いつもと違う夜
リリアンヌ視点
予定よりも、だいぶ遅くなってしまった。
もう、真夜中近くだ。
これでは、今からみんなに相談することもできない。
…仕方ない。
とにかく、まずはキリと話をしないと。
「オレ、もう行った方がいいよね?」
「ビッケ…遅くまで付き合わせちゃって、ごめんね」
リリアンヌは、慌てて扉まで駆け寄った。
「あんまり、遅くまで話し込むなよ」
ビッケが言いながら片手を差し出した。
舟でのキリとの会話を聞いていたのだろう。
「うん、そうする」
差し出された手を、ぎゅっと握って離した。
「おやすみ」
ビッケが部屋から出ていった。
扉が閉まると、すぐに振り返り、両手を口元に添えた。
「キリ…」
…さすがに、こんな小声では気付かないだろうか。
いつも通りなら、部屋の前には、すでに見張りが立っているはずだ。
あまり大声を出したら、驚かせてしまう。
リリアンヌは窓辺へ寄り、上下に分かれた窓の下側を、ぐっと持ち上げた。
冷たい夜風が、一気に部屋へ流れ込んでくる。
開いた窓から顔を覗かせ、屋根を見上げた。
暗闇に目を凝らしても、上の様子は分からない。
「キリ~…」
見張りに聞こえないよう、小さな声で呼んでみた。
キリならきっと、これで気付く。
しばらくすれば、来てくれるだろう。
そのまま、視線を下へ落とした。
外は静かで、風の音しか聞こえない。
篝火に照らされて、大きなガーデラ川が見えた。
川の向こうにも、小さな灯りがぽつぽつと見える。
今日の夕方までいた、タッセントのものだ。
「…?」
リリアンヌは、もう一度屋根を見上げた。
キリが、来ない。
「キリ…!」
さっきよりも、大きな声で呼ぶ。
しばらく待っても、何も返ってこなかった。
…寝てしまったのだろうか。
遅すぎて、部屋に戻ってしまったのかも。
…そんなはずはない。
約束したのに、キリが寝てしまうなんて、絶対にあり得ない。
これだけ顔を出しているのに、気付かないはずがない。
何か――あったのかも。
…どうしよう。
この窓から、屋根に跳び移りたい。
すぐにでも、確かめに行きたい。
だけど――
それだけは、駄目だ。
「……」
窓から顔を引っ込め、ちらりと扉へ目を向けた。
こんな時間に、相談に行ってもいいのだろうか。
何を考えているのかと、怒られてしまうだろうか。
…でも。
「…よし」
リリアンヌは、まっすぐ扉へ向かった。
そっと開ける。
「あの」
「…!」
扉の脇に、見慣れた騎士が立っていた。
「あ、リック…」
「どうされましたか」
リックは、すぐにこちらへ向き直った。
「相談があるので、アランフォースのところへ行きたいのだけれど」
「…呼んで参ります」
リックは言いながら、扉の反対側へちらりと目配せした。
誰かが、静かに駆けていく音がした。
「もうひとり、いたのね」
「部屋の中でお待ちください」
廊下を覗こうと顔を出すと、すぐにリックに止められた。
「…こんな遅くに、ごめんなさい」
「緊急ではないのですね?」
「…はい」
リリアンヌは目を伏せ、小さく首を傾げた。
緊急…ではない。
ただ、キリからの返事がないだけだ。
「どうされました」
「…!」
顔を上げると、リックのいた場所には、もうアランフォースが立っていた。
「は、早…」
「何かあったのですか」
呆気に取られるリリアンヌに、アランフォースがもう一度尋ねた。
「ええと…少し、中で話せますか?」
「……」
「…ごめんなさい」
アランフォースの表情を見て、ようやく気付いた。
こんな夜中に、護衛とはいえ男性とふたりきりになるのは、とてもまずい。
「私が、外に出ますので――」
「いえ、いいです。入ります」
アランフォースは素早く部屋へ入ると、扉を閉めた。
「…それで、何があったのです」
私服姿なのに、大剣だけは持っている。
もう、寝るところだったのかもしれない。
「あの…遅い時間に、ごめんなさい」
「それは、いいので」
「キリが、どこにもいないの」
リリアンヌは、不安げに眉を寄せた。
「キリと、話す約束をしていたのだけど…」
「…そう話していましたね」
アランフォースは大剣を背負いながら、室内へ視線を巡らせた。
「……」
その目が、開いた窓でぴたりと止まる。
「いつもね、呼ぶと来るのだけど」
その視線に気付いて、リリアンヌは窓辺へ近寄った。
夜風が吹き込み、下ろした髪がふわりと舞った。
「これだけ待っても来ないなんて」
突然、体を強く引かれた。
「わっ!?」
背中が、硬い胸元にぶつかる。
同時に、大きな左腕が肩に回された。
「なっ…え?」
何が起きたのか分からない。
リリアンヌは、自分を抱え込むアランフォースを見上げた。
その右手に――
一本の矢が、握られていた。
「…!?」
「離れて」
アランフォースはリリアンヌの肩を抱いたまま、窓辺から離れた。
「その矢って――」
「そこで、動かないように」
部屋の隅まで下がらせると、すぐに灯りを消した。
室内が一気に暗くなる。
アランフォースはひとり、再び窓辺へ近づいていった。
開いた窓から差し込む月明かりが、その姿を薄く照らしている。
「……」
リリアンヌは、アランフォースの手にある矢をじっと見つめた。
…どうして?
あの矢は、何度も見てきたものだ。
どうして、あの矢が、この部屋に向かって…?
アランフォースは窓の外に目を向けたまま、矢を胸の前まで持ち上げた。
矢羽に指を掛け、何かを外した。
「…手紙?」
「静かに」
外した紙片を広げ、目を落とす。
「……」
アランフォースの表情が、わずかに険しくなった。
「…そこにいてください」
ガンッ、と窓が閉まった。
すぐに踵を返し、扉へ向かっていく。
「リック」
「はっ…」
「これを、すぐに陛下へ」
「…これは」
「急げ」
「はっ」
駆ける足音が、廊下の奥へ遠ざかっていく。
扉を開けたまま、アランフォースが戻ってきた。
「何が…あったの?」
何か――
異常なことが、起きている。
「……」
「キリは…?」
「……」
「あの手紙は、何?」
どうして、何も言ってくれないのだろう。
「お願い、教えて…!」
あの矢は――キリのものだ。
緊急事態を知らせるために、矢を放った。
ここに来られないほどの、何かが。
「……」
アランフォースは、慎重に口を開いた。
「…別のエルフが、現れました」
「…!」
その言葉に、リリアンヌはひゅっと息を呑んだ。




