必死の交渉
ビッケ視点
門の前の長い階段を、リリアンヌが、ひとりで下りていった。
兵たちにより、門がゆっくりと閉められる。
やがて重い門が、リリアンヌの姿を完全に遮った。
「連れ去ったり…しないよな」
ビッケは、ぽつりと呟いた。
「さすがに…彼らもそんなことをしたらどうなるか、分かっているでしょう」
右目を光らせるネウロが、隣で返した。
風の里は、エルフたちが住んでいるところ。
話を聞いていれば、それくらいは分かった。
それに、エルフが隠れて暮らしていることは元から知っていた。
自分たち獣人族と同じように、淡泊な性格だとも聞いていた。
でも、あれは淡泊なんてもんじゃない。
まともに話が通じそうにない。
キリに何があったのかは分からないけど、あんなに傷だらけにされていた。
キリは…一族の掟を破ってまで、リリアンヌのもとに来たのだろうか。
エルフたちは、キリが人族に関わったことを怒っている。
でも、どうしてそこまで人族を嫌うんだろう。
獣人族のように、虐げられたとも思えない。
「ビッケ、来い」
「!」
砦の中から名を呼ばれ、はっと振り向いた。
「どうしました?」
ネウロがすぐに尋ねた。
「…陛下が呼んでる」
「なに?」
ブライアンが眉を寄せて振り向いた。
「会話を聞く気でしょう」
アランフォースが、門の方を向いたまま答えた。
「……」
ビッケは、ぴくりと耳を動かした。
「…聞く気がある奴は、ついてこいって」
「ビッケ、協力する必要はない」
ブライアンが小さく首を振った。
「下手にエルフに勘づかれたら、何が起こるか分からない」
「……」
オレだって、リリアンヌの話を漏らす気はない。
主の秘密を漏らすのは、一番の悪だとステファンに教わった。
…でも。
「…タッセントへ勝手に行った罰を、今受けろ、だって」
「そういえば…あの時結局、鷹は使いませんでしたね」
ネウロが思い出したように言った。
「あんな取って付けたような罰を…」
ブライアンが再び顔をしかめた。
「…さすがに、国王に逆らえないよ」
「……」
ブライアンは、しばらくビッケを見つめた。
「…分かった。なら、私も行く」
「僕も行きます」
ネウロもそのあとに続いた。
「…アランフォースは?」
ビッケは、門の方へ小さく振り向いた。
誰よりも、気にしているはずなのに。
「聞こえる。問題ない」
アランフォースは、門に体を向けたまま動かなかった。
「……」
「同じ人族のはずなんですけどねぇ」
「…常識を求めるな」
ネウロとブライアンが囁き合い、扉の方へ歩いていった。
三人で砦の中を進んでいく。
レックスは、階段を上がった先の部屋の中にいた。
「窓の近くには立つな」
室内は、薄暗い。
開いた窓から差し込む月明かりに、レックスとエドガーの姿がぼんやりと浮かんでいた。
「リリアンヌは着いたか」
レックスは、部屋の奥の椅子に腰掛けていた。
「…いいえ、まだです」
ネウロが右目を光らせて答えた。
「父上。リリアンヌを信用していないのですか」
「そうじゃねぇ。お前も来たということは、同じ考えなんだろ」
「……」
ブライアンが、ぐっと言葉を詰まらせた。
「あのエルフは、リリアンヌを傷つけない。だが、それ以外何をするかは分からない」
レックスの鋭い目が、窓に向いた。
「限界だと感じたら、すぐにリリアンヌのもとへ駆けつけろ。俺が許す」
レックスは、ずっとリリアンヌを心配している。
ずっと、リリアンヌの“枷”を気にしている。
もしキリを脅しに使われて、ひとりでついてこいと言われたら。
その時、リリアンヌはどうするのだろう。
「…リリアンヌ殿下の前に、あのエルフが現れました」
「!」
ネウロの言葉に、ビッケは、耳をぴんと立てた。
「…貴女ひとりでなければ、連れて行かないと言ったはずだ」
エルデンの声が、耳に届いた。
自分たちも行く気でいることを、もう分かっているのだろう。
「やり取りをそのまま復唱しろ」
「はい」
ビッケはレックスに頷くと、再び耳を澄ませた。
「私は、どうしても風の里に行きたい。だけど、ひとりでは行けない。だから、相談をしに来ました」
聞こえたリリアンヌの言葉を、そのまま繰り返す。
「連れて行ったとしても、キリはもう、どこへも行かない」
エルデンの言葉は、声を低くして真似た。
「…それは」
「里では、貴女にただ、手伝ってもらうことがあるだけだ」
「私にできることがあれば、手伝います。ですから、仲間と一緒に連れて行ってください。お願いします」
「キリが戻らないとしてもか」
「私は…絶対に、風の里に行きたいのです」
「…貴女がなぜ、風の里に来たがる」
「風の里に、精霊がいるから」
「…ちっ」
レックスが低く舌打ちした。
「…いるわけがない」
エルデンの声が、低くなった。
「いいえ。間違いなく、います」
「我々が里へ移り住んでから、四百年以上が経っている。見つけられないと思うか」
「…精霊を隠す存在が、あります」
「…!」
「この世には、精霊を隠す存在があります。それを消さないと――」
「あれは、絶対に消さない…!」
エルデンの声に、初めて感情が滲んだ。
「…え?」
リリアンヌが、戸惑うような声を上げた。
「…貴女は、知りすぎた。もう、連れて行かないわけにはいかなくなった」
「…まずいな」
ブライアンが、静かに窓辺へ近づいた。
「だから、私は風の里へ行きます。仲間と一緒に」
「…待て」
レックスが、素早くブライアンを制した。
「私は、一切人族を信用していない。嘘をつき、簡単に裏切る」
エルデンの声が、さらに低くなった。
「裏切ったりなんて、しない」
「口では、どうとでも言える。このまま、貴女を連れ去ってもいいが」
「そうしたら、今度はエルデンが裏切ったことになりますね」
リリアンヌの声が、強張った。
「私を傷つけないと、約束しました」
「…だが、もう貴女には来てもらうしかなくなった」
「分かっています。だから、仲間四人と一緒に連れて行ってください」
「…なぜ、そこまで誰かを連れて来たがる」
エルデンは、本当に分からないようだった。
「貴女をここに送り届けると言った以上、私は必ず守る」
「エルデンの言葉は、信用しています」
「それなら、護衛は不要だろう」
「護衛じゃありません。仲間です」
「なおさら意味が分からない」
「…一緒に、経験したいから」
リリアンヌが、ぽつりと呟いた。
「…経験?」
「キリが…自分の生きてきた四百年より、私の方がずっと多くのことを経験しているって言ってくれたの」
「…?」
エルデンが、しばらく黙った。
「この子を見つけて、加護を授かって…本当に、たくさんのことを経験してきた」
「…今、関係ある話か」
「はい。風の里へ行くなんて、きっと、エルフ族以外にとっては初めてのことでしょう?」
「当然だ」
「それなら、私はまた、新たな経験をすることになります。それを、仲間たちと分かち合いたい」
「…なぜだ」
「一緒に経験して、成長したいから」
「……」
ネウロが隣で、ぴくりと身じろぎした。
「…遊びではない」
間を置いて、エルデンが返した。
「もちろん、分かっています。今までだって、何度も仲間たちと命を懸けてきました」
リリアンヌが、素早く答えた。
「私の仲間はみんな…これからのセスランディアを担っていくような、すごい人たちなんです」
きっと今、微笑んでいる。
「いろいろなことを経験して…何かを感じて、掴んでほしい」
私の、代わりに。
まるで、そう言葉が続いたように聞こえた。
「絶対に、エルフの方たちを攻撃したりしません。だから、仲間と一緒に連れて行ってください」
リリアンヌの声が、くぐもった。
頭を下げたのだろう。
「…下手な真似をすれば、即刻処断する。それでもいいか」
「はい。その代わり、こちらから危害を加えない限り、仲間の誰にも手を出さないと約束してください」
「……」
ビッケは、一度きゅっと口を結んだ。
どうしてだろう。
あいつの話を聞いていると、何か大きな勘違いをしているように思えてならない。
「それから、一週間以内にこの砦へ戻らなくてはいけません。それまでに、必ず帰していただけますか?」
再びリリアンヌの声が聞こえ、急いで復唱した。
「…一週間以内に帰せばいいんだな」
続けて、エルデンの声も真似た。
「五分以内に、全員来い」
その言葉に、ブライアンがまっすぐ扉へ向かった。
「ブライアン」
すぐに、レックスが呼び止めた。
「…掴んでこい」
「必ず、掴んできます」
ブライアンの目に、迷いはなかった。




