真のちから
リリアンヌ視点
大丈夫――
私は、まだ私だ。
体を這う、この悪寒も。
頭の中を駆け巡る、思い出したくもない記憶も。
胸の奥から溢れ出す、怒りも、悲しみも。
まだ、ちゃんと――
嫌だと、思える。
体に入った瘴気には、白のちからが効くはずだ。
でも――
今は、白のちからを使えない。
どうしたらいい。
どうしたら、この瘴気を消せるの――
ふいに、柔らかなものが体を包んだ。
この感触を、知っている。
この温もりも。
誰なのかも。
「…ビッケ、駄目。危ない」
リリアンヌは、ゆっくりと口を開いた。
離れたいのに、体が動かない。
「獣人族はさ、人族よりずっと体が強いんだ」
耳元に、ビッケの声が届いた。
「オレ、今、別になんともない」
「それは…嘘」
首を振ると、柔らかな髪が頬に触れた。
「私なら、だ、大丈夫だから」
「大丈夫じゃないだろ」
「…う、う」
ビッケを、巻き込みたくない。
早く――
早く、瘴気をどうにかしないと。
「オレ、こんなことしかできないから」
ビッケは、さらに強くリリアンヌを抱きしめた。
「お前の瘴気、消すことできないから…」
「…ううん」
息が、さっきより深く吸える。
霞んでいた視界も、少しずつ晴れていく。
「瘴気が減ってきている」
すぐ傍に、キリがいる。
「リリアンヌ!」
ブライアンが、こちらへ駆けてくる。
みんなが、見える。
「頑張れ…」
耳元で、ビッケが囁いた。
「…大丈夫」
今度こそ、本当に。
白のちからは――まだ、使えない。
それなら。
黒のちからで、押さえ込む。
『いいかい…瘴気を取り込むということは、君自身に瘴気を送ることになる』
『決して、消えるわけではないんだ。体の中に、瘴気は残る』
…それでも。
まだ、
みんなと、いたい。
溢れ出した瘴気を、もう一度――
自分の中へ、閉じ込める。
「…っ…はぁ、はぁっ…!」
「!」
ビッケが体を離し、すぐさま顔を覗き込んだ。
「よく頑張った」
キリが手を伸ばし、ふらつく体を支えた。
「も、もう…?」
「もう、瘴気は出ていない」
ブライアンが代わりに答えた。
「…よかった」
安堵した途端、力が抜けた。
キリに支えられながら、その場に座り込む。
そのまま肩に頭を預けた。
「…ごめんなさい」
あまりの怒りで、体の中のヌシカを呼び起こしてしまった。
これが、オーリア様の言っていた、感情が一線を越えるということだ。
「私が…君を無理に止めてしまった」
「いいえ…ブライアンが言っていることは、分かります」
白のちからで病を消すから、その代わりに、戦争を止めてもらう。
もしかしたら、それが一番良い方法かもしれない。
それでも。
「それでも私は、早く、苦しんでいる人たちを助けたい」
苦しんでいる人たちにとって、国の駆け引きは何も関係ないのだから。
「…だが、君の今の状況で無理をさせるわけにはいかない」
ブライアンの視線が、リリアンヌの左肩へ落ちた。
「……」
リリアンヌは、両手を目の前に広げた。
指先が、がたがたと震えている。
ほとんど力も入らない。
今なら、白のちからも使えるはずだ。
けれど、いつものように思いきり使うことはできない。
私のちからが――届かない。
「ホ~」
ずっと周りを飛んでいたスノウが、両手にふわりと降り立った。
「スノウ…?」
何かをしようとしている時の顔だ。
「白のちからが、ほしいの…?」
なぜか、そう思った。
「ホ~」
頷いている。
「……」
今の私にできることは、ほとんどない。
でも、スノウに白のちからを送ることならできる。
残るちからをすべて、スノウへ注ぎ込む――
一瞬にして、屋根の上が眩い光に包まれた。
「えっ…」
両手の上で、スノウの体が膨らんでいく。
ひと回り。
さらに、ひと回り――
「ホ~!」
次の瞬間、スノウが両手から離れた。
空へ一気に舞い上がる。
一斉に、その姿を見上げた。
空高く昇りながら、スノウはさらに大きくなっていく。
小さかった翼が、ぐんと広がった。
「スノウ…!」
立ち上がった瞬間、足に力が入らず、前によろめいた。
すぐにブライアンが体を支えた。
「…!」
再び空へ目を向けた、その時には――
もう、小さなスノウの姿はなかった。
巨大な白い鳥が、翼を広げていた。
「…ええっ!?」
「…大きいな」
ブライアンが隣で静かに呟いた。
「…鷹の真似か?」
ビッケは、ぽかんと口を開けている。
確かに、今のスノウの姿は、ビッケの呼ぶ大鷹に似ている。
だけど…
「大鷹より、もっと大きい」
キリが、代わりに言った。
巨大な鳥となったスノウは、気持ち良さそうに屋根の上を旋回している。
大きな翼が、ひときわ強く羽ばたいた。
その羽から、白い光がこぼれ落ちた。
雪のように、ひらひらと――
「!」
リリアンヌは咄嗟に手を伸ばし、舞い落ちてきた光を受け止めた。
触れた瞬間、光が手のひらへ溶け込んだ。
「あっ…!」
じんわりと、温かさが体中へ広がっていく。
震えていた手に、力が戻る。
足にも――
この感覚を、よく知っている。
スノウは屋根の上を離れ、徐々に城下町の方へと向かっていった。
ばさり、ばさり。
羽ばたくたびに、無数の白い光が舞い落ちた。
「すごい…」
ビッケは、見入るようにスノウを目で追った。
「あれ、全部白のちからなのか…?」
「あれは…私の、白のちから」
私が毎日スノウに送っていた白のちからを、解放している。
スノウが――
私の代わりに、白のちからを送っている。
「これが、加護のちから…」
やっと、分かった。
人だけでも、精霊だけでもない。
ふたつのちからが重なった時、初めて生まれる。
加護の、真のちからだ。
「これは…止められないな」
隣から、小さな溜息が漏れた。
「ブライアン。私が必ず、ショウレン陛下を説得します」
「…もう、体は平気なんだな?」
「はい!スノウのおかげで、とても元気です」
リリアンヌは、嬉しそうに頷いた。
「…今その顔は、卑怯だな…」
ブライアンが苦笑をこぼした。
「まずは、下に戻ろう。ネウロとルイージ宰相も心配している」
「本当に…ご心配をおかけしました」
もし、ここで異形の存在になんてなっていたら…
…想像もしたくない。
「ビッケ、キリ。本当にありがとう」
二人が、すぐに駆けつけてくれたから。
声が、届いた。
「今度こそ、冷静に話せよ?」
ビッケが、じとりと見上げた。
「はいっ」
「頭にきたら、一度、ブライアンかルイージ宰相に任せろよ」
「はいっ」
「もう、本当に大丈夫そうだな」
ブライアンが、ふっと笑った。
「はい。もう、大丈夫です」
今は…すごく冷静だ。
それに、ショウレンがどういう人か、分かった気がする。
きっと、話は通じる。




