特別な日の前に②
リリアンヌ視点
「やっとあなたに母親らしいことができて、私も嬉しいの」
アヴェリーンは、優しい笑みを浮かべていた。
「ゆっくり休みなさい」
それだけ言うと、扉の方へ向かっていった。
「お嬢様、おやすみなさい」
「おやすみなさいませ」
続いて侍女たちが、ドレスや装飾品を持って出ていく。
入れ違いで入ってきたビッケは、何も言わず机に近づき、ランタンに明かりを灯した。
「ありがとう…」
リリアンヌは小さく礼を言って、机の前に腰掛けた。
「…祝宴にビッケと行けないの、残念だな」
「なに、当たり前のこと言ってんの」
すぐに呆れた声が返ってきた。
「オレは、従者。部屋で待ってるから」
「…分かってるけど」
「明日も、最終確認で忙しいんでしょ?」
「うん…招待客の名前も、覚えないと」
「じゃあ、早く日記書いて休みなよ」
「はい」
リリアンヌは素直に返事して、羽ペンを手に取った。
「ええと、今日は…」
夕方にエラドリオール邸へ帰ってきて、シリウスに会いにいった。
今日から祝宴の日まで、お泊まりだ。
その間は、屋敷から一歩も出ない。
特別にネウロも、ここまで診に来てくれる。
だから…護衛は、しばらくつかない。
なんだか――
「リリアンヌ」
「えっ」
ふいに窓が開き、キリがするりと入ってきた。
「珍しい…」
こんな夜に部屋へ訪れるなんて、ナナたちを連れてきた時以来だろうか。
「少し、いいか」
「…?うん」
ぱたんと日記帳を閉じ、手にしたばかりの羽ペンを置いた。
「オレ、じゃあもう行くよ。二人とも、おやすみ」
「あ、うん。おやすみ、ビッケ」
ビッケが扉から出ていった。
「キリ、どうしたの?」
本当は、こんな夜に男性と二人きりになるなんて、問題かもしれない。
だけど相手はキリだ。
きっと、誰も気にしない。
「……」
キリは何も言わず、椅子に座るリリアンヌの前まで歩み寄った。
「…どうしたの?」
本当に、どうしたのだろう。
キリはじっと見下ろしたまま、何も言わない。
…いや、何か切り出そうとしている。
「…君は三日後、成人を迎える」
しばらくして、キリが口を開いた。
「ん?うん、そうだね。人族は、十六歳で成人だから」
自分が人族じゃないことは…まだ、誰にも言っていない。
「君のことを考えて、今日にした」
「…何の話?」
リリアンヌは、きょとんと首を傾げた。
キリは答えず、静かに箱を差し出した。
手帳くらいの大きさの、綺麗に磨かれた木箱だ。
「…ええと?」
これは、何だろう。
「成人祝いだ」
「…!」
はっと、顔を上げた。
「…くれるの?」
「祝いだからな」
「…開けてもいいの?」
「ああ」
「……」
リリアンヌは両手で箱を受け取ると、そっと蓋を開いた。
柔らかな布の上に、小ぶりのナイフが置かれていた。
ナイフの刃は、丁寧に鞣された革の鞘に収められている。
赤みを帯びた木の持ち手には、綺麗な木目が浮かんでいた。
鞘にはベルトへ通すための革の輪がつき、その脇には、紫の石でできた小さな葉飾りが下がっている。
聖樹の葉を模したものだ。
「このナイフ…」
このナイフに、見覚えがある。
いつも、キリが身に着けていたものだ。
「エルフは成人を迎えると、家族から、使い慣れたものを祝いとして贈られる」
「…家族」
ナイフに視線を落としたまま、ぽつりと繰り返した。
「このナイフを、君に合わせて直した」
以前より、持ち手が少し小さくなっている気がする。
握ってみると、驚くほど手に馴染んだ。
「こんな大切なものを…私に…?」
「…貰ってくれると嬉しい」
躊躇うような声が、そっと落ちた。
「…っ」
駄目だ。
もう、堪えられない。
こんなの――
リリアンヌは、ナイフを箱ごと机にそっと置くと、
キリを思いきり抱き寄せた。
「!」
キリは咄嗟に、椅子の背もたれに左手をついた。
リリアンヌは気にせず、肩に腕を巻きつけ、ぎゅうっと抱きしめた。
「ありがとう…っ!」
こんなの、嬉しすぎる。
家族。
キリもそう思ってくれていることが、堪らなく嬉しい。
「キリ…大好き」
ぽたっと、涙がこぼれ落ちた。
「本当に…キリと出会えて、良かった」
「…私もだ。君と出会えて良かった」
キリは右手で、優しくリリアンヌの背中をさすった。
「…キリに、貰ってばかり」
その手が温かくて、余計に涙が出た。
「貰ってばかりで、何も返せていない…」
ずっと傍で見守ってくれているのに。
どうすれば、彼に――
キリの手が、そっとリリアンヌの腕に触れた。
抱きしめていた腕を緩めると、すぐ近くにキリの顔があった。
「もう、たくさん貰っている」
優しく目元が拭われていく。
「たくさん…?」
「君から、大切なものをたくさん貰った」
ランタンの灯りが、キリの顔を柔らかく照らしている。
初めて会った頃とは、まったく違う。
綺麗な切れ長の目が、優しく細められた。
「成人、おめでとう」
「…ありがとう」
リリアンヌは目を潤ませたまま、にっこりと笑った。
「…ゆっくり休め」
「あっ…おやすみなさい」
慌てて立ち上がり、箱を手に取って窓辺へ向かった。
「ナイフ、大切にするね」
「おやすみ」
キリは窓枠に足を掛けると、一瞬で姿を消した。
「…本当に、ありがとう」
リリアンヌは誰もいなくなった窓辺に向かって、ぽつりと呟いた。
「必ず…恩返しするからね」
手にした箱の中で、紫の葉飾りが静かに輝いた。




