見つけられなかった精霊
リリアンヌ視点
「ラララ…ウフフフフ…ラララ…」
「……」
リリアンヌは、ゆっくりと異形の存在に向き直った。
もちろん、なんて言ったけれど。
正直…今の私では、異形の存在を消せるか自信がない。
だけど、やるしかない。
せっかく、エルデンが頷いてくれたのだから。
できませんだなんて、絶対に言いたくない。
ふいに、肩を引かれた。
「…服を、戻して」
ブライアンが、はだけた上衣の襟元をそっと寄せた。
「…あ」
話に夢中で、留め具を外したままだった。
「今の状態で…消せるのか?」
「…やってみます」
上衣を留める手元を見つめ、小さく答えた。
「私が倒しますか」
「えっ」
ぱっと、顔を上げた。
「あれくらいなら、倒せると思いますが」
アランフォースが、異形の存在へ視線を向けて言った。
「私が、消します…!」
あんなに大きな異形の存在だ。
それに、キリとエルデンが避けられないほど素早い。
直接“心”を消すのが、一番確実だ。
「あなたに無理をさせると思いますか」
アランフォースの目が、こちらに向いた。
「無理じゃありません」
「ザンビア砦の時と、同じことを繰り返す気ですか」
「…!」
「瘴気を送られ、異形の存在を消し去り、あなたは三年間も眠ることになった。また、それを繰り返す気ですか」
アランフォースの表情が、ゆっくりと険しくなっていく。
「……」
確かに、ヌシカと対峙した時の状況と同じだ。
…でも、あの時は。
「絶対に、もう無理はしない」
リリアンヌは、静かに首を振った。
「あの時と、全然違うから」
自分の中の、器の大きさも。
仲間たちとの、繋がりも。
あの時とは、まったく違う。
「グフフフフフ…アハハハハハ…ッ」
「!」
背筋に寒気が走り、急いで一本道を振り向いた。
壊れた檻の隙間から――ゆっくりと、異形の存在の両手が伸びた。
鋭い指が、こちらに向かってくる――
その瞬間、無数の光が目の前を駆け抜けた。
――ドドドドドドドッ…!
「ゲギャァァァッ…!?」
光が次々と叩き込まれ、伸びていた右腕が檻の中へ押し戻されていく。
ブライアンを振り返る間もなく、今度は強い風が巻き起こった。
竜巻のような風が、もう片方の腕を弾き返した。
キリが右手を突き出していた。
「…!」
二人の間で、両手を前にかざした。
――あの異形の存在と、繋がれ!
リリアンヌの体と檻の中が、白い光で包まれた。
「ギッ…ギャアアアアアアアア…ッ!」
黒い人影が、苦しそうに身もだえた。
必死に喉元を掻きむしっている。
…すぐに、終わらせるから。
――“心”を、消し去る。
「アアアア…アアアアアアアア…!」
檻の奥から、砕けた岩の破片が一斉に飛び出した。
即座にブライアンとキリが弾き落としていく。
土埃が舞い上がり、足元がぐらりと揺れる。
頭上から、小石がぱらぱらと降ってきた。
「はっ…はぁっ…」
このままだと、間に合わない。
反撃がこちらに届く前に、止めなきゃ――
「あの時と、同じように」
耳元に低い声が落ちた。
「えっ」
いつの間にかスノウを肩に乗せたアランフォースが、すぐ脇を駆け抜けた。
「アランフォース…!」
あっという間に、その姿が土埃で見えなくなった。
「っ…」
リリアンヌは、強く一歩踏み出した。
あの時――初討伐の時と、同じように。
私が“心”を押し出して、アランフォースが破壊する。
――“心”を、押し出せ…!
反撃も、させない!
「ギィィィィィーーーーッ…!!」
金切り声が辺りにこだまする。
ブライアンもキリも、連撃を止めない。
「頑張れっ…」
背中から、ビッケの小さな声が聞こえた。
…大丈夫。
みんなが、いてくれるから。
繋がった光を通して、“心”が押し出されていくのを感じた。
そこへ、大剣が突き立てられる――
次の瞬間。
――パリンッ…!
“心”の割れる音が、響いた。
「エ…デ……」
「…!」
檻から聞こえた微かな声に、エルデンが反射的に駆け出した。
繋がっていた光が、ふっと途切れた。
異形の存在が――消えた。
「はぁっ…は…っ!」
リリアンヌは前屈みになり、膝に手をついた。
すぐに、キリがその体を支えた。
「っ…」
ぱっと顔を上げ、土埃の向こうに目を凝らす。
「私は無事です」
何か言う前に、アランフォースの声が聞こえた。
安堵の息を吐き、汗を拭う。
キリに支えられたまま檻の方へと歩き出した。
静まり返った一本道を進んでいく。
土埃は、まだ収まらない。
もう何の声もしない檻の前に、エルデンが佇んでいた。
「…あれは、気付いたら存在していた」
歩きながら、キリがぽつりと口を開いた。
「あれが何の精霊だったのか、私は知らない」
「…うん」
多分――エルフの誰も、覚えていない。
「あれに執着する長が、私には理解できなかった」
キリは目を細め、エルデンの後ろ姿を睨みつけた。
やがてこちらに視線を下ろし、わずかに眉を寄せた。
「…だが、今なら分かる気がする」
「…心配かけて、ごめんね」
リリアンヌは眉を下げ、きゅっと唇を結んだ。
「リリアンヌ殿下」
その声に、顔を向けた。
「あそこに」
ネウロが、檻の方を指さしていた。
指さされた先に、白い光がちらちらと見えた。
スノウが、檻の隅を離れずに飛び回っている。
「…!」
「リリアンヌ、待て」
ブライアンが、さっと片手を上げて行く手を制した。
そのまま、壊れた檻の隙間に入っていく。
土埃が落ち着き、空になった檻の様子が徐々に見えてきた。
「…大丈夫だ」
檻の向こうから、ブライアンの声が聞こえた。
キリと一緒に、壊れた檻の隙間をくぐる。
ランタンの灯りが届いていても、中は薄暗い。
あちこちに転がる瓦礫を避けながら、アランフォースとブライアンのもとへ向かった。
二人は、同じ場所に目を向けていた。
その視線の先――檻の片隅の地面に、小さな薄紫の光がぼんやりと見えた。
「……」
逸る気持ちを抑え、ゆっくりと近づいていく。
光の前に膝をつくと、キリも隣にそっと屈んだ。
光の中には、可愛らしい服を着て、大きな頭巾をかぶった姿が見えた。
傍に舞い降りたスノウと、同じ大きさ。
「……スミレ」
体を丸めて眠る小人の精霊が――そこにいた。
「…遅くなって、ごめんね」
眠る精霊に、そっと白のちからを送る。
精霊が、もぞりと動く――
「!」
ぱちっと、目を開けた。
精霊は、胸の前で何かを握りしめたまま身を起こした。
何度か瞬きをして、覗き込む二人を不思議そうに見上げた。
リリアンヌと目が合うと、にこりと笑った。
「…っ」
涙が、ぽたりとこぼれた。
良かった。
間に合った。
「…ここから出そう」
キリが、そっと囁いた。
「早くこの洞窟から出るべきだ」
「…キリが、この子を運んでくれるかな」
「…私が?」
「うん。大丈夫だから」
リリアンヌは、迷いなく頷いた。
「……」
キリが、ゆっくりと手を伸ばす。
精霊はその手によじ登ると、ちょこんと座った。
見つめられていることに気付いたのか、再びにこっと笑った。
キリは、呆然と手のひらの精霊を見つめていた。
「…行こう」
リリアンヌはゆっくりと立ち上がった。
キリも続き、精霊から目を離さないまま檻の入り口へと歩いていった。
檻の向こうでは、エルデンがこちらをじっと見ていた。
「…本当に、精霊がいた」
「…この子は、ずっとここにいました」
リリアンヌは、静かに答えた。
「瘴気は、精霊の存在を隠します」
私の予想だけど、きっと間違いない。
「……」
「あの…洞窟から、出ませんか?」
「…そうだな」
エルデンが振り返り、歩き出した。
その後を追って一本道を進み、大きな足場まで戻ると、多くのエルフたちが待っていた。
「…精霊!」
「まさか、本当に…」
「ああ…」
キリの手にいる精霊を見つけたエルフたちが、小さく声を上げた。
エルフたちは、感情がないわけじゃない。
ただ、忘れてしまっているだけ。
ちゃんと、感情がある。
ちゃんと、話せば通じる。




