わずかな油断
キリ視点
「…それで、スノウが大きな鳥に姿を変えて、町中に白のちからを送ったのです」
リリアンヌの嬉しそうな声が、風に乗って、屋根の上まで聞こえた。
「お前の、その武官のような姿も見てみたかったな」
続いて、サイラスの声も届く。
「お兄様…今は、衣装の話をしているのではありません」
「ああ、お前がなぜタッセントの城下町へ出るようになったかの話だったな」
「少し、違いますけれど…」
「待て…その町に出た話は、アランフォースが向かう前のことか?お前は、誰を護衛につけていた?」
「それは…大丈夫です」
「何が大丈夫なものか。まさか、護衛もつけずに町を歩いたのか?」
「違います…!キリもいたし、ビッケもネウロもいました。それに…」
「それに、なんだ」
「…ぶ、ブライアンも、いました」
「嘘をつくな」
「本当に!キリがいたから、何もなかったです」
「エルフは、お前をすべての危険から護るわけではない」
「…前にも、そう言われました」
リリアンヌが小さく呟き、会話が途切れた。
しばらく、食器の触れ合う微かな音だけが聞こえてくる。
「……」
キリは、屋根の上でわずかに身じろぎした。
人族は、私の護衛の仕方に不満があるようだ。
命の危険以外については、リリアンヌと同じくらい鈍い。
そうらしいが、私にも分かることはある。
リリアンヌの周りにいる男たちは、他の男が彼女に近づくことを嫌う。
彼女は、誰に対しても距離が近い。
それの何が悪いのか。
悪意があるのなら、私も止める。
だが、好意まで止める必要はあるのか。
誰と親しくするかなど、彼女が決めればいい。
人族の王族は、面倒なものだ。
「お前と一緒に、王都へ帰ってしまいたい…」
溜息混じりの声が、再び風に乗って聞こえた。
「お兄様…伯父上に、仕事を頼まれていたでしょう?」
「お前と、エラドリオール邸でゆっくり過ごしたい…」
「…王都に戻っても、私は王城に帰ります」
「そもそも、どうしてエラドリオール邸を出た?私は、まだ納得がいっていない」
「お兄様…それは、前にも――」
「……」
やはり、よく分からない。
共にいたい気持ちは、分かる。
だが、リリアンヌの意思はそこにあるのか。
自由にしていいと言いながら、結局、籠の中に閉じ込めようとする。
人族は、よく矛盾したことを言う。
「……」
ふと、キリは顔を上げた。
何かが――引っかかった。
ゆっくりと視線を巡らせる。
砦の周りは暗く、静かだ。
長い階段の先にはガーデラ川が流れ、岸にはいくつもの篝火が揺れている。
見張りの兵が、砦の周囲や川辺を巡回しているだけだ。
…ガーデラ川。
あの川の北には――
「…!」
キリは、すぐに立ち上がった。
いた。
川沿いを、こちらへ向かってきている。
何度も感じてきた気配。
なぜ――
あいつが、ここに。
ここまで近づかれていたのに、気配を捉えられなかった。
スノウを辿ってきたか。
狙いは、私か。
それとも――
「…お兄様。私、そろそろ部屋に戻ります」
「待て。まだ、お前が城下町へ出たところまでしか聞いていないぞ」
「…だって、私の話を聞いてくれないんですもの」
「聞いている。それで、ガキ二人の王子がどうしたって?」
「もう、お兄様…!」
階下から、相変わらず二人のやり取りが聞こえてくる。
「……」
キリは、一度だけ階下へ視線を落とした。
再び川沿いを見据える。
そのまま、屋根の上から姿を消した。




