一変する状況②
ハラ視点
「なぜ、勝手に無条件降伏など宣言したのです…!」
「この場で撤回なさいませ!」
顔を真っ赤にした大臣たちが、次々と抗議の声を上げた。
「撤回など、許しません。ブライアン王太子と、宰相である私ルイージが、確かに聞き届けました」
ルイージが鋭く言い放った。
「この混乱の最中での発言です。戯言として、お聞き捨てください」
大臣のひとりが、顎をわずかに上げて反論した。
「戯言ではない。宣言だ」
ショウレンは、淡々と言い切った。
「無条件降伏など…!一体何を要求されるか、分かったものではない!」
抗議の声は、止まない。
戦になれば、どれほどの血が流れるのか。
十六年前の惨禍を、この者たちはもう忘れたというのか。
まして、今のタッセントに勝ち目などない。
病に蝕まれた国で、さらに戦を始めてどうする。
ハラは、大臣たちをゆっくり見渡した。
「あなた方は、分かっているのか」
思いのほか強い声が、広間に響いた。
「リリアンヌ殿がいらっしゃらなければ、我々は皆、死を待つほかなかった」
「それは、感謝している。その恩を軽んじるつもりはない」
ホーレイが、すぐに口を開いた。
「だが、研究と降伏は、話が別だろう…!」
「別ではない。もう二度と、セスランディアと戦争することはない」
「ショウレン陛下。ひとつ、よろしいでしょうか」
ネウロがすかさず手を挙げた。
「なんだ」
「アッシカル領に、毒は仕込みましたか?」
「仕込んでいない。セスランディアには、何もしていない」
ショウレンの言葉に、リリアンヌの表情にあからさまな安堵が浮かんだ。
彼女は、聡い。
聡いが、どこか鈍く――そして、ひどく分かりやすい。
これほど短い付き合いでも分かるのだ。
常に傍にいる者たちは、さぞ気が休まらないだろう。
よくも、この人数だけで他国へ来る決断をしたものだ。
それとも、昨日のように、誰も止められなかったのか。
「なぜ、そのようなことまで明かすのです…!」
大臣のひとりが声を荒らげ、ショウレンを睨みつけた。
「降伏すると決めた以上、こちらの不都合だけを隠すつもりはない」
「ですから、陛下!なぜ、そこまでして降伏なさるのです…!」
「……」
ハラは、胸の内で深く息を吐いた。
また同じ話に戻った。
これでは、いつまで経っても埒が明かない。
それにしても…ショウレンは、憑き物が落ちたように変わった。
いや、素直になったと言うべきか。
クリョ王妃が助かったことも、大きいのだろう。
…他の二人の王妃には、面白くない話だろうが。
「話が進みませんね。ショウレン陛下、早急にセスランディアへ使者を出してください」
ルイージが溜息混じりに切り出した。
「セスランディアの者を、ここへ迎え入れます」
「待ちなさい!勝手に話を進めるな…!」
大臣のひとりが、勢いよく立ち上がった。
「よいか。ここにいるセスランディアの者は、わずか五人…!」
怒りに震える指を、ルイージへ突きつける。
「その気になれば、あなた方をここから帰さぬこともできるのですよ」
「王太子である私をここから帰さなければ、どうなるか分かっているのか」
静かな声が、広間を切り裂いた。
「精霊の申し子に手を出せば――どうなるか、分かっているのか」
「…!」
大臣たちが、一斉に息を呑んだ。
しんと、広間が静まり返る。
「…ブライアン王太子。今の発言は、私から詫びる」
ショウレンが重い口を開いた。
「貴殿らに危害を加えることはない。私が保証する」
これが、いつもの光景――
誰も、ショウレンの言葉に耳を貸さない。
皆、自分の都合ばかりを口にする。
ショウレンが、ひとつ溜息を漏らした。
「…それなら、こうしよう」
わずかに身を乗り出す。
「我々が今、こうしてくだらぬ議論を続けていられるのは、すべてリリアンヌ殿のおかげだ」
冷やかな目が、大臣たちを順に捉えていく。
「ここにいる者の多くが、彼女に命を救われた。ならば――降伏後のタッセントをどうするか、すべて彼女に委ねるというのはどうだ」
「なっ、なにを…!」
「陛下!それは、いけません…!」
「馬鹿なことを!」
大臣たちは騒然となり、一斉にリリアンヌへ視線を向けた。
「……」
当のリリアンヌは、困ったように眉を下げている。
「あの…この話は、急ぎですか?」
「…は?」
大臣たちが、揃って間の抜けた声を漏らした。
「ショウレン陛下。もう、私は収容所の方へ行ってもよろしいでしょうか?」
「…もう少し、待ってくれないか」
ショウレンは、わずかに口元を引き締めた。
「収容所…?収容所へ行って、何をする気だ?」
立ったままだった大臣が、訝しげに眉を寄せた。
「病に罹っていた方たちは、まだ収容所にいるのでしょうか?」
リリアンヌはそれに答えず、ショウレンへ質問を重ねた。
「まだいる。取り急ぎ、水と食料を配っている」
「残している理由は、何でしょうか?」
「貴女以外には、この病が本当に消えたのか判断できない。今、人を動かして再び広まっては困る」
「それならやっぱり、私は早く収容所へ行きたいです」
リリアンヌが、すっと立ち上がった。
「リリアンヌ。一度、座れ」
ブライアンが腕を掴み、すぐさま座らせた。
「君が行くなら私も行くしかない。だが、話はまだ何も進んでいない」
「でも…戦争はもう、止まったのでしょう?」
リリアンヌは、ちらりとショウレンへ目を向けた。
「無条件降伏する旨を、今日中にセスランディア側へ報せよう」
視線を向けられたショウレンが、すぐに答えた。
「ショウレン陛下…私は、戦争を止めに来ました」
「そう言っていたな」
「二度と、セスランディアに戦争を仕掛けないでほしいと思っています」
「そうか」
「先ほどショウレン陛下は、もう二度とセスランディアと戦争することはないとおっしゃいました」
「言ったな」
「私は、それで満足です」
リリアンヌは、迷いなく言い切った。
「ま、待て…!」
大臣のひとりが、素早く遮った。
「貴女は、無条件降伏についてどう思っているのです…!」
…そう来たか。
今の話を聞き、この大臣は、リリアンヌは情に流されやすいと見たのだろう。
「驚きましたが…ショウレン陛下がおっしゃる以上、受け入れるべきと思っています」
「!」
ブライアンの伸ばした手が、リリアンヌの口を塞ぐ寸前で止まった。
「わ、我々がどのような目に遭わされても、構わないとおっしゃるのですか…!」
案の定、情に訴え始めた。
「ブライアンとルイージ宰相が、そんなことするわけないでしょう」
「……」
ブライアンとルイージが、わずかに身じろぎした。
「り、リリアンヌ殿には、心から感謝しているが――」
「今は、そんなことより」
リリアンヌは、大臣の言葉を鋭く止めた。
「ここにいる方たちは、どうしてまず、町の様子を気になさらないのですか?」
その眼差しには、先ほどまでの困惑はない。
大臣たちを、ゆっくりと見渡していく。
「まだ、収容所に閉じ込められている人たちがいるのですよ。どう考えても、そちらが先でしょう」
彼女は――怒っている。
「……」
何とも言えない沈黙が、広間に落ちた。
「あとのことは、ブライアンとルイージ宰相にお任せします」
リリアンヌは二人に向かって頭を下げると、再び席を立った。
「だから…君が行くなら、私も行くしかないだろう」
「…さすがに、ブライアン殿下には残っていただきませんと」
ルイージが、申し訳なさそうに囁いた。
「キリがいるから、大丈夫です」
姿は見えないが、恐らく近くにいるのだろう。
「…ここは、レイセントではない」
「分かっています。でも、私は今すぐにでも行きたい」
「……」
ハラは、静かに二人を見比べた。
ブライアンは――彼女の婚約者というより、まるで保護者だ。
この、あまりにもまっすぐで危なっかしい娘を護るひとりなのだろう。
「…陛下」
後ろに控えていたムーラオが、ショウレンの耳元で何かを囁いた。
ショウレンは小さく頷くと、リリアンヌたちへ向き直った。
「…リリアンヌ殿、ブライアン王太子。よければ、彼を連れていくといい。武官長のムーラオだ」
紹介を受け、ムーラオが静かに一礼する。
「彼は、この国で一番強い。それに、町のことをよく知っている」
「えっ…ショウレン陛下の護衛を、お借りすることなんてできません…!」
「それで、私が彼女を任せられると思いますか…!」
二人は、ほとんど同時に申し出を退けた。
「私の護衛など、どうとでもなる。町の案内は要らないか?」
「…町を案内してくれる方がいらっしゃれば、心強いですけれど」
「リリアンヌ、揺らぐな」
「でも、案内は必要です…」
「ブライアン殿下。彼は、大丈夫ですよ」
ネウロが、静かに口を挟んだ。
「僕も、ついて行きますし」
「……」
それだけで、ブライアンの表情からわずかに警戒が薄れた。
どうやら、彼の判断は相当に信頼しているらしい。
「ブライアン…お願いします」
リリアンヌは身を乗り出し、懇願するように言った。
「早く、町の様子を見に行きたいです」
「……」
ハラは、緩みそうになった口元をそっと引き締めた。
もう――何が何だか分からない。
町の様子を誰より気にかけているのは、敵国の王族。
町を救った精霊の申し子は、国の行く末を決める話より、収容所へ行くことを優先しようとしている。
そして、その許しを求めている相手は、同じく敵国の王太子だ。
本来なら、この国の者たちが真っ先に動くべきことだろう。
だというのに――
当の大臣たちは、ただ言葉を失っている。
「…終わり次第、私も行く」
ブライアンが深い溜息をつき――折れた。
「ありがとうございます、ブライアン!」
リリアンヌは礼を言うと、すぐにショウレンの方へ顔を向けた。
「許可が出ましたので、収容所に行ってきます」
「町の様子を見たいと言ったな」
「はい…収容所以外は、行かない方がいいでしょうか?」
「いや…貴女は、どこへでも行ってよい」
「えっ…?」
「城内も城下町もだ。彼がいれば、どこにでも入れる」
ショウレンがムーラオを示しながら言った。
「もう、貴女の好きなようにしてくれて構わない。病を絶つためなら、白のちからも使ってくれ」
「…ありがとうございます!」
リリアンヌは、嬉しそうに礼を言っている。
だが――そう言ったところで、彼女は町のためになることしかしないだろう。
本来自分たちが果たすべき役目まで、彼女に担わせてしまっている。
礼を言うべきなのは、こちらの方だというのに…
「ま、まだ、話は終わっていない!」
言葉を失っていた大臣が、はっと我に返った。
「ですから、あとのお話は、ブライアンとルイージ宰相がお伺いします」
リリアンヌは答えながら、まっすぐ階段の方へ向かっていった。
その後ろを、ネウロとビッケがついていく。
少し遅れて、ムーラオも三人のあとを追った。
「あっ、それから」
リリアンヌが、ぱっとショウレンを振り返った。
「まずは、研究室の方から確認させていただきます」
「ああ、よろしく頼む」
「…!?」
ホーレイが、がたりと席を立った。
「そ、それだけは…!」
「いい加減にしろ、ホーレイ」
ショウレンが、毒の研究を取り仕切っていた老臣をぎろりと睨みつけた。
「リリアンヌ殿。構わず行ってくれ」
「はい。失礼します」
「陛下…!今すぐ止めてください!」
ホーレイが、去っていくリリアンヌを目で追いながら叫んだ。
「あの研究のために、これまでどれほどの財と年月を費やしてきたとお思いですか!」
「どうせセスランディアに降ったあとは、すべて廃する」
低く響いた声に、広間の空気が張り詰めた。
「さっさと、このくだらない話を終わらせるぞ」
大国の王太子が、大臣たちを冷然と見据えた。
リリアンヌの世話を焼く青年の姿は、どこにもなかった。




