徳は巡り、孤せず、隣伴い戻る
リリアンヌ視点
「…本当に、行くのですね」
フワドが、ごくりと喉を鳴らした。
「…無理をされなくても、大丈夫ですよ」
リリアンヌは、二人の顔をそっと窺った。
「僕は、行きますっ」
セイオウは、勢いよく頷いた。
「いいえ。私も、行きます」
フワドも表情を引き締めた。
「…それでは、行きましょう」
王子二人を促し、天幕の前へ向かっていく。
「鍋が来たぞっ!」
「並べ、並べっ」
天幕の前へ大鍋が運ばれ、人々が次々と列を作り始めた。
列を眺めていると、隣でムーラオがそっと身を屈めた。
「…本当に、よろしいのですね」
「はい。ムーラオ武官長、お願いします」
リリアンヌは、こくりと頷いた。
「…分かりました」
ムーラオは頷き返すと、大鍋の前へ進み出た。
集まった視線を見渡し、声を張る。
「今日の炊き出しには――フワド王子とセイオウ王子が、白のちからを送られた!」
「…王子たちが!?」
「そりゃ、お二人は白のちからを持っているけど」
「それを私らが食べても、お咎めはないの?」
列のあちこちから、一気に声が上がった。
「……」
フワドとセイオウは、大鍋の傍らでじっと様子を見ている。
「これは、ショウレン陛下から皆への特別な計らいだ!遠慮せず、食べるがいい!」
ムーラオが再び声を張った。
「ああ、そういうこと…!」
「さすが陛下だ」
「ありがたい…ありがたい!」
今度は、喜びの声が上がった。
「慌てるな。ゆっくり受け取れ」
列が、ゆっくりと動き始めた。
兵士がスープを椀によそい、先頭の男へ手渡す。
「王子たち、ありがとうございます」
男は大鍋の傍らに立つ二人へ頭を下げ、その場を離れていった。
「ありがたい。本当に、ありがたい…」
続いた老女も、深々と頭を下げる。
列が進むたび、二人へ感謝の言葉が向けられていった。
何人かに椀が渡ったところで、ぱっとセイオウが踏み出した。
「…僕が、渡しますっ」
兵士から椀を受け取ると、さっと先頭の女性へ差し出した。
「はい、どうぞ」
「…あっ」
女性が、びくりと肩を揺らした。
「ありがとう…ございます!」
深々と頭を下げ、両手で椀を受け取る。
セイオウはすぐに次の椀を受け取り、今度は後ろの男へ差し出した。
「これを食べて、元気になってください」
「はいっ、はい…!」
男は何度も頭を下げながら、椀を受け取った。
「王子自ら配られているぞ…!」
「なんて、ありがたい…!」
列に並ぶ者たちの声が、弾んでいく。
少し離れたところでは、受け取ったばかりの椀を手に、さっそくスープを口にしている者たちもいた。
「なんか…胸の辺りが、じんわりする」
「体の中から、ぽかぽかしてくるね」
「これが、白のちからなのかな」
温かなスープを口にしながら、嬉しそうに顔を見合わせている。
「……」
ふと目を向けると、フワドがじっとその光景を見つめていた。
リリアンヌは、そっと隣に並んだ。
「フワド殿下、大丈夫ですか?」
「あっ…はい」
「たくさん、頑張りましたからね。疲れてしまいましたか?」
「いいえ、違います。私には、何もかもが新鮮で…見ていることが精いっぱいで」
フワドの目が、ちらりとセイオウへ向いた。
「はい、どうぞ!」
セイオウは、元気よく椀を渡し続けている。
「私には…セイオウのような勇気がない」
しばらく弟を見つめたあと、フワドはふっと苦笑した。
「フワド殿下だって、ここまで来ました」
リリアンヌは、優しく目を細めた。
「…リリアンヌ様は、セスランディアで、このようなことを毎日されていらっしゃったのですか?」
「いいえ。毎日じゃないです」
「ですが…自ら、動かれた」
「そう…だね」
リリアンヌは、曖昧に頷いた。
「どうぞっ!」
再び聞こえた元気な声に、そちらへ目を向けた。
「フワド王子、セイオウ王子。本当に、ありがとうございます…!」
椀を受け取った男は、礼を言いながらその場を離れていった。
「…どうして誰も、リリアンヌ様には礼を言わないのでしょう」
フワドが、ぽつりと呟いた。
「町を救ったのは、リリアンヌ様なのに…」
「…フワド殿下。私は、礼が欲しくて白のちからを使ったわけではありません」
「ですが…私とセイオウは、ただ貴女に言われて白のちからを使っただけです」
フワドは、くっと眉を寄せた。
「民たちを助けようとは、思っていませんでした」
「…私だって、一緒」
「いいえ。貴女は、この町を助けようと――」
「そうじゃなくて」
リリアンヌは、そっと遮った。
「私が初めて、城下町で白のちからを使った時のことです」
「…セスランディアの城下町ということですか?」
「そう。私はどうしても、自分のために白のちからを鍛えたかった」
きっかけは、死ぬ運命だった家族を救いたかったから。
それがいつしか、町の人たちのために何かしたいと思うようになった。
「…フワド殿下」
リリアンヌは、まっすぐフワドを見つめた。
「実際に炊き出しに来て、今、感じることは…何?」
「今、感じること…」
フワドは、ゆっくりと辺りを見渡した。
「元気になるといいですねっ」
「はい、ありがとうございます…!」
民へ椀を渡すセイオウへ――
「ありがたいねぇ…」
「私らも、頑張んなきゃ」
炊き出しのスープを食べる民たちへ――
「そろそろ、次の鍋の準備を」
「療養所の患者たちにも配りましょう」
忙しそうに動く兵や薬官たちへ――
「フワド王子、ありがとうございました!」
「すまないが、そこで止まってくれ」
周囲を護る武官たちへ――
そして最後に、フワドの視線がリリアンヌへ戻ってきた。
「…どう?」
「…実際に来ないと、分からないことがたくさんあるのだなと感じました」
「そうだね」
「私たちがいることで、民が嬉しそうなのが…嬉しい」
「うん」
「また…炊き出しに来たい」
フワドの呟きに、小さな願いが滲んだ。
「ほらね。きっかけなんて、なんでもいいの」
リリアンヌは、ふふっと微笑んだ。
「そう…ですね」
フワドは、どこか困ったように微笑み返した。
「あれって…セスランディアの騎士だよね」
ふと、近くの話し声が耳に入った。
「もう、攻めてきてるのか?」
「違うよ。ほら…精霊の申し子の護衛だ」
「なんで、こんなところに…」
「だって、もう、王子たちが白のちからを送ってくれるんだろう?」
「…!」
「フワド殿下、いいから」
声のした方を睨みつけたフワドを、リリアンヌは慌てて止めた。
「貴女は、感謝をされるべきだ…!」
「だから…私は、感謝が欲しいわけじゃない」
自分が感謝されるかどうかなんて、気にならない。
それより、王子たちのおかげで混乱が起きていないことの方が、ずっと大切だ。
椀を配っていたセイオウが、くるりとリリアンヌを振り返った。
「師匠!一緒に配りましょう!」
「し、師匠…?」
思わず、声が裏返った。
「僕たちに白のちからの使い方を教えてくれるのだから、師匠です!」
「王子の…師匠?」
「なるほど…精霊の申し子が師匠なら、心強いな」
列に並んでいた者たちが、納得したように頷いた。
「…師匠、行きましょう」
「フワド殿下まで…!」
「フワドで、結構です。私も、配ります」
「…私は、後ろから」
「三人でやった方が、早いです!」
セイオウが、次の椀を差し出しながら遮った。
「…お願いします」
兵士から、スープの入った椀を受け取る。
リリアンヌは慎重に両手で持ち、そのまま先頭の者へ差し出した。
「…どうぞ」
「ありがとうございます、先生」
男は深く頭を下げると、椀を手にその場を離れていった。
「…先生?」
「そりゃ、王子たちに教えている方なら、先生みたいなもんでしょう」
次に並んでいた男が、当然のように頷いた。
「どうぞ」
「ああ、本当にありがたいねぇ…!」
フワドが差し出した椀を、男は嬉しそうに受け取った。
「師匠直伝の、白のちからが込められたスープです!」
「あはは!それは、元気が出そうですね」
セイオウの前にいた男が、笑い声を上げた。
「はい、どうぞ」
「王子様方、精霊の申し子様、ありがとうございます」
リリアンヌから椀を受け取った女性が、深く頭を下げた。
「肩の精霊様が、私たちを助けてくれたの?」
「こら…!」
女性の隣の少女が、スノウを指さしている。
「スノウって言うの。この子が、町に白のちからを送ったの」
「精霊様、ありがとう!」
少女は、にっこりと笑った。
母親は何度も頭を下げ、少女と一緒に列を離れていった。
「まるで、師匠が精霊様と言われたみたいですねっ」
セイオウが、おかしそうに笑った。
「それでも、なんも不思議じゃねぇ」
次にやってきた老婆が、リリアンヌに手を合わせた。
「あの日から、目が見えるようになってな…本当に、感謝しとる。ありがとう、ありがとう…」
「良かったですね」
フワドが、そっと椀を差し出した。
「生きてて…良かった」
老婆は目を潤ませながら、椀を受け取った。
その次の男が、リリアンヌの前へ進み出た。
「精霊の申し子様…!」
「あっ…!」
収容所を、一番に出ていった人だ。
「お元気そうで、良かった」
「いや、本当、おかげさまで。あの時は興奮して、きちんと礼も言わずすみませんでした」
「オレも、すみませんでした」
その後ろには、二番目に出てきた人も並んでいる。
「すみません、ではなく、ありがとう、ですよっ」
セイオウが二人へ椀を差し出した。
「ええ、そうですね。精霊の申し子様、ありがとうございました!」
男たちが、笑顔で応えた。
「…どういたしまして」
リリアンヌは、嬉しそうに微笑んだ。
それからも、三人で並んで椀を渡し続けた。
炊き出しを終え、夕暮れの中を王子たちと共に城へ戻る。
長い石段の下まで来たところで、立ち止まった。
「お二人とも、今日はお疲れ様でした」
「師匠、ありがとうございました」
王子たちが、深々と頭を下げた。
「その…師匠っていうのは」
「師匠のおかげで、僕は一生分の経験をした気がしますっ!」
セイオウの元気な声が、リリアンヌの言葉に重なった。
「…そう思ってもらえたなら、光栄です」
二人が、何かを掴んでくれたなら。
それだけで、今日は十分だ。
「…徳は巡り、孤せず、隣伴い戻る」
「…え?」
リリアンヌは、きょとんとフワドを見た。
「昔の王が著した論で、私が好きな言葉です」
「あ…花見会で、ブライアンと話していた論ですね?」
確か、栄王という人のものだと言っていた。
「徳のある者は孤立しない。積んだ徳は巡り、いつか隣人を伴って自分のもとへ帰ってくる――そういう意味です」
「とても素敵な言葉ね」
「今なら、この言葉が師匠のことのように思えます」
「…私のこと?」
「ええ。師匠の徳は、私たち隣人に、しっかりと届いています」
「…!」
「必ず、師匠の積んだ徳は、帰ってきます」
フワドは、ふっと微笑んだ。
「…ありがとう」
「師匠、また明日、炊き出しで!」
「!明日も、付き合ってくれるの?」
「もちろんです!白のちからの使い方を教えてくださる約束でしょう?」
セイオウが、意気込むように言った。
「明日は、もう少しうまく送れる気がします」
フワドがすぐに続いた。
「……」
リリアンヌは、ちらりとムーラオへ視線を向けた。
「…この様子ならば、明日も大丈夫でしょう」
ムーラオが、小さく頷いた。
「ありがとうございます…!」
良かった――
「では、また明日お願いします」
「師匠、また明日!」
王子たちは武官に囲まれ、石段の脇にある小さな門へ消えていった。
「…棟までお送りいたします」
その場に残ったムーラオと並び、石段を上がっていく。
「ムーラオ武官長、今日はお付き合いいただき、ありがとうございました」
「礼を言うのは、こちらです。貴女がいなければ、あのように民が笑うこともありませんでした」
「…お二人は、民たちに好かれているのですね?」
さりげなく尋ねた。
「…民にとって、王族は遠い存在です。王子たちが現れたことが、よほど嬉しかったのでしょう」
「…そう」
それなら、まだ――
「ですが…これで、お二人の顔は城下町で広まったでしょうね」
「!」
はっとムーラオを見上げた。
「少しずつ…貴女の考えが分かってきました」
ムーラオは前を見たまま、わずかに微笑んでいた。
「貴女の突飛な行動には、意味がある」
「…意味がない時も、あります」
リリアンヌは、小さく苦笑した。
「それに…空回る時も、あります」
思いが伝わらないことも、ある。
伝わっていても、説得できない時もある。
「だけど、今回は…絶対に空回ってほしくない」
どうか…あの二人が積んだ徳が、帰ってきますように。
セスランディア軍が来るまで――
あと、十日。




