特別な一日③
リリアンヌ視点
…ブライアンに、文句を言う暇もない。
「リリアンヌ殿下、お初にお目にかかります。オーニル・ターリと申します。先日は、娘が世話になったようで」
「マリドーナ嬢の父だ」
ブライアンが正面を向いたまま、耳元で囁いた。
「オーニル長官、お会いできて光栄ですわ。マリドーナ嬢には、本当によくしていただいております」
リリアンヌは、にこっと微笑んで返した。
「娘も、リリアンヌ殿下と親友になれたと喜んでおりましたぞ!」
オーニルが、ははっと楽しそうに笑った。
「…マリドーナ嬢は、私の知らない話を、たくさん教えてくださるの」
「娘は、人一倍好奇心旺盛でしてな。いや、あなたのお役に立てているなら、これほど喜ばしいことはない」
「オーニル長官。先日、バーナードに子が生まれたと聞いた。遅くなったが、おめでとう」
「ああ、ブライアン殿下は、お耳が早い。愚息のことまでご存じでしたか」
オーニルが、嬉しそうにブライアンへ返した。
「マリドーナ嬢も、クライヴ殿と婚約が決まったようだな」
「いや、情報が早くて本当に驚きましたな。その通りでしてね、ようやく娘が決意した」
「隣領同士、共に助け合い、我々の力になってくれるとありがたい」
「なんと、ありがたいお言葉で!」
「オーニル長官。これからも、どうぞよろしくお願いします」
リリアンヌも、それに続くように微笑んだ。
「ああ…セスランディアは、次代も安泰ですな」
オーニルはにこやかに頷くと、失礼しますと場をあとにした。
「リリアンヌ殿下、お初にお目にかかります。私は、スコット・レジェフェスと申します」
息つく間もなく、逞しい体つきの男性が二人の前に立った。
もう、体つきだけで分かる。
彼は、騎士だ。
「アッシカル領の騎士隊長だ」
ブライアンが再び耳元で囁いた。
「スコット隊長…お会いできて、大変光栄です」
リリアンヌは、もう何度目か分からない言葉を繰り返した。
まだまだ、列は続いている。
まだまだ、この台詞を言うのだろう。
…事前に、人前で挨拶しなきゃいけないことを教えてほしかった。
急に、ブライアンにその場で「挨拶を」と言われて、本当に戸惑った。
思いつくままに、言ってしまった。
みんなの驚くような表情から、多分違ったのだろうなということだけは分かった。
この中のどこかに、両親がいるはずだ。
兄も、義姉と参加すると言っていた。
きっと、この長い列には並ばないのだろう。
大勢の人で溢れ、座ったこの場所からは、誰がどこにいるのかまったく分からない。
大広間の壁沿いには、ずらりと国王直属騎士団の騎士たちが並んでいる。
そちらの方を見る余裕もない。
喉を潤すためにワインを飲むことが、精いっぱいだ。
「すまない、果汁に変えてくれ」
「!」
挨拶の合間に、ブライアンが、後ろに控える給仕に素早く指示を出した。
給仕は頷くと、リリアンヌのワイングラスを葡萄果汁のグラスと入れ替えた。
「…まだ、大丈夫です」
リリアンヌはグラスを両手で持ちながら、ブライアンに小声で囁いた。
「駄目だ。ここで寝られては、困る」
「寝たりしませんっ…!」
むっと、頬を膨らませた。
まだ、ラジャタ村でのことを言っている。
「ふふっ…見せつけてくれますねぇ」
「…!」
聞き覚えのありすぎる声に、リリアンヌはすぐに正面へ顔を向けた。
「ネウロ!」
つい、ほっとしたような声が出てしまった。
「どうも、お邪魔してます。お二人とも、今日は一段と異彩を放ってますねぇ」
「ネウロこそ、素敵な格好だわ」
ネウロの正装姿を、初めて見た。
髪をまとめ上げ、耳には青い耳飾りが輝いている。
格好良い。
ネウロの隣に並ぶ女性と、ぱちりと目が合った。
女性は、にっこりと笑いかけた。
「あっ…!」
リリアンヌは、はっと声を上げた。
「彼女が、婚約者のティナです」
ネウロが、隣にいる女性に手を向けた。
「リリアンヌ殿下、ブライアン殿下。初めまして、ティナと申します」
母もすさまじいけれど、ティナも色っぽい。
体の線に沿うような、ぴったりしたドレスを着ている。
それでも、嫌らしさはまったくない。
綺麗な紫の髪を、肩の辺りで切り揃えている。
貴族にしては、珍しい髪型だ。
彼女は、“物語”で名前しか出てこない。
だから実際に会って、少しだけ驚いた。
恐らく、ネウロより年上だ。
「リリアンヌ殿下。このたびは私まで招待いただき、ありがとうございます」
「ティナ…やっと会えた」
ネウロに、ティナと一緒に参加してほしいと、駄目元で招待状を送ったけれど。
来てくれて、良かった。
「あら…どうしましょう。そんなことを言われたら、嬉しいわ」
「ティナ、会えて光栄に思う。話だけは、ネウロから山ほど聞いていた」
ブライアンも挨拶を返した。
「お二人とも、この人の面倒を見てくださって、ありがとうございます」
ティナが深々と頭を下げた。
「嫌だなぁ。僕が面倒を見ているんですよ」
「そうよ、ティナ。こちらこそ、ネウロに頼りきってしまって、ごめんなさい」
離れているとはいえ、ネウロとは王城で同じ階に住んでいる。
それに、毎日顔も合わせている。
ティナに、嫌な思いをさせていないといいけれど。
「本当に、ネウロ様が言うよりも美しい人…」
ティナは、うっとりとした顔でリリアンヌを見つめた。
「あの…ティナ?」
話は、聞いてくれているだろうか。
「ティナは、美しいものが好きなのですよ」
ネウロが代わりに返した。
「申し訳ありません…仕事柄、どうしても美しい方を見てしまうんです」
ティナは、うっとりとしたまま答えた。
「お仕事は、何をされているの?」
「美容に関する品を扱っています」
「へぇ…!そうなのね」
詳しく聞いてみたい。
「リリアンヌ殿下のお顔を見ていると、新しいものを考えたくなるというか、いろいろ試したいというか…」
「えっ、ティナ自身が商品を考案しているの?」
「ええ。考案もしていますし、仕入れもしていますわ」
「そうなの!お店は、出しているのかな」
「北の金鐘通りに出しています。ぜひ、いらしてください」
「ええっ、そうだったの?」
何度か、行ったことがあったのに。
まったく知らなかった。
「面白そうな話だが、また今度ゆっくりと聞こうか」
「ティナも、そこまでですよ」
男性たちが、それぞれの相手をそっと止めた。
「まだ、全然話していない」
リリアンヌは小さく頬を膨らませ、男性たちに抗議した。
「殿下、良かったら今度、ティナと三人でご飯でも行きましょう」
「本当っ?」
「ええ。ですから、もう少し頑張ってください」
ネウロは言いながら、自分の頬をとんとんと指した。
「!」
咄嗟に、手で頬を隠した。
そんなに、顔を強張らせていただろうか。
「では、また明日」
「また、お会いしましょう」
ネウロとティナが一礼して、次の客へ場を譲った。
「良い時にネウロたちが来たな」
「うん…ティナに会えて、良かった」
リリアンヌは、にっこりとして囁いた。
「言葉遣いを戻してくれ」
ブライアンは苦笑をこぼし、次の客へ視線を向けた。
「ああ…ワオリス長官。久しぶりだな」
また、迷いなく名前を呼んでいる。
ブライアンが傍にいてくれて、本当に良かった。
確かに…これは、ひとりでは無理だ。
そもそも、招待客の名と顔がほとんど一致していない。
詰め込んだはずの情報が、役に立たないまま抜けていってしまった。
町の祭りは…もう、終わってしまっただろうか。
どんな祭りだったんだろう。
また…白いリリィの花を配っていたのだろうか。
「…リリアンヌ。スノウの名を尋ねられている」
「あ…ええ、ごめんなさい。この子は、スノウと言いまして――」
リリアンヌは、はっと顔を上げて答えた。
それからしばらく、目の前の客にだけ集中した。
もう何人と挨拶を交わし、何時間経ったのかも分からない。
けれど、長かった列もようやく終わりが見えてきた。
「リリアンヌ殿下、お久しぶりですな。ネイサン・サーヴィルと申します」
「ネイサンの妻、ティベリーと申しますわ!」
次に現れたのは、にこにこと笑う熟年の夫婦だった。
「…君の母方の親戚だ」
囁くブライアンの声が、どこか硬く聞こえた。
「…ネイサン長官、ティベリー伯夫人。久しぶりだな」
「ああ、ブライアン殿下。どうぞ、ネイサンとお呼びください!」
ネイサンは、大袈裟に両手を広げて返した。
「あなたとは、じきに親戚になるのですから!」
その大きな声に、一瞬、会場が静かになった。
「…すまない、何の話か分からないな」
微笑むブライアンの目元は、笑っていなかった。
「おっと、まだこの話は秘密でしたかな」
ははっと笑うネイサンの目も、何かを探るように動き回っていた。
「リリアンヌ様。わたくしたち、あなたとお会いしたことがあるのですよ」
ティベリーが、ずいっと身を乗り出した。
「…ティベリー伯夫人。ごめんなさい…私ったら、記憶力がないみたいで」
リリアンヌは手を頬に添え、申し訳なさそうな顔を浮かべた。
本当は、この夫婦のことを覚えている。
ただ…私がまだ、二歳の頃の話だ。
覚えていると言った方が、不自然だろう。
「もうっ…昔みたいに、ティベリーと呼んでくださいなっ!」
「……」
一度も、そんな呼び方をしたことはない。
「あんなに小さかったあなたが、ここまで立派に育って、私も鼻が高いですな」
ネイサンの動き回っていた目が、リリアンヌに向いた。
「…母の、指導の賜物です」
今日一番の作り笑いがこぼれた。
「ああ、もうっ…本当に、いじらしいわ」
「!」
「何か不安なことがあったら、私たちにいつでも相談してくださいな」
ティベリーはリリアンヌの手を取ると、両手で優しくさすった。
「…あ、ええ…」
同性とはいえ…断りもなく手を取るのは、礼儀に反する。
しかも、こんな公の場で。
「…ティベリー伯夫人。そろそろ、リリアンヌを返してくれるだろうか」
ブライアンが、にこ…とティベリーに微笑んだ。
「あら、あら、まぁ!」
ティベリーは嬉しそうに、リリアンヌの手をぎゅっと握った。
「……」
どうしよう。
私が何か、指摘した方がいいのだろうか――
「国王陛下のご入場です!」
案内の者の言葉に、大広間中が、ざわりと騒がしくなった。
「まぁっ…」
ティベリーが驚き、ぱっと手を離した。
「え…?」
ブライアンの表情が、さっと硬くなった。
招待客の中に、国王の名はなかった。
ということは…飛び入り参加だ。




