たどたどしい外交③
リリアンヌ視点
リリアンヌは、そっと扉の前まで進んでいった。
「…オウワン殿下、どうされましたか?」
「まだ眠られないようでしたら、一杯いかがでしょう。美味い地酒を持ってきました」
扉の向こうから、オウワンのはきはきとした声が届いた。
「…申し訳ありません。もう、着替えてしまって」
「待ちますとも。この棟の裏に、月が綺麗に見える場所があるのです。ぜひ、貴女を案内したい」
「…こんな時間に殿方と二人きりになりましたら、私はブライアンに怒られてしまいます」
「なに、ブライアン殿下は今、隣の棟で連れの者たちと宴を開いている。あちらも楽しまれているのだから、貴女だって構わないでしょう!」
廊下に、わははっと笑い声が響く。
「…あの」
リリアンヌは扉を薄く開け、ちらりとオウワンを見上げた。
「本当に申し訳ありませんが…二人きりでは、私は行きません」
「……」
オウワンが、にやりと口元を歪めた。
「そんなに警戒なさらなくても、少し月を見るだけですよ」
そう言うなり扉に手をかけ、強引に押し開けた。
「…!」
リリアンヌは、咄嗟に後ろへ退いた。
「大丈夫です。行きましょう」
構わず、すっと手を差し出してくる。
その瞬間。
「――その手を、今すぐどけろ」
オウワンの首に、ひたりと剣先が突きつけられた。
「ひっ…」
「お前には忠告したはずだ。嫉妬で手元が狂うかもしれない――と」
ブライアンは、冷たい目でオウワンを睨み据えていた。
「お、お前っ…今、何しているか、分かっているのか…っ!」
「御父上に報告してもらって構わない。お前が何をしようとしたのか、私からも申し上げよう」
剣先は、微動だにしなかった。
「私はただ、彼女を楽しませようとっ…」
「それは、お前の仕事ではない」
「なんだと…!?招いた他国の者をもてなすのは、王子である私の役目だろう!」
「もてなすとは、招いた相手に礼を尽くすことだ。相手の意思も、その国の習慣も尊重できないお前には無理だ」
ブライアンは剣を鞘に収めると、オウワンを肩で押しのけ、リリアンヌの隣に立った。
「私以外が彼女に触れることは、絶対に許さない」
先ほどよりも強く、リリアンヌを抱き寄せた。
「お前こそ、この国の文化を知らぬだろう…!人前で、そんな、みだらな…!」
オウワンの顔が真っ赤になった。
「ああ…お前には、刺激が強かったか」
ブライアンは薄く笑うと、そっとリリアンヌの額に口づけをした。
ゆっくり視線を上げ、じっとオウワンを睨みつける。
「…まだそこで、私たちの邪魔をする気か?」
「…っ…本当に、野蛮な国だ…!」
オウワンは顔を真っ赤にしたまま、扉の前から去っていった。
「…だから、見ていろと――…!」
廊下の先から、誰かに文句を言う声が響く。
その声も次第に遠ざかり、やがて静かになった。
「……」
ブライアンはリリアンヌから手を離すと、扉の向こうを覗いた。
「…話にもならないな」
小さく呟き、険しい顔で振り返った。
「君も君だ。なぜ、扉を開けたりした」
「ご、ごめんなさい…」
リリアンヌの顔は、オウワンのように真っ赤だった。
「……」
「そ、その…扉を開けたのは、ブライアンが来ると、分かっていたので…」
言いながら、ちらりと部屋の奥の壁際に目を向けた。
「それに、キリとビッケも、いましたし」
「…キリ殿。協力に感謝する」
ブライアンもその先へ目を向けた。
「私は何もしていない」
キリは片膝を立てて座り、じっと扉を見つめていた。
「あいつ…護衛もいないと思ったのかな」
キリの隣に立つビッケが、呆れたように呟いた。
「ああいう馬鹿は、どこの国にもいる…」
ブライアンは小さく溜息を漏らすと、再びリリアンヌに視線を向けた。
「リリアンヌ」
「はいっ…」
「演技とはいえ、過剰だった。すまない」
「…いいえ!本当に、助かりました」
オウワンが、部屋に訪れる可能性がある。
だから、絶対にキリとビッケに部屋にいてもらえ――
ブライアンにそう言われた時は、まさかと思った。
何もなかったとしても、こんな時間に部屋で二人きりになるなんて、どう考えてもよくない。
しかも、こちらには婚約者がいると言っているのに。
本当に…ブライアンに、婚約者役をしてもらって良かった。
「…ネウロいわく、ここの者たちは全員、何かを隠しているらしい」
「えっ、全員…?」
リリアンヌは、ぱっと顔を上げた。
「それが戦争のことなのか、別のことなのかまでは分からない。だが、一様に焦っている」
ブライアンは腕を組み、扉脇の壁に寄りかかった。
「…何か、問題を抱えているのかもしれないのですね」」
一体、何だろう。
てっきり、私の白のちからを望んでいるのかと思っていた。
ショウレンは病気のようにも見えたけれど、しっかり食事もしていた。
王妃も子供たちも、顔色は良かった。
それなら一体、誰を治してほしいのだろう。
「この町に、人はいた」
キリが静かに口を開いた。
「だが、明らかに少ない」
「…五万人はいないってこと?」
ハラは、城壁の内側には五万人が暮らしていると言っていた。
「その半分ほどだ」
「そっか…避難しているのかな?」
「避難にしては、中途半端だ。王族までここに残っているとなれば、なおさら妙だろう」
「確かに…」
ブライアンの言う通りだ。
「あっ…戦場に行っているのかも」
町の人たちの多くが徴兵され、ナブラン砦へ向かったのかもしれない。
「町の人間を、半数も徴兵することはまずあり得ない」
ブライアンがすぐに否定した。
「じゃあ…町の人たちは、どこへ行ったのでしょう」
半数近くもの人が、町からいなくなっている。
一体、どこへ――
記憶の端に、何かが引っかかった。
「……」
何か――
大事なことを、忘れている気がする。
「まだ…こちらも手探り状態だ」
ブライアンの言葉に、思考を止めた。
「今はまだ、手の打ちようがない」
「では…明日も、ただ花見会に参加するだけでしょうか」
「そうなるだろうな」
「その間に開戦してしまったら、どうする気なのでしょう…」
リリアンヌは、ぎゅっと胸元を握りしめた。
焦っているのに、どうして晩餐会や花見会などしているのか。
戦争だって開戦を延期しただけで、終わったわけじゃない。
いつ、レックスが気を変えて戦争が始まるかも分からない。
「…恐らく、戦争よりも優先したいことがあるのだろう」
「だから…それを隠す意味が、私には分かりません」
困っていることがあるのなら、早く言ってくれればいいのに。
「…そうだな」
なぜか、ブライアンが困ったように微笑んだ。
「明日の花見会の間に、ネウロがいろいろ探ると言っていた」
「…はい」
頼ってばかりで申し訳ないけれど、今は、ネウロのちからがどうしても必要だ。
「また明日の朝、ここへ来る。…今日はゆっくり休め」
ブライアンは壁から背を離すと、すぐに扉を閉めて去っていった。




