精霊の申し子の本気②
ルイージ視点
「…タッセントの首都、コウランでは、今も毒の研究が続けられていると言われています」
「…は…え?」
意外な切り出しだったのか、リリアンヌはぽかんとしている。
「……」
ルイージは、そっとモノクルを押し上げた。
勝手に調べられ、中途半端に伝えられるくらいなら。
自分の口から説明した方が、ずっといい。
「吸い込むだけで命を奪う毒。白の使い手が調合した解毒薬さえ効かない毒――そういったものを、長年にわたって作り続けています」
そうした毒に侵された者は、白のちからを直接送らなければ癒せない。
「あ…だから、霊拝師たちが虐殺された…?」
リリアンヌが、はっとして呟いた。
「……」
戦争の話はしたが、霊拝師が虐殺された話はしていないはずだ。
本当に…どうして彼女は、知らなくていいことまで知ってしまうのか。
「…先の戦争で、タッセントは研究の末に作り出した毒を、国境近くにあるセスランディアの村に撒きました」
「…っ」
「毒は瞬く間に村中に広がり、村はわずか数日で滅びました。誰も近寄ることすらできなかった」
なぜ今、この話をするのか。
リリアンヌは青ざめたまま、何も言わない。
「ですがその後、その毒が使われることはありませんでした。…陛下が、タッセントとの停戦に持ち込んだからです」
「…お互いの王が、戦死したからですね」
「ええ。停戦の話は、あなたにしましたね。現在もその関係が続いていることを前提に、お話しします」
ここまでは、前置きに過ぎない。
――ここからが、本題だ。
「先日、タッセントの王から、あなたを首都コウランへ招きたいとの書状が届きました」
「…え」
「もちろん、陛下はすぐに断りました。停戦中の国に、あなたを行かせるわけがない」
ルイージはリリアンヌを見つめたまま、淡々と続けた。
「そのあと、再びタッセントから書状が届きました。すでにアッシカル領の各地へ毒を持ち込んでいる。いつでも撒く準備ができている――と」
「…!」
リリアンヌは、ひゅっと息を呑んだ。
「…脅しだ」
その背後に立つブライアンが、低い声を漏らした。
「…ええ。これまでの挑発とは、明らかに一線を画すものです」
ルイージは小さく頷いた。
リリアンヌを寄こさなければ、毒を撒くという明確な脅し――
「それなら…!やっぱり、私はアッシカル領に行くべきでしょう!」
すぐにリリアンヌの声が飛んできた。
「……」
タッセントが先の戦争で毒を使ったことは、セスランディアの民も知っている。
だから、最強の白の使い手であるリリアンヌを戦場へ――
彼女さえいれば、毒など恐れる必要はない。
民は、そう考えている。
「…毒の話は、タッセントの王の虚言だと思っています」
「…どうしてそう判断できるのですか?」
リリアンヌの眉が、わずかに寄った。
「タッセントと我が国の間には国境となる川があり、そこでは常に兵が見張っています。他国を迂回でもしない限り、気付かれずにアッシカル領へ入るのは困難です」
「国境となる、ガーデラ川がある…」
小さく呟いている。
頭の中で、地図を思い出しているのだろう。
「まして、先の村に使用したような毒を大量に持ち込むことは、まず不可能でしょう」
人ひとりなら、まだ抜け道はあるかもしれない。
だが、大量の毒を抱えて川を越えるとなれば話は別だ。
「でも…絶対にないとは、言い切れないのでしょう?」
リリアンヌは囁くように尋ねた。
「だからこそ、戦争をするのでしょう…?」
「…違います」
ルイージはゆっくりと首を振った。
「正直…この脅しを一蹴することもできました。アッシカル領に毒を撒くというのなら、好きにすればいい――と」
「…好きにって…」
リリアンヌは、きゅっと眉をひそめた。
「ですが、ここで退けたところで、タッセントは諦めないでしょう。手を変え、何度でも我が国に仕掛けてくる」
停戦中も、何度となく繰り返されてきたことだ。
「陛下は…それを、もう終わらせることにした」
リリアンヌの名を出したことが、タッセントの間違いだった。
越えてはならない一線を、越えた。
「売られた喧嘩をすべて買い、今度こそタッセントとの決着をつける。陛下は、そう決めたのです」
二度と、セスランディアへ手を出せないように。
二度と、リリアンヌを脅しの道具に使えないように。
徹底的に、タッセントを叩き潰す。
その選択が、リリアンヌの“枷”を揺さぶりかねないと知りながら。
それでも、レックスは戦争を選んだ。
「……」
室内に沈黙が落ちた。
「…いいですか。今回の戦争を、あなたのせいだとは思わないでください」
何か言われる前に、先に口を開いた。
「あなたの名を出したことは、ただのきっかけに過ぎません。以前から続いていたタッセントとの争いに、陛下が決着をつけると決めた。それを分かってもらうために私は事情を話しました」
「……」
リリアンヌは目を伏せ、何かを考えている。
「…あなたがアッシカル領へ行く必要は、ありません」
毒は、恐らく使われない。
タッセントへ侵攻すれば、再び使われることもあるかもしれないが――
不意に、伏せられていたリリアンヌの瞳がこちらを向いた。
「首都コウランへ、行きます」
「…は?」
思わず、間の抜けた声が漏れた。
「私の話を聞いていましたか…?」
「もちろんです。ルイージ宰相の話を聞く限り、タッセントの王は、私に来てほしがっています」
「……」
そこまでは、はっきり言わなかったつもりだが。
「何か、困っていることがあるのかもしれません」
「本気で…おっしゃっているのですか?」
どこまで、彼女は。
「もし問題を解決できれば、戦争は止まるかもしれませんね?」
リリアンヌの目は、真剣だった。
「…そんな簡単に、戦争が止まると思っているのですか?」
「でも、可能性はあります」
「だからといって、あなたをコウランへ行かせるとでも?」
声に、わずかに圧を込めた。
「そもそも、どうして伯父上は私に何も言わなかったのでしょう」
まるで効いていない。
「私が初めからコウランへ向かえば、戦争をする必要なんてなかったかもしれない」
「あなたが思うほど、単純な話ではないのです!」
ルイージは、語気を強めて言い返した。
あまりにも能天気な発言に、さすがに腹が立った。
「コウランへ行き、あなたが拘束でもされたら…!どうなるか、分かっているのですか」
「そんなこと、されません」
「人質にでもされてご覧なさい…!レックスは、どんな手を使ってもあなたを取り返しに行きますよ」
それこそ、罪のないタッセントの民を犠牲にしてでも。
「…ですから、捕まったりしません」
「…っ」
まだ、言うか――
「仮に、向こうが抱えている問題を解決したとしても!あなたが解放される保証などありません!」
「…だから!私は、捕まったりしない!」
リリアンヌが、がたんっと立ち上がった。
「なぜ言い切れるのですか!?」
いくら彼女が戦えるからと言って、
何百、何千ものタッセント兵に囲まれれば、どうすることもできない。
「私には、仲間がいるからっ!」
「…!」
「ブライアンも、キリも、ビッケも、ネウロも…!傍に、いてくれるから!」
リリアンヌは、迷いのない顔で言い切った。




