第一章Ⅸ(見えはじめた綻び)②
リリアンヌ視点
今日も、ハックたちはちょっかいをかけにやって来るのだろうか。
サムは、来る頻度が減ったと言っていたけれど。
さすがに、ギタンがいるから諦めたのだろうか。
「よぉ、シルヴィア!」
「!」
「飯、貰いに来たぜ!」
列に、見知った男性が現れた。
「こんにちは、ボノ。あら…子供たちは?」
「それがさ、子供らもちょっと体調崩しちまってよ…げほっ、げほっ!」
「ボノ…あなたまで咳が出始めたの…?」
シルヴィアの声が、一気に強張った。
「ああ、いや、違う!これは…ちょっと今、喉が渇いてつっかえてるだけだ」
ボノは慌てて首を振ると、四つ重なった椀を前に差し出した。
「それより、ここに四人分入れてくれよ。オレが全部持ってくからさ」
「あなたひとりで、四人分は運べないわ。申し訳ないけれど、もう一度来てくれないかしら」
シルヴィアはきっぱりと言った。
「あ~…それは、面倒だな!ははっ…大丈夫、オレなら持てるって!」
「駄目よ。あなたの通る道を考えたら、危ないわ」
「大丈夫、大丈夫!おいサム、ほら、ついでくれ!」
「…とりあえず、二つつぐよ」
「いや、大丈夫だって!頼むよ、もう一回来てる余裕はないんだって!」
「どういうこと?」
気付いたら、口を開いていた。
「ん?…あ」
ボノはリリアンヌを見つけると、はっと口を噤んだ。
「お~い、まだかよ!ボノ、早くどいてくれ!」
列の後ろから、不満そうな声が飛んできた。
「…頼む、シルヴィア。四人分入れてくれ。それから、薬も貰っていっていいか?」
ボノは声を落とし、真剣な表情で言った。
「…分かったわ」
シルヴィアは諦めの溜息をつくと、前掛けのポケットから袋を取り出した。
「これを、四等分にしてスープに混ぜなさい。咳は楽になるはずだわ」
「…すまねぇ。ありがとな」
「パンはさ、ポケットに入れたら?」
「ああ、そうするよ。すまねぇな」
ボノはワンスからパンを四つ受け取ると、そのまま外付けポケットに詰め込んだ。
「…ボノ、お椀をひとつずつ渡すから」
「ありがとな、サム。ここと、ここに挟めばさ…ほら、四つ持てるだろ?」
両腕の内側にひとつずつ椀を挟み、さらに両手で椀をそれぞれ持った。
「無理言って、すまなかったな」
ボノは、足を引きずりながらゆっくりと列から離れた。
「…げほっ、がほっ…!」
すぐにその背が揺れ、ばしゃんっとスープが椀からこぼれた。
「…!」
リリアンヌは、ぱっと顔を上げた。
「駄目だ」
ギタンは、視線を前に向けたまま静かに答えた。
「スープをつぎ直してほしいわけではないの」
「分かってる。運ぶのもなしだ」
「どうして?」
「放っておけ。きりがない」
「手伝うのも駄目なの?」
リリアンヌは、悲しそうに声を震わせた。
「手伝ってあげるのも、ここでは駄目なことなの…?」
「……」
「…ギタン、オレが行ってくるよ」
サムが振り返り、素早く言った。
「おい、ヌイ!代わってくれ!」
「ん?ああ、待って!」
列の後ろの方にいたヌイが、こちらに向かって駆けてきた。
「サム、私も行く」
「駄目に決まってんだろ」
サムは叱るように言った。
「お願い…!絶対、迷惑はかけないから」
「駄目だって。自分の身を護れないうちは――」
「自分の身は、自分で護れます」
リリアンヌはサムの言葉を遮り、きっぱりと言った。
いざとなれば、跳躍のちからで逃げればいい。
「…もういい、サム」
ギタンはそう言うと、腰に差していた木棒を右手で抜いた。
「俺がこいつを連れて行ってくる。その間、お前がここを護れるか」
「…それは、問題ないけど」
サムが木棒を受け取りながら、ちらりとリリアンヌに視線を落とした。
「…なぁ、リリィ」
「俺が説得する」
サムが何か言う前に、ギタンが素早く言った。
「…分かった。気を付けろよ」
サムは、ぽんっとリリアンヌの頭に手を置くと、そのままヌイの方へ駆けていった。
「…ごめんね」
リリアンヌは小さく謝り、その場をそっと離れた。
ボノの姿は、すぐに見つかった。
両腕に椀を抱え、足を引きずりながら、ほとんど進めていないようだった。
「ボノさん…!」
「んあっ!?」
前を歩くボノが、びくりと肩を震わせた。
「手伝います…!」
「…ああ、嬢ちゃんか。手伝うって、何を?」
「お椀を二つ、渡してください。一緒に持って行きます」
リリアンヌはボノの横に並ぶと、両手を上に伸ばした。
「…いい、いい。平気だ」
「やっぱり、ひとりでは無理です。貸してください」
「いや、いいんだ。嬢ちゃん、言っただろ。同情は――」
「同情なんかじゃない…!」
リリアンヌは、むっと声を荒げた。
「放っておけないの…!私は、お節介なの!」
「…は」
ボノはぽかんとして――
「…ぶははっ!お節介なのか」
おかしそうに吹き出した。
「そんな威勢よく言われちゃ、断れねぇな」
「…!」
「だがな、危ねぇぞ。嬢ちゃんひとりで、ここまで帰ってこられるのか?」
「俺も行く。ひとつ、渡せ」
ギタンはリリアンヌの後ろに立ち、ボノの腕の間から椀を抜き取った。
「事情は何も聞かねぇ。飯を置いたら、俺たちはすぐ戻る」
「…すまねぇ、ありがとな」
ボノはぐっと喉を鳴らすと、手を伸ばしたままのリリアンヌにも椀を手渡した。
「嬢ちゃんは、いい薬師になるぞ。間違いねぇな」
「…薬師にはなりません」
リリアンヌは困ったように眉を下げ、歩き出したボノに続いた。
「そうだな、薬師になんかならなくても、今なら、町でいくらでも働くことができる」
ボノは、かかっと笑って言った。
「嬢ちゃんはさ、いい時代に生まれたもんよ」
「…そうなの?」
「そりゃそうさ。前の王様ん時にゃ、オレたちが町で働くことなんて無理だった」
「どうして?」
「そりゃ、貧民区の人間だからな。おっと…すまねぇ。まだ、嬢ちゃんくらいの歳の子に現実を突きつけちゃ駄目だな」
「現実?」
「いや、いいんだ。嬢ちゃんは、そのまま夢いっぱいでいてくれよ」
ボノが一瞬、寂しそうに笑った。
「…いいな、嬢ちゃんは。未来が広がってる」
「……」
未来が広がっている。
その言葉が――なぜか、無性に哀しかった。
「げほっ、げほっ…!」
ボノが背を丸め、大きく咳き込んだ。
「…!ボノさん!」
「…あ、ああ、大丈夫だ…だから、あんま近寄んな」
ボノは苦しそうに息をしながら、椀を持った手でリリアンヌを制止した。
「嬢ちゃんに移しちまったら、シルヴィアに申し訳が立たねぇ」
「…私は、大丈夫」
リリアンヌは、絞り出すように呟いた。
「ははっ…そうだな、嬢ちゃんは大丈夫だ」
「ボノさん…」
「こう見えてな、オレには家族がいるんだよ」
「…うん。この間、見たよ」
「ああ…そっか。前ん時も、レンを助けてくれたな」
「……」
助けたのは、ギタンだ。
「レンの奴は、まだ嬢ちゃんくらいでな。あいつが元気になったら、友達になってくんねぇか?」
「うん、もちろん」
リリアンヌはすぐに頷いた。
「ああ、これで安心だな」
ボノが、ふっと表情を緩めた。
「…何が?」
「これで、あいつらがひとりになることはねぇ」
「……」
「嬢ちゃん、こっちだ。足元滑るから、気を付けろよ」
「…うん」
ボノが進んだ小路は、初めて訪れた場所より、さらにじめじめと暗いところだった。
陽はまったく当たらず、踏みしめる土はずっと湿っていた。
並ぶ建物は、どれも火事でもあったのかと思うほど黒ずんでいる。
古いだけなのか、それとも本当に焼けた跡なのだろうか。
「嬢ちゃん、ここだ」
その黒ずんだ建物のひとつに、ボノが入っていった。




