血濡れの若騎士
レックス視点
――十六年ほど前
「マルブレッドが死んだ…?」
レックスは、わずかに眉をひそめた。
「…はい。敵将と一騎打ちをし、討たれたとのことです」
伝令が、微かに震える声で答えた。
「ホフマンに負けたのか…!くそっ…!」
ロデオの声が、天幕内に響いた。
「…ちっ」
ホフマン――
タッセントで一番強いと言われている男。
だからこそ、マルブレッドをぶつけた。
手こずることは予想していたが、まさか死ぬとは。
徹底的に叩き潰すつもりが、国王直属騎士団の団長を持っていかれた。
これで、セスランディアの英雄は二人ともいなくなった。
「…それなら南側はまずいな。フォセなら、もう撤退命令を出しているだろう」
ロデオが重い溜息を吐いた。
「兄上、ゲイソンの部隊を南へ送ろう。北側もきつくなるが――」
「陛下…!ロデオ殿下!」
言い切る前に、別の伝令が天幕へ飛び込んできた。
「南側、勝利…!マルブレッド隊により、カドレア砦を制圧しました!」
「…あ?」
レックスは、ぎろりと伝令二人を睨みつけた。
「おい…どっちが嘘をついている」
たった今、マルブレッドが討たれたと聞いたばかりだ。
どちらかの伝令が、嘘の情報を掴まされている。
「いいえ、すべて事実です…!」
今飛び込んできた伝令が、慌てて首を振った。
「マルブレッド団長亡きあと…っ、その従騎士が、砦の門を撃破したのです!」
「従騎士だとぉ…?」
ロデオが訝しげな声を上げた。
「はい…!さらにその従騎士が、敵将のホフマンを討ち…敵部隊は殲滅しました!」
「……」
一体、何が起きている。
マルブレッドの従騎士…
何度か見かけた、赤髪のあれか…?
「…カドレア砦へ向かう」
「陛下、ここの指揮はどうされるのです」
後ろに控えていたエドガーが、即座に口を挟んだ。
「ロデオに任せる」
「兄上、まだその辺りがどうなっているか分からない。危険だ」
「戦場に安全な場所などあるか」
どこでも常に、死と隣り合わせだ。
「それより、聞いたな。カドレアが落ちたなら、あとはここガーデラ砦だけだ」
広げていた地図に目を落とし、今いる拠点を指さした。
「さっさと取り返して、タッセントを川の向こう側へ追いやれ」
「だが…本当に、マルブレッドがいないまま制圧したのか…?」
ロデオはまだ訝しんでいた。
「だから、それを確かめに行くって言ってんだろ」
レックスは素早く言い切ると、天幕の入り口へ向かっていった。
「陛下、お待ちください。部下を十ほど呼びます」
再びエドガーが口を挟んだ。
「そんなにいらねぇ。お前がいれば十分だ」
騎士を十人も連れていけば、それだけここの戦力を削ることになる。
「…それならせめて、私の部隊の兵を連れて行きます」
エドガーがレックスを追い抜き、天幕から出ていった。
必要最低限の兵だけを連れ、すぐにカドレア砦へ向かった。
近づくにつれ、血の匂いが濃くなっていく。
砦の手前には、死体の山ができている。
ほとんどがタッセント兵だ。
少なく見積もっても、千はいる。
砦を護る重厚な門は、巨大な槍でも叩き込まれたかのようにひしゃげていた。
下半分が、歪に折れ曲がっている。
その門の向こうから、よく見知った騎士が姿を現した。
「陛下…!エドガー!」
「フォセ、状況を説明しろ」
レックスは歩みを止めないまま尋ねた。
砦内では、負傷者を抱えた兵や、武具を運ぶ兵が忙しなく行き交っていた。
すれ違う兵たちが、次々とレックスへ敬礼を向けていく。
「何から説明すればいいか…」
フォセは眉を寄せ、珍しく困惑を顔に滲ませていた。
「まず…マルブレッド団長が、敵将ホフマンに討たれ、砦の前で討ち死にしました」
「それは聞いている。それから」
「そのあとすぐ、私は部隊へ撤退命令を出しました」
「撤退していないな」
「…撤退命令を無視した者がひとり、ホフマンへ挑んだのです」
「それで、倒したというのか」
「ホフマンを一撃で仕留めたあと、砦の前に構えていたタッセント兵を…ひとりで殲滅しました」
「…ひとりでか?」
レックスは、ぴたりと足を止めた。
たったひとりで、あの死体の山を作ったというのか。
「…ええ、ひとりで。砦の前に立つ兵すべてをなぎ倒し、そのまま門を破壊しました」
「まさか、これは人力なのか」
エドガーが、歪められた門の方へ振り返った。
「何かしらのちからを持っているものと思われますが…」
フォセはそう言って、上に続く階段へ目を向けた。
「今は、手がつけられない状況でして」
「どういうことだ?」
エドガーが門から目を離し、鋭く尋ねた。
「砦へ入ったあとも止まらず、城壁上の兵まで一掃した…まだ興奮しているのか、殺気が治まらない」
フォセが静かに答えた。
「ひとりにさせているのか」
「そうせざるを得ない…下手に近づけば、味方といえど斬られる可能性がある」
「とんでもない奴が従騎士に紛れ込んでいたな」
レックスは言いながら、フォセが目を向けた階段に向かった。
「陛下…!危険です」
「だから、戦場に安全な場所なんてねぇ」
エドガーに短く答え、階段を上がっていった。
階段の先に広がる城壁の上は、さらに血の匂いが強く立ち込めていた。
足の踏み場もないほど、タッセント兵の死体が転がっている。
その中心に――男がひとり、立っていた。
マルブレッドと同じような大剣を握っている。
赤い髪まで、返り血に染まったかのようだった。
その男は、こちらをまっすぐに見据えていた。
「……」
「…陛下」
レックスはエドガーの制止も聞かず、死体の間を構わず進んでいった。
歩くたびに、誰かの血が跳ねる。
「……」
男は、まだ動かない。
大柄ではあるが、まだ子供だ。
こいつと似た顔の男を、知っている。
つい数年前に、自身の領で問題を起こした男とそっくりだ。
「…おい。お前、名は」
「…アランフォースと申します」
男が、静かに口を開いた。
殺気立っているが、答える気はあるようだ。
「なぜ、撤退の言葉を聞かなかった」
「なぜ、撤退する必要があるのです」
「…あ?」
レックスは、ぴくりと眉を寄せた。
「俺ひとりで、すべてを片付けられると分かっていました。なぜそれで退く必要があるのです」
アランフォースは、鋭い目を向けたまま答えた。
「……」
まだ、だいぶ興奮している。
「それは結果論だろう」
レックスの後ろから、フォセが怒気混じりに口を挟んだ。
「お前の勝手な行動のせいで、味方を無駄に死なせる可能性もあった」
「無駄に死んだのは、マルブレッド団長でしょう」
「なんだと…?」
「おい…言葉には気を付けろ」
エドガーとフォセの空気が、一変した。
「俺なら絶対、倒せると言った」
アランフォースの声が、わずかに強くなった。
「俺が止められていれば…マルブレッド団長は、死ななかった」
肌を刺すような殺気が、辺りを満たす。
「…ああ」
なるほど。
「お前は、分かりづらい奴だな」
「……」
アランフォースの目が、レックスに向いた。
「お前は、マルブレッドの死を悲しんでいるのか」
こいつは、師を殺されたことで昂っているのか。
それとも、その死で隠していた化けの皮を脱いだのか。
「…また恩人を失った」
小さな声が、耳をかすめた。
「何もできないことが…一番許せなかった」
「また?」
「…こちらの話です」
アランフォースは、静かに大剣を背へ戻した。
「勝手をして申し訳ございませんでした。どのような処分でも、お受けします」
「……」
沈黙が落ちた。
確かに、こいつは勝手をした。
上官の撤退命令に従わず、味方を危険にさらした。
だが、それ以上に――圧倒的な戦果を上げた。
「……」
レックスは、しばらくアランフォースを眺めた。
まだ、成人前の子供だ。
だが、その目は死んでいる。
「お前はどうしたい」
使い道は――
こいつ次第だ。
「まだ、敵を殺し足りないか。それとも、命令違反で故郷に送り返されたいか」
「…もう、どうでもいいです」
アランフォースは、ふっと目を伏せた。
「戦えと言われれば、戦います。死ねと言われれば、死にます。ただ、故郷に戻る気は二度とありません」
「…始末に負えないな」
フォセが、小さく呟いた。
その通りだ。
だからこそ、使いやすい。
「エドガー」
「はっ」
「こいつの面倒を、今後はお前が見ろ」
「…は?」
エドガーが、思わず聞き返した。
「アランフォース」
レックスは、さらに一歩近づいた。
「これから、俺のために生きるか」
「…?」
アランフォースは、小さく首を傾げた。
「人を殺すことに、躊躇いはないな?」
「…殺しが好きなわけではありませんが、命令とあれば躊躇いません」
「手を汚すことに、後悔はしないな」
「…後悔を、なぜするのです」
「いつかお前に子ができた時、それを後悔するかもしれない」
「結婚などする気はありません」
アランフォースはすぐに答えた。
「ちょうど、表の汚れ仕事を引き受ける人間を探していた」
レックスは、わずかに口角を上げた。
「俺の代わりに、お前が手を汚せ」
「……」
返答はない。
「どうでもいいと言っているわりには、不満そうだな」
「…いいえ、不満はありません。ですが、俺は命令違反を犯した者です」
「俺の命令さえ聞けば、それでいい」
「……」
後ろで、エドガーとフォセが身じろぎする気配がした。
「お前の強さがあれば、タッセントの中核まで剣が届きそうだな」
「ええ…恐らく、どこまでも踏み込めます」
アランフォースは事もなげに答えた。
「それなら、タッセントの王を仕留めてこい。それが、ひとつめの命令だ」
レックスは、薄く笑った。
「これからお前は、俺のために生きろ」
「…承知しました」
感情のこもらない声が、死体の上に落ちた。
――そして、現在
「俺との約束を、憶えているな」
レックスは頬杖をついたまま、静かに口を開いた。
「…ええ。もちろんです」
机を挟んで立つアランフォースが、低く答えた。
「その約束は、これからも変わらない」
「構いません」
アランフォースはすぐに頷いた。
「そういう約束ですし、今もその心づもりでいます」
「その心づもりでいながら、お前は姪を選んだ」
「……」
「はっ…分かってる。お前しか、あれは護れない」
レックスは鼻で笑うと、鋭い目でアランフォースを見上げた。
「だが、勘違いするな。お前は、ただの護衛だ」
「……」
「護衛以前に、お前は国を護る騎士だ。本分を思い出せ」
「…忘れてはいません」
「そうか。なら、平気だな」
「…何がでしょうか」
アランフォースは訝しげに眉を寄せた。
レックスは、静かに告げる――
「……」
アランフォースの表情が一瞬で強張った。
固く口を引き結び、何も答えない。
「…お前は、この可能性を忘れていただろう」
構わず、レックスは続けた。
「平和に慣れて、腑抜けるんじゃねぇ」
「……」
「まさか、行きたくないとは言わないな」
「……」
「手を汚すことに、後悔しないと言ったな」
「……」
返答は、ない。
「おい、アランフォース」
レックスは頬杖を解き、身を乗り出した。
「お前は、俺のために生きるんだろ」
「……」
アランフォースの目が、わずかに揺れた。
「もう、手遅れだ。お前の手は汚れている」
レックスは、容赦なく言葉を重ねた。
「お前では、絶対にリリアンヌを幸せにできない」




