第一章Ⅸ(見えはじめた綻び)①
リリアンヌ視点
「三掛ける三は?」
「九」
サムとヌイとワンスが、声を揃えて答えた。
「五掛ける四は?」
「二十」
「二十…かな」
「…二十」
今度は、ばらばらと答えた。
「じゃあ、六掛ける七は?」
リリアンヌはどんどん続けた。
「んっ…え、ちょっと待って」
「ええと…」
「四十二」
慌てるヌイとワンスをよそに、サムが即答した。
「七掛ける八は?」
「…五十六」
今度は、間を置いてサムが答えた。
「うん、正解。じゃあ次は、三つ。二掛ける三掛ける六は?」
「……」
「…ちょっと難しかったかな?」
「…三十六」
「すごい、サム!正解だよ」
リリアンヌは、嬉しそうに拍手を送った。
「たった四日で掛け算までできるようになるなんて、すごいよ!」
「…分かった?」
「最後のは、さっぱり」
「二人も、すごい。ちゃんと途中までは解けていたもの」
囁き合うヌイとワンスに、リリアンヌがすかさず言った。
「頭の中に石を思い浮かべながらやれば、なんとかね。でも、数が増えたらさっぱりだよ」
ワンスが小さく肩をすくめた。
「サムお前、どうやって頭で計算してんだ?」
「二つまでの掛け算は、暗記した。それ以上は、ワンスと同じだよ。計算はあんまりできてない」
ヌイの問いに、サムが苦笑しながら答えた。
「えっ、もう暗記したの?」
リリアンヌは、ぎょっとサムへ顔を向けた。
「お前が作ってくれた、九九表な。あれくらいの量なら覚えられる」
「すごい…」
「リリィ先生の教えが上手なおかげだよ。ありがとな」
サムが、にっと口角を上げて言った。
「優秀な生徒自身の力だよ。さすがです、サム君」
リリアンヌは頭巾の下から、にっこりと笑って返した。
「もう掛け算をやってんのか?足し引きが先だろ」
荷車を押すギタンが、前に顔を向けたまま言った。
「だってもう、三人とも足し引きは完璧なんだもの」
「完璧ってこたないだろ。三桁までやらせなきゃ、金の勘定もできねぇ」
「んん…そうかな。先に掛け算だと思うけれど」
ギタンは、厳しい。
「いや、さすがにリリィでも三桁はできないだろ」
ヌイが、ははっと笑って言った。
「忘れがちだけど、リリィはまだ七歳だし。掛け算を知ってるだけでも、おかしいだろ」
「…うん」
「…まさかリリィ、三桁もできるの?」
「ううん…!できない!」
ワンスの言葉を、慌てて否定した。
「あなたたち、お勉強はそこまで」
先を歩いていたシルヴィアが振り返り、優しく言った。
「炊き出しの時間よ。お手伝い、よろしくね」
ギタンは、大鍋の載った荷車を、前回と同じ場所で止めた。
鍋の蓋を開けると、湯気と一緒にスープの匂いが広がった。
その途端、待っていたかのように人々が列を作り始めた。
「シルヴィア、来たよぉ!」
「こんにちは、ネネ。今日は顔色がいいわね」
「そりゃ、炊き出しの日だからね!美味い飯が食えると思ったら、元気も出てくるもんさ」
「ふふっ…その通りね」
「はい、ネネ」
「ありがとよ、サム、ワンス。じゃあ、またな」
スープとパンを受け取った先頭の女性が、列を抜けていった。
すぐに、親子が椀を持って一歩前に出た。
「こんにちは~!」
「はい、イジーこんにちは」
「こんにちは、シルヴィア。この間は、薬をありがとう」
「熱は下がったかしら?」
「おかげさまで。イジーもこの通り、また元気です」
「でもね、粉のおくすり飲みにくくって、げほってしちゃった」
「イジー…!余計なこと言わないの」
「ごめんなさいね、イジー。次は、蜂蜜で固めて飲みやすくしてあげるから」
シルヴィアは、ふふっと笑って言った。
「本当?やったぁ」
「また薬を飲むようなことになったらね。…シルヴィア、ありがとうございます。イジー、お椀を持つからワンスにパンを貰って」
「あっ、蜂蜜入りのパンだ!」
「そうだよ。イジー、ほら二つ持って」
「うん!ありがと、ワンス!」
イジーはパンを二つ手に持つと、母と共に列を抜けていった。
リリアンヌは荷車の持ち手を掴み、椀を受け取る人たちにじっと目を向けた。
炊き出しに来るのは、かなり久しぶりだ。
最後まで手伝うと、門限ぎりぎりになってしまう。
だけど今日は、遅い夕食に合わせて、昼食も遅くなる。
いつもより、一時間だけ余裕がある。
「今日はいいのか?」
「ん?」
頭上から聞こえた声に、リリアンヌはぱっと顔を上げた。
「ここに来たら、戻る時間に間に合わねぇんだろ。平気なのか?」
後ろから持ち手を掴むギタンが、身を屈めて尋ねた。
「うん。今日は、少しだけゆっくりできるの」
「そうか。だが、最後までいるなよ」
「どうして?」
「次の休みの日に向けて、守衛隊の巡回がここらまで増えてる。慎重に帰れ」
「守衛隊って、町を守る兵のこと?」
「正確には、第二城壁、第三城壁内だ。巡回してんのは、兵だな」
「守衛隊には騎士もいるの?」
「当たり前だ」
「当たり前なんだ…」
「休みの日も来んのか?」
「うん、来る。サムと、お披露目会を見に行く約束をしてるの」
「…見に行くのか」
「…駄目?」
「止めはしねぇよ。だが、気を付けろよ。人も多い」
「うん、気を付ける」
リリアンヌはこくんと頷くと、再び視線を正面に向けた。
「はい、どうぞ」
「今日は、平焼きパンだよ」
シルヴィアとサムがスープを、ワンスがパンを配っている。
「今日も全員分はあるから。押さないで並んでな」
ヌイは歩きながら、列を整えている。
みんなの役割は、前回から変わっていないようだ。




