見えてきた惨状①
リリアンヌ視点
収容所までは、歩いて向かった。
ムーラオの指示で、口元の布はつけたままだ。
「馬が使えれば良かったのですが、すべて出払っておりまして…申し訳ありません」
「いいえ。気になさらないでください」
歩いているうちに、町の現状が少しずつ見えてきた。
町は、まだひどく混乱していた。
通りでは兵たちが行き交い、町民を集めて何かを説明している。
少し先では、白い頭巾をかぶった女性たちが、大きな鍋から温かな食事をよそっていた。
その前には長い列ができている。
食事を受け取った人々は、道端や建物の壁際に腰を下ろし、器を抱えるようにして食べていた。
「やっと、ちゃんとした食事だ…」
「これから、どうなるんだろうね」
「母ちゃん、足りないよ…」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
ムーラオの話では、昨日まで、町民の外出を厳しく禁じていたらしい。
今日になってようやく、町に人の姿が戻り始めたのだろう。
規則正しく区切られた通りは、綺麗に整えられている。
整然とした町並みと、行き交う人々の混乱した様子が、なんだかちぐはぐに見えた。
「あっ、武官長だ!」
「あれは…誰?」
「異国人か?」
すれ違う人たちが、こちらへ目を向ける。
けれど、門の前のように、立ち塞がれるようなことはなかった。
「現在、三千人近い民が収容所におります」
しばらく歩いた頃、ムーラオが前を向いたまま話し始めた。
「病に罹った者は、子供も老人も、すぐに収容所へ運ばれました」
「あの…今、この町にいるのって、二万五千人くらいですよね?」
「それを、なぜご存じで?」
ムーラオの声がわずかに鋭くなった。
「…昨日、ショウレン陛下がおっしゃっていたのです」
本当は、そんなことまで聞いていない。
キリが気付いていたとは、なんとなく言いづらかった。
「…ああ、なるほど」
「ハラ大臣からは、コウランの城壁内には五万人の方が暮らしていると聞きました」
今、町にいるのはその半数ほど。
キリがそう言っていたはずだ。
「そのうちの千人ほどは予備兵として訓練場に詰めており、現在はナブラン砦へ向かっています」
ムーラオが、すぐに答えた。
「その方たちの中に、変紫病を発症した方はいなかったのでしょうか?」
「ええ。訓練場は、城壁の外にありますから。病が広がる前から町民との接触はほとんどありませんでした」
「なるほど…?」
リリアンヌは、さらに首を傾げた。
「あとの人たちは、避難されているのでしょうか?」
収容所や兵を足したとしても、まだ二万近く足りない。
残りの人たちは、どこにいるのだろう。
「…避難した者もおりますが、大半は、すでに変紫病で命を落としております」
「え…!」
「おっと」
後ろを歩いていたネウロが、立ち止まったリリアンヌに軽くぶつかった。
「そ、そんな大勢の方が、亡くなったのですか…?」
「…それも陛下から聞いていたものと思いました。申し訳ありません」
ムーラオは一瞬言葉を詰まらせ、静かに答えた。
「で、でも…そんな状況になるまで、どうして」
「我々には、治す手立てがありませんでした」
「…!」
「リリアンヌ殿下。少し、落ち着いて」
ネウロが後ろから、優しく声を掛けた。
「…うん」
小さく頷き、止まっていた足を再び動かした。
想像以上に…被害が出ていた。
白の使い手がいても、どうにもならなかったのだろうか。
…違う。
この国では、王族にしか白のちからを使えない。
それに、これだけ大勢の人が罹っていたら…きっと、間に合わなかった。
「ですから…皆、混乱しています」
「そんな病が流行れば…それは、混乱します」
当たり前だ。
どんな病だったかは、聞いている。
誰がどう罹るかも分からない。
そんな中で、今度は戦争まで始まろうとして――
「いいえ、違います」
ムーラオはゆっくりと首を振った。
「昨日まで我々は皆、いずれ死ぬものと覚悟していました」
「…みんな?」
リリアンヌは、真っ青な顔のままムーラオを見上げた。
「ええ。それが突然…すべてが変わった」
ムーラオの目が、ゆっくりとこちらに向いた。
「突然、生きられるかもしれないという希望が生まれた。だからこそ皆、混乱しているのです」
「…やっぱり、会議なんてしている場合じゃない」
リリアンヌは、きゅっと眉を寄せた。
「彼らもまた…混乱しております」
ふっと、静かに目を逸らした。
「まだ、誰も実感が湧いていない」
「ムーラオ武官長も、実感が湧いていない?」
「ええ。実感が湧いていたら、貴女の護衛など申し出なかったでしょう」
「そう…ですよね。陛下のもとに戻られますか?」
収容所まで案内してもらえれば、あとはなんとかなる。
とても、残念だけれども。
「そういう意味ではありません。他国の王族へ護衛を申し出るなど…あり得ない」
ムーラオは、小さく苦笑を漏らした。
「貴女は、もう少し警戒心を持った方がいい」
「う…」
まさか、他国の人にまで注意されるとは。
「…収容所は、大変混乱しています」
「はい」
それは、想像できている。
「なかには…心無いことを言う者もいるでしょう」
「…大丈夫です」
先ほどの民たちの声で、思い出した。
戦争は止まるとはいえ、私たちは、ここの人たちにとって敵だ。
受け入れてもらえなくても、仕方がない。
それでも、この病を終わらせることができれば、それでいい。
騒がしい声が聞こえ、顔を上げた。
高い塀に囲まれた、大きな建物が見えてきた。
塀の向こうからはいくつもの屋根が覗き、正面にはひとつだけ、大きな門がある。
「武官長が来たぞ!」
門の内側から、わっと声が上がった。
正面の門の両脇だけは、人の背丈を越える頑丈な木柵になっている。
その隙間から、大勢の人たちがこちらを覗いていた。
「あの中の誰かが、精霊の申し子か!?」
「…!」
リリアンヌは、はっとして足を止めた。
「えっ、異国人?なんだ、あの耳は」
「早く、ここから出して…!」
「町の奴らは、無事なのか!?」
人々が次々と木柵に詰め寄り、隙間に指をかけ、激しく揺さぶっていた。
「静まれ!」
「落ち着け!やめろ!」
柵の内側では、兵たちが必死に人々を押し戻している。
それでも、興奮は収まらなかった。
「ムーラオ武官長…!」
「お待ちしていました」
門の外にいた男たちが、足早に歩み寄ってきた。
全員、白い上衣をまとい、口元を布で覆っている。
「彼らは、療官です。収容所内の様子を見ていたはずですが…」
ムーラオはリリアンヌに説明しながら、やってくる男たちに顔を向けた。
「どうした」
「中の者たちを町へ戻すため、ひとりずつ体の具合を確かめていたのですが…ご覧の有様でして」
「門の内側に人が殺到し、中に留まることができませんでした」
「最終のご確認を、なるべく早くお願いできればと…」
療官たちが、口々にムーラオへ答えた。
「分かった。…リリアンヌ殿」
ムーラオが、ちらりと視線を送った。
「あの、ひとりずつ体の具合を確かめるのですね?」
「門からひとりずつ出し、我々がここで具合を確かめようと思っています。これだけの人数ですので、簡単な質問だけになりますが」
療官のひとりが、戸惑いながらリリアンヌへ答えた。
「それでは、私も傍で確認します。もし症状が残っている方がいたら、すぐに白のちからを使います」
「白のちから…!」
「本当に…」
療官たちが、小さく息を呑んだ。
「…貴女のことは、精霊の申し子とだけ紹介します。よろしいですか?」
「はい」
「…では、私の後ろへ」
ムーラオは顔を前へ向けると、ゆっくりと門の方へ近づいた。
「静まれ!!」
力強い声が、辺りに響き渡る。
「お前たちの言う通り、この方が精霊の申し子だ!昨日、町中に白のちからを送られた!」
「彼女が…?」
「町中に白のちからって…そんな馬鹿な」
「異国には、そんな凄腕の使い手がいるのか!?」
門の向こうに、どよめきが広がった。
「これから、ひとりずつ門を出てもらう!療官とこの方の確認を受け、問題のない者から町へ戻す!」
「で、出られるぞ…!」
「ああ、早く…!」
「本当にっ…本当に、出られる!」
今度は、興奮の声が広がっていく。
「ひとりずつ門へ進ませろ。決して殺到させるな」
「はっ!」
兵たちはムーラオに応えると、門の内側に集まっていた人々を並ばせていった。
「そこで止まれ」
先頭の男が、門の手前で足を止めた。
「出られる…!」
男は、目に涙を浮かべていた。
「目に変色なし、肌も問題なし…」
「痺れなど、何か違和感はありますか」
「何もないですっ…」
療官たちが、手際よく男の状態を確かめていく。
ひとりの療官が、ちらりとこちらを振り向いた。
「…あなた様から、何か確認することはございますか?」
「ええと…もしこのあと、少しでも痺れが出てきたら、必ず私に報せてください」
リリアンヌは、男へ目を向けて答えた。
「…せ、精霊の申し子様には、どちらへお報せすれば…?」
「……」
それは、そうだ。
「症状が出たら、城の前に立つ門番まで報告しろ」
ムーラオが代わりに答えた。
「分かりました、必ず!」
「行っていい」
「う、うわぁ…!出られる…!」
男は涙を拭うこともせず、門の外へ駆け出していった。
「あいつ、オレのこと待ってろよ…!」
「静かにしろ」
門の内側で、次の男が立ち止まった。
再び療官たちが具合を確かめ、最後に、揃ってこちらへ視線を向けた。
「何か症状が出たら、必ず城の門番へ報告してください」
今度は、自分で言った。
ムーラオの許可も出ると、男はすぐに町の方へ向かっていった。
療官たちは、すでに次の者へ質問を始めていた。
「…武官を、二十ほど呼んでこい」
その隙に、ムーラオが近くの兵士へ耳打ちした。
「少し足が震えますが…これはきっと、しばらく歩いていなかったからです」
女性の不安げな声に、再び門の方を見た。
その足が、小刻みに震えている。
「本当に、本当です!病じゃないから、出して…!」
女性は療官たちの間を抜け、よろよろとリリアンヌに近づいた。
「止まれ」
ムーラオが、すぐに女性とリリアンヌの間に入った。
「収容所から出られないなんて、ないですよね…!?」
女性は、ムーラオの向こうから必死に叫んだ。
「もちろん。出られないなんて、言わない」
リリアンヌは優しく答え、その場で白のちからを女性に送った。
「…!」
女性も療官たちも、一斉に目を見開いた。
「まだ足が震えるなら、たくさんご飯を食べて、ゆっくり休んでください」
「…はいっ!はい!」
「行きなさい」
ムーラオが、町の方を指さす。
「うっ…ううっ…」
女性は、泣きながら町の方へと去っていった。
そのあとも、療官たちは休む間もなく具合を診ていった。
百人ほどが収容所から出ていった頃、町の方から、人々がぞろぞろとやってきた。
「…来たか」
ムーラオが、その一団に険しい表情を向けた。




