父との和解①
リリアンヌ視点
異形の存在――
瘴気をまとった、黒い化け物。
“物語”では、不気味で恐ろしい巨人の姿で描かれていた。
異形の存在の動きは、遅い。
瘴気をまとっているから体が重いのかなと、漠然と思っていた。
ただし、どの異形の存在も必ず、何かしらのちからを使って反撃してくる。
その反撃が――かなり強い。
正面から戦って倒すことは、ほぼ不可能だ。
少なくとも自分は、あっさりと敗北して全滅していた。
だから、異形の存在を“弱体化”させるマドカの白のちからは、絶対に必要だった。
異形の存在は、何ものなのか。
“物語”では、はっきりとはその正体について描かれていない。
正体が明かされる例外が、三体ほど出てきたけれど。
ただ、仲間のひとりであるブライアンから、国王にだけ伝わる一節を語られる。
――精霊狩りは、
初代セスランディア王の死後から四百年もの間続いた
精霊は殺され、
時には自ら死を選び、
次々と消えていった
精霊たちは悲しみ、
人々を恨み、
そして――呪った
呪いはやがて瘴気となり、
そこから異形が生まれた
異形は、人の世を襲うようになった
人々は、
精霊狩りの代償として加護を失い、
その報いを受けることになるのだった――
精霊の加護を求め、長い間、精霊狩りが行われてしまった。
そのことにより、瘴気は生まれた。
瘴気は、精霊の呪いだ。
その瘴気から、異形の存在は生まれた。
異形の存在が、この世界にいるということは――
瘴気も、生まれ続けている。
ということは、精霊狩りがあった過去も事実のはずだ。
この世界では、どれくらい異形の存在について語られているのだろうか。
二年前、教師の前で初めて、異形の存在という言葉を口にした。
教師は、その話題に触れるなという顔をしていた。
それは、王族の娘として知る必要はないからだと思ったけれど…
でも、異形の存在について、どの書物にも記載がない。
軍を束ねる父の住むこの屋敷になら、
ひとつくらい、異形の存在について書かれた本があるかなと思っていたのに――
「…う~ん」
リリアンヌは広げた本の頁を、ぱらぱらと無意味にめくった。
結局、異形の存在についての情報収集も行き詰まってしまった。
抜け道を使えなくなってから、一年半。
一度もエラドリオール家の敷地内を出ていない。
父は、私が王城に行くことも禁じてしまった。
だけど、それも自分が招いた結果だ。
それに不満はない。
…といえば、嘘になるけれど。
自分のしでかしたことを考えれば、甘んじて受けるべきなのだろう。
その代わり、屋敷内で得られる情報は片端から集めた。
国や王都のこと、軍や戦争について。
知らないことばかりで、どれも興味深い内容だった。
けれど――
二年と四か月後に迫った“デューゼの森の悪夢”についてだけは、
何ひとつ、手掛かりを掴めていない。
デューゼの森についても、
瘴気が溢れ出るきっかけとなる、精霊王オーリアについても、
デューゼの森から大量に現れる、異形の存在についても――
まだ、何も分からないままだ。
「リリィ!」
「わぁ!」
突然、バンッと図書室の扉が開かれた。
「お前は、こんな時間まで勉強しているのか?」
「お、お兄様…!」
扉から現れたのは、兄だった。
「あ、あれ…?今日は、ご帰宅される日だったのですか…?」
「ああ。お前に会いに来るため、帰ってきた」
サイラスはまっすぐにリリアンヌへ近づくと、額に挨拶の口づけをした。
「ついでに明日、面倒な行事を片付ける」
「面倒な行事…?」
「…ん?なんだ、この本」
「あっ」
「初代セスランディア王の栄光なる一生」
サイラスはリリアンヌの手元から、さっと本を取り上げた。
「…わ、わわ…」
「セスランディア王国戦争史。王都レイセント年代記。北方戦役要録」
積まれた本の題名を読み上げるサイラスの顔が、みるみる険しいものになった。
「…リリィ。お前は、一体何を学ぼうとしているんだ?」
「…ええと」
「騎士にでもなるつもりか?」
「ちっ、違います…!」
リリアンヌは、勢いよく首を振った。
「そんなことは分かっている。お前には、剣すら持たせるものか」
サイラスは積まれた本の横に片足を載せ、そのまま机に腰掛けた。
「お前の教師は、一体何を教えているんだ」
「先生は、何も関係ないです」
「なら、なんだ。誰に何を言われた?」
「…お、お父様と、お兄様のことを、もっと知りたくて…」
リリアンヌは目を泳がせながら、小さな声で答えた。
「その…いつもお二人がどんな仕事をされているのか、興味があったのです」
それも、事実だ。
「…お前は、本当に可愛いな」
サイラスは身を乗り出し、顔を近づけた。
「見るたびに可愛くなっていないか?」
「へ…」
「明日が、心配すぎる」
「…明日?一体、何があるのですか?」
先ほど、面倒な行事を片付けると言っていた。
「それを伝えるのは、私の役目ではない」
サイラスはひょいっと机から下りると、リリアンヌへ手を差し出した。
「父上が、お前を呼んでいる。部屋の前まで一緒に行こう」
「えっ…お父様が呼んでいらっしゃるのですか?」
思わず、声が裏返った。
「ははっ…!大丈夫だ。父上が、お前を叱るはずなどない」
「う…はい」
リリアンヌは気まずそうに頷きながら、兄の手を取って立ち上がった。
一年半前に呼び出された時は、しっかり叱られた。
また、何かやらかしてしまったのだろうか。
一応、大人しくしていたつもりだったのだけれど。
「あ…待ってください、お兄様。本を片付けないと」
「お嬢様。後は、私がやっておきますから」
待機していた侍女が、後ろからそっと囁いた。
「本当?ありがとう、ニア」
「早く行くぞ、リリィ」
「あっ…はい」
サイラスに手を引かれるまま、リリアンヌは、図書室を後にした。




