四百年ぶりの再会
リリアンヌ視点
外へ出ると、空は綺麗に晴れ渡っていた。
あれほど空を覆っていた重い雲が、すっかり消えている。
洞窟の入り口から少し離れたところで、エルデンが振り向いた。
「貴女たちを、砦へ帰そう」
「…もう、誰も攻撃しませんか?」
リリアンヌは慎重に尋ねた。
「攻撃しない。貴女たちを全員、砦へ無事に送り届ける」
エルデンが、はっきりと言った。
「君は――初めから、そうするべきだった」
不意に、低い声が響いた。
その瞬間、エルフたちが一斉に跪いた。
同時に、辺りが暗くなる。
「…っ」
空を見上げ、思わず後ずさった。
晴れ渡っていた空が、急速に黒い雲に覆われていく。
頭上で雷鳴が轟いた。
「君たちは…リリアンヌを傷つけた」
洞窟の前に、緑の光がゆらりと現れた。
光の中から、ゆっくりと人影が浮かび上がる。
「それは――我の望まぬことだ」
その緑の瞳には、静かな怒りが宿っていた。
「オーリア様…!」
駆け出そうとすると、すぐにブライアンに腕を掴まれた。
その場で、まっすぐオーリアを見上げる。
「私なら、大丈夫です…!」
「…君は、もう三度目だ」
オーリアはエルフたちを見据えたまま、自分の左肩をとんと叩いた。
「みんながいれば、大丈夫です…!オーリア様、精霊を見つけたの!」
なんとか、怒りを収めてもらわないと。
「本当に、私は傷ついてなんかいない…!」
エルデンに分かってもらって、
精霊を見つけて、
仲間たちが無事で、
キリともまた会えて。
それだけで、十分だ。
「……」
オーリアは、しばらく何も言わなかった。
静かに目を閉じ、やがてゆっくりと開いた。
「…少し、エルフたちと話していいかい?」
「…はい」
リリアンヌは、跪くキリの隣でそっと膝をついた。
まだ、空は暗い。
「…エルデン。久しぶりだね」
「オーリア様…っ」
下を向くエルデンの肩が、微かに揺れた。
「よく…ご無事で」
「…我は、リリアンヌのおかげでここまで戻ることができた」
オーリアの抑えた声に、エルフたちが小さく身じろぎした。
「リリアンヌは、何度も精霊を見つけてみせた。実際に、彼女の肩には精霊がいる。それでも彼女の言葉を誰も信じられなかったのかい?」
「……」
誰も答えない。
「こんな場所に閉じ込めれば、人は簡単に瘴気に飲み込まれる。君たちは――その恐ろしさを、十分に理解していると思っていたけれど」
ゆっくりと、エルフたちを見渡していく。
その視線を追うように、強い風が吹き抜けた。
「すべて、長である私の責任です」
エルデンが静かに口を開いた。
「瘴気に蝕まれ、己の願いに囚われていた。周りのことなど、何も見えていなかった」
その声が、わずかに沈んだ。
「あまつさえ、オーリア様の愛し子であるリリアンヌ殿の言葉を、私は信じなかった」
「もう…リリアンヌを苦しめることはしないね?」
「もちろんです」
エルデンが、まっすぐに顔を上げた。
それに続くように、跪くエルフたちもオーリアを見上げた。
「……」
オーリアは、しばらく彼らを見つめていた。
「…すべてを君たちのせいにはできない」
やがて、その身を包む光がふっと和らいだ。
「我も、ここに精霊がいることに、長い間気付けずにいたのだからね」
重い雲が、ゆっくりと晴れていく。
再び、陽の光が差し込んだ。
「…君たち」
オーリアの目が、リリアンヌの後ろに立つ者たちへ向いた。
「我に免じて、今は怒りを収めてくれないか」
「……」
こちらも、誰も答えない。
「…彼らのしたことは、決して許されることではない。一歩間違えれば、取り返しのつかないことになっていた」
オーリアが再び言葉を続けた。
「だが、彼らにも長年、背負ってきたものがあった。その事情を、少しでも汲んでほしい」
そう言って、返事を待つように口を閉じた。
それでも、誰からも返事はなかった。
「……」
リリアンヌは、ぎゅっと口を引き結んだ。
背後から、ぴりつくような気配が伝わってくる。
私が何か、切り出すべきか――
「オーリア様。そのように我々を庇う必要はありません」
その前に、エルデンが切り出した。
「我々は精霊を見つけることもできず、オーリア様の愛し子まで苦しめた。
今ここで、オーリア様から頂いたちからをお返しすべきです」
「…!」
精霊を見つけるために、オーリア様がエルフたちに分け与えた二つのちから。
見つけるちからと、風のちからのことだ。
「…それは、もう君たちに渡したちからだ。これからも使ってくれると嬉しい」
オーリアが、静かに答えた。
「それとも…もう、我たちに協力する気はなくなってしまったかい?」
「あり得ない」
エルデンが即座に首を振った。
「精霊のためにこそ、我々の命はあります。協力をやめるなど、あり得ない」
「…ありがとう」
オーリアの声は、優しかった。
エルフたちの表情が、わずかに揺らいだ。
「それに…君たちの想いは、伝わっていたよ」
そっと、胸に手を置く。
「君たちはずっと、スーランを助けようとしていた。そうだろう?」
「…?」
リリアンヌは、小さく首を傾げた。
…スーラン。
その名を、どこかで――
「…その名を、どこかで」
心を読み上げるかのように、エルデンが口にした。
「…やはり、忘れてしまったんだね」
オーリアが、寂しそうに呟いた。
「…異形の存在となった女性の名ですか」
エルデンが、はっと目をみはった。
「あの女性は一体、何者なのですか…!」
「……」
オーリアは、静かに口を開いた。
「彼女は――我と共に行動していた、特別な精霊のうちのひとりだ」
「…!」
あちこちで息を呑む気配がした。
「彼女は許されない嘘をつき…精霊のなれの果てとなった」
「ウァヌスプーパ…」
エルデンが、呆然と繰り返した。
「だから…私は、彼女を忘れた…?」
『“精霊のなれの果て”となったものは、光が消え、地に落ちる』
『ちからも使えず、ただ、忘れ去られた存在となる』
『一度落ちたものは――二度と、精霊に戻れない』
以前、オーリア様から聞いた言葉が頭をよぎった。
「彼女は…君に、執着していた」
オーリアが、悲しそうにエルデンを見つめた。
「別の存在となっても、君をここまで追いかけた」
「…私は彼女に、貴女を知らないと言ってしまった」
「君に忘れられたことで、スーランの心は持たなかったのだろう」
「私が…彼女を、追い込んだ」
その声には、力がなかった。
「……」
エルデンとスーランの間に、何があったのか。
私には、分からない。
ただ、想像することしかできない。
愛する人に忘れられ、異形の存在となってしまったスーラン。
その彼女を、四百年もの間、救おうとしていたエルデン。
それは…
とても愛に溢れていて――
とても、悲しい。
「…決して、君のせいではないよ」
優しい声に、再び耳を澄ました。
「代わりに、愛そう。彼女が護り続けた精霊の子を」
オーリアの視線が、ゆっくりとキリの方へ向いた。
小人の精霊はキリの手に座ったまま、きょとんと目を丸くしていた。
「お前は…どうしたい?」
オーリアの問いかけに、小人の精霊が薄紫の光をふわりと膨らませた。
まるで、答えているようだ。
「そう…お前の望むようにするといい」
オーリアが穏やかに頷いた。
小人の精霊が立ち上がり、とことことキリの腕を登っていった。
肩へ辿り着くと――そっと、キリの頬に口づけをした。
「…!?」
その瞬間、キリの体が薄紫の光に包まれた。
「…加護か」
エルデンが、静かに呟いた。
「その子は、自分を見つけてくれた者に加護を与えたいと言っている」
オーリアが優しく目を細めた。
「見つけたのは、リリアンヌです」
キリがすぐに否定した。
「君は、ひとりでずっと精霊を探し続けていた。その子は、そのことを知っていた」
「…!」
「見つけてくれてありがとう――と。そう言っている」
「……」
キリは、肩に座る小さな精霊をじっと見つめた。
その瞳から、涙がひと粒こぼれ落ちた。
「…キリ」
「……」
ゆっくりと、こちらを向く。
「キリ、良かったね」
リリアンヌは顔を寄せ、そっと囁いた。
“物語”では、数いる精霊の中で、小人の精霊――スミレだけが、マドカ以外の者に加護を授けていた。
それが、キリだった。
だから、なんとしても風の里に来たかった。
「キリは、ずっとこの子と一緒だよ」
精霊が傍にいれば、キリがひとりになることはないから。
自分にたくさんのものをくれた彼に、今度は私から。
優しい彼に、恩返しを。
やっと――できた。
「…っ」
キリの顔が、ぐっと歪んだ。
「…!?大丈夫…?」
咄嗟に、キリの腕を両手で握りしめた。
すると、スミレがキリの肩から、腕を滑るように降りてきた。
「わっ…」
今度は、こちらの腕を登ってきた。
「器用だね」
くすっと、笑みがこぼれた。
スミレはリリアンヌの肩まで登ると、その先にいたスノウの背に飛び乗った。
「ホ~」
スノウが、スミレを背に乗せて羽ばたいていった。
そのまま、皆の上を飛び回る。
「きゃきゃっ!」
スミレの楽しそうな声が響いた。
「あっ…喋った…!」
「…笑い声だな」
キリが静かに訂正した。
空を舞う精霊たちを、エルフたちはじっと目で追った。
しばらく、穏やかな時間が流れた。
「…デューゼの森にも、だいぶ緑が戻った」
オーリアが、静かに語り始めた。
「精霊たちもまた、戻った。森で、楽しそうに飛び回っている」
跪くエルフたちを見渡し、優しく微笑んだ。
「君たちが良かったら…また、デューゼの森に戻ってこないかい?」
「…!」
エルフたちの間に、驚きが広がった。
「君たちがいてくれれば、我も心強い。だが、無理強いはしないよ」
「…よろしいのですか」
「いいも何も、我たちは、四百年前まで共に住んでいただろう?」
「裏切った我々を…また、受け入れてくださるのですか」
エルデンの声が、わずかに震えた。
「裏切ってなどいないよ。君たちは、やり方を間違えただけだ。…決して、褒められたことではないけれどね」
オーリアはそっと首を振った。
「けれどそれは、我自身にも言えることだ。これでいいと言い聞かせて、多くのものを失ってきた」
寂しそうな声が、静かに響く。
「だからこそ、誰かと共に考えることは大切だ。ひとりでは見えなかったものも、誰かと一緒なら、見えてくることがある」
穏やかな眼差しを、ゆっくりとエルフたちに向けた。
「これからでも、間に合う。君たちも変わろう。我と共に」
「…っ」
エルデンの頬を、涙が伝った。
その姿に、自分まで目頭が熱くなった。
良かった。
まだエルデンたちが、デューゼの森へ戻ると決まったわけではないけれど――
また、精霊王と精霊とエルフたちが繋がった。
四百年ぶりに、ようやく。
「…君の話をしようか」
「…あ」
リリアンヌは、はっとオーリアに顔を向けた。
「だいぶ、鍛えたんだね」
「はい。器も、大きくなりました」
ぎゅっと、胸元を握りしめた。
「オーリア様。今の私では、どうでしょうか」
何がと言わなくても、分かってくれるはずだ。
「……」
「まだ…足りないのでしょうか?」
どうして、何も言ってくれないのだろう。
どうしてまた、悲しそうな顔をしているのだろう。
「…それ以前の問題だね」
やがて、オーリアが静かに答えた。
「…え?」
「君は、その考えを誰かに言ったかい?」
「……」
ぐっと、言葉に詰まった。
オーリア様以外に…
…誰にも言っていない。
「君もだ。いつまでも、ひとりで抱え込んでいてはいけない」
オーリアが、まっすぐこちらを見つめた。
「もう、その時期は終わった」
「…その時期?」
何の時期だろう。
「このままだと、本当に君を連れて行くことになる」
「…私は」
「分かっている。君は、まだデューゼの森へ来るべきではない」
「…まだ」
後ろで、誰かが呟いた。
「いいかい、リリアンヌ」
「…!」
声が、頭の中で反響する。
「人族として生きていく以上…これからも、必ず君は心を揺さぶられる」
目の前のオーリアは、ただ黙ってこちらを見つめているだけだった。
「味方を――傍にいる者たちを、もっと信頼しなさい。周りを、頼るんだ」
「信頼、しています」
リリアンヌは、口に出して返した。
「頼り方を、間違えてはいけないよ」
オーリアも、今度は声に出して返した。
しばらくこちらを見つめ、静かに目を伏せた。
「…我は、そろそろ戻るとするよ」
緑の光が、ゆらゆらと揺れた。
「エルデン、急ぐ必要はない。…だけど、いつか戻ってきてほしい」
「必ず、デューゼの森へ戻ります」
エルデンはすぐに答えた。
「…その時は、歓迎しよう」
ふっと優しく微笑み――
その姿が、消えた。




