庇護下の姫③
ビッケ視点
――前日のこと。
「…ビッケ。少し、いいか」
「…!」
扉の向こうから聞こえた小さな声に、ビッケは、はっと顔を上げた。
「ビッケ、どうしたの?」
リリアンヌが振り向き、こちらを見ている。
「……」
どうして呼ばれたかは分からないけど…
きっと、こいつには言わない方がいい。
「…水差し、取ってくる」
ビッケはそれだけ言うと、リリアンヌの部屋をあとにした。
部屋を出ると、アランフォースが階段の前で待っていた。
自分が見ていることに気付くと、何も言わずに階段を下りていった。
急いであとを追いかける。
アランフォースは、階段の中腹にある窓枠に足を掛けていた。
次の瞬間、その姿がふっと視界から消えた。
アランフォースの匂いが、上に流れていった。
ビッケはきょろりと辺りを見渡し、同じように窓から外へ出た。
壁を駆け登るのは、得意だ。
アランフォースは、屋根の上で屈んでいた。
すぐにその隣まで駆け寄った。
「なに?」
こんなふうに呼び出されることも、二人で話すことも初めてだ。
「明日、町へ行くのだろう?」
「うん。そのつもりだけど」
きっと、リリアンヌは風呂から出たらすぐに手紙を書くだろう。
「……」
アランフォースはビッケを見つめたまま、黙り込んだ。
「…なんだよ」
今日のアランフォースは、ずっと変だった。
集中していない…?
何か、別のことを考えている?
こんなアランフォースを見るのは、初めてだ。
「ビッケ、頼みがある」
「!」
「町に行けば、多くの噂を耳にすることになる」
「…うん」
それは、いつものことだ。
「…第二城壁内の様子が、いつもと違うことにも気付くはずだ」
「…?」
「何も――リリアンヌ殿下の耳に入れるな」
「……」
一気に、胸騒ぎがした。
「それは無理だろう」
ふいに、声が割り込んだ。
「!」
声のした方へ、はっと顔を向けた。
アランフォースの後ろで、キリが屋根の縁に腰掛けていた。
まったく気付かなかった。
「…オレ、何も言わない」
ビッケは、小さく首を振った。
初めてのアランフォースからの頼みごとだ。
それに、リリアンヌのためにならないようなことを頼むはずがない。
「ビッケが言わずとも、リリアンヌは勝手に気付く」
「…そうならないよう、城内では箝口令が敷かれている」
アランフォースは、前を見たままキリへ答えた。
「…?」
二人は…一体、何の話をしているのだろう。
耳は良いはずなのに、オレは何も知らない。
「他人から言われるより、お前が直接言った方がいいだろう」
「…それは俺の役目ではない」
アランフォースの声が、少しだけ沈んだ。
「…相変わらず、人族は面倒だな」
キリが、どこか呆れたように言った。
「だが、お前が行くなら」
「分かっている」
「……」
本当に…何の話をしているか、さっぱり分からない。
でも、どうしてアランフォースは、こんな顔をしているんだろう。
リリアンヌの誕生日には、あんなに優しい声をしていたのに。
「…おそらく、一週間後には動く」
アランフォースが、そっとビッケに目を向けた。
「…何が?」
結局、尋ねた。
「……」
「ビッケにも伝えるべきだ」
キリが静かに促した。
「…そうだな」
アランフォースは小さく息を吐き、口を開いた。
「ビッケ。これから…――」
「――できたっ」
「!」
リリアンヌの声に、ビッケは、はっと我に返った。
「ビッケ、ごめん…」
手紙の束を手にして、申し訳なさそうな表情を浮かべている。
「思ったより、多くなっちゃった」
「…平気だって」
なんとか言葉を返した。
「あとね…ここに関しては、受け取りがあるかもしれないの」
リリアンヌは、一通の手紙をひらりと持ち上げた。
「ああ…お前が、この間行った店の…」
「そう。支払いも代わりにお願いしていいかな?」
「分かった」
「たくさんお願いしちゃって、ごめんね」
「…大丈夫」
「ね、ビッケ。明日は手紙を届けたら、そのまま休みにしていいよ」
「…え?なんで?」
「ずっとお仕事しているから、疲れたでしょう?」
「…別に、大丈夫だって」
さっき、一瞬だけ勘づかれた。
何か…ばれただろうか。
「おいで」
リリアンヌが、椅子に座ったまま両手を広げた。
「……」
何をされるかは分かっていたけど、大人しく近づいた。
すぐに、ぎゅっと抱きしめられた。
「…柔らかい」
いつものように、幸せそうに呟いている。
「…!」
ふいに白い光に包まれ、体が温かくなった。
「ホ~」
リリアンヌの肩にいたスノウが、嬉しそうに鳴いた。
「無闇にちからを使うなよ…!」
ビッケは、慌てて体を離した。
もう、白のちからがどれだけ貴重かは分かっている。
「だって、疲れていそうだったから…」
「…少し、寝不足だっただけだって」
「ほら、やっぱりいつもと違った」
リリアンヌが、ふふっと笑った。
「私だって、ビッケの様子くらい分かるんだから」
「…気を遣わせて、ごめん」
「ううん。こちらこそ、いつも無茶させてごめんね。明日の朝は、いつもの仕事もしなくていいからね」
「…じゃあ、そうする」
素直に、こくりと頷いた。
「うん、そうしてそうして」
リリアンヌが立ち上がり、扉の前までついてきた。
何度いいよと言っても、いつも見送る。
「じゃあ、ビッケ、おやすみなさい。また明後日ね」
手紙の束を渡すと、いつものように右手を差し出した。
「…うん、おやすみ」
ビッケは差し出された手を軽く握り、離した。
リリアンヌだけの、おやすみの挨拶だ。
ゆっくり扉を閉めて、数部屋先の自室へ向かう。
これも、何度も断った。
従者である以上、王城じゃなくて使用人の宿舎で寝泊まりするべきだ。
だけどリリアンヌは、絶対に譲らなかった。
でも…これで良かったのかもしれない。
もし突然何かあっても、自分だって助けに行けるから。
リリアンヌには、大きな“枷”があるから。
だからこそ、慎重に。
順を追って、冷静に。
まだ、勘づかれちゃいけない。
『これから…大きな戦争が起こる』
――この国が、隣国と戦争することを。




