なかったはずの未来①
リリアンヌ視点
「精霊王オーリアよ、二つの命が寄り添うこの日に、あなたの祝福がこの誓いに宿りますよう」
祝福の言葉が、終わった。
「…っ」
リリアンヌは口元をハンカチで押さえ、嗚咽を堪えた。
このあと、二人が退場する姿を目に焼き付けなければ。
お披露目会に参加しない分、今、しっかり見届けないと。
小さく息を整え、顔を上げた。
「泣くな、リリィ」
「えっ」
「お前は、泣く姿も可愛らしいな」
目の前に、優しく微笑む兄がいた。
「お前を、馬車まで送ろう」
サイラスは、リリアンヌをひょいと抱き上げた。
「おっ、お兄様…!」
信じられない。
祝福の言葉は終わったとはいえ、まだ式の最中だ。
慌てて周りを見渡した。
「はぁ…」
「まったく、あなたは最後まで…」
両親が、呆れたように溜息をついている。
けれど、サイラスを止めようとしなかった。
ヒュージライ家や聖職者たちは、みんな驚いた顔をしていた。
アイラたち霊拝師は、温かい目でこちらを見ている。
像の前では、ガブリエルが、柔らかく笑っていた。
サイラスは気にせず、リリアンヌを抱えたまま後ろの扉へ向かっていった。
「お兄様、待って…!どうか、ガブリエルお義姉様の傍に」
「ガブリエルとは、この先ずっと一緒にいられる。今は、お前の方が大事だ」
「…!」
リリアンヌは、ぱっと両手で顔を覆った。
後ろには、顔見知りの騎士たちが並んでいる。
恥ずかしすぎて、顔から火が出そうだ。
「うう…」
小さく呻きながら、兄に連れ去られるがまま本堂をあとにした。
これでは、誰のための何の式か分からない。
「…明日、本当に出るのか」
「……」
恐る恐る、指の隙間から兄を覗いた。
「本当に…明日、エラドリオール邸を出ていくのか?」
サイラスが、悲しそうな顔で見上げていた。
「…はい」
リリアンヌは両手を顔から離し、こくんと頷いた。
「まだ、私は納得していない」
「お兄様…ちゃんと説明しました」
「あれが説明なものか」
「でも、これからもエラドリオール邸へ通います」
「それでも。お前が王城で、知らない奴らと暮らしていくと思うと…気に入らない」
「私は、王城に行ってもやることは変わりません」
「たまに、突然訪れるからな」
「はい。そうしてくださったら、とても嬉しいです」
リリアンヌは、嬉しそうに微笑んだ。
「……」
サイラスはちらりと妹を見やると、ぐっと口を閉じた。
本堂の建物を出ても、まだ下ろしてもらえなかった。
諦めて、兄の肩に手を回した。
外の長い階段を、ゆっくりと下りていく。
「…お前も、いつかは」
ふいに、かすれた声が耳に届いた。
「…いつかは?」
リリアンヌは、そっと尋ねた。
「…駄目だ。耐えられそうもない」
答えではなくて、溜息が返ってきた。
階段の麓には、行きに乗ってきた馬車が止まっていた。
サイラスは、リリアンヌを抱えたまま乗り込んだ。
「今日、私たちは遅くなるだろう」
「はい。私の分も、楽しんできてください」
リリアンヌはサイラスの肩に回した手を離し、そっとソファに腰掛けた。
「明日の出発前に、またゆっくり話そう」
「また、お仕事を休まれるのですか?」
「明日くらい、いいだろう」
「…今までも、何度かそういう日があったかと思いますが」
「お前が気にすることではない」
サイラスはそう言うと、リリアンヌの額に長めのキスをした。
「また明日な」
最後に微笑み、ひょいと馬車を降りていった。
入れ違いでアランフォースが乗り込み、扉をそっと閉めた。
「…!アランフォース、腕は大丈夫ですか?」
兄は、腕を蹴ったはずだ。
「私のことは、気になさらず」
アランフォースは大剣を立てかけながら、短く答えた。
「……」
機嫌が…あまり良くない。
すぐに分かる。
「…ごめんなさい」
リリアンヌは小さく謝ると、窓の方を見て黙り込んだ。
窓の縁では、スノウが流れる景色を眺めている。
そっと手を伸ばし、その頭を撫でた。
せっかくの式だったのに、どうしてこうなってしまったのだろう。
あれだけ感動していたのに、とっくに涙も乾いている。
「…家族の結婚式とは、そこまで感動するものでしょうか」
「…え」
リリアンヌは撫でる手を止め、ゆっくりと正面に顔を向けた。
アランフォースが、わずかに首を傾げていた。
「…はい」
話題を…変えてくれたのだろうか。
「嬉しくて…寂しいです」
「寂しい…」
まだ、不思議そうな顔をしている。
「アランフォースは…兄弟はいないのですか?」
本当は知っているけれど…
アランフォースの口から、聞いてみたい。
「家族とは疎遠で、今どうしているかもよく分かりません」
「…!」
リリアンヌは、ぎくりと肩を揺らした。
どこか、声が硬くなった気がした。
「それでは…っ、国王直属騎士団では、どうですか?」
「…どういう意味です?」
「国王直属騎士団の誰かが結婚した時、何か感じませんでしたか?」
「…何も感じませんでした」
間を置いて返ってきた。
「エドガー団長の時も?」
「エドガー団長は、私が部下となった時にはもう結婚されていました」
「じゃあ…伯父上の時は?」
「陛下も同じく結婚されていました。…それに、間違いなく寂しいとは思いません」
アランフォースは、ふっと苦笑を浮かべた。
少しだけ、機嫌が戻ったようだ。
「そっかぁ…」
リリアンヌは、考えるように視線を落とした。
「身近な人が結婚するなら…私は嬉しいし、感動するかな」
そもそも、アランフォースは誰と仲が良いのだろう。
というか…仲の良い人はいるのだろうか。
それに――
「…ひとり、思い当たる方がいます」
「…えっ」
小さな声が聞こえ、ぱっと顔を上げた。
「もしその方が結婚するとなったら、きっと心が動くでしょう」
アランフォースは、まっすぐにリリアンヌを見つめて答えた。
「…嬉しいとか、感動するじゃなくて…心が動く?」
リリアンヌは身を乗り出し、じっと見つめ返した。
「ええ、そうとしか言いようがありません」
「そんな人が…アランフォースにも、いるの?」
「……」
アランフォースが、くっと目を細めた。
「……」
なんで、ここで叱る時の表情になったのだろう。
どうして…誰かを、教えてくれないのだろう。
こんなに毎日一緒にいるのに…個人的なことを、何も知らない。
話も、いつも私のことばかりだ。
アランフォースは、自分のことをあまり話したがらない。
“物語”のアランフォースは、独り身だった。
でも、兄と同じように、物語とはまったく違う人生を歩んでいる。
恋人が…いるのだろうか。
好きな人が、いるのだろうか。
……
「着きました」
アランフォースが扉を開け、馬車から降りていった。
どうして…答えてくれないのだろう。
まさか、私が知っている人なのだろうか。
「……」
「あっ…ごめんなさい」
はっと、顔を上げた。
アランフォースが扉に手を置き、じっと目を向けていた。
「…仲間が結婚するのは、心が動くものでしょう?」
「…え…仲間?」
リリアンヌは、きょとんと目を瞬かせた。
「ええ。違いますか?」
「…違わないけれど」
ブライアンも、キリも、ビッケも、ネウロも。
アランフォースも。
誰かと結婚するとなったら…心が、動く。
「…そういうことです」
アランフォースが、ふっと微笑んだ。
「……」
…どういうことだろう。
…仲間?
私は、アランフォースを仲間だと思っている。
そう思っていることを伝えたはずだし、アランフォースも仲間だと言ってくれた。
…ん?




