仲間のエルフが託すもの
キリ視点
ふいにリリアンヌの頭が傾き、髪が頬をくすぐった。
背に回されていた手が、力なく草の上に落ちた。
小さな寝息が聞こえてくる。
「……」
キリは、リリアンヌをそっと両腕に抱きかかえた。
「ホ~」
「きゃっきゃっ」
飛んでいた精霊たちが舞い降り、左右の肩にそれぞれ収まった。
「戻ろう」
風に乗り、ゆっくりと崖から下りていく。
先ほどの窓から部屋に戻ると、ビッケが所在なさげに立っていた。
「…おかえり」
「まだ寝ていなかったのか」
「…何があるか、分からなかったし」
「心配せずとも、無理をさせるような話はしていない」
キリはベッドに近づくと、そっとリリアンヌを下ろした。
ぐっすりと眠っている。
何事もないように同胞たちへ白のちからを送っていたが、体は正直だ。
疲れていないわけがない。
「あ、待って」
ビッケが慌ててリリアンヌの靴を脱がせ、そっと布団を掛けた。
「ごめん…話は聞いてた」
こちらを見ないまま、小さく呟いた。
「構わない」
いずれ、ここにいる者たちにも伝えなくてはいけないことだ。
「しばらくは…会えないんだね」
どこか、寂しげだった。
「…寂しいのか?」
ビッケは、親ともあっさり別れた。
私とは、それほど長い付き合いでもないはずだが。
「…分かんない。オレの中に、寂しいって感覚はあんまりなかったんだけど」
ビッケは誤魔化すように肩をすくめた。
「絶対…リリアンヌに影響受けた」
「…そうだな」
ふっと笑みをこぼし、改めてビッケに目を向けた。
「私のいない間、リリアンヌを頼む」
「うん。あんまり役には立てないけど…」
今度は、自信なさげだ。
「お前は、リリアンヌに頼られている」
なぜ、そんな不安そうなのか。
「…本当?」
「お前がいなければ、彼女は朝も起きられない」
「それは、そうかもだけど」
ビッケが、おかしそうに吹き出した。
「それに、お前といる時が一番自然だ」
「…そうなの?」
「一番、素に戻っている」
喋り方も、表情も、すべて。
ビッケの前では、飾ることがない。
「…そっか」
ビッケは少し俯き、照れくさそうに笑った。
「リリアンヌの些細な変化を、見逃すな」
「些細な変化…?」
「そうだ。お前が誰よりも気付けるところにいる」
ネウロの目が異変を捉えてからでは遅い。
もっと早く、リリアンヌの異変を察知しなければならない。
「それを、他の者と共有しろ」
「…分かった」
ビッケが、こくんと頷いた。
「…頼む」
キリはそれだけ告げると、窓辺へ向かった。
そのまま、ふわりと外へ下りる。
まだ、話しておくべき相手がいる。
地面に降り立つと、建物の陰に佇む男へ歩み寄った。
「悲しませるような話はしないと伝えたはずだ」
こいつもまた、ずっと聞き耳を立てていた。
「気が散って仕方ない」
「だが、泣かせた」
低い声が返ってきた。
「お前に言われる筋合いはない」
「…その通りだな」
アランフォースは、自嘲するように笑った。
その顔を見上げ、口を開く。
「お前が、リリアンヌを護れ」
「…は?」
アランフォースの眉が寄った。
「お前は、護った気になっているだけだ。護り方を間違えるな」
「…俺の、何が間違っているという」
声に怒りが滲んだ。
「それは、お前自身が一番分かっているだろう。以前のお前の方が、遥かにましだ」
キリは淡々と返した。
「護り方を間違えているから、勝手に悩み、弱気になっている」
「……」
「瘴気に耐えることができず、戸惑っているのだろう。私もだ」
「……」
アランフォースは、しばらく黙っていた。
「…今までは、瘴気に近づいても何も感じなかった」
やがて、ぽつりと答えた。
「異形の存在を討伐してきて…こんなことは、一度もなかった」
その目が、わずかに揺れた。
昨日――全員が、瘴気の影響を受けた。
自分は一族同士で争い、アランフォースは、彼女の目の前でシーシェの腕を斬り落とした。
争うなと言い続けたリリアンヌの言葉が、届かなかった。
「…もう、以前とは同じでいられないのだろう」
キリは静かに告げた。
瘴気は負の感情に反応し、心を強く支配して、やがて虚にする。
感情の起伏が少なければ、それだけ心を乱されることも少ない。
だが今は、互いに守りたいものができてしまった。
「……」
アランフォースは、すぐには答えなかった。
「だが、それでも護れ」
「…当たり前だ」
まだ考え込んでいる。
「お前の今のやり方は、間違っている」
「…どう、間違っている」
今度は、答えを請うような声だった。
「お前は、ただの護衛に徹しようとしている」
「…それの何が悪い」
「護衛に徹することと、彼女を遠ざけることは違う。今のお前は、必要以上に彼女を責め、わざと嫌われようとしている」
「……」
「彼女が、そんなことで嫌いになるわけがないだろう」
もうひとつ。
「心配せずとも、とっくにお前への恋慕はない」
こいつのためにも、そう伝えておくべきだろう。
「護衛に余計な感情は必要ない」
アランフォースは、すっと表情を消した。
「そんなものがあるから、瘴気にあてられる」
「不要だと願えば、お前は消すことができるのか」
「…握り潰すことはできる」
「できていない。そんなことをしても、余計に振り回されるだけだ」
無表情を装っていても、隠しきれていない。
焦燥、不安、怯え――
大切なものを失うことへの、恐怖。
「握り潰すな。乗り越えろ」
キリは、アランフォースをまっすぐに見据えた。
「お前自身の心を護ったうえで、彼女を瘴気から護れ」
今までは、なんとかなった。
だが、あれ以上“枷”が悪化すれば、誰の言葉も届かなくなるかもしれない。
――こいつ以外の。
「リリアンヌを正気に戻せるのは、お前しかいない」
「…それは、俺の役目ではない」
アランフォースは、わずかに目を伏せた。
「お前たちの立場など、私は知らない」
人族の決めた身分や婚約者など、そんなことは一切関係ない。
「お前たちの関係は、そんな薄いものではないだろう」
仲間とも、また違う。
このふたりは、何か別のもので繋がっている。
「……」
アランフォースの目が、ぴくりと動く。
「前のように、ぶつかってでも話し合えばいい。護衛としてではなく、お前自身として」
その感情を、持つべきではないものと決めつけ、無理に押し込めようとしている。
――互いに。
そんな余計なことをするから、肝心な時に間違える。
取り返しのつかなくなる前に、そのことに自分たち自身で気付くべきだ。
「…エルフからの説教か。沁みるな」
以前、レックスにも言われた言葉だ。
「違う。仲間からの助言だ」
「!」
「私のいない間、リリアンヌに何かあったら、まずお前を殺しに行く」
キリは淡々と言い切った。
「…仲間に向ける言葉ではないな」
アランフォースが、ふっと苦笑した。
「アランフォース。本当に…頼む」
時間がないことは、事実だ。
リリアンヌ自身が、人族として生きることを望むのなら。
一刻も早く、瘴気をどうにかする方法を見つけなければならない。
そのためには、どうしてもリリアンヌから離れるしかない。
一番傍にいたい時期に、離れざるを得ない。
この選択を、絶対に後悔したくない。
「当たり前だ」
アランフォースの目に、ようやく鋭さが戻った。
「……」
キリはしばらく見つめた後、再び口を開いた。
「…明日、舟でガーデラ川へ向かう。私はそこで別れる」
「分かった」
アランフォースは頷くと、再び闇に紛れた。
あと、二人。
聞き耳を立てている者たちにも、話をしなくてはいけない。
レックスに伝えてほしいこともある。
キリはその場を離れ、建物の入り口へと向かった。
「…キリ、助かった」
小さな呟きが、風に乗って届いた。




