選んだ道の代償④
リリアンヌ視点
「それでね、こないだ、メルとゲンがケンカしてね、たいへんだったの」
カヤは寝転んだまま、楽しそうに話を続けた。
「サムたちも出かけてたし、とめられなくて、ベッドのあし、おっちゃったの」
「それで、直した跡があるんだね」
リリアンヌは二段ベッドの上から、カヤの指すベッドの脚へ目を向けた。
「ギタンがきて、ごんっ!って二人をげんこつしたの!すっごい音だったんだよ」
「それは、痛そう」
思わず、顔をしかめた。
「うん!それでね、ギタンがサムといっしょに、ベッドのあし、しゅーりしたの」
「すごいね。サムは、本当になんでもできる」
「サムね、ずっとベッドで、おべんきょうしてるんだぁ」
「お勉強?」
「うん。シルヴィアからとくべつに紙をもらってね、なんか、ずっと書いてるの」
カヤはごろりと体を回転させると、奥から下を覗き込んだ。
「ほら、みて」
「…?」
リリアンヌはカヤの上から首を伸ばし、サムの寝床へ視線を落とした。
枕元に、何か紙が置いてある。
「あーっ…!」
突然、カヤが大きな声を上げた。
「どっ、どうしたの?」
「ひも、落ちちゃったぁ…!」
カヤが手を伸ばす先に、ひらひらと桃色の髪紐が落ちていった。
「ひろう~」
「カヤ、待って、落ちちゃう」
這いずるカヤの背を、慌てて捕まえた。
二段ベッドの上から落ちたら、大変だ。
「私が拾ってくるから」
リリアンヌはそう言うと、軽やかに床へ降りた。
髪紐を拾い上げた時、ふいにサムが使っているベッドに目がいった。
「…あ」
枕元に置いてある紙には、びっしりと数字が書かれていた。
すべて、四桁の足し算引き算だ。
しかも、合っている。
自分で考えて、計算したのだろうか。
サムは…
サムたちは、成人してここを出たらどうなるのだろう。
仕事って、どうやって見つけるのだろう。
もしかして、ボノたちのような生活を送るのだろうか。
こんなに頑張っても――行き着く先は、同じなのだろうか。
「リリィ~」
「あっ…はい!」
リリアンヌは、はっと顔を上げ、二段ベッドの上まで戻った。
「お姫さまの髪にして~」
カヤは、体を起こしていた。
「それはいいけれど…」
リリアンヌは、そっとカヤの額に触れた。
まだ、熱い。
「…お姫様の髪にしたら、寝るって約束してくれる?」
「うん、する~!」
「よろしい」
「あははっ!よろしい、だって~」
カヤは楽しそうに笑い、背中を向けた。
「寝るなら、横にリボンしようか」
リリアンヌはカヤの耳の上で大きく髪束を作り、素早く編み込んでいった。
「よこに?」
「うん。今日は、お淑やかなお姫様の髪型」
「おしとやかって、なに?」
「そうだなぁ…お上品で、ゆったりしている人のことかな」
「じゃあ、シルヴィアだね」
「ふふっ…そうだね。シルヴィアは、お淑やか」
確かにシルヴィアは、上品でゆったりして、落ち着いている。
仕草も口調も、まるで貴族のようだ。
「…はい、できた!」
三つ編みを耳の上でお団子にして、桃色の髪紐で結んだ。
「わあ、ありがと~」
カヤは嬉しそうに振り向くと、ぎゅっと抱きついた。
「カヤ、約束は?」
「うん、ねるぅ…」
「!」
「リリィ、つめたくて、きもちいぃ…」
ずるずると体を沈め、リリアンヌの膝を枕替わりにつっ伏した。
「えっ、冷たい…?」
自分では、分からない。
「…カヤ、苦しくないの?」
「うん…」
「でも、汗かいてる」
「ん…」
「ええと…手拭い」
「リリィ…」
「なあに?」
「だいすき…」
「…うん。私も、大好き」
リリアンヌは、そっとカヤの背を撫でた。
「妹ができたみたいで、嬉しかったよ」
孤児院の子たちと知り合えて、本当に良かった。
ここで過ごした半年間は、かけがえのない日々だった。
しばらくして、カヤが小さな寝息を立て始めた。
「……」
リリアンヌは顔を上げ、ゆっくりと辺りを見渡した。
枕の脇に、乾いた手拭いが放り投げてある。
「ごめんね…」
そっとカヤの肩を抱き、膝からゆっくりと枕へ移した。
すでにぐっすりと眠り込んでいる。
手拭いを掴み、カヤの額の汗を拭いた。
だいぶ暑そうだ。
窓はいつものように開いていて、心地よい風が入ってきている。
手拭いを濡らして額に置けば、もう少し涼しくなるだろうか。
カヤを起こさないよう、静かに二段ベッドの上から降りた。
ベッドの脇にある棚の上に、水の張った盥が置いてある。
「…ぬるい」
やっぱり、井戸から直接水を持ってきた方がよさそうだ。
盥と手拭いを持って、そっと部屋を後にした。
可哀想だけれど、白のちからは使えない。
シルヴィアが付いているなら、きっと悪化することはないだろう。
それにしても…ここへ来た時に子供たちが罹っていた病気は、何だったのだろう。
ボノたちが罹っていた病気も、よく分からない。
だけど、あれだけ不衛生なら、何かしら病気になるのは当たり前だ。
町の方は、もっと綺麗なのだろうか。
やっぱり…町には行ってみたかった。
どれほど貧民区と違うのか、知りたかった。
「…あ、そうだ」
井戸の前で、リリアンヌは小さく呟いた。
水を入れ直した盥を持って、そのまま薬療院の扉をくぐった。
「ええと…あった、あった」
調理場に入ると、目当てのものがすぐに見つかった。
薬缶に入っている、シルヴィア特製のぽかぽか茶だ。
盥を脇へ置き、近くのコップにゆっくりと注いだ。
カヤが起きたら、きっと喉が渇いたと言うはずだ。
勝手に淹れることに少しだけ罪悪感があったけれど、
今のカヤに、沸かしていない井戸水を飲ませるよりはましだろう。
――…ガァァァンッ…!
不意に、大きな音が響いた。
「…えっ!?」
リリアンヌは、びくりと顔を上げた。
孤児院の方からだ。
カヤがベッドから落ちたのだろうか。
いや、そんな音じゃない。
慌てて薬缶を置き、裏口の扉から飛び出した。
子供部屋に繋がる二階の窓の下まで駆けると、高く跳ね上がった。
中に回って階段を上がる時間すら、もどかしい。
リリアンヌは窓から体を滑り込ませ、
そのままカヤのベッドの上まで跳ねた。
「え…っ」
ベッドの上は、空っぽだった。
「カヤ…!カヤ!?」
他のベッドを見渡しても、どこにもいない。
自分がいなくなったことで、どこか行ってしまったのだろうか。
「…っ」
ベッドから飛び降り、一気に部屋の外へ駆けた。
「カヤ!どこにいるの…!?」
そこまで遠くに行けるほどの時間は、空けていない。
それなら、一階にいるはずだ。
さっきのは、何かが倒れたような大きな音だった。
まさか、家具の下敷きになってしまったなんてことが――
「…っ…!」
一階に下りた瞬間――リリアンヌは、息を呑んだ。
表の扉が壊され、部屋の中へ倒れ込んでいる。
明らかに、力ずくで破壊された跡だった。
カヤ以外の誰かが――ここに来た。
「かっ、カヤ…」
真っ青になりながら、壊れた扉へ近づいた。
まさか。
まさか――
「…あ…」
リリアンヌの膝から、力が抜け落ちた。
壊れた扉の上に――
カヤに結んだはずの、桃色の髪紐が落ちていた。




