四百年の願い
エルデン視点
体中の骨が、砕けていく。
「ごふっ…」
口から大量の血が噴き出した。
体の内側まで、潰されたのだろう。
まさか…こんな最期を迎えるとは。
こうも容易く捕らえられ、抗うことすらできないとは。
これが…運命。
これが――罪の代償。
「…いやぁぁぁーーーっ!!」
不意に、洞窟内が白い光で溢れた。
体を締めつけていた指が緩み、どさりと地面に落ちた。
眩しくて、何も見えない。
異形の存在は。
キリは。
同胞は。
奴らは。
徐々に、光が薄れた。
「フフフフ…アアアア…ラララ…」
気付けば、異形の存在は檻の中に戻っていた。
いつものように、黒い瘴気をゆらゆらと揺らしている。
「…!?」
エルデンは、思わず身を起こした。
砕かれたはずの体が、元に戻っている。
潰れたはずの内臓も、元通りになったのか。
深く、息が吸えた。
「長、大丈夫ですか」
同胞のひとりが、目の前に跪いた。
あれほど深く斬られていた足に、傷ひとつない。
「…勝手な真似をして、申し訳ありません」
階段から、別の同胞が音もなく下りてきた。
血に染まった服。
その袖から、失われたはずの腕が伸びている。
壁に叩きつけられた二人も、何事もなかったかのように歩いてきた。
「……」
エルデンは、ゆっくりと辺りを見渡した。
…キリは。
どこだ。
ふと、視線が止まる。
「…なんだ、あれは」
階段の上に――大きな黒い靄が広がっていた。
あそこには、人族がいたはずだ。
異形の存在から溢れる瘴気が、あそこまで届いてしまったのか。
「…キリ、どこ」
黒い靄の奥から、か細い声が聞こえた。
「ここにいる」
「し、死んじゃったかと」
「すまない。瘴気で気が立っていた」
「何も、見えない…」
「見える。仲間がいるだろう」
「…ビッケが、見える」
「…うん。ここにいるよ」
黒い靄が薄れ、両膝をつく獣人族が見えた。
「大丈夫ですよ。あなたは、あなたです」
「ネウロ…」
左目を青く光らせた、不思議な人族の姿が現れた。
「アランフォース…は」
「…ここにいます。申し訳ありませんでした」
跪く赤髪の男が、唇を固く結んでいた。
「…すまない。君の言葉を聞かなかった」
「だ、大丈夫…?ブライアン…」
「君のおかげで、もう大丈夫だ」
黄金色の髪の男が、誰かに向かって微笑みかけた。
黒い靄が、さらに薄れていく。
「瘴気が薄れている。もう少しだ」
黒い靄を抱きしめている、キリの背が見えた。
「ご、ごめんなさ…」
「君が謝ることは、何もない」
キリは黒い靄を抱きしめたまま、言葉を重ねた。
「ありがとう、リリアンヌ」
靄が晴れ、キリに抱きしめられるリリアンヌが現れた。
「キリ…会いたかった…」
リリアンヌが、その背を抱きしめ返す。
頭にかかっていた霞が――ふっと晴れた。
「ギィヤァァァァァァァァァ…!」
その声に、一瞬で我に返った。
「アアアア…フフフ…ウフフフ…」
異形の存在は、かなり上機嫌だ。
檻の一角が大きく壊れ、今にもそこから出てきてしまいそうだった。
「……」
揺れ動く黒い影を、じっと見つめる。
興奮させたのは、私か。
あの姿になっても、なお、私を――
「エルデン」
名を呼ばれ、振り返った。
いつの間にか、リリアンヌたちが足場まで下りてきていた。
「…これを、見てください」
そう言って、マントを肩からずらし、上衣の留め具を外していく。
「リリアンヌ…!」
「今度こそ、話をさせてください」
止める男に構わず、上衣の襟元を広げ、左肩を見せた。
「これは、異形の存在から受けた傷です」
露わになったリリアンヌの左肩には、はっきりと傷跡が残っていた。
深く抉れたその傷は、黒く変色して硬くなり、瘡蓋が張りついているように見えた。
「この傷は、先ほどのように私を襲ってきます。感情が一線を越えれば…瘴気が溢れ出す」
「なぜ…そんなことが起こる」
気付いたら、問いが口を衝いていた。
「ここに、倒したはずの異形の存在がいるから」
左肩の衣服を握りしめる手に、ぐっと力がこもった。
「…黒のちからか」
エルデンは、はっと呟いた。
瘴気を操るちから――
それを使う者を…
どこかで…
「そうです。ひとりでは…どうすることもできない」
リリアンヌが、悲しげに目を伏せた。
その異形の存在が――
彼女の体で、何かしようとしているのか。
だから、人族はあれほど彼女をひとりにすることを嫌がっていた。
何としても同行しようとしたのには、理由があったのか。
「異形の存在は…とても危険なのです」
リリアンヌは、ゆっくりとエルデンを見上げた。
「あの姿になってしまっては、もう、精霊に戻ることはありません」
何度も聞いた言葉だった。
「あの異形の存在を――消しましょう」
「……」
エルデンは、ゆっくりと目を閉じた。
――エルデン、お願い
――私を…思い出して
――私を、愛して
リリアンヌの言っていたことは…少し違う。
この異形の存在が誰だったかを、どうしても思い出せない。
ただ、間違いなく大切な存在だった。
記憶がなくとも、心がそう訴えていた。
…だが。
もう――
目を開き、静かに頷いた。
「…分かった」
「…いいのですか」
同胞のひとりが、後ろから小さく尋ねた。
「四百年以上手を尽くして、無理だった」
エルフの中に、白の使い手はいない。
加護を持つ者も、とうにいなくなった。
ただ、為す術なくここに閉じ込めておくことしかできなかった。
加護を持つ少女が近くに来ていることを知り、諦めかけていた望みが再び芽生えた。
加護のちからがどれだけ特別なものかは、身をもって知っている。
どうしても、精霊に戻してほしかった。
あんな姿になってしまったあの女性のことを――思い出したかった。
リリアンヌは、何度も言葉を紡ぎ、体を張り、精霊に戻らないと訴えた。
頭が冴えた今なら、分かる。
彼女は、一度も嘘をついていなかった。
それなら、もう…戻らない。
もう、執着するべきではない。
リリアンヌの言う通り――
もう、解放してあげるべきだ。
「…頼めるか」
「もちろんです」
リリアンヌは、力強く頷いた。




