第一章Ⅷ(二つの日々)②
リリアンヌ視点
ギタンの視線は――まだ、正面を向いたままだ。
リリアンヌは空中で大きく剣を振りかぶり、頭を狙って振り下ろした。
――カンッ…!
「あれっ」
気付いたら、剣は地面を叩いていた。
ギタンの姿が、消えている。
リリアンヌは屈んだまま、ぱっと顔を上げた。
目の前に、横薙ぎに振られた剣が迫っていた。
「…!」
咄嗟に転がり、剣を避けた。
その勢いのままブンッと剣を振り抜き、今度はギタンの足を狙った。
ギタンは、軽く足を上げてあっさりとかわした。
その隙に、リリアンヌは大きく跳ねた。
一気にギタンの背後へ回り込み、力いっぱい剣を振り下ろした。
「無駄に剣を使う必要はない」
渾身の一撃は――
カンッ、とギタンが後ろ手に持った剣に弾かれて終わった。
「…それなら!」
リリアンヌは着地すると、すぐにもう一度跳び上がった。
足を大きく振り抜き、頭をめがけて蹴りを入れた。
「腰が全然入ってねぇ」
ギタンは視線も向けず、わずかに頭を傾けた。
「わぁっ!」
足は空を切り、リリアンヌはそのまま勢いよく地面へ転がった。
「さっきよりは、ましになったか。戦いとは、こういうもんだ」
「う~ん…うまくいかないなぁ」
リリアンヌは立ち上がると、ぱんぱんっとズボンについた土を払った。
「リリィ、すごいよー!ちっこい騎士みたいだった!」
メルが、ぱちぱちと拍手を送った。
「リリィお前な、オレん時もそういうの、やれよ!」
サムはまだ、地面に座ったままだった。
「じゃあ、サムだってギタンとの時みたいに相手してよ」
「そんなことしたら…お前の骨、折れるぞ」
「サム、お前もやるなら常に本気でやれ」
ギタンはサムに剣を渡すと、どかりと長椅子に腰を下ろした。
「リリィ、見てみて、書けたよ~!」
遠くから、弾んだ声が聞こえてきた。
「待ってカヤ、今行くね!…ワンス、交代」
リリアンヌはカヤに答えると、ワンスに木の剣を渡した。
「交代って…オレ、サムとはできないよ」
「じゃあワンス、オレとやろ~!」
「オレ、もうメルにも勝てないよ」
ワンスは文句を言いながら、重い腰を上げた。
「頑張ってね」
リリアンヌはぽんっとワンスの肩を叩くと、カヤの方へ向かった。
菜園の手前に土が盛られた場所で、カヤがこちらに背を向けて屈んでいる。
高い位置で結んだ髪が、わずかに揺れていた。
「どこまで書けたの?」
「ぜんぶ、書けた!」
カヤは枝を持ちながら、にこっと笑って言った。
「え、すごっ」
思わず、素の声を上げた。
土には、大きく書かれた字が並んでいた。
「でもね、書けただけなの。どう読むのか、わすれちゃった」
「それでも、十分だよ。文字を全部書けるようになるなんて、すごい」
「リリィの教えかたが、じょうずだから」
「カヤ…」
リリアンヌはカヤの隣に屈み、よしよしと頭を撫でた。
なんて、良い子なのだろう。
「あはは!リリィって、ほんとにサムみたい!」
「カヤは、字がとても綺麗だね」
「こういうの、好き。髪をむすぶのも、好き」
「うん、上手に結べてるよ」
「ちゃんと、リボンのかたちになってる?」
「うん、大丈夫」
「あのねリリィ、また、お姫さまの髪にしてくれる?」
「いいよ。今やろうか?」
「ううん。今日はうまくできたから、このままでいるの」
「そうだね。今度、また違う結び方も教えてあげるね」
「やったぁ!リリィ、だいすき~!」
「!」
カヤが手を伸ばし、ぎゅっとリリアンヌに抱きついた。
「いろんなことおしえてくれて、ありがとー!」
「ううん。私も、いっぱい教えてもらっているから」
それは、こちらの台詞だ。
「うお、すげぇな」
頭上から、驚く声が降ってきた。
「あ、サム」
「カヤ、いつの間にか全部書けるようになったんだな」
サムは、感心しながらリリアンヌの隣に屈んだ。
「そう~!私も書けるようになったの~!」
抱きつくカヤが、嬉しそうに言った。
「サムのつぎに、できるようになったー!」
「オレだって、読むのはまだ不安だよ」
サムは苦笑しながら返した。
「でも、読むのサムがいちばんじょうず~」
「うん、そうだね。サムは、もうすらすら読めるよ」
リリアンヌは、カヤの言葉にこくんと頷いた。
「お前の教え方が上手いからだろ。リリィ、本当にありがとな」
「えへ…サムにも褒めてもらっちゃった」
「あ!リリィ、うれしそ~!」
「うん、嬉しい」
カヤと二人で顔を合わせて、えへへと笑った。
「…あのさ、リリィ」
サムがぽつりと、気まずそうに呼んだ。
「ん?なあに?」
「お前、計算はできる?」
「計算…?できるけど…」
まだ、きちんとは習っていない。
「あのさ…計算も教えてくんねぇ?」
「うん、いいよ」
リリアンヌはすぐに頷いた。
「え…いいの?」
サムは驚く顔を向けた。
「なんで駄目なの?」
思わず、くすっと笑みがこぼれた。
「文字を教えるのとは、訳が違うだろ」
「どうして?」
「…計算なんて、お前は、金を払って人から習ったはずだ。町でも、教わる奴は限られてる」
サムは、言葉を選びながら答えた。
「んん…」
気にしないけど、は違う。
ちゃんと、サムが納得できる理由じゃないと。
それなら――
「…じゃあ、マントのお礼」
「あれじゃ、割に合わない」
サムはすぐに首を振った。
「それじゃあ…作物の収穫や、小麦の脱穀の仕方を教えてくれたお礼」
「あれは、新しい子が入れば教えることだ」
「あと、剣回しも教えてくれたお礼」
「あんなの、遊びみたいなもんだろ」
「遠慮しないでって言ったのは、サムだよ?」
リリアンヌは、むっと頬を膨らませた。
「サムは、私にいろいろなことを教えてくれるから。私だって、何か教えたい」
「…遠慮の意味が違うだろ」
サムはぽりっと頭を掻くと、表情を引き締めた。
「でも…本当に、教えてくれるんだな?」
「もちろん」
「じゃあ、遠慮なく。リリィ、オレに計算を教えてください」
「承りました」
リリアンヌは、恭しく一礼した。
「なんだ、それ」
サムは、ふはっと吹き出した。
「リリィ、私、ねむくなっちゃった…」
体を寄せるカヤが、もぞりと動いた。
「カヤ、寝るならオレの背中に来い」
「うん」
カヤは地面に枝を落とすと、サムの背中にくっついた。
「だからゲンたちと一緒に昼寝しとけって言っただろ?」
「だって、リリィがきてる日だったんだもん」
「あとで飯食ったら、ちゃんとベッドで寝ろよ?」
「…うん」
こてん、とカヤが意識を手放した。




