余韻の時間
リリアンヌ視点
「それでは…お兄様は、まだアッシカル領にいらっしゃるのですか?」
リリアンヌは、前を見たまま尋ねた。
「あいつが問題を起こさず仕事をしていれば、まだいるだろう」
後ろに乗るレックスが、淡々と答えた。
「……」
問題って、何だろう。
「ええと…お父様は、もう王都にいらっしゃるのですね?」
「一気に、王位継承者が王都からいなくなったからな」
「…では、お父様とお会いできるのは、先になりそうですね」
反射的に謝りそうになるのを、ぐっと堪えた。
「そう先の話でもない。夜になる前には、国境を越える」
「今夜は、国境の関所に泊まるのでしょうか?」
「そうだ。ガーデラ砦で一泊して、明朝には発つ。そこから三週間ほどで王都だ」
「……」
リリアンヌは、そっと口を結んだ。
いつ…言おうか。
まだ誰にも相談しないまま、ここまで戻ってきてしまった。
というより、移動中はずっとレックスの傍にいて、誰とも話す暇がなかった。
食事や休憩の時も、大勢の国王直属騎士団に囲まれている。
泊まる部屋や天幕の前にも、必ず見張りがついていた。
今だって、当たり前のようにレックスと同じ馬に乗っている。
他の誰とも、ろくに話ができていない。
王都に戻らず、このまま行きたいところがある。
そう言ったら――
後ろに座る人物は、反対するだろうか。
「王都に戻ったら、お前には仕置きをする」
「なっ、なんでしょうか」
ぎくりと、肩が揺れた。
ルイージたちへの罰を受け入れるのが、私への罰だったはずなのに。
「俺の仕事を手伝え」
「は…え…?」
まさか、ルイージの代わりということだろうか。
「宰相の代わりなんて、絶対に無理です」
「当たり前だろ。だから、手伝いだと言っている」
「はい…」
書類の整理とかを手伝うのかもしれない。
そういう細かな仕事なら、多分得意な方だと思う。
「今までのように、好き勝手する時間はない」
レックスは静かに言い添えた。
「…もともと、自由にしていいのは成人までという話でした」
成人を迎えたら、王族としての仕事をしろと言われていたはずだ。
「でも…空いた時間があったら、これからも城下町へ行ってもいいですか?」
おずおずと尋ねた。
「それより、まずは婚約者の話だ」
「…!」
心臓が、どきりと跳ねた。
「戻ったら、ロデオと俺とお前で決める」
「…はい」
「いいか。お前もだ」
こつんと、肘で軽く小突かれた。
「はい…え?」
「自分の婚約者だ。お前が決めろ」
「……」
何を言っているのだろうか。
まるで、私が選んでもいいみたいだ。
「あの…もう少し、待ってほしいです」
それも、許されるだろうか。
「それは駄目だ」
あっさりと拒否されてしまった。
「タッセントで、懲りただろ。お前の立場を守るためにも早く決める必要がある」
「…はい」
確かに、ブライアンが婚約者として振る舞ってくれたおかげで、何度も助けられた。
急いで決めなきゃいけない理由も、分かる。
王都に戻ったら、一気に忙しくなりそうだ。
「……」
やっぱり、行くなら今しかない。
こんな北まで来られることなんて、しばらくないだろうから。
切り出すなら、ガーデラ砦にいる間だ。
だけど、まずは――
―――
「リリアンヌ殿下。このたびは、本当にありがとうございました」
ハラが、深く頭を下げた。
「ハラ大臣、こちらこそありがとうございました」
リリアンヌもお辞儀で返した。
「…本当は、もっとお話ししたかったのですが」
顔を近づけ、こそりと付け足した。
結局、ここへ来るまでの間も、ハラとはほとんど話せなかった。
「いえ…往路であれほどお話しできただけでも、私には望外のことでした」
ハラが穏やかに答えた。
「…次にお招きした際には、応じていただけますでしょうか」
「はい。今度は、正面から堂々と来ます」
リリアンヌは、にっこりと答えた。
川岸には、人も馬も乗せられそうな大きな舟が何艘も並んでいた。
どの舟にも、セスランディアの国旗が掲げられている。
その向こうでは、大勢の人が川岸を行き交っていた。
積み上げられた木材を運ぶ者や、地面をならしている者もいる。
ルイージが、ここに橋を架けると言っていた。
きっと、その準備が進められているのだろう。
ついこの間まで、自由に行き来することさえできなかった国境だ。
そこに今、両国を繋ぐ橋が造られようとしている。
国交が回復したことを、ひしひしと感じた。
「お気をつけて」
「ありがとう」
アランフォースの手を借り、渡し板へ足を乗せた。
慎重に、舟まで渡る。
乗り込むと、キリも岸から舟へふわりと跳んできた。
「タッセントともお別れだね」
リリアンヌは舟の縁に手をつき、慌ただしく人が行き交う岸を眺めた。
「いろいろあったなぁ」
誰に言うでもなく、ぽつりと呟いた。
ゆっくりと、舟が岸を離れていく。
見送りに並ぶ兵たちの中央で、ハラがこちらへ手を上げた。
手を振って、それに応える。
少しずつ、岸が遠ざかっていく。
人の姿が小さくなっても、ハラはまだそこに立っていた。
タッセントでの日々が、終わっていく。
そして、まもなく――
セスランディアへ戻る。
「君の人生は、慌ただしいな」
「…キリから見たら、そうかもだけど」
くすっと笑い、隣を見上げた。
「私が四百年かけて経験したことより、ずっと多くを経験している」
キリは、優しく微笑んでいた。
「キリがいたから、できたことだよ」
リリアンヌは、そっと目を細めた。
キリがいたから、城下町へ出られるようになった。
祭りにも参加できた。
王城の地下や、ラジャタ村の精霊を見つけられたのも。
こうして、タッセントまで来られたのも。
全部、キリが傍にいてくれたから。
だからこそ、これだけ自由でいられた。
「あのね、キリ…話があるの」
「なんだ」
「ここでは…ちょっと」
ちらりと振り返った。
さすがに、これだけ人がいるところでは話しづらい。
「…今夜、時間を貰ってもいい?」
「分かった」
キリはすぐに頷いた。
「ありがとう、キリ」
優しい彼に、お返しを。
――恩返しの時間だ。




