てけてけの怨念
僕は探偵事務所のオフィスで報告書をまとめていた。最近は平穏な事案に対処することが増えた為、個人的には良い兆しだと思っている。無論、邪悪な怪異や霊は祓わなくてはならないが、人と彼らが交流を持つことは『彼岸と此岸の均衡を守る』という明確な目的を掲げている零明流の継承者としてはどうしても嬉しいことなのだ。
そしてもう一つ、僕にとって嬉しいことが起きた。
「悠斗さん、コーヒー淹れました」
件の彼女が熱々のコーヒーをカップに入れて持ってきてくれた。
「ありがとう」
僕は笑顔で礼を告げる。
「はい」
サユキも満面の笑みで答えた。
何を隠そう、僕とサユキは付き合っている。
付き合い出したのはつい最近のことだが、互いの気持ちを伝えたからか、僕達の関係は以前よりも親密なものになったと思う。
「進捗はどうですか?」
「かなり進んでるよ」
「何か手伝えることはありますか?」
「ううん、今のところは大丈夫かな」
「分かりました。何かあったらいつでも言ってくださいね」
「うん。ありがとう」
その時だった。
事務所の扉が開き、一人の少女が駆け込んできた。
はぁはぁと荒く息を吐いている。
「あの……っ、ここって怪奇事件を専門にしている探偵事務所ですよね? 依頼があるんですけど……」
セーラー服を着ている少女だ。高校生だろうか。
「分かりました。こちらのソファに座って下さい」
僕は彼女をソファに通した。
「これ、紅茶です。よかったらどうぞ」
サユキは依頼人が少しでも落ち着けるようにと紅茶をテーブルに置いた。
「あ、ありがとうございます……」
彼女は荒くなった息を整えながら礼を告げた。
僕は彼女が落ち着くのを待ってから話を聞くことにした。
「それで、本日はどういったご依頼でしょうか?」
彼女は紅茶を口に運んだのち「実は……」と話を始めた。
「てけてけに追われているんです」
「てけてけ?」
「はい」
てけてけ。それは上半身のみの凶悪な少女の怨霊だ。ある冬の日に路面電車にひかれた少女が下半身を失い、傷口が雪によって凍結したことで長い間苦しみながら絶命した。そこから少女はてけてけとして現世に現れ、自分の足を探して彷徨っている。「追われている」ということは彼女自身がてけてけの被害に遭っているということか。
「失礼ですが、お名前を伺っても?」
「あ、はい。並木雪音です」
「並木さんですね。ありがとうございます」
僕はボールペンで紙に依頼人の名前をメモした。
「てけてけの被害にはいつから遭っていますか?」
「つい最近です。塾帰りで夜の歩道橋を歩いていた時に『足……どこ?』って声が聞こえて、振り返ったら上半身だけの女の子がいたんです。すぐにてけてけだとわかりました。私は必死に逃げて、その日はどうにか難を逃れたんですけど、以降、てけてけが毎日私の元にやってくるようになって、いつも必死に逃げてます。今日も追われていて……どうしたら良いか分からなくて」
彼女は恐怖心に耐えながら話をしてくれた。
すぐにサユキが彼女の隣に座り、背中をさする。
「辛かったですね……話してくれてありがとうございます」
サユキはそう言って並木さんを励ます。
「うっぐ……ひっぐ…………ありがとうございます」
彼女は目に涙を浮かべる。
すぐにどうにかしてあげたい。ずっと一人で耐えてきたのだろう。とても辛かったはずだ。
「てけてけは僕達が絶対に祓います。なので、安心してくださいね」
「はい……よろしくお願いします」
「ひとまず、並木さんはこの事務所の中にいて下さい。事務所に結界を張って、てけてけが建物の中に入ってこられないようにします。その隙をついて、僕がてけてけを祓います」
「分かりました」
「サユキ、申し訳ないんだけど、彼女のそばにいてあげてほしい。何かあったら彼女を守れるようにね。僕の閉栓結界もてけてけにど
れだけもつかわからないからね」
「分かりました。並木さんは私に任せて下さい」
「ありがとう」
僕はオフィスの机に立て掛けていた霊刀を手にして事務所を出た。
「零明流霊術・閉栓結界」
探偵事務所全体を覆う結界を張り、安全を確保する。
あとはてけてけがやってくるのを待つだけだ。
てけてけは一度ターゲットを絞ると、そのターゲットの足を引きちぎるまで追いかけ続ける。並木さんには危害を加えさせない。絶対に。
「足……足……」
ふと、声が聞こえてきた。
ノイズ混じりの重低音だ。とても女性の声とは思えない。
奴だ。
視線を飛ばすと、そこには上半身だけの少女が両手で体躯を持ち上げて立っていた。
「悪いけど、並木さんには近づけさせない」
僕は霊刀を鞘から引き抜き、中段に剣先を置いた。
僕は事務所の外でてけてけと対峙した。
「足……足……」
彼女はペタペタと両手を器用に使いながら近づいてくる。
「零明流剣術・八岐頭」
僕は牽制として技を放った。
霊刀から八つの龍の頭が具現化し、てけてけに迫る。
しかしてけてけは両手に力を溜め込んで飛び跳ねることで、僕の猛攻を回避する。
生半可な攻撃は通用しないか。
怨念がそれほど強いのだろう。
てけてけは並木さんの元へ向かおうと建物の側面を伝って、探偵事務所の窓からの中に入ろうと試みる。
「させない!」
僕は片手を銃の形にし、霊力を込めた弾丸を発射する。
「零明流霊術・蒼極砲」
だが、てけてけは弾丸を全て避けきった。
「くそっ……!」
そして彼女が事務所に近づこうとした時、閉栓結界が機能した。てけてけが事務所に触れようとした途端にバチバチと雷撃が走り、彼女を焼き焦がす。
「ギャッ!」
彼女はそのまま地面に落下する。
僕はすかさず攻撃を仕掛けた。
霊刀を上段に構え、彼女が立ち上がるよりも早く太刀を振るった。
「枝垂柳!」
しかし彼女は腕をバネのようにしならせることで僕の斬撃を回避する。
「零明流剣術・朧桜・横凪」
僕は続けて霊刀を水平に振り切った。
青い管が複雑に絡まり合う刀から放たれた斬撃は彼女の丹田を斬った。
「うっ……!」
彼女は後方に吹き飛ばされる。
てけてけは地面に横たわるが、まだ祓えない。
「ぐっ……ふぅ…………うぅ」
苦しんでいるようだ。
当たり前だ。行動だけを見れば、てけてけは邪悪な怨霊であることに変わりはないが、彼女は被害者だ。長時間苦しんで死んでいった。それがどれだけ辛いことか。考えただけでも身の毛がよだつ。だからこそ、祓って彼女を楽にしてやらなくてはならない。てけてけは自身が死亡した事件に囚われ続けているのだ。あの雪の日の事故以来、ずっと足を探して現世を彷徨っている。途方のない時間を怨霊として過ごしているのだろう。
「──絶対に祓う」
僕は霊刀を納刀し、抜刀術の構えをとった。
てけてけは「うう」と唸り声を上げながら立ち上がった。
彼女は僕を見ていない。並木さんをロックオンしているからだ。しかし、それこそがてけてけの隙だ。僕に危害を加えようとしてこないのを逆手に取る。
一撃で祓ってみせる。
「零明流剣術・居合・──」
僕は閃光の如き速さで抜刀し、彼女の体躯を一刀両断した。
そして刀を納刀する。
「宵影」
鍔がカチンと音を出したその次の刹那、てけてけの身体は黒い塵となって消滅した。
ふと、「ありがとう」と声が聞こえた気がした。
僕は声がした方を振り向くが、そこには何もなかった。
てけてけの本当の声だったのだろうか?
とても綺麗で澄んだ声だった。
「……」
僕はてけてけが祓われたことを確認したのち、事務所の結界を解いて、中に戻った。
扉を開けるとサユキが彼女を抱きしめて守っていた。
サユキの腕の中で並木さんはひどく震えていた。
「悠斗さん……」
サユキはすぐに僕に気づき、不安そうな視線を向けてきた。
「大丈夫。てけてけは祓ったよ」
「そうですか……良かった」
彼女は胸を撫で下ろした。
「並木さん、てけてけは確かに僕が祓いました。もう安心して大丈夫ですよ」
僕は笑顔でそう言った。
並木さんは大粒の涙を流して「ありがとうございます……ありがとうございます……!」と礼を告げた。
「これが僕の仕事ですから。また何かありましたら、いつでも来てくださいね。必ず力になります」
「はい……! 本当にありがとうございました」
彼女はソファから立ち上がって頭を下げた。
そして事務所を出て、自宅へと帰っていった。
「今回もどうにか解決しましたね」
仕事終わり。
サユキがソファの僕の隣に座ってそう言ってきた。
「うん。でも今回の事件は誰も悪くないんだ。確かにてけてけは危険な怨霊だったけど、彼女も被害者だ。並木さんには悪いと思うけど、僕は少してけてけに同情しちゃうかな……」
「そうですか……」
サユキは僕の肩に頭を預けてきた。
「そこが、悠斗さんの素敵なところだと思いますよ?」
「そうかな」
「そうです。その優しさはきっと誰かを救います。私もそのうちの一人ですから」
「サユキ……ありがとう。少し気持ちが楽になったよ」
僕はコテンと彼女の頭に体重を預けてそう言った。
「はい……!」
彼女は嬉しそうに笑った。




