孤独なエルフの出した答え②
リリアンヌ視点
ぽたりと、涙が頬を伝った。
「…そんな、駄目」
リリアンヌは、ゆっくりと首を振った。
「私は、デューゼの森で暮らす気は――」
「分かっている。君がどの道を選ぼうとも、私の気持ちは変わらない」
「…長になったら、エルフたちを導かないと」
エルデンを見ていれば、分かる。
エルフたちにとって、長の意見は強い。
「私は長になる気はない」
「!?どうして…!」
思わず、キリの腕を両手で掴んだ。
「きゃぁぁ」
肩が揺れたのか、スミレがずり落ちた。
「あっ…ごめんっ…」
「ホ~」
スノウが羽ばたき、落ちてきたスミレをふわりと受け止めた。
そのまま、すぃ…と崖の周りを気持ち良さそうに飛んでいく。
二人で、その様子を見上げた。
「…もともと私は、一族のもとへ戻る気はなかった」
キリは空を見上げたまま、静かに話し始めた。
「彼らと共に生きることは、この先も、もうないだろう」
「…っ、どうして!」
掴んでいた腕に、ぎゅっと力が入った。
「大切な、同胞でしょう…!?」
長い年月を、ここで一緒に過ごしてきて。
決裂して、再び分かり合って。
それなのに、どうしてまた別々の道を歩もうとするのだろう。
「君の方が、もっとずっと大切だからだ」
「…!」
迷いのない声に、はっと息を呑んだ。
「君の傍にいて、もっと多くのことを知りたい。それが私の望みだ」
キリは顔をこちらへ向け、一言ずつ丁寧に言い切った。
「キリの…望み」
「誰かとの約束のためではない。私自身の意思で、君といたい」
「…っ」
そのまっすぐな眼差しから、逃げるように目を逸らした。
「私はっ…いつか、いなくなる」
「…それは、何十年も先の話だ。そうだな」
念を押すような口調だった。
「そうだとしても…!キリはそのあと、どうなるの…?」
結局、自分が恐れた通りになってしまう。
「私は、キリがひとりになってしまうことに耐えられない…!」
「ひとりではない」
きっぱりとした声が返ってきた。
「…っ…あの子が、傍にいるけれど」
リリアンヌは、ちらりと空を飛び回る精霊たちへ目を向けた。
「そうだ。君のおかげで、私はひとりではない」
「そうだけど…っ」
確かに、スミレがキリに加護を授けて安心した。
だけど、もうエルフたちとも仲直りできた。
わざわざ離れる必要なんて、ないのに。
「それに、そういう意味ではない」
「…どういうこと?」
「一族と共にいなくても、ひとりだとは思わない。彼らとは、もう望めばいつでも会える」
「…一緒に、暮らさなくても?」
「そうだ。今までとは違う」
キリがしっかりと頷いた。
「戻れない、ではなく、戻らない。まったく違う」
「…それでも」
目を潤ませたまま、頑なに首を振った。
「私のことなら、気にしなくて大丈夫だから…」
もしかしたら――私には“枷”があるから、そう言うしかないのかもしれない。
そうだとしたら…無理をせず、今、本当の気持ちを言ってほしい。
「私が気休めを言うと思うか」
「…!」
声が近づき、びくりと肩が揺れた。
「私は、目先のことだけを考えているわけではない」
キリが手を伸ばし、そっと目元の涙を拭った。
「君は、未来のことを考えているか」
「…もちろん」
王都に戻ったら、王族としての仕事が待っている。
城下町で、これからやりたいことも考えている。
「違う。そういうことではない」
「…?」
「人族の男と結婚し、子を成し、次の世代へと繋いでいく。君自身の未来として、考えているか」
「……」
それは…王族としての心得だ。
王族としての使命。
…だけど。
「私は…人族じゃない」
人族じゃない以上…
同じような未来を、選ぶべきではない。
「君は、選べる」
滲む視界の向こうに、真剣な表情のキリが見えた。
「君が望むなら、人族として生きることもできる」
「…どうして、言い切れるの?」
キリは、何を知っているのだろう。
「精霊王の言葉から推測しただけだ」
「私は…選べる…?」
人族として生きていくか。
それとも――
「君がどの道を選ぼうとも、共に歩んでいきたいと思っている」
キリが、改めてゆっくりと告げた。
「だが、どんな道を選んだとしても、その未来は幸せであるべきだ」
「私の…未来」
もし、この世から瘴気が消えて。
二度と、異形の存在が現れない。
二度と、左肩の傷が痛むことがない。
何も、自分を縛りつけるものがなくなったら。
そんな、未来。
「そのために…今は、君から離れる」
腕を掴んでいた手を、そっと握られた。
「だから君も、その未来に向けて戦うことを約束してくれないか」
まっすぐな言葉が、胸の奥に静かに沈んでいった。
「…っ…」
涙が、止まらない。
自分を思ってくれる人たちがいて。
私の未来を、一緒に考えてくれる。
苦しみさえも、分かち合おうとしてくれる。
それだけでも、十分なのに。
さらに幸せを望んで、本当にいいのだろうか。
「君が他人の幸せを望むように、同じくらい、君の幸せを望んでいる」
握られていた手が、ゆっくりと離れた。
そのまま、背中へ腕が回される。
「リリアンヌ。君は、誰よりも幸せになるべきだ」
そっと引き寄せられ、温かな腕に包まれた。
「うぅ…っ」
堪えきれず、肩に顔を埋めた。
キリが長となり、エルフと共に生きる。
それが、キリにとって幸せでめでたいことだと思っていた。
頭では、分かっていたのに。
心は、全然追いついていなかった。
本当は…ただ、寂しかった。
別れることが、つらくて仕方なかった。
「キリと…一緒にいたい」
私も、同じだ。
「キリと、ずっと一緒にいたい…っ」
大好きな人たちと、大切な時間を過ごしたい。
その中には、いつも必ずキリがいた。
「だから、戦う…っ」
キリが望む、未来のために。
私が望む、未来のために。
「キリがいない間も、絶対、戦う…!」
必ず――また、会う。
「…それが聞けて良かった」
優しい声が、耳元をくすぐった。
『君を、助けに来た』
蝋人形のように無表情だった顔が、いつしか優しく笑うようになった。
不器用に背中を撫でるだけだった人が、何度も抱きしめ、落ち着かせてくれるようになった。
数少なかった言葉も、今ではこんなに増えた。
私の危機に現れたエルフが――
いつの間にか、こんなにも大切な存在になっていた。
「ありがとう…」
キリの背中を、ぎゅっと抱きしめた。
その温もりが、今は無性に愛おしかった。




