巻き込まれていく男①
ブルック視点
ホウレンベルク領の、端の端。
特徴のない村の、目立たない家。
ブルックはひとりの村人として、そこでひっそりと暮らしていた。
「ブルックさ~ん」
畑の外から、小柄な老人が手を振ってやってきた。
ブルックは首に巻いた手拭いで汗を拭きながら、老人のもとへ向かった。
鍬を土の上に置き、姿勢を正して後ろで手を組む。
「なんでしょうか、村長」
「今日の集会のことでね、ちょっと相談したいんだが。本当に私らは、避難しなくても大丈夫で?」
村長が、不安そうな顔で尋ねた。
「ええ。ここは戦場に近いとはいえ、セスランディア側が負けることは、万が一にもあり得ませんから」
「そうは言ってもねぇ。ここは、ガーデラ川も近いでしょう?あっこから、侵入してきたりしない?」
「ホウレンベルク領に面するガーデラ川沿いは、固く守られています。まったく問題ありません」
「この村に、毒を撒かれたりしない?ほら、前の戦争の時も、それで隣領の村が滅びたでしょ?」
「あの時とは、状況がまるで違います。あり得ません」
このやり取りも、もう何度目になるだろうか。
「ブルックさんが言うなら、本当なんだろうねぇ。さすが、元騎士様だ」
「…村長、そのことは」
「はいはい、秘密でしたね。だけどその立派な体つきじゃ、ばればれですがねぇ」
「それでも、どうか内密にお願いします」
「そりゃ、あんたの嫌がることはしないとも。もうこの村は、ブルックさんなしじゃやっていけんから」
村長は、自分で言いながら何度もうんうんと頷いた。
「作業中に、すまんかったね。夕飯は、うちで食べるか?」
「いえ…今日は多めに作物が採れそうなので、自炊します」
「そうか、そうか。でも、また近いうちに来てくださいね。家内が喜ぶ」
「ええ。お邪魔させていただきます」
去っていく村長に一礼し、その背を見送った。
この村の者たちは――
私がホウレンベルク領を治める侯爵家の息子だということを、知らない。
…言う気もない。
実家には、とっくに縁を切られている。
それでも、行くあてのなかった自分が領内に住むことだけは、許された。
町では、自分がホウレンベルクの息子と知られる可能性がある。
目立たぬよう、領の端に位置する小さな村を選んだ。
初めは、それまでの生活との違いに大いに戸惑った。
畑仕事など、やったこともない。
食事を自分で準備しなくてはいけないことにも衝撃を受けた。
それらも、お節介な村人たちが勝手に教えてくれた。
代わりに力仕事を引き受け、王都の様子を聞かせた。
それだけで、村人たちは随分と喜んだ。
いつの間にか…この生活に、慣れた。
『でも、ここから出たいでしょう?』
こうして何にも縛られることなく、外の世界で暮らしているのは、リリアンヌのおかげだ。
彼女は…今頃、王都でまた英雄譚を増やしているのか。
遠いこの村にまで、彼女の噂は届く。
どこまでも…自分につきまとう。
忘れさせてはくれない。
忘れることなど、できない。
「……」
小さく頭を振る。
鍬を持ち、再び畑へ足を向けた。
「…おい」
「!」
微かな声に、反射的に振り返った。
マントを目深にかぶった男が、先ほどまで村長が立っていた場所に佇んでいた。
「…何者だ」
気配が、まったくなかった。
ただ者ではない。
「見れば分かる」
男は言いながら、頭を覆っていたマントを払いのけた。
「…!」
はっと、息を呑んだ。
「なっ…なぜ、お前がここに…?」
人族とは異なる形の耳。
透けるような真っ白な肌。
人間離れした顔立ち――
リリアンヌの傍にいたエルフだ。
「今すぐ、私についてこい」
エルフは再びマントを目深にかぶり、畑に背を向けて歩き出した。
「……」
ブルックは、鍬を握ったまま動かなかった。
いまさら…殺しに来たのか?
生きる希望を与えて…いまさら、死ねと言うのか?
「早くしろ」
エルフが振り返り、鋭く言った。
「…待ってくれ」
ブルックは鍬を置くと、一度家へ戻った。
扉の脇に掛けてあるマントを手に取り、エルフのあとを追う。
どうせ、このエルフには勝てない。
こいつもまた、化け物並みに強い。
エルフは足を緩めることなく、村の裏手にある山道へ入っていった。
きつい傾斜もものともせず、まるで浮いているかのような身軽さで登っていく。
ついていくだけで、全身から汗が噴き出した。
一度足を止め、首に巻いたままだった手拭いで顔を拭う。
その間にも、エルフは容赦なく先へ進んでいった。
…一体、何だと言うのだ。
殺すなら、ここで殺せばいい。
エルフの前方から、複数の馬の息遣いが微かに聞こえた。
誰か、いる。
それも、数名。
本当に…私を始末するために連れてきたのか。
抵抗もせず死ぬくらいなら、鍬を持ってくれば良かったか――
「ブルック!」
「待て…!」
マント姿の二人が、エルフの向こうから現れた。
小柄な人物の腕を、隣の男が掴んでいる。
「……」
やはり――
「ブルック、久しぶり!だいぶ…変わったね?」
マントの下から覗く笑みは、二年前と変わらぬものだった。
いや…成長はしている。
だが、そんなこと、今はどうでもいい。
「…なぜ、あなたがこんな場所にいらっしゃるのでしょう」
ブルックは無意識に姿勢を正し、後ろで手を組んだ。
「私を、始末しに来たのでしょうか」
「えっ…!?違う…!」
リリアンヌは、慌てて首を振った。
「ええと…何も説明していないの?」
「していない」
視線を向けられたエルフが、短く答えた。
「じゃあ、私から言います」
リリアンヌは改めてブルックを見上げた。
「ブルック。私たちを助けてくれませんか?」
「…は?」
あまりにも予想外の言葉に、思考が止まった。




