序章Ⅱ(リリアンヌの秘密)②
リリアンヌ視点
「また、貴族同士の小競り合いが城下町で起こりましたね」
サイラスの険しい声が、厳かな食堂に響いた。
「ロドロスト家の話だな…私も聞いた」
ロデオは、顔をしかめたままグラスを傾けた。
「あいつらは、王都へ来るたびに問題を起こす。父上、どうにか奴らに重罰を与えられないものでしょうか」
「あの程度で罰していれば、ほとんどの貴族が同様の罰を受ける羽目になるぞ」
「ですが、このままではいつまでも落ち着きません」
「北土諸侯会議が行われている間は、致し方ないだろう。貴族たちも神経質になっている…だが、あと一週間の辛抱だ」
「お二人とも。食事の時くらい、楽しい話をしてくださいな」
アヴェリーンが、ロデオとサイラスをぴしゃりと止めた。
「そうだな!こんな話は、いつでもできる」
ロデオは、はっとリリアンヌに顔を向けた。
「リリィ、私が留守の間に何か変わったことはなかったか?」
「…いつも通り、午後には、いろいろな習い事をしています」
リリアンヌは口の中のパンを飲み込み、ゆっくり口を開いた。
「だいぶハープも弾けるようになりました」
「教師たちとは、うまくいっているか?」
「はい。とても良い先生ばかりです」
「アヴェリーンが選んだのだから、間違いないだろう。だが、新しい教師は男だと聞いたぞ」
ロデオは徐々に表情を曇らせた。
「…マルコ先生は、大変紳士的な年配のお方です」
「爺だろうが、関係ない。幼い娘に執着する輩はいくらでもいる」
「あなた。言葉選びは、慎重になさってください」
アヴェリーンが、再びぴしゃりと言った。
「おっと、すまん。だが、お前が心配なんだ」
「お父様…私は、まだ六歳です」
リリアンヌは、困ったように眉を下げた。
「それに、ニア――侍女も傍にいてくれます。何も問題はありません」
「こんなに賢くて可愛い六歳が、他にいるか?問題だらけだ!」
ロデオは眉を寄せ、小さくテーブルを叩いた。
「まったくその通りです」
サイラスが深く頷いた。
「…あの、お父様?」
リリアンヌはグラスを両手で握りしめると、ロデオに上目遣いの視線を送った。
「私…町へ行ってみたいのです」
この話をするのは…絶対に、今ではない。
だけど、父と話せる機会は稀だ。
今回逃せば、次、いつ頼めるか分からない。
「駄目だ」
ロデオは即答した。
「…でも、町へ行って、買い物をしたいです」
「欲しいものがあったら、侍女に頼め。何でも買ってやる」
「その…自分の目で見て、選んでみたいの」
「それなら、屋敷に商人を呼んでやろう。ステファン、聞こえたな」
「かしこまりました」
ロデオの後ろに控えるステファンが、一礼して応えた。
「お、お父様!そうではなくて…!」
リリアンヌは、慌てて胸の前で両手を振った。
「王都が、どんな場所なのか知りたいのです…!」
「絶対、駄目だ。それだけは許可できない」
ロデオは、再びきっぱりと言った。
「お前を、まだ人前に出すわけにはいかない」
「……」
リリアンヌはしゅんと肩を下げて、グラスに視線を落とした。
「リリィ…確かに、まだ早い。もう少し大きくなったら、一緒に行ってやるからな」
隣に座るサイラスが、リリアンヌの背中をそっと撫でた。
「…お兄様は、いつですか?」
「えっ」
「お兄様が初めて町へ行ったのは、何歳の時ですか?」
リリアンヌは、悲しそうな顔をサイラスに向けた。
「…五歳かな」
「お父様!」
サイラスが答えると同時に、リリアンヌは抗議の声を上げた。
「男と女では、まったく違う。寂しかったら、王城へ遊びに行けばいい」
ロデオは取り合わなかった。
「王城…?従兄弟たちのことですか?」
リリアンヌは首を傾げて尋ねた。
「…違う。王子たちとは、もう遊ぶな」
「それでは、王城へ行っても遊ぶことができません」
「いくらでも歳の近い令嬢がいるだろう。王城で、茶会でも開けばいい」
「あら、それはいいわね。リリアンヌ、次のエレメア様主催のお茶会へ一緒に行きましょう」
アヴェリーンがすぐに口を挟んだ。
「…はい」
町へ行きたいだけだったのに、なぜか王妃主催のお茶会へ行く話になってしまった。
「成人したら、いくらでも一緒に町へ行ってあげるわ」
アヴェリーンは、困ったように微笑んだ。
「これから時間はたっぷりあるのだから、そういう顔しないの」
「…そうですね」
リリアンヌは小さく頷き、目を伏せた。
時間は、たっぷりない。
もしこの世界が、私の知っている“物語”の通りに進んでいくのなら――
あと五年で、家族全員が死んでしまうのだから。




