってどんどん降りてきてんだよ。こっちに近づいてきてる」
「ということは、もう餓鬼たちは綾羽市に来ている?」
「そう捉えてもらって良い」
「わかりました……連絡ありがとうございます。こっちも引き続き妖気を探ってみますね」
「ああ、頼んだ」
通話が終わり、ことの深刻さが露呈し始めた。もし本当に赤城刑事の推理が正しいとすれば、綾羽市が餓鬼達で溢れかえることになる。これは思っていた以上に規模の大きい事態だ。
彼らの数にもよるが、何にせよ住民を隣町へ避難させておいたのは正しかった。
「ん……?」
ふと、強い妖気を感じ取った。
あの田舎町の事件現場で感じたものと全く同じものだ。地獄に住まう者のみが発する、焦げついたような妖気。
僕は肩にかけている刀袋を下ろし、中から霊刀を取り出した。
慎重に妖気の源に近づいていく。
妖力の出どころは小さな路地裏であった。
餓鬼が来ているとすれば、即座に対処しなければならない。霊力を込めた一撃を喰らわせることができれば、彼らは跡形もなく消滅し、地獄へと強制送還されるはずだ。
果たしてそこには、白い着物を身にまとい、氷色の髪を垂らした雪女が倒れ込んでいた。
「雪女……何でこんなところに?」
目の前の光景に唖然とするが、変わらず彼女からは地獄の妖気が感じられる。
『目』をよく凝らすと、妖気は左腕から発せられているのだと分かった。
ひとまず、彼女が今回の事件に何らかの形で関わっているのは確かだ。
「仕方ない……か」
僕は気を失っている雪女を抱え、事務所へと足を進めた。
両手が塞がっている為、仕方無く事務所の扉を足でこじ開ける。
抱えている少女の体に障らないよう、ゆっくりと足を運び、中央のソファにそっと寝かせた。
雪女という名の通り、白い雪色の着物を身に纏い、髪はキラキラと光沢を放つ氷色。さらにその肌は雪よりも純度の高い蒼白だ。対照的に頬はほんのりと赤く、唇は艶やかな桃色を帯びている。顔立ちも整っており、芸術品のような美しさだ。
「さて、運んできたは良いものの……ここからどうするか」
見たところ外見に異常はないが、体内の妖力が不足しているようだ。気を失っているのは、おそらく妖力不足による一時的なものだろう。
そして彼女をさらに蝕んでいるのが、左腕のただならぬ邪悪な妖気だ。
「少し、失礼」
気を失っている女性の体に触れるのは少々気が引けるが、現段階で彼女を起こす術はない為、致し方ない。
僕は彼女の着物の袖をめくり、左腕の状態を確認した。
「何だ……これ」
血管のような細い管が、腕の表面を駆け巡るように無数に絡み合っていた。その一つ一つが溶岩のように熱と光を帯びており、焦げついたような匂いが大気に充満する。
だが、この腕の状態を確認できたことで、今回の事件の核心的なカラクリを導き出すことができた。餓鬼によるものとされる不審殺傷事件の数々、そしてそれらの位置、及び根源にあるとされる『山』。路地裏で行き倒れていた雪女と彼女が帯びている地獄の妖気。これらから導き出される答えは一つしかない。
頭の中で考えが糸のように繋がり、輪郭を形作っていく。
すぐに赤城刑事に知らせようと携帯を取り出した刹那、「ううん」と声が聞こえてきた。
ソファで休んでいた雪女が、まさに目を覚ましたところであった。大きな氷色の瞳がキョロキョロと動き、やがて一点を捉えて動かなくなる。
その瞳の中に映っているのは、僕の姿だ。
「誰………………?」
まだ意識が朦朧としているのか、自分が身を置いている状況を理解できていないようだった。
僕はなるべく彼女が混乱しないよう、穏やかに声をかけることにした。
「やぁ、おはよう。僕はここで探偵をしている、白神悠斗って言うんだけど、さっき外を歩いてたら、君が路地裏で倒れていたからここまで運んできたんだ。どう? 気分は?」
「倒れてた……あれ、私…………うっ!」
途端、彼女は頭を手で押さえ、顔を歪ませた。
「大丈夫?」
「はい……ちょっと、妖力が足りてないみたいで」
「僕の霊力で良ければ、少し分けてみようか? 体が楽になると思う」
「え、は、はい……」
「それじゃ、手を出してもらえる?」
「こうですか?」
彼女は訝しげな表情を見せながらも、こちらに手のひらを差し出してきた。
「ちょいと失礼」
僕は彼女の手を握り、自身の体に巡る霊力を彼女の体躯に流し込んだ。青い光の筋が浮かび、僕の腕から彼女の腕へと伸びていく。管の中をドクンドクンと脈打つように青いエネルギー体が流れ始め、彼女の体内で終結する。
「どうかな?」
「す、すごいです……体が一気に楽になりました!」
ぱあっと表情を明るくして答える彼女の様子は、どこか無邪気な子供を連想させた。
「それは何より」
「あの、今更というか何というか、その、悠斗さんは私を見ても、驚かないんですか?」
「どうして?」
「一応、私、怪異なので……」
「あぁ、僕はいわゆる霊能者ってやつでさ、怪異とか霊とかとよく関わるから慣れているんだ」
「そ、そうなんですか」
目を見開いて驚く彼女はその後数秒の沈黙を経て、突然ソファから立ち上がった。
「そうだ私っ……悠斗さん、逃げて下さい! 餓鬼達が私を追って──」
彼女の続く言葉はパリンっという甲高い衝撃音にかき消された。
事務所の窓ガラスが割れ、ひどく痩せ細った物体がゆらりと立ちはだかった。黒く乾いたような皮膚と額のツノ……そして発している地獄の妖気。体躯のあちらこちらには血飛沫がベッタリと付着していた。
間違いない、餓鬼だ。
やはり彼らは彼女を追って、山から街へと降りてきていたのだ。おそらく彼女は件の山に住んでいたのだろう。しかし何らかの事故によってその身に地獄の妖気を宿してしまい、餓鬼達につけ回されていた。これまでの不審惨殺事件は餓鬼達が彼女を追った結果の二次被害というわけだ。
怪異を不必要に付け回しただけでなく、現世に住む人々を躊躇いもなく殺害した彼らにはそれ相応の罰を下さなければならない。
「ヨコセッ、ウデ、ヨコセ!」
餓鬼の一体がこちらにそう要求してきた。
「腕? もしかして、彼女の左腕のことかな?」
「ソウダ、ヨコセ!」
「ヨコセ、ウデ、ウデェっ!」
俺の後ろで体を小刻みに震わせている雪女の少女は目に涙を浮かべ、恐怖に怯え、萎縮している。ずっと一人で生き延びてきたのだろう。
彼女は今回の事件においてただの被害者だ。
探偵である僕は、彼女を守る責務がある。
そして、餓鬼を倒す使命がある。
「……悪いけど、お前達に渡すのは地獄への片道切符だけだ」
手のひらを正面に突き出して合図を出す。僕の意思を汲み取り、机に立てかけていた霊刀が袋から飛び出し、餓鬼達の頭上を滑空する。
飛来した刀を僕は力強く掴み取った。
「零明流霊術・転移霊陣」
抜刀し、刃先で円形に床をなぞった。その動きに連動して青い線が広がり、やがて一つの陣を形成する。
零明流。『霊法』のうちの一つ。陰陽師達が平安の世に編み出した、怪異や霊を祓うため術である『占法』から派生し、霊力の流れが常人以上であれば誰でも使用可能な術だ。零明流はその中でも『禁忌の霊法』と呼ばれ、長年蔑まれてきた。だが、僕の探偵の師匠は零明流に誇りを持っていた。何故なら、『彼岸と此岸の均衡を守る』という芯の通った使命を掲げている唯一の霊法であったからだ。
陰陽師界では禁忌とされる術を幾つも使用するが、それでも、彼岸と此岸を守る為にこの力を振るう。
事務所の白石の床に青い陣が展開され、餓鬼と僕、雪女の少女は事務所の屋上に転移した。




