考えていること
リリアンヌ視点
借りている家に戻って、すぐに風呂へ入った。
髪や体についた潮を、しっかり洗い流していく。
せっかく貸してもらった服まで潮だらけになってしまって、申し訳なかった。
ありがたいことに、着替えまで用意してもらっていた。
暖かいし、何より可愛くて好きだ。
浴室から部屋に戻ると、ビッケが振り向いた。
「支度は終わった?」
「うん。下に行こうか」
「あとさ、お前の服を洗ったら、これが出てきたんだけど」
ビッケが、握っていた片手をこちらに差し出した。
「あっ…忘れてた」
スミレが、ころりと落としたもの。
咄嗟に懐にしまって、忘れていた。
ちゃんと、返さなきゃ。
「今日…は、さすがに、エルデンに会えないかな」
「キリ帰ってきてないし、まだ話し合ってるんじゃない?」
「そうだよね…」
話し合いが終わったら、エルデンに時間を作ってもらおう。
「…とりあえず、その服の上に置いておいてくれるかな?」
そうすれば、明日の朝、また思い出せる。
「分かった」
「あっ、蓋作ってくれたんだね。ありがとう」
テーブルの上の瓶に、目を留めた。
シーシェから貰った瓶には、布が紐で留められている。
「こうやって並べると…すごく綺麗」
赤や桃色、青に黄色。
色とりどりの貝が、それぞれの瓶に入って並べられていた。
「王都に帰ったら、綺麗な小瓶を買って詰め直したいな」
「中央市場なら、たくさん売ってるだろうね」
「うん、そうだね」
ビッケと話しながら、階段を下りていく。
「お待たせしました」
一階に着くと、ブライアンとネウロが向かい合って座り、アランフォースがその向こうに立っていた。
「うわ…また、美味しそう」
テーブルいっぱいに並ぶ料理を見て、お腹が鳴った。
起きたあとに食べたシチューに、ふわふわのパン。
チーズや燻製肉、瑞々しい野菜に果物まで並んでいた。
「お先に飲んでます」
ネウロが、ふふっと笑って木のコップを掲げた。
「いいなぁ。葡萄酒?」
尋ねながら、ブライアンの隣に腰掛けた。
「白の葡萄酒ですね。こんなにたっぷり飲めるなんて、贅沢です」
ネウロの前には、大きな酒瓶が置かれている。
「私も…」
「一杯だけだからな」
右側から、すぐにブライアンの声が飛んできた。
「はい、リリアンヌ」
「ありがとう」
ビッケが左側から差し出したコップを、両手で受け取った。
「アランフォースも、座って?」
「…私は、あとで」
「話も、したいから」
「分かりました」
アランフォースは、すぐにリリアンヌの正面に腰掛けた。
「いただきます」
手を合わせて、葡萄酒をこくっと一口飲んだ。
すっきりしていて、飲みやすい。
昼のように他愛のない会話を交わしながら、穏やかな食事の時間が過ぎていく。
料理はどれも美味しくて、ぺろりと食べ終えた。
「まだ、キリたちは話し合いをしているのかな」
誰に聞くでもなく、ぽつりと呟いた。
「まだ、続いていますねぇ」
ネウロが、すぐに右目を光らせて答えた。
「長いね…」
朝から集まっているのなら、半日近く話し合っていることになる。
「四百年ぶりの大移動をするわけですからね。話も長くなるでしょう」
「あれ…ネウロは、その話を知っているんだっけ?」
そういえば、みんなはエルフたちの話をどこまで知っているのだろう。
「何も知りませんでしたが、精霊王との会話でだいたいは分かりました」
「そう…」
目を伏せて、葡萄酒に口をつけた。
「リリアンヌは、どこまで知っているんだ?」
「え?」
きょとんとしてブライアンを見上げた。
「君は、エルフやデューゼの森について、どこまで知っているのか。教えてくれないか」
ブライアンはこちらに向き直り、真剣な表情を浮かべていた。
「……」
エルフたちの過去を、私が話してもいいのだろうか。
まだ、人族のほとんどが知らないことなのに。
「私は、次期国王だ」
黙ったまま見つめていると、再びブライアンが口を開いた。
「それなのに、あまりにもこの国の歴史について知らない。私は、真実を知りたい」
「…分かりました」
リリアンヌは、ゆっくりと頷いた。
「私の知っている範囲で、お話しします」
どこから話そう。
まずは――
「…遥か昔、この世には、多くの精霊がいました」
ゆっくりと、話し始めた。
ラジャタ村の聖樹が見せてくれた記憶。
あれがきっと、かつてのこの世界の日常だった。
「かつて、人と精霊は共生していたと、聖典にも載っているな」
ブライアンが小さく頷いた。
「はい。その中でエルフ族は、オーリア様や精霊と一緒に、デューゼの森で暮らしていました」
これを私が知っているのは――
“物語”でなのか、オーリア様やキリが教えてくれたのか。
もう、あやふやだ。
「ですが四百年前、精霊たちが姿を消したことで、オーリア様とエルフたちは、一度離れることを決めました」
「口を挟んでもいいですか」
ネウロが、そっと手を上げた。
「精霊が姿を消したのは、公にされた物語の通り、実際に精霊狩りが行われていたからでしょうか」
「ええ、そう。長い間、精霊狩りが行われたことで、デューゼの森から精霊がいなくなってしまったの」
精霊狩りの話は、間違いなくオーリア様から聞いた。
「オーリア様は瘴気と精霊のなれの果てを封印するために、デューゼの森に残った。
エルフたちは、精霊を探すために、四百年前にデューゼの森を出ることに決めたの」
「だけど、一度も精霊を見つけることができなかった…」
ビッケが、小さく声を漏らした。
「そうだね。キリ以外は探すことをやめて、風の里にこもった」
精霊狩りでは、あんなに強いエルフたちも、大勢が命を落とした。
“物語”では、ただそれだけのこととして描かれていた。
人族は恨まれていても、おかしくないのに。
それでも、彼らは私たちをじっと見つめ、質問をするだけだった。
「…もしかして、この世界は、思っていた以上に危なかったのですか?」
ネウロが、はたとこちらに目を向けた。
「リリアンヌ殿下がいなければ…精霊王は、消えていたのでしょうか」
『精霊王が消えれば、この世界も消える』
『我々は、ここで静かに終焉を迎えるつもりだった』
「…世界が消えてしまったかどうかは、私も分からない」
ただ…間違いなく、セスランディアの北半分は滅びていた。
もしかしたら、世界中に異形の存在が溢れていたかもしれない。
「あの執着は、そういう…」
ネウロが呟き、口を閉じた。
「オーリア様も話していたけれど…ちからが戻ったから、デューゼの森も一部は元の姿に戻ったの」
三年間眠っている間に、私がいた場所。
「オーリア様は、そこにエルフたちを迎え入れるのだと思う」
あの綺麗な森に、エルフたちが向かえば。
オーリア様のちからも、また強くなるかもしれない。
自然と、口元が綻んだ。
「…エルフと精霊たちの話は、よく分かった」
ブライアンが静かに話を締めた。
「…はい。私が知っているのは、これくらいです」
スミレを知っていたことは…
まだ――
「今度は、君の話だ」
「…私の話?」
「君は、何か私たちに話すつもりだった。そうだろう?」
「…はい」
そうだった。
オーリア様が、話せと言ったこと。
どう…切り出せばいいだろう。
「……」
こくっと、残っていた葡萄酒を飲み干した。
そのまま、空になったコップに視線を落とした。
「…まず私は、今まで三度、瘴気に飲み込まれかけました」
正確には、四度目だけれど。
一度目は、まだ左肩に傷を負っていなかった時の話だ。
「…このままでは、駄目だなと思っています」
このままでは、十八歳になる前に、異形の存在になってしまう。
物語より、ずっと早く“その時”が訪れてしまう。
「だから――」
「だから、デューゼの森へ行く気ですか」
「えっ」
びくりと顔を上げた。
「精霊王とエルフたちと、デューゼの森で暮らす気ですか」
アランフォースが、真剣な目でこちらを見ていた。
「……」
それもいいなと…思ってしまった。
精霊たちのいるデューゼの森で、何も考えずに過ごす。
ここにいるエルフたちと――キリと、一緒に。
想像するだけで、胸が弾む。
…だけど。
「…逃げては駄目だなって、思っています」
この世界には、まだ助けを待っている精霊たちがいる。
異形の存在だって、また現れるかもしれない。
城下町でやりたかったことも、やりきれていない。
…それに。
大好きな人たちと、まだ一緒にいたい。
「まだ…やりたいことが、たくさんある」
「…まだ」
アランフォースの眉が、ぴくりと動いた。
昨日も、同じ呟きを聞いた気がした。
「そのためにはもう、この“枷”を放っておいては駄目だと思っています」
リリアンヌは、そっと左肩に触れた。
仲間がいるからと、昨日のようなことを繰り返していたら。
いつか絶対に、取り返しのつかないことになってしまう。
「そうはいっても、傷を消す方法は分からないと、精霊王はおっしゃっていましたよね」
ネウロが、静かな声で確かめた。
「まずは、感情を昂らせないことしか、解決策はないと」
「いや…あの時君は、何か言いかけていた」
ブライアンが、はっとこちらへ顔を向けた。
「確か、封印されている瘴気を――」
「君は、その瘴気を消す気だ」
ふいに、背後から声が聞こえた。
「キリ…!」
いつの間にか、キリが階段の手すりに腰掛けていた。
「君に送られる瘴気そのものを、消し去ろうとしている。そうだな」
「そんなこと…できるのか?」
ブライアンが背もたれに手をつき、キリの方へ振り向いた。
「今の君では、まだ無理だ。あの時、精霊王はそう言っていた」
「キリ、話し合いは終わったの?」
「間違いないな?」
キリは答えず、じっとこちらを見つめた。
「…うん」
こくんと頷いた。
「分かった」
キリも頷くと、再び姿を消した。
「…ええ?」
それを聞くために、ここへ来たのだろうか。
まだ、話し合いは続いているのだろうか。
「リリアンヌ。君は、どうやって消すつもりなんだ?」
ブライアンの焦れた声に、前に向き直った。
「…それは、まだ…」
「リリアンヌ殿下。その嘘は看過できませんよ」
「…嘘じゃない。それで合っているか、オーリア様に確認できていない」
ネウロへ顔を向け、首を振った。
「白のちからで消そうと考えているのですか?」
「空気中に漂っている瘴気は、白のちからで消すことはできません」
今度は、アランフォースを見た。
「…体内に入れば、消すことができる」
アランフォースが、鋭い目を向けた。
「……」
ブルックのおかげで、分かったこと。
白のちからで消せないと思っていた瘴気も、体内に取り込めば消せる。
だから――
「君の考えを、教えてくれ」
ブライアンが囁くように言った。
「頼む」
切実な声だった。
「…私は、受け継いだ“黒のちから”で、ヌシカと同じように瘴気を操ることができます」
リリアンヌは目を伏せ、ぽつりと答えた。
「封印されている瘴気を自分に取り込んで――体に入った瘴気を、白のちからで消そうと思っています」
それが、私の考えている解決策だ。
オーリア様の言い方だと…
器は、足りているのかもしれない。
でも、まだ、何か足りない。




